抜書き帖 言葉・文学・文学教育・その他
  
   時代の異端者による異端の発掘 (見出しは当サイトで付けました。)
  

尾形 仂
「古典と現代感覚」より

=『座の文学』 1973角川書店 / 1997講談社学術文庫 所収=

  (…略…)

 古典ということばは、とかく私たちに対して、伝統的権威の重圧といった感じを与えかねない。だが、古典といえども、それが誕生した時には、それぞれの時代におけるするどい現代意識の上に立った、一つの異端として生まれたものにほかならなかった。たとえば、平安時代の初頭、中国に心酔して漢詩文がさかんに行われ、漢字による文学が正統と見なされていた時点において、かなを用いて和歌をよんだり、物語を書いたりすることは、いわば一種の異端の試みであったといっていい。その異端の試みが『古今集』に結晶し、やがてそれが正統の座を占めて古典としての権威を確立した鎌倉初期に、藤原定家の歌は「新儀非拠の (ということは、簡単にいえば、異端のということになる) ダルマ歌」と罵(ののし)られた。その「ダルマ歌」が、いつしか一世を風靡(ふうび)して『新古今集』を生む。
 今日残っている遺墨類を見ても、西行・俊成・定家といった人々の書跡は、それぞれの個性を存分に発揮して、平安古筆の様式を大いに踏みはずしている。芭蕉の若いころの文字を見ても、また然り。ドイツ語の花文字のように奇矯に曲がりくねっている。その文字のごとく、その俳諧もまた、当時でいえばハイカラな舶来趣味である漢詩文の風調を日本語の韻文の中にとり入れた異端の作だった。しかも、貫之にせよ、定家にせよ、芭蕉にせよ、それら異端の作が、いずれも、時代の政治的状況の中で陽(ひ)のあたらない場所に生きた人々の、人間としての生きがいをかけた唯一至上の営みとして生み出されたものであったことも、また見のがせない。
 今日、古典と呼ばれるものは、いずれもそうした異端として誕生している。古典の伝統とは、一面からいえば、異端の系譜であるともいうことができるだろう。古典が古典たりえたのは、そのような、時代を変革する創造的な生命力を内包していたからにほかならない。
 一方、異端として誕生した古典は、初めから古典としての座を占めていたわけでは、もちろんなかった。古典を古典として認めるかどうかのキャスティングボートは、後人が握っている。『万葉集』は長いあいだ、正確に読むことすらできないままに放置されていた。江戸時代の国学者たちから研究の対象とはされたが、しかし、『万葉集』の内包する生命力が新しい創造の原動力となり、ほんとうの意味で古典としての地位を確立するのは、明治の正岡子規からだといっていい。子規の現代感覚が、古典を古典としたのである。元禄文学を代表する西鶴の作品も、淡島寒月が明治二十年前後に西鶴本をあさっていたころには、夜店で二束三文の値段でごろごろしていたという。西鶴を古典の位置に据え、西鶴本に万金の値を付与したのは、元禄文学の復興によって明治の新文学の創造を志した紅葉・露伴や一葉たちだった。
 古典の系譜は、時代の異端者による異端の発掘(異端ということばが悪ければ、新時代の創造者と言い替えてもいいが)、異端と異端との共鳴の上に成り立っている。古典の系譜は、たえず書き替えられてゆく宿命を持つ。

 (…略…)

 古典を古典たらしめるのは、未来を拓(ひら)く者として現代に生きる自覚なのだから、現代生活の中から生まれた現代感覚こそ尊重されなければならない。

 (…略…)

 目標は、古典が異端として持っていた生命力、あるいは古典に共鳴してそれを古典たらしめてきた後続の異端者たちの創造力を発見することにある。それを発見するのは、あくまでも現代に生きる者としての自覚にささえられた現代人としての眼であり、感覚でなければならない。古典の生命力を発見しようと努めること、そのことは同時に、現代に生きる者としての自覚を確かなものとすることにつながるであろう。
 そこには、古典に耳を傾け、古典を古典たらしめることを通して、現代感覚が現代感覚として確かなものになる、という逆説が成立する。
 古典の系譜の中に、現代に生きる者としての現代感覚から、自分の古典を発見し、その古典との共鳴を通して時代を変革する、つまり、古典を現代の立場からほんとうの古典たらしめることは、古典の力によってかたちづくられてきた現代に生きる、現代人としての責任だといわなければなるまい。
(「教室の窓」昭四五・七、補訂)

◇ひとこと◇  2009年3月26日、芭蕉・蕪村を中心とした俳諧文学研究、鴎外文学研究などに多くの業績を残した尾形仂(つとむ)氏が89歳で亡くなった。
 古典の伝統は異端の系譜であり、その系譜は「時代の異端者による異端の発掘」の上に成り立つ
――。氏の揺るがぬ研究姿勢を根底から支えていたのは、この認識であったろう。“源氏物語ブーム”に代表される近ごろの“古典ばやり”現象を見るにつけ、こうしたすぐれた古典論に学ぶことの必要を痛切に感じる。
 真に文学の名に値する文学とは何か、そして文学の研究はどうあらねばならぬのか。これら肝心な問題について、氏はまた、勤務校の筑波移転をめぐる学園紛争に際しての体験を踏まえながら、端的なことばで次のように述べている。「歴史は常に勝利者の手によって記録されるが、実際に歴史を担ってきたのは敗者たちであり、文学はその敗者たちの悲しみと真実の世界へ寄せる切ない願望の結晶であることを、
[その紛争の経緯は]改めて私に思い知らせた。文学の研究は、現代を生きる自分とのかかわりの中で、敗者の心の痛みをとらえることでなければならぬだろう。」(「自分と出会う」 「朝日新聞」1996.4.30/『俳句の可能性』1996.12 所収)  (2009.6.26 T)

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