抜書き帖 言葉・文学・文学教育・その他
     日本語が亡びるとき

水村美苗

『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で―』より

=2008 筑摩書房=

[米国アイオワ大学での IWP=国際創作プログラム に参加して]
 私はくり返し思った。
 人はなんとさまざまな条件のもとで書いているのであろうか。
 だが、さらにくり返し思うことがあった。
 人はなんとさまざまな言葉で書いているのか。
 そして、その思いは、作家たちと一緒にいるあいだに、どんどんと深まるばかりであった。人が地球のあらゆるところで書いていること、金持ちの国でも貧乏な国でも書いていたり、言論の自由を抑圧されながらも書いていたりする事実は、最後まで驚きであった。
 地球のあらゆるところで、さまざまな作家が、さまざまな言葉で書いている――というよりも、さまざまな作家が、それぞれ〈自分たちの言葉〉で書いている。潜在的読者が数億人いる言葉でも、数十万人しかいない言葉でも、数千年前から書きことばをもっていた言葉でも、数十年ぐらい前からしか書き言葉をもたなかった言葉でも、作家たちにとっては同じである。作家たちは、同じように情熱的に、真剣に、そして、あたかもそれがもっとも自然な行為でもあるかのように、〈自分たちの言葉〉で書いているのである。あたかも、人類がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、〈自分たちの言葉〉で書いているのである。もちろん、人はいつの時代でも〈自分たちの言葉〉で書いていたわけではない。書くと言えば〈自分たちの言葉〉で書くのを意味するようになったのは、近代に入ってからのことで、言葉によってまちまちだが、長くて数百年、短ければ数十年のことでしかない。それなのに、今、作家たちは、あたかも、人類がこの世に存在した限り、人は常にそうしてきたかのように、〈自分たちの言葉〉で書いている。英語やスペイン語や中国語で書くだけでなく、モンゴル語、リトアニア語、ウクライナ語、ルーマニア語、ヴェトナム語、ビルマ語、クロアチア語などで書いている。
 しかも、その〈自分たちの言葉〉で書くという行為――それが、〈自分たちの国〉を思う心と、いかに深くつながっていたか。(p. 44)


■言葉には力の序列がある。
 一番下には、その言葉を使う人の数がきわめて限られた、小さな部族の中でしか流通しない言葉がある。その上には、民族の中で通じる言葉、さらにその上には、国家の中で流通する言葉がある。そして、一番上には、広い地域にまたがった民族や国家のあいだで流通する言葉がある。
 今、人々の間の交流が急激に盛んになったことによって、言葉に有史以来の異変が二つおこっていると言われている。
 一つ目の異変は、下の方の、名も知れぬ言葉が、たいへんな勢いで絶滅しつつあるということである。今地球に六千ぐらいの言葉があるといわれているが、そのうちの八割以上が今世紀の末までには絶滅するであろうと予測されている。歴史の中で、あまたの言葉が生まれては消えていったが、今、言葉は、生まれるよりも勢いよく消えつつある。激しい環境の変化の中で、自然界ではありえなかった勢いで生物が絶滅しつつあるのと同様、都市への人口集中や伝達手段の発達や国家の強制によって、言葉は、かつてない勢いで消えつつある。
 二つ目の異変は、今までには存在しなかった、すべての言葉のさらに上にある、世界全域で流通する言葉が生まれたということである。
 それが今〈普遍語〉となりつつある英語にほかならない。
 英語がほかのことばを押しのけて一人〈普遍語〉となりつつあるのは、歴史の偶然と必然とが絡み合ってのことである。英語という言葉そのものに原因はない。思うに、英語という言葉は、ほかの言葉を〈母語〉とする人間にとって、決して学びやすい言葉ではない。もとはゲルマン系の言葉にフランス語がまざり、ごちゃごちゃしている上に、文法も単純ではないし、そもそも単語の数が実に多い。慣用句も多い。おまけにスペリングと発音との関係がしばしば不規則である。さらに、発音そのものが、それを〈母語〉としない多くの人にとって非常にむずかしい。
 ところが言葉というものはいったんここまで広く流通すると、そのようなこととは無関係に、雪だるま式にさらに広く流通してゆくものなのである。通じるがゆえに、多くの人が使い、多くの人が使うゆえに、より通じるようになるからである。実際、通貨でも、多くの人が使う通貨は、多くの人が使うゆえに、さらに多くの人が使うようになる。そのうちの通貨が〈世界通貨〉として流通するようになれば、それは、まさにそれが〈世界通貨〉として流通しているという事実によって、多くの人が使い続け、〈世界通貨〉として流通し続ける。アメリカの経済が黄昏期を迎えても、ドルがこの先当分〈世界通貨〉として流通し続けるのは、この流通の法則による。通貨がそのように流通するのなら、いわんや、言葉をや、である。流通するがゆえに流通するという点では、〈普遍語〉は〈世界通貨〉よりも、より純粋に自動運動を続けられる。大英帝国が滅びてから半世紀ほどでポンドはドルに〈世界通貨〉の地位を譲ったが、ローマ帝国が滅びてからなんと十世紀にわたってラテン語はヨーロッパの〈普遍語〉としてしぶとく生き延びた。
 しかも、である。しかも、今やインターネットという技術も加わった。今や〈普遍語〉は、国境という人為的な壁も、ヒマラヤ山脈やサハラ砂漠や太平洋という自然の壁も、何もかも越えて飛び交うことができるのである。
 百年後の地球の運命も定かではなく、いつまで私たちの知る文明が続くかもわからない。だが、英語は、少なくとも私たちの知る文明が存続する限りの〈普遍語〉となる可能性が強いのである。(p.48-50)


