作家コーナー ■ケストナー (Erich Kaestner  1899.2.23-1974.7.29)

講演記録
「現代に生きるケストナー」
(2013.12.21 法政大学Ⅱ部九条の会 講演記録  2014.6.10同会発行 頒価500円)

   講師 井筒 満さん (明治大学講師・文学教育研究者集団委員長)   

 前文「目次」のみを掲載。約50頁にわたる本文は近日発行の『文学と教育』第220号に掲載予定。)

 
   感動的でした!「現代に生きるケストナー」 (前文)

 会場のエデュカス東京での2時間にわたる迫力に満ちた講演に、聴衆は時に涙しながら時間を忘れて聴き入りました。井筒さんご自身も二次会で「とても話しやすい講演会だった」と語っておられました。

ケストナーの生きざまを、ナチスの時代背景の中で
 子ども時代のケストナー一家が彼の成長を支援してきたこと、青年期にジャーナリストの仲間入りし、児童文学の世界にデビューしたものの、ナチスドイツの台頭により亡命を勧められたが、ドイツに残る決心をして世界に児童文学を発表してきたケストナーが、ナチスの「皆殺し名簿」に掲載され支援者に救われるなど生と死の狭間を生き抜いてきたことを、時代背景と共に語られました。
 井筒さんは、1958年にケストナーが語った講演から「1933年から1945年までの出来事は、遅くとも1928年に防止されなければならなかった。自由のための戦いが反逆罪と呼ばれるようになるまで、待ってはなりません。なだれはすべてを埋めてしまった時、はじめて静止します」を引用し、私たちに警鐘を鳴らしてくれました。
 ナチス支配下で子どもたちは孤独の中に閉じこもり、力こそ勝利と思いこむ青年たちが闊歩していました。
 井筒さんは次に「飛ぶ教室」をはじめて聴く人にも分りやすく説明してくれました。「立って話すと興奮するから座って話します」といいながら学生時代を思い出すような熱弁となっていきました。

「座して許すな」という言葉が印象的
 1933年、ヒットラーが首相になった年に書かれた「飛ぶ教室」の前書きでケストナーは学期末になって帰る家がなく寄宿舎に残らざるを得ない少年に「かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!」と語ります。
 井筒さんは、講演後の質疑で「動物会議」のあらすじを聞かせてほしいという要望に応えてくれました。二冊の本はみなさまから子供たちや孫に読んで聞かせていただきたいと思います。
 井筒さんが「権威主義に陥ることはファシズムを許容するメンタリティーとなる、取り戻すには笑いの精神が必要だ]と、現代日本の時代状況を「座して許すな」と講演されたのが印象に残りました。
 (法政大学Ⅱ部九条の会事務局長・山口潤一郎)


目  次

〈はじめに〉
〈ケストナーの幼年期/少年期〉
  ・ケストナーは、ドイツが第一次大戦に突き進む時代に少年期を過ごす
  ・母、イーダは息子にすべての愛情を注ぐ
  ・美容師の母イーダの仕事を手伝うなか、様ざまな人生体験をする
〈教員養成所とギムナジウム〉
  ・全寮制の師範学校で、教えるよりも学び続けたい自分の欲求を自覚
  ・帝国崩壊後、「ワイマール憲法」を制定したドイツだったが……
〈ケストナーと『世界舞台』――政治的で文学的な党派〉
  ・論壇『世界舞台』の同人たちと「政治的で文学的な党派」として活躍
  ・ナチス的なものと闘うために「自己凝視・自己変革」もメンタリティーが必要
〈ケストナーとトゥホルスキー〉
〈焚書――ドイツ精神の自殺〉

  ・ナチスの「焚書を」、ベルリンで目撃したケストナー
  ・「飛ぶ教室」はドイツ国内では出版できず、スイスの出版社から
〈「まえがき」について――勇気を伴った賢さ/賢さを伴った勇気〉
  ・ケストナーの文学精神が「まえがき」に込められている
  ・ケストナーの言葉「かしこさを伴った勇気・勇気を伴ったかしこさ」
〈主な登場人物〉
  ・ケストナーが描いた4日間の物語(「飛ぶ教室」)
〈12月21日、「有史以前」からの対決/ベルク先生の回想……〉
〈12月22日、先生が生徒を変え、生徒が先生を変える〉
〈12月23日、「子どものころを忘れないでほしい」〉
〈12月24日、素晴らしいクリスマスプレゼント〉
〈「あとがき」――ベルリンでの出会い〉
〈ケストナーとラニツキ/魂に役立つ文学〉


=注=
資料1~3の全文は、紙幅の関係で省略。なお、資料1の「年譜・ケストナーの生活と文学」は、文学教育研究者集団(略称:文教研)のホームページ上側にある「年表」の中の「年譜/著作一覧」の中に収録されています。


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