戸坂 潤 略年譜・著作一覧

* 勁草書房刊『戸坂潤全集』第五巻所収の「戸坂潤略年譜」(鶴田三千夫編)、同別巻「あとがき 収録論文初出一覧」(鶴田三千夫)を基本とし、著作一覧に関しては林淑美校訂『増補 世界の一環としての日本』および林淑美解説『思想と風俗』(ともに平凡社刊、東洋文庫)にそれぞれ付された「所収文初出について」により補訂した。

* 著作一覧のうち林淑美氏の「所収文初出について」により補訂した事項には *印を付した。それ以外に確認できた著作等も # 印を付して一覧に加えた。

* @AB〜Kは著作の発表ないし執筆の月を示す。ただし、発表・執筆時未詳のものには○印を付し、上記「戸坂潤略年譜」がそれぞれ推定している時点に位置づけた。

*上記「戸坂潤略年譜」では、初出時の明らかな著作をも執筆時期によって配列している例が少なくない。これらについては、初出時点に位置づくよう変更した。

* 論文の標題を「 」、単行書の標題を『 』で囲んで示した。

* 判明している掲載誌紙名とその発行月ないし巻号を( )内に示した。(例: 56=第56号、2-3=第2巻第3号)

* 〔 〕内にはその著作が後に収録されることになる単行書を下記の略号で示した。
・『科方』=『科学方法論』(1929.6 岩波書店刊)
・『イ論』=『イデオロギーの論理学』(1930.5 鉄塔書院刊)
・『イ概』=『イデオロギー概論』(1932.11 理想社出版部刊)
・『現哲』=『現代のための哲学』(1933.2 大畑書店刊)
・『技哲』=『技術の哲学』(1933.12 時潮社刊)
・『現哲講』=『現代哲学講座』(1934.11 白揚社刊)
・『日イ』=『日本イデオロギー論』(1935.7 白揚社刊)
・[略号無し…『科学論』(1935.10 三笠書房刊)]
・『思文』=『思想としての文学』(1936.2 三笠書房刊)
・[略号無し…『道徳の観念』(岡邦雄との共著『道徳論』)(1936.5 三笠書房)]
・『思風』=『思想と風俗』(1936.12 三笠書房刊)
・『現思』=『現代日本の思想対立』(1936.12 今日の問題社刊)
・『現唯』=『現代唯物論講話』(1936.12 白揚社刊)
・『世一』=『世界の一環としての日本』(1937.4 白揚社刊)
・[略号無し…『認識論とは何か』(山岸辰蔵との共著『認識論』)(1937.10 三笠書房刊)
・『読書』=『読書法』(1938.1 三笠書房刊)
  
(「戸坂潤単行書一覧」を兼ねさせるため、『科学論』などここでは略号を必要としない書名も上記に含めた。)

T〜X=『戸坂潤全集』第一巻〜第五巻
=『戸坂潤全集』別巻

・『増補』=林淑美校訂『増補 世界の一環としての日本』T、U巻(2006.7-8 平凡社刊 東洋文庫)