[パリでの講演「日本近代文学――その二つの時間」から]
 西洋に流れる時間は一つですが――というより、歴史を通じてだんだんと一つになっていったわけですが、みなさんもご存じの通り、ヨーロッパ自体は一つではありません。ことに近代に入ってからのヨーロッパは、文化的、さらには言語的に、まさに多様性の名において自分を特徴づけていった地域だったのです。当然のこととして、その多様性は、「人類」に参加するようになった日本にも反映されました。日本の作家はさまざまなヨーロッパの言葉を読んだ――フランス語だけでなく、英語やドイツ語やロシア語をも読んだのです。そして、ほかでもない、このヨーロッパの言葉の多様性が、〈国語〉という観念を日本人に植えつけたのです。国家、その民族の血、その民族の歴史と切っても切り離せない、〈国語〉という観念です。そして、今度は、ほかでもない、この〈国語〉という観念が、国民国家の文学――各国に固有の〈国民文学〉という観念を日本人に植えつけたのです。二つの時間を生きることを強いられた日本の作家たち。非対称的な関係の中で生きることを強いられた日本の作家たち。普遍的な時間の中では押し黙っていることを強いられた日本の作家たち。それでも、かれらは大志を抱くことができた。かれらは少なくとも〈国民文学〉としての「日本文学」を、かれらの言葉で花咲かせるのを願うことができたのです。(p.80-81)


■ある文化が無文字文化から文字文化に転じるというのは、まずは、少数の人が、それらの伝来した巻物の束――〈外の言葉〉を読めるようになるのをいう。すなわち、その社会に少数の二重言語者が誕生するのをいう。
 巻物の束は、さまざまな方法で入ってくるであろう。戦争の相手からも入ってくるであろう。交易の相手からも入ってくるであろう。難民の群からも入ってくるであろう。皇帝の贈り物として、使者の頭上に高く掲げられて入ってくることも、布教活動の一端として、僧侶が抱えてくることも、また、時によっては、異端の書として、流刑者の懐の奥深く秘められて入ってくることもあるであろう。だが、巻物の束は、たとえそれが金の箱に納められていようと、ふつうの宝物とはちがう。たしかに巻物はモノとして存在しなければならないが、読むという行為がなければ、それは黒い点や線が描かれた白い羊皮紙や紙でしかないからである。〈書き言葉〉の本質は、書かれた言葉にはなく、読む という行為にあるからである。
 しかも、二重言語者は、たんに外から伝来した巻物を読めるようになるだけではない。二重言語者が外から伝来した巻物を読めるようになったとき何がおこるか。かれらは、実は、その〈書き言葉〉で書かれた〈図書館〉へと出入りできるようになるのである。
 ここでいう〈図書館〉とは、蓄積された書物の総体を抽象的に指す表現である。建物のあるなしは問題としない。戦争、火事、洪水、盗難、焚書など、さまざまな歴史の荒波にもかかわらず、人類にはなお残されたたくさんの書物があり、その、たくさんの書物を集めたものが〈図書館〉である。外から伝来した巻物を読めるようになることによって、二重言語者は、その〈図書館〉への出入りが、潜在的に、可能になる。
 無文字文化が文字文化に転じるというのは、すなわち、伝来した巻物を読める少数の二重言語者が誕生するだけでなく、それらの少数の二重言語者が、そのような〈図書館〉に、潜在的に、出入りできるようになるのを意味するのである。
 人類は文字文化に入って、それまでとは異なった次元での、〈叡智のある人〉となった。だが、それは、読むという行為を通じて、読んだことを覚えられるからではない。記憶の量からいえば、無文字文化の長老のほうが、はるかに優れているであろう。人類が、それまでとは異なった次元での、〈叡智のある人〉となったのは、読むという行為を通じて、人類の叡智が蓄積された〈図書館〉に出入りできるようになったからにほかならない。そして、そのような〈図書館〉に出入りするということ――すなわち、読むという行為は、歴史的には、〈普遍語〉を読むということであり、二重言語者であるのを必然的に強いたのであった。別の言い方をすれば、叡智を求めるという行為は、それが〈書き言葉〉を通じての行為である限りにおいて、二重言語者であるのを必然的に強いたのであった。(p.124-125)


■そもそも〈国語〉とは何か?
〈国語〉とは何かという問いに答えるには、〈普遍語〉〈現地語〉〈国語〉という三つの概念のうちの二番目の、〈現地語〉という概念をまずは明確にしなくてはならない。
〈現地語〉とは何か?
〈現地語〉とは、理論的に言っても、歴史的に言っても、〈普遍語〉と対になりつつ対立する概念である。〈現地語〉とは、〈普遍語〉が存在している社会において、人々が巷で使う言葉であり、多くの場合、それらの人々の〈母語〉である。〈現地語〉が〈書き言葉〉をもっているかどうかは、さほど重要なことではない。重要なのは、〈普遍語〉と〈現地語〉という二つの言葉が社会に同時に流通するとき、そこには、ほぼ必ず言葉の分業が生まれるということである。〈普遍語〉は、上位のレベルにあり、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負わされる。それに対して、〈現地語〉は下位のレベルにあり、もし〈書き言葉〉があったとしても、それは、基本的には、「女子供」と無教養な男のためのものでしかない。詩や劇が〈現地語〉で書かれることはあるが、文学として意味をもつ散文が書かれることは少ない。〈現地語〉は、時に美的に高みを目指す重荷を負わされることはあるが、知的や倫理的に高みを目指す重荷を負わされることはない。(p.131-132)


