≪『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎):作品と作者をめぐって≫ 
 

池上彰  特別授業『君たちはどう生きるか』  ( NHK出版 『別冊NHK100分de名著 読書の学校』  2017.12)


 はじめに ―― いま、君たちに一番に読んでほしい本
 よい本との出合いは、人生の宝物です。(…)
 書店や図書館には、一生かかっても読みきれないほどの本が並んでいます。いま、あなたに読んでほしい本を、そのなかから一冊だけ挙げるとしたら――。そう考えて選んだのが、『君たちはどう生きるか』です。
 この作品が刊行されたのは、一九三七年(昭和十二年)。第二次世界大戦がはじまる二年前、いまからちょうど八十年前のことです。作者の名は吉野源三郎(一八九九〜一九八一)。東京帝国大学(現・東京大学)で哲学を修め、戦前・戦後を通じて編集者として活躍した人物です。
 『君たちはどう生きるか』は、もともと「日本少国民文庫」全十六巻シリーズの一冊として書かれたもので、作者はこのシリーズの編集主任も務めていました。その後、岩波書店に入社して、岩波新書を創刊。戦後は雑誌『世界』j初代編集長を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。『世界』に寄稿していた学者・知識人と共に市民団体「平和問題懇談会」を結成し、反戦運動にも取り組んでいます。
 『君たちはどう生きるか』は、こうした活動の、いわば原点とも言える作品です。日本少国民文庫シリーズの配本が始まったのは、一九三五年。その四年前、日本は満州事変をきっかけとして、アジア大陸に侵攻をはじめます。日本国内には、戦争へと突き進む重苦しい空気が広がっていました。軍国主義に異を唱える人はもちろん、リベラルな考え方の人も弾圧され、作者自身も治安維持法違反で逮捕されるという経験をしています。
 そして一九三七年、『君たちはどう生きるか』の刊行とほぼ時を同じくして、中国大陸で盧溝橋事件が起き、日本は以後八年にわたる日中戦争の泥沼へと入っていきます。ヨーロッパではドイツにヒトラーが、イタリアにムッソリーニが登場し、人々の暮らしに影を落としていました。
 そんな時代だからこそ、次代を担う子どもたちには、ヒューマニズムの精神にもとづいて自分の頭で考えることの大切さを伝えたい。すでに言論の自由も、出版の自由もいちじるしく制限されていましたが、偏狭な国粋主義から子どもたちを守らなければという強い思いから、この本は生まれたのでした。
 戦前に書かれたにもかかわらず、この作品は戦後も売れ続けます。むしろ戦後のほうがよく売れたのではないでしょうか。戦前を知らない多くの子どもたちが、この本を手にとり、引き込まれていきました。かくいう私も、その一人です。
 私がこの本と出合ったのは、小学生のとき。珍しく父が私に買ってきた本でした。当初は「親に読めと言われた本なんて」と反発していましたが、読んでみると面白く、気がつくと夢中になっていました。
 ひと言で言うなら、これは子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書。人とて本当に大切なことは何か、自分はどう生きればいいのか。楽しく読み進めながら自然と自分で考えられるよう、いくつもの仕掛けが秀逸にちりばめられています。(…)
 

  HOME 『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎):作品と作者をめぐって 目次