(2008.9.30 作成)
西暦 和暦  記                  事     
1900 明治
33
0  9月27日、東京市神田区神田松下町十番地に生まれる。母戸板久仁子、父は同年1月に既に病没。母病身のために授乳ができなかったので、乳母とともに母方の祖父母のもと石川県羽咋郡東増穂村里本江におもむく。 
1901 34 1   
1902 35 2   
1903 36 3   
1904 37 4  祖父の勤務先、石川県江沼郡粟津の馬政局官舎に移る。これより一年間馬と土地の風景を友として育つ。また金沢の叔父の経営する缶詰工場に行き、缶詰の切れはしを材料として機関車などを作ったり、工員に作らせたりすることにしきりに興味をもつ。
1905 38 5  9月、石川県より東京に帰り母とともに神田区錦町に居住。
1906 39 6     
1907 40 7  母方の親戚川崎新吉氏の住居赤坂区青山南町五ノ三三番地に寄寓。青南小学校へ入学。受持ちは石井佐吉訓導、それより五年間同訓導の教えを受ける。当時の新しい型の教師として、晩年まで尊敬していた。
1908 41 8  川崎氏に長男庸之氏が生まれたため、神田錦町の母方へ戻り、なお青山まで市電通学をする。この頃の興味はもっぱら工作であり、ボール紙製の電車や舟を作ることに熱中。学校が遠く、近所に友人がいなかったので、帰宅後はつねに一人書斎にこもり、これらの製作に余年がなかった。
1909 42 9  この頃、夏休み中は必ず郷里石川県の祖父母のもとを訪れ、田舎の環境に親しむことを習慣とするとともに、石井訓導の自由主義的な教育をうけ、ひろく豊かな性格を養成される。
1910 43 10   
1911 44 11   
1912 45
大正1
12   
1913 2 13  赤坂区青南小学校卒業。東京市より優良児童として賞状を受ける。4月、開成中学校に入学。中学時代は村山知義、画家渡辺進、内田昇三、和達知男、井上益雄らの同級生にも、漢文の橋校長、英語の名須川良、歴史の原田淑人、数学の宮本久太郎、国語の堀口英雄先生など先生にも、めぐまれた。
1914 3 14   
1915 4 15  この頃よりボート部に入り、授業後の数時間を隅田川畔ですごす。
1916 5 16  この年の交友会雑誌66号(7月)に「欧州戦争は吾人に何を教えるか」と題する長文の論文をよせ、国家主義をとなえる。
1917 6 17  この年の交友会雑誌に「進化論上の国家観」と題する一六ページにわたる長論文を書いた他、教場即席文として「愛国心漸衰の兆あるか」・「紳士か強人か」をよせる。
1918 7 18  開成中学校卒業。物理学者たらんとして第一高等学校理科に入学、数学を専攻〔一高理科に勉学中、自然科学の根本問題への関心をつよくする〕。入寮する。
1919 8 19   
1920 9 20  徴兵検査を受け、第一乙種に合格。一年志願兵を志し、卒業後までの延期願を出す。母は病気の為東京を引揚げ、郷里石川県に居住することとなり、この後はもっぱら川崎新吉氏の保護をうける。
1921 10 21  第一高等学校卒業。西田幾多郎博士および田辺元博士を慕って京都帝国大学文学部哲学科に入学。京大在学中は数理哲学を専攻、空間論その他自然科学の基礎の究明にしたがう。
1922 11 22 ○「物理的空間の実現」(1925年に発表)
1923 12 23  これまでの下宿をはらい、母と共に京都市外山科に家を持つ。

○〈翻訳〉ジャック・アマダール「公算論の諸原理」(哲学研究8-93)
1924 13 24  京都帝国大学卒業、大学院に籍をおく。4月、肋膜炎にかかり京都で闘病にのち、7月石川県へ転地して療養し間もなく全快。10月、巴陵宣祐氏と城ノ崎温泉にあそぶ。12月1日志願兵として市川市鴻ノ台の野戦重砲兵隊に入隊。

H〈翻訳〉ヴィンデルバント『意志の自由』(大村書店)
J「カントと現代の科学」(哲学研究9-105)〔T〕
J「物理的空間の成立まで(カントの空間論)」(哲学研究10-106)〔T〕
1925 14 25  11月30日、見習士官で市川市鴻ノ台野戦重砲兵隊除隊。京都に帰り左京区寺ノ前町に住む。

○「物理的空間の実現」(一九二二年執筆・前出)(哲学研究10-107)〔T〕
1926 15
昭和1
26  4月、京都高等工芸学校、同志社女子学校の講師となる。12月、岡田充子と結婚。

A「幾何学と空間」(思想56,57)〔T〕
H「範疇としての空間について(その一)」(哲学研究11-127)〔T〕
J「範疇としての空間について(その二)」(哲学研究11-129)〔T〕
1927 2 27  4月、第七臨時教員養成所講師となる。この年、原隊野戦重砲隊に六ヵ月入隊する。