■この〈国語〉というものを、日本語の〈国語〉が背負ってきた重たい意味と切り離し、「国民国家の国民が自分たちの言葉だと思っている言葉」と定義し、より形式的に考えたとき、何をいえるであろうか。
 ふたたび、〈国語〉とはいったい何か?
〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、〈普遍語〉と同じレベルで機能するようになったものである。
 より詳しくいえば、もとは〈現地語〉でしかなかったある一つの言葉が、翻訳という行為を通じ、〈普遍語〉と同じように、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負わされるようになる。その言葉が、〈国民国家〉の誕生という歴史と絡み合い、〈国民国家〉の国民の言葉となる。それが〈国語〉なのである。
 ここで鍵になるのは、人類の〈書き言葉〉の歴史でもっとも根源的なものでありながら、不当にないがしろにされてきた、翻訳 という行為である。
 そもそも、私たちはあまりに長いあいだ〈国語〉の時代にどっぷりつかっていたせいで――つまり、〈自分たちの言葉〉を発する人間の「オリジナリティ」という神話にどっぷりとつかっていたせいで、そもそも翻訳という行為がもっていた根源的な歴史的役割をも忘れてしまっている。翻訳とは、歴史的には、とことん非対称的な行為であった。すなわち、それは、言葉のあいだに、はっきりしたヒエラルキーがあるのを前提とした行為だったのである。(p.133-134)


■その翻訳という行為を通じて、〈現地語〉の言葉がほかならぬ〈書き言葉〉として変身を遂げていく。ついには、〈普遍語〉に翻訳し返すことまで可能なレベルの〈書き言葉〉へとなっていく。〈国民国家〉の誕生という歴史を経て、その〈書き言葉〉がほかならぬ〈国語〉として誕生するのである。
 私は小説家である。翻訳という行為をこのように規定するのは、私自身、ほとんど不条理な思いがするぐらいである。ある小説が一つの言葉からもう一つの言葉へと翻訳されるというのは、叡智や思考のしかたを一方から他方に移すなどという行為にはとうてい還元できない、きわめて芸術的な行為だからである。事実、翻訳は原文をより高みに引き上げることさえもできる。だが、一歩下がって、人類の歴史を広い視点で振り返ってみれば、翻訳の本質は、まさに、上位のレベルにある言葉から下位のレベルにある言葉への叡智や思考のしかたを移すことにあった。(p.134-135)


■この数世紀にわたる長い過程のなかで重要な役割を果たしたのは、当然のこととして、二重言語者であった男の読書人である。人類の〈書き言葉〉の歴史のなかで翻訳という行為が不当にないがしろにされてきたように、二重言語者たちの存在も不当にないがしろにされてきた。だが、〈現地語〉が〈国語〉に転じるのに翻訳という行為が鍵となったということは、二重言語者たちの存在が、そこでやはり鍵となったということでもある。これらの二重言語者は必ずしも直接翻訳者である必要はなかった。かれらは〈普遍語〉と〈現地語〉と両方で書いた――すなわち頭で翻訳しながら、〈普遍語〉と〈現地語〉と両方で書いたのである。そして、両方で書くことによって、〈現地語〉でしかなかった言葉を、〈普遍語〉と同じレベルで機能する〈書き言葉〉にまで押し上げていったのである。(p.135)


■〈国語〉の父とよばれるようになる人のほとんどを特徴づけるのは、かれらが〈普遍語〉の流暢な操り手であったということであり、すぐれた二重言語者であったかれらは、広い意味での翻訳者、しかも優れた翻訳者にほかならなかった。
〈現地語〉が〈国語〉になっていった過程――それは、〈図書館〉という概念を使って考えれば、ラテン語の〈図書館〉に加えて、さまざまなヨーロッパ語の〈図書館〉が存在するようになっていった過程だと言えよう。初めは、その二つの〈図書館〉のあいだには、はっきりとした上下関係がある。たんに社会的な意味で、〈普遍語〉で書かれたもののほうが正統的な価値をもっているだけではない。〈普遍語の図書館〉は、一千年にわたる叡智の蓄積があり、〈読まれるべき言葉〉の量が圧倒的に多い。書物の数も、書物の内容も優れているのである。〈現地語〉が〈国語〉へと変身していった道のりとは、〈普遍語〉から〈現地語〉への翻訳を通じ、〈普遍語の図書館〉に蓄積された人類の叡智が、〈現地語の図書館〉へと移されていった道のりであり、やがて〈現地語の図書館〉が〈普遍語の図書館〉に追いつき、最終的には、追い抜いた道のりである。〈叡智を求める人〉は、最初は、〈普遍語の図書館〉にしか出入りしなかっただろう。だが、次第に双方の〈図書館〉に出入りするようになり、最終的には、主に、〈現地語の図書館〉にしか出入りしなくなる。そのときが、〈国語〉がほんとうに成立したときである。二十世紀後半には、ラテン語やギリシャ語の古典教育が学校教育のカリキュラムからどんどん消え、かつて栄光あった〈普遍語の図書館〉は、今、専門家しか出入りしない、埃が舞い、蜘蛛の巣が張る図書館となり果てつつある。(p.137-138)


