抜書き帖 言葉・文学・文学教育・その他
  
  「私がミステリーを捨てる理由」
  

村 薫

[特別インタビュー]

「私がミステリーを捨てる理由――小説家の義務、歴史への責任より

=「現代」 2002.8
[五年ぶりの新作『晴子情歌』は、前作『レディ・ジョーカー』まで村薫が書いてきたミステリー小説ではなかった。大正デモクラシーの時代から、ロッキード疑獄で国中が揺れた1976年までの家族の来歴を、大正9年生まれの晴子という女性が昭和21年生まれの息子・彰之に宛てた一〇〇通の手紙で物語る。]

 わたくしは、母からいろいろな話を聞いたのですが、父から戦争の話を聞いていません。父は中国の戦地に行ったのですが、わたくしに何も話さなかった。母が、中国人を殺す残酷な話を子どもに聞かせたくないと父に話をさせなかったのです。
 子どもは、止めるとかえって知りたがるものです。わたくしたち兄弟三人が字が読めるようになると、両親は、子どもたちがいろいろな戦記を読むことまで止めようとはしませんでした。ですからわたくしは、本当に幼い頃から、わたくしの世代にしては比較的、戦記を通して太平洋戦争になじんできました。
 そのようにして育ったので、わたくしは大人になるにつれ、しだいに周囲の世界に違和感を感じるようになりました。戦争の話をしたいのに、誰もそんな話には乗ってこないし、戦争のことを知らない。そしていつの間にか気が付けば戦後生まれが四割という時代になり、じつに無邪気な右傾化が顕著になっています。


    
(中略)

 今までわたくしは、女を書いてきませんでした。登場しても、あくまで添え物。第一自分の視点を持っていなかった。男の目から見た女で、そんなもの女でも何でもありません。
 今回、五年をかけて女を書いて痛切に感じたのは、女は男のように単純には行動しないし考えない。ひじょうに複雑だということでした。その複雑なものを複雑なまま語ることができる日本語。それを今回、わたくしは作りたかったのです。
 いま、日本には、複雑なものを複雑なまま語ることができるような強度を持った日本語がありません。だから、本来は複雑なものが、どんどん単純化されていく。単純化しないと語れないほど、日本語がうすっぺらになっていく。ミステリー小説のように、何か事件があって、その事件がどのように解決していくかを語るような単線の言葉はあるのですが、事件がなく、形がない、あいまいであったり複雑であったりするものを書き表す日本語が、21世紀、危機に瀕していると思えて仕方がありません。
 単純な言葉なら聞く。ちょっとでも複雑になってくると、もうよく分からないという反応になって、分かりやすい言葉に飛びつく。現在の無邪気な右傾化の背景には、このような言葉の単純化があると思います。わたくしは物書きとして、言葉の単純化には徹底的に戦う義務があると考えています。


    (中略) 

 こうした日本語の危機が始まったのは、昭和20年に日本人が戦争のことについて語るのを意識的にやめたときではないでしょうか。戦争についてあえて語ることをやめたけれども、あの戦争についての感情的なわだかまりを、当時の人は心の中にずっと抱えて生きてきたはずです。それらが言葉にならなかったことによって、本来あったはずの言葉がいくつも消えていってしまった。
 靖国参拝、戦後補償、教科書問題などが、いつまでもあいまいにしか議論されないのは、最初からそれらを語る言葉が奪われているからです。これはわたくし自身の体験です。わたくし自身が親に戦争の話をしてもらわなかった。あの幼い頃にすでに言葉は奪われていたのです。
 父がついに語ってくれなかった戦争。それは何だったのか。
 彰之と同じ漁船に乗る足立という甲板長は、太平洋戦争の末期にルソン島をさまよった経験を持ち、三〇年経っても悪夢にうなされ、彰之に戦場の記憶を語ります。わたくしの父も赤紙で召集されたので、同じ一兵卒です。もし父があの頃戦争について語っていたらこんな言葉だったろうなと想像して、現在のわたくしがそれを作り出す。そういうことを戦後六〇年も経って、子孫であるわたくしがやらなければいけない。日本人にとって、悲しいことだと思います。
 しかし、おそらくわたくしたちが戦争について書ける最後の世代なのだろうし、物書きになったからには、いつか戦争のことを書かなくてはならないだろうという義務感が長い間ありました。それを果たすのが20世紀の小説家の責任ではないでしょうか。21世紀の小説家にはその責任はありません。
 戦争という歴史を日本の歴史として日本語に定着できなかった喪失感。それは現在までのわたくしたちの喪失感とイコールなのです。『晴子情歌』を書いたほんとうの動機は、わたくし自身の中に五〇年間たまってきたいろいろな喪失感なのだろうと思っています。
 戦争という歴史、あるいは個々人が身体に刻みつけた戦争の記憶を日本語に定着していく試み。昭和20年に奪われた言葉を、その最初の一歩から再生していく試み。それらを、わたくし自身のために行ったのが、今度の小説です。そういう意味では、わたくしが今回やったことは、ひじょうに反時代的な試みなのかもしれません。

◇ひとこと◇ このところ戦後生まれの人たちに「無邪気な右傾化」が顕著だ。その背景に「言葉の単純化」を見、それ故に、「複雑なものを複雑なままに語ることのできるような強度を持った日本語」の回復を、筆者は作家の使命として自らに課す。ここには明確な世代意識をもって文学にかかわろうとする一人の作家の誠実で頼もしい姿がある。それにしても、事実としては戦争についてにしろ何にしろたくさんのことが語られてきたはずである。問題は、それがはたして後続の世代に確実に受け継がれ血肉化されるような形でおこなわれてきたのかどうか、という点にあるのだろう。事実を伝える言葉・表現のありようについて、あらためて考えざるをえない。(2002.7.20 T)

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