G「性格としての空間」(思想72)〔T〕
1928 3 28  3月、陸軍砲兵少尉に任ぜられ、4月、正八位に叙せられる(のち刑の確定と同時に返還)。12月、長女嵐子誕生。

@「方法概念の分析(その一)」(哲学研究13-144)〔『科方』、T〕
E「方法概念の分析(その二)」(哲学研究13-150)〔『科方』、T〕
E「空間概念の分析(その一)」(思想80)〔T〕
G「空間概念の分析(その二)」(思想82)〔T〕
I「『性格』概念の理論的使命」(新興科学の旗のもとに 1-2)〔『イ論』、U〕
1929 4 29  4月、大谷大学教授および神戸商科大学講師となり、それぞれ哲学を講ずる。

A「『問題』に関する理論」(哲学研究157)〔『イ論』、U〕
E『科学方法論』(岩波書店)〔T〕
F「カント『自然哲学原理』解説」
G「論理の政治的性格」(思想90)〔『イ論』、U〕
K「科学の歴史的社会的制約」(東洋学芸雑誌46-1)〔『イ論』、U〕
K「無意識的虚偽」〔『イ論』、U〕
1930 5 30  4月、当時逃亡中の共産党員田中清玄氏を自宅に泊め、そのために検挙される。7月10日、妻充子死去。

A「再び『科学の歴史的社会的制約』に就いて」(東洋学芸雑誌46-3)〔別〕
D「自然弁証法」(理想17)〔『現哲』・『現哲講』、V〕
○「科学の大衆性」(思想96)〔『イ論』、U〕
E『イデオロギーの論理学』(鉄塔書院)〔U〕
F「知識社会学とイデオロギー論」(思想101,102,103)〔『イ論』、U「知識社会学の批判」と改題〕
I「生物学論」(岩波講座『生物学』)〔『現唯』、V〕

○「日常性の原理と歴史的時間」(理想21)〔『現哲』・『現哲講』 V〕
○「岩波文庫 その他」〔『読書』、X〕
1931 6 31  4月、三木清のあとをうけて法政大学講師となり、京都におけるすべての勤務をやめて上京、東京市外阿佐ヶ谷三ノ二五〇に住む。12月、小曽戸イクと結婚。
 この年、樺俊雄・岡邦雄らと雑誌『アンシクロペディスト』の発行を計画したが、出版社を見出せず、挫折。またこの頃上智大学のヨハネス・クラウス博士、三木清、古在由重らとプラトン・アリストテレス・ゲゼルシャフトを組織して研究活動をする。これが機縁となって、のちに上智大学のカトリック大辞典編纂部で働くことになる(1938・41年の項参照)

○「ソヴェート同盟の哲学」(新ロシア3)〔『現哲講』、V〕
E「イデオロギーとしての哲学」(理想社刊『イデオロギー論』所収)〔『現哲講』、V〕
E「アカデミーとジャーナリズム」(思想111)〔『現哲講』、V〕
F〈翻訳解説〉カント『自然哲学原理』(岩波書店)
F「論理の社会階級性」(中央公論7月号)〔『現哲講』、V〕
F「範疇の発生学」(法政新聞7月4日号)〔別〕
G「ヘーゲルと自然哲学」(理想26)〔『現哲講』、V〕
H「空間論」(岩波講座『哲学』所収)〔『現唯』、V〕
I「ディーツーゲン」「ディルタイ」(大阪商科大学経済研究所編『経済学大辞典』第四巻、岩波書店刊)〔別〕
1932 7 32  春より岡邦雄・三枝博音、服部之総、永田広志、本多顕三、小倉金之助とともに世話人となり、唯物論の研究組織をつくるために活動し、ようやく一〇月二三日、唯物論研究会を創設。このころより研究・批評活動、広範・多岐にわたりだす。