■今、英語の世紀に入ってから振り返ると初めて見えることがある。
 それは、小説というものの歴史性である。
 ヨーロッパで〈国民文学〉としての小説が、満天に輝く星のようにきらきらと輝いたのは、まさに〈国語の祝祭〉の時代だったのであった。それは、〈学問の言葉〉と〈文学の言葉〉とが、ともに、〈国語〉でなされていた時代である。そして、それは、〈叡智を求める人〉が真剣に〈国語〉を読み書きしていた時代であり、さらには、〈文学の言葉〉が〈学問の言葉〉を超えるものだと思われていた時代であった。
 ヨーロッパで〈文学〉(literature) という言葉が、詩や、劇や、小説に限られてもちいられるようになったのは、十八世紀後半からである。それ以前は、〈文学〉とは書かれたもの一般を指し、〈学問〉と〈文学〉は未分化のものであった。漢語でいう「文学」と同じである。ところが、〈国語の祝祭〉の時代に入り、まさに人々が〈国語〉で読み書きするようになるにつれ、〈学問〉と〈文学〉とが分かれていった。神学校が今の大学へと形を変え、〈学問〉が専門化し、〈学問の言葉〉がしだいに専門的な言葉となってゆき、〈文学の言葉〉と分かれていったのである。その結果、昔は宗教書にあった、「人間とは何か」「人はいかに生きるべきか」など、人間として問わずにはいられない問いに応じられる叡智に満ちた言葉は、専門化されていった〈学問の言葉〉には求められなくなった。人々は、その代わり、そのような叡智に満ちた言葉を、〈文学の言葉〉に求めるようになったのである。〈文学の言葉〉のなかでもことに小説に求めるようになったのである。〈文学〉という言葉が今いう〈文学〉を指すようになり、やがて小説というものがその〈文学〉を象徴するようになったとき、〈文学〉は、まさに〈学問〉を超越するものとして存在するようになった。
 そして、〈国語〉という言葉こそ、小説という新しい〈文学〉のジャンルにまことにうってつけの言葉だったのである。
 くり返すが、〈国語〉とは、もとは〈現地語〉でしかなかった言葉が、〈普遍語〉からの翻訳を通じて、〈普遍語〉と同じレベルで、美的にだけでなく、知的にも、倫理的にも、最高のものを目指す重荷を負うようになった言葉である。しかしながら、〈国語〉はそれ以上の言葉である。なぜなら、〈国語〉は、〈普遍語〉と同じように機能しながらも、〈普遍語〉とちがって、〈現地語〉のもつ長所、すなわち〈母語〉のもつ長所を、徹頭徹尾、生かし切ることができる言葉だからである。(p.147-149)


■実際、〈学問〉と〈文学〉が分かれたことによってよりはっきりと見えてきたのは、この世の〈真理〉には二つの種類があることにほかならない。読むという行為から考えると、それは、〈テキストブック〉を読めばすむ〈真理〉と、〈テキスト〉そのものを読まねばならない〈真理〉である。そして、〈テキストブック〉を読めばすむ〈真理〉を代表するのが〈学問の真理〉なら、〈テキスト〉そのものを読まねばならない〈真理〉を代表するのが、〈文学の真理〉である。
 〈学問の真理〉では、すでに発見された〈真理〉の積み重ねが、次の〈真理〉に達するのを可能にする。たとえば、十六世紀前半のコペルニクスの地動説は、さまざまな〈真理〉の積み重ねのあと、二十世紀前半にアインシュタインが相対性理論に達するのを可能にした。このような、〈学問〉を特徴づけるのは、のちにきた人が、過去に書かれた書物を、いちいち読む必要がないということである。〈学問〉は人類の叡智の積み重ねではあるが、究極的には、そこでは、真の意味での、〈読まれるべき言葉〉はない。なぜなら、そこで発見された〈真理〉は、その〈真理〉を記す言葉そのものには依存していないからである。自然科学の場合には、そこで発見された〈真理〉は、究極的には、人間の存在にも依存していない。人間が存在していようといなかろうと、地球は太陽の周りを回り、光の速度は不変だからである。言葉そのものに依存していないがゆえに、〈学問〉において蓄積された〈真理〉は、最終的には、別の言葉に置き換えた「教科書」――〈テキストブック〉で学べるものなのである。〈学問の真理〉の最たるものは数式で埋められた〈テキストブック〉である。
 それに引き換え、〈文学〉で見いだしうる〈真理〉は〈テキストブック〉にとって代えられることはない。そこにある〈真理〉は、その〈真理〉を記す言葉そのものに依存しており、その〈真理〉を知るためには、人は、誰もが、最終的には〈テキスト〉そのものに戻り、〈テキスト〉そのものを読まなくてはならないのである。
〈文学〉で達しうる〈真理〉には、毎回そこに戻っていかねばならない〈読まれるべき言葉〉がある。(p.151-153)


■〈国語〉は〈普遍語〉の翻訳から成立した言葉だから、当然〈現地語〉よりも〈世界性〉をもつ。だが、それだけではない。〈国民国家〉の言葉である〈国語〉とは近代の産物であり、近代の技術のみが可能にする「世界を鳥瞰図的に見る」という視点を内在した、真に〈世界性〉をもつ言葉なのである。
〈国民国家〉の国民は、かつてのギリシャ人や中国人のように、自分の国の外には、わけのわからぬ言葉を話し、奇妙な風俗をもった蛮人がいるだけなどとは思っていない。〈国民国家〉の国民は、今、自分の国の外に、たくさんの〈国民国家〉があり、そのたくさんの〈国民国家〉のなかで、さまざまな国民がさまざまな〈国語〉を使いながら、自分と同じように生きているのを知っている。〈国語〉でもって小説を書くとは、世界の人々と同時性をもって生きているという意識のもとで書くことにほかならない。それは、世界の歴史も世界の地図も、同時代の世界の人々と同じように認識しているのを意味する。最新の大きな科学的な発見なども、同時代の世界の人々と同じように追っているのを意味する。世界の古典といわれるものも、同時代の世界の人々と同じように読み、人間はかくあるべきだという概念も、かれらと同じように共有しているのを意味する。
 具体的に言えば、今、人が小説を書こうとすれば、地球が太陽の周りを回っているだけでなく、温暖化しているのも知りつつ書かなければならないし、また、その人自身がいかに抑圧的な社会に住んでいようと、「基本的人権」や「個人の自由」という概念の普遍性を、世界の多くの人は信じているのを知りつつ書かなければならない。
 のみならず、小説を読むという行為も、そのような〈世界性〉を前提とする。聞いたことも見たこともない〈国語〉の小説であろうと、小説を読み書きするとは、そういうことなのである。(p.196-197)


