「文学と教育」掲載記事 対象別一覧 『コシャマイン記』掲載の「文藝春秋」1936年9月号
 鶴田知也『コシャマイン記』と どう取り組んできたか。
芥川賞受賞の言葉/作品評
《座談会》文体づくりの国語教育と総合読み………黒川実、熊谷孝、夏目武子、大内すえまろ(「文学と教育」第54号 1968-10)
熊谷孝 授業体験を語る――『コシャマイン記』から『丹下氏邸』へ………(「文学と教育」第69号 1971.5)
《例会ノート》『コシャマイン記』………山崎宏(「文学と教育」第69号 1971.5)
“素朴による自己解明”の文学――鶴田知也『コシャマイン記』の総合読み………山下明(「文学と教育」第73号 1972.3)
『コシャマイン記』(鶴田知也)――文学史1936年へのアプローチ………高健三(「文学と教育」第121号 1982.8)
文学史一九三六年へのアプローチ――『コシャマイン記』と『若い学者』(島木健作)が志向するもの………荒川有史(「文学と教育」第122号 1982.11)
《例会レポート》太宰治『右大臣実朝』補説………高木春枝(「文学と教育」第139号 1987.2)
暗い谷間の人間像………樋口正規(「文学と教育」第141号 1987.7)
文学史〈一九二九〉の課題と継承――『炭鉱地帯病院』『コシャマイン記』『野火』………樋口正規(「文学と教育」第142号 1987.11)
《巻頭言》二人の作家の死を悼む………佐藤嗣男(「文学と教育」第144号 1988.5)
熊谷孝にとって文学であるもの………伊豆利彦(「文学と教育」第160号 1992.12)
《私の教室》『コシャマイン記』を読む………香川智之(「文学と教育」第168号 1995.3)
続・『コシャマイン記』を読む――級友への手紙………香川智之(「文学と教育」第169号 1995.6)
《例会レポート》『皇帝の新しい着物』と『コシャマイン記』………橋本伸弥(「文学と教育」第174号 1996.8)
《ゼミナール》『コシャマイン記』の印象の追跡………文責 金井公江(「文学と教育」第175号  1996.11)
  
  

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「文藝春秋」1936年9月号より
芥川賞受賞の言葉 鶴田知也  友人への感謝

 芥川賞が僕に与へられるとは夢にも思はなかった。林房雄君が、僕が相当有力な候補に上げられてゐると云ふ非常に同志的な報知を逸早く呉れたが、矢張り僕はそれを信じなかった。僕は非常に悦しい。何故と云って、、第一に、少くとも文学者として、何ものかを世人に訴へんとするものを持ってゐると信ずるから、この賞によって今後の僕の作品により多くの人々の注意を引くことが出来るだらうと思ふからである。第二に、僕は未だこれまで孝行らしいことを一度もしたことがない、これは僕らの陣営の人達が大抵皆さうであって随分心苦しい思ひをしてゐるのだ、僕はどう云ふ事の機みか知らないが、非常に権威的なこの賞を与へられることによって、生れて始めての孝行らしいことをしたと思ふからである。
 今の所、感想と云って別にないし、どんな御挨拶をしていゝのか見当がつかないで困るのだが、先輩同志諸氏や僕を辛抱強く鞭撻して呉れた親友達に深く感謝する。無論、僕の作品を選んで下さった方々にも同様である。
 最後に僕は頗る遅筆である。これからも従前通り、ゆっくり書いて行き度いと思ってゐる。
作 品 評(抄) 佐藤春夫

 鶴田氏の「コシャマイン記」は古朴な筆致の取材の悲痛なのと相俟って異彩のある文学をなしてゐるのを喜ばしく思ふ。結末の期待に反してこともなく敗北するあたりなども味が長い。(「芥川龍之介賞経緯」)
小島政二郎

 このエピックと、文体とがよく一致してゐて、素朴愛すべき調子を出してゐる。そこに美しさを感じた。僕はこの作品を一番最後に読んだが、幾つも幾つも読んで行って最期にこの作品で芸術の息吹を感じて、救はれたやうな気がした。この作品が群を抜いてゐる。(「芥川龍之介賞経緯」)
室生犀星
 
 この哀れな歴史のやうな物語は今どきに珍しい自然描写などもあり、何か、むくつけき抵抗しがたいものに抵抗してゐるあたり、文明と野蛮とのいみじい辛辣な批判がある。かういふ小さい歴史の存在を私は知らなかったのである。読ませるちからも豊富で変化があった。委員諸氏の推薦せんせられた各作家を通じて最も小説的に傑れたものであることを信じる。私はこの「コシャマイン記」を小喧しく云はずに推す。 (「芥川龍之介賞経緯」)
滝井孝作
 
鶴田知也氏の「コシャマイン記」は筋書のやうな感じもするが、昔風の史話として面白い作だと思ふ。(「芥川龍之介賞経緯」)
菊池 寛

 自分一人でも極力「コシャマイン記」を主張するつもりでゐたが、佐藤氏なども同意見だったし、久米室生二氏も一位に撰んだし、殆ど満場一致だった。……たとひ、鶴田君は、外に何にも書いてなくっても、この一作丈でも、芥川賞に値すると思った。(「話の屑籠」)

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