■〈国民国家〉が成立するときには、まるで魔法のように、その歴史的な過程を一身に象徴する国民作家が現れる。
 日本では、漱石がそうである。
 イギリスに留学して戻ってきた漱石が、ラフカディオ・ハーンの後任として、東京帝国大学文科で英文学講師という地位を得たのは、まさに、日本の大学において、日本語で学問がなされるようになった過程を象徴するできごとであった。しかも漱石は、日本の大学で日本語で学問ができるようになったことの意味――そして「無意味」――をそのまま象徴する。
 なぜなら、日本の大学で日本語で学問ができるようになったとはどういうことか。日本の大学が西洋の大学と同じような意味での学問の府となったということであろうか。もちろんちがう。日本語で学問ができるようになったということは、何よりもまず、日本の大学が、大きな翻訳機関、そして翻訳者養成所として機能するようになったことを意味したのであった。近代日本を特徴づける知識人――西洋語で読み、しかしながら、西洋語では書かずに日本語という〈国語〉で書く知識人。日本語で学問ができるようになったとは、日本の大学が、近代日本を特徴づけるような知識人を、世に大量に送り出していくようになったのを、何よりもまず意味した。(p.199-200)


■重要なのは――世界的にみても重要なのは、このような非西洋の二重言語者である日本人が、西洋語という〈普遍語〉をよく読みながらも、〈普遍語〉では書かず、日本語という〈国語〉で書いた という点にある。それによって、かれらは翻訳を通じて新しい〈自分たちの言葉〉としての日本語を生んでいった。そして、その新しい日本語こそが〈国語〉――同時代の世界の人々と同じ認識を共有して読み書きする、〈世界性〉をもった〈国語〉へとなっていったのであった。
 そしてその〈国語〉こそが、日本近代文学を可能にしたのであった。(p.200)


■仏教学や漢学や国文学などの伝統的な学問は例外である。また、数学、物理学、化学、工学、医学などの自然科学は別である。だが、そのほかの学問はすべて西洋語と切り離せない「洋学」である。そこには知らず知らずのうちに、西洋の在り方に人類の普遍的な在り方を見いだすという、西洋中心主義が入りこんでいる。しかも、たとえもし学問が、そのような西洋中心主義から逃れていたところで、日本語という非西洋語でそのような学問をするには、二つの困難が常につきまとう。
 一つには、いくらはりきって大著述を世に出そうと、日本語で学問を行う限りにおいては、〈読まれるべき言葉〉の連鎖には入ることはできず、翻訳者=紹介者の域に留まらざるをえないということである。二つには、その日本語が西洋語の翻訳をもとにした日本語である限りにおいては、ほんとうの意味で日本の〈現実〉――過去を引きずったままの日本の〈現実〉を対象化し把握することが難しいということである。日本語で学問するとは、翻訳者=紹介者の域に留まらざるをえないということであり、同時に、日本の〈現実〉を真に理解する言葉をもてないということであった。
 それが、非西洋国において非西洋語で学問をするときに直面せざるをえない二重苦である。
 だが、その二重苦は、今から思えば、日本近代文学に思いもよらぬ恵みをもたらした。
〈国語の祝祭〉の時代とは〈文学の言葉〉と〈学問の言葉〉が同じように〈自分たちの言葉〉でなされる時代だというだけではない。〈国語の祝祭〉の時代とは〈文学の言葉〉が〈学問の言葉〉を超越する時代である。非西洋国の日本においては、まさに、非西洋国で学問をすることからくる二重苦ゆえに、〈文学の言葉〉が〈学問の言葉〉を超越する必然が、西洋とは比較にならない強さで存在した。〈国語の祝祭〉の時代は、より大いなるものとならざるをえなかった。日本においては〈文学の言葉〉こそ、美的な重荷のみならず、知的な重荷と倫理的な重荷をも負う言葉として、はるかに強い輝きを放った〈国語〉たる運命にあったのだった。
 そして、その強い輝きを放った〈国語〉は、小説から生まれ、小説を生んだ。(p.202-203)


■東京帝国大学の講師という地位を棄てた漱石の動きはドラマティックなものではあったが、実は、近代日本の知識人の典型的な動きを象徴するものでもあった。近代日本においては、すぐれた人材ほど大学を飛び出して在野で書くという、構造的な必然性があったのである。
 学問の府に身をおいても、日本語で書いている限り、〈読まれるべき言葉〉の連鎖に入ることができない。だが、〈学問〉が非西洋に開かれていなかった当時のことである。それはどうにもならない非西洋人の学者の宿命だと諦められる。
 当時の日本の知識人が大学の外へ飛び出したのには、先にも触れたように、さらにもう一つ別の動機があった。それは、大きな翻訳機関でしかない大学に身をおいていては、自分が生きている日本の〈現実〉を真に理解する言葉をもてないということにほかならない。また、自分が生きている日本の〈現実〉に形を与えてほしい読者の欲望に応えることができないということにほかならない。実際、学問=洋学の場では、日本とは何か、日本にとっての西洋とは何か、アジアなどというものが果たして存在するのか、そもそも近代とは何かなど、日本人が日本人としてもっとも切実に考えねばならないことを考える言葉がない。「西洋の衝撃」そのものについて考える言葉がない。日本人が日本人としてもっとも考えねばならないことを考えるためには、大学を飛び出し、在野の学者になったり、批評家になったり、さらには、小説家になったりする構造的な必然性があったのである。
 自分の〈現実〉――それは、過去を引きずったままの日本の〈現実〉である。
 いうまでもないが、そのような〈現実〉はたんにモノとしてそこに物理的に存在しているわけではない。人間にとっての〈現実〉は常に言葉を介してしか見えてこないものだからである。西洋語を学んだ当時の日本人にとって、当時の日本の〈現実〉は、西洋語からの翻訳ではどうにも捉えられない何かとして意識され、そうすることによって、初めて見えてきたものであった。(p.217-218)


■優れた文学の第一条件は言葉そのものに向かうことである。「西洋の衝撃」を受けた日本の〈現実〉――そして「西洋の衝撃」を通ったからこそ見えてきた日本の〈現実〉。日本近代文学の黎明期には、そのような日本の〈現実〉を描くため、詩人は当然のこと、小説家でさえ、しかも、さほどの才に恵まれなかった小説家さえ、一人一人が言葉そのものに向かい合うのを強いられたのであった。そして小説家個人の資質をはるかに超えるおもしろい文学を生み出してきたのであった。
 日本の小説は、西洋の小説とちがい、小説内で自己完結した小宇宙を構築するのには長けておらず、いわゆる西洋の小説の長さをした作品で傑作と呼べるものの数は多くはない。だが、短編はもとより、この小説のあの部分、あの小説のこの部分、あの随筆、さらにはあの自伝と、と当時の日本の〈現実〉が匂い立つと同時に日本語を通してのみ見える〈真実〉がちりばめられた文章が、きら星のごとく溢れている。それらの文章は、時を隔てても、私たち日本語を読めるものの心を打つ。
 しかも、そういうところに限って、まさに翻訳不可能なのである。
 日本人が日本語という言葉に向かい合ううちに、日本近代文学は波のうねりが高まるように、四方の運気を集め、空を大きく駆けめぐったのである。そして、それは、歴史のいくつもの条件が重なり、危うい道を通り抜けて初めて可能になったことであった。日本近代文学というものがこの世に存在するようになったこと――それ自体が、日本近代文学の奇蹟なのである。(p.226-227)


■文学なんぞ終わっていい、いや、文学なんぞ終わってしかるべきだと断言する人がいたとしても、まことに申し訳ないが、広い意味での文学は終わらない。
 科学の進歩などが広い意味での「文学の終わり」をもたらすことはありえない。科学が進歩するに従い、逆に、科学が答えを与えられない領域――文学が本領とする領域がはっきりしてくるだけだからである。ほかならぬ、意味の領域である。科学は、「ヒトがいかに生まれてきたか」を解明しても、「人はいかに生きるべきか」という問いに答えを与えてはくれない。そもそもそのような問いを発するのを可能にするのが文学なのである。その答えがないとすれば、答えの不在そのものを指し示すのも文学なのである。いくら科学が栄えようと、文学が終わることはない。
 また、文学が、あまたある廉価な〈文化商品〉の一つでしかなくなったところで文学が終わることはありえない。映画を観た人が、その映画を小説化した「ノヴェライゼーション」なる本を読むのからもわかるように、人間には〈書き言葉〉を通じてのみしか理解できないことがある。〈書き言葉〉を通じてのみしか得られない快楽もあれば、感動もある。
 或いは、大衆消費社会の出現によって、〈文学価値〉と〈流通価値〉が限りなく恣意的になったところで、文学は終わらない。一度〈書き言葉〉を知った人類が、優れた〈書き言葉〉、すなわち〈読まれるべき言葉〉を読みたいと思わなくなることはありえないからである。ことに〈叡智を求める人〉が〈読まれるべき言葉〉を読みたいと思わなくなることはありえない。そして、〈叡智を求める人〉はどの社会でもある割合では存在する。いかにつまらぬ本ばかりが市場に流通していようと、その脇で、〈読まれるべき言葉〉も流通し続けるのである。

 ほんとうの問題は、英語の世紀に入った ことにある。

 これから五十年後、さらに百年後、さらに二百年後、そのような〈叡智を求める人〉が、果たして〈自分たちの言葉〉で〈読まれるべき言葉〉を読み続けようとするであろうか。
 英語の世紀に入った とは何を意味するのか。
 それは、〈国語〉というものが出現する以前、地球のあちこちを覆っていた、〈普遍語/現地語〉という言葉の二重構造が、ふたたび蘇ってきたのを意味する。近年、伝達手段の発達によって地球はいよいよ小さくなり、それにつれて英語という今回の〈普遍語〉は、その小さくなった地球全体を覆う大規模のものとなりつつあった。そこへ、ほかならぬ、インターネットという技術が最後の仕上げをするように追いうちをかけたのである。(p.238-239)


■インターネットの時代、〈図書館〉の真の質は、どこで問われるようになるか。高い教育を受けた全世界の人が出入りする英語の〈図書館〉が、内容からいって、この先もっとも充実した〈図書館〉となっていく――もっとも〈読まれるべき言葉〉が蓄積された〈図書館〉となっていくのは当然である。だが、これからの時代、〈図書館〉の真の質は、どれほど〈読まれるべき言葉〉が蓄積されているかでさえ問われない。蓄積された〈読まれるべき言葉〉のうち、どの言葉がより 〈読まれるべき言葉〉であるかを教えてくれるか、その能力がもっとも問われるようになるのである。
 要するに、これからの時代は、〈読まれるべき言葉〉の序列づけの質そのものがもっとも問われるようになるのである。(p.247)


■英語が〈普遍語〉となりつつある事実。それは、まえにも触れたように、〈学問〉の世界において、すでに二十世紀半ばには先鋭的に顕れてきていた。英語圏の圧倒的な軍事的、経済的、政治的な力に加えて、近代を通じて〈学問〉とよばれてきたものに非西洋人が参加するようになり、それにつれ、〈学問〉とは本来〈普遍語〉で読み、〈普遍語〉で書くという〈学問〉の本質が顕わになってきていたからである。背後に世界の学者の合意があるわけでも、英国人の陰謀があるわけでもなく、〈学問〉とは〈普遍語〉でなされてあたりまえだという〈学問〉の本質そのものによって、英語という〈普遍語〉に必然的にじわじわと一極化されてきていたのである。近年、さまざまな〈学問〉がより数式化されてきたことが、その動きにさらに拍車をかけた。
 そこへインターネットという技術が生まれたのである。
 今、目につくのは、アメリカの大学の他を圧する突出ぶりである。移民の国という伝統もあって、大きな渦巻きのように、世界中から才能のある学者がアメリカに集まり、世界でもっとも優秀だとされる二十の大学のうち、十七がアメリカにある。また、ノーベル賞受賞者の七割がアメリカの大学で教えている(注十五)。だが、インターネットの普及は、これからは逆の現象を生んでいくはずである。〈学問の言葉〉がさらに英語に一極化されるにつれ、逆に、地理的に一極化される必然性、アメリカという国に学者が集まる必然性がなくなっていくからである。事実、アメリカは自分たちの大学を海外に輸出しはじめているし(注十六)、また、非・英語圏でも、名だたる大学は、大学院の授業を英語に移行しようと試みはじめている(注十七)。(p.249-250)


■〈学問の言葉〉が英語という〈普遍語〉に一極化されつつある事実は、すでに多くの人が指摘していることである。だが、その事実が、英語以外の〈国語〉に与えうる影響にかんしてはまだ誰も真剣に考えていない。〈学問の言葉〉が〈普遍語〉になるとは、優れた学者であればあるほど、自分の〈国語〉で〈テキスト〉たりうるものを書こうとはしなくなるのを意味するが、そのような動きは、〈学問〉の世界にとどまりうるものではないのである。〈学問〉の世界とそうではない世界との境界線など、はっきりと引けるものではないからである。英語という〈普遍語〉の出現は、ジャーナリストであろうと、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、〈叡智を求める人〉であればあるほど、〈国語〉で〈テキスト〉を書かなくなっていくのを究極的には意味する。
 そして、いうまでもなく、〈テキスト〉の最たるものは文学である。

 一回しかない人類の歴史のなかで、あるとき人類は〈国語〉というものを創り出した。そして、〈国語の祝祭〉とよばれるべき時代が到来した。〈国語の祝祭〉の時代とは、〈国語〉が〈文学の言葉〉だけでなく〈学問の言葉〉でもあった時代である。さらには、その〈国語〉で書かれた〈文学の言葉〉を超越すると思われていた時代である。
 今、その〈国語の祝祭〉の時代は終わりを告げた。(p.252-253)


■悪循環がほんとうにはじまるのは、〈叡智を求める人〉が、〈国語〉で書かなくなる ときではなく、〈国語〉を読まなくなる ときからである。〈叡智を求める人〉ほど〈普遍語〉に惹かれてゆくとすれば、たとえ〈普遍語〉を書けない人でも、〈叡智を求める人〉ほど〈普遍語〉を読もうとするようになる。ふたたび強調するが、読むという行為と書くという行為は、本質的に、非対称なものであり、〈普遍語〉のような〈外の言葉〉を読むのは、書くのに比べてはるかに楽な行為である。すると、〈叡智を求める人〉は、自分が読んでほしい読者に読んでもらえないので、ますます〈国語〉で書こうとは思わなくなる。その結果、〈国語〉で書かれたものはさらにつまらなくなる。当然のこととして、〈叡智を求める人〉はいよいよ〈国語〉で書かれたものを読む気がしなくなる。かくして悪循環がはじまり、〈叡智を求める人〉にとって、英語以外の言葉は、〈読まれるべき言葉〉としての価値を徐々に失っていく。〈叡智を求める人〉は、〈自分たちの言葉〉には、知的、倫理的な重荷、さらには美的な重荷を負うことさえしだいしだいに求めなくなっていくのである。(p.254)


■くり返すが、広い意味での文学が終わることはありえない。
 だが、英語が〈普遍語〉になったことによって、英語以外の〈国語〉は「文学の終わり」を迎える可能性がほんとうにでてきたのである。すなわち、〈叡智を求める人〉が〈国語〉で書かれた〈テキスト〉を真剣に読まなくなる可能性がでてきたのである。それは、〈国語〉そのものが、まさに〈現地語〉に成り果てる可能性がでてきたということにほかならない。
〈国民文学〉が〈現地語〉文学に成り果てる可能性がでてきたということにほかならない。(p.255)


■もし、私たち日本人が日本語が「亡びる」運命を避けたいとすれば、V[国民の一部がバイリンガルになるのを目指すこと]という方針を選び、学校教育を通じて多くの人が英語をできるようになればなるほどいい という前提を完璧に否定しきらなくてはならない。そして、その代わりに、学校教育を通じて日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきである という当然の前提を打ち立てねばならない。英語の世紀に入ったがゆえに、その当然の前提を、今までとはちがった決意とともに、全面的に打ち立てねばならない。
 日本語を〈母語〉とする私たちには「あれも、これも」という選択肢がないというだけではない。〈普遍語〉のすさまじい力のまえには、その力を跳ね返すぐらいの理念をもたなくてはならないのである。そして、そのためには、学校教育という、すべての日本人が通過儀礼のように通らなければならない教育の場において、〈国語〉としての日本語を護る という、大いなる理念をもたねばならないのである。(p.284-285)


■英語をもっと学びたいという強い動機をもった人は、学校の外で自主的に学べばよいのである。たとえ、少数の〈選ばれた人〉として、優れたバイリンガルになるための教育を受けるための機会を逃したところで、今や、学校の外で外国語を学ぶことが限りなく容易になっている。さまざまな技術進歩のおかげで、読めるだけでなく、話すようにさえなれる。しかも、お金もほとんどかからない。当人に強い動機さえあれば、誰でも、いくらでも英語を学ぶことができる時代に入っているのである。そればかりか、強い動機をもたない人でも、大衆消費社会であるがゆえに、「もっと英語を」という強迫観念にかられざるをえない時代に入っているのである。
 だからこそ、日本の学校教育のなかの必修科目としての英語は、「ここまで 」という線をはっきり打ち立てる。それは、より根源的には、すべての日本人がバイリンガルになる必要などさらさらないという前提――すなわち、先ほども言ったように、日本人は何よりもまず日本語ができるようになるべきである という前提を、はっきりと打ち立てるということである。学校教育という場においてそうすることによってのみしか、英語の世紀に入った今、「もっと英語を、もっと英語を」という大合唱に抗うことはできない。しかもそうすることによってのみしか、〈国語〉としての日本語を護る ことを私たち日本人のもっとも大いなる教育理念として掲げることはできない。
 人間をある人間たらしめるのは、国家でもなく、血でもなく、その人間が使う言葉である。日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも、長い〈書き言葉〉の伝統をもった日本語なのである。
 〈国語〉こそ可能なかぎり格差をなくすべきなのである。(p.289-290)


■「日本語と日本文化は絶対、大丈夫」と河合隼雄が保証しても、都市の風景も文化の一部である。日本文化は「絶対、大丈夫」ではなかったのである。
 日本人は信じないだろうが、日本語も同様である。
 日本語も、「絶対、大丈夫」ではない。
 日本人がかくも無邪気に日本語の永続性に自信をもてたのは、ひとえに、四方を海で囲まれた地理的条件が幸いし、日本語を護らずに済んだだけのことである。
 世界のほとんどの民族は、歴史のなかで、他民族から自分の言葉を護らねばという情熱をもつ契機を与えられた。どの民族の言葉も、その言葉自体は、歴史の流れのなかで偶発的にできたものであり、その言葉が世に存在する必然性もなければ、ある民族にとって、その言葉が、〈自分たちの言葉〉となる必然性もない。ところが、異民族の襲来による危機に晒されることによって、その民族が使う言葉がかれらの民族的アイデンティティの拠り所となり、それこそが〈自分たちの言葉〉だという必然性をもち、護らねばならないものとして、その民族の情熱の対象となっていったのである。護られなかった言葉は亡びてしまった。〈書き言葉〉をもっていても、護られなかった〈書き言葉〉は「亡び」ていった――たとえ書物という形で残っていたとしても、読まれなくなることによって「亡び」ていった。人類の歴史は言葉の戦いの歴史でもあったのである。
 今、私たちは日本語が生まれてから未曾有の状況に直面している。
「日本語を大切にしよう」などと思わずとも、日本語を自然に守ってくれていた地理的条件が急速に消えつつあるからである。(p.311-312)


■日本の国語教育においては、すべての生徒が、少なくとも、日本近代文学の〈読まれるべき言葉〉に親しむことができるきっかけを与えるべきである。子どものころあれだけ濃度の高い文章に触れたら、今巷に漫然と流通している文章がいかに安易なものであるか肌でわかるようになるはずである。大人になり、たとえ少数の〈選ばれた人〉として優れたバイリンガルになろうと、そこへと戻ってゆきたく思う、懐かしくもあれば憧憬の的でもある言葉の故郷ができるはずである。今の日本にもたくさんいるにちがいない良心的な国語教師たちにとって、血湧き肉躍る教えがいのある授業となるはずである。(p.319)


■日本文学という〈国民文学〉が「主要な文学」だとされていたことなども、じきにきれいさっぱり忘れ去られる。そもそも、二十世紀というのは、日本という国が初めて世界の表舞台にひっぱり出され右往左往するうちに終わってしまった百年間であった。この先、日本が、二十世紀においてもったほどの世界的な意味をもつことは、良きにせよ悪しきにせよ、もう二度とありえないであろう。
 だが、これから先、日本語が〈現地語〉になり下がってしまうこと――それは、人類にとってどうでもいいことではない。たとえ、世界の人がどうでもいいと思っていても、それは、遺憾ながら、かれらが、日本語がかくもおもしろい言葉であること、その日本語がかくも高みに達した言葉であることを知らないからである。世界の人がそれを知ったら、そのような非西洋の〈国語〉が、その可能性を生かしきれない言葉――〈叡智を求める人〉が読み書きしなくなる言葉になり下がってしまうのを嘆くはずである。〈普遍語〉と同じ知的、倫理的、美的な重荷を負いながら、〈普遍語〉では見えてこない〈現実〉を提示する言葉がこの世から消えてしまうのを嘆くはずである。
 人類の文化そのものが貧しくなると思うはずである。
 少なくとも、日本語をよく知っている私たちは、かれらがそう思うべきだ と思うべきである。
 この先、〈叡智を求める人〉で英語に吸収されてしまう人が増えていくのはどうにも止めることはできない。大きな歴史の流れを変えるのは、フランスの例を見ても分かるように、国を挙げてもできることではない。だが、日本語を読むたびに、そのような人の魂が引き裂かれ、日本語に戻っていきたいという思いにかられる日本語であり続けること、かれらがついにこらえきれずに現に日本語へと戻っていく日本語であり続けること、さらには日本語を〈母語〉としない人でも読み書きしたくなる日本語であり続けること、つまり、英語の世紀の中で、日本語を読み書きすることの意味を根源から問い、その問いを問いつつも、日本語で読み書きすることの意味のそのままの証しとなるような日本語であり続けること――そのような日本語であり続ける運命を、今ならまだ選び直すことができる。(p.322-323)

◇ひとこと◇  英語が地球上のすべての人間にとっての〈普遍語〉となりつつある流れを止めることは、もはやできない。そのような状況の中であえて〈国語〉を護らなければならない理由はなにか――。論理の展開に一貫して力強い説得力が感じられるのは、なにより筆者が〈国語〉という概念を、たんなる〈現地語〉(≒母語)とは異なる次元のものとして独自に規定し、提示していることによるのであろう。
 私たちが、日常の言語行為や学校での国語教育・文学教育について改めて根源的なところから問い直すための、一つの確かな足場を与えてくれているように思う。
  (2012.5.2 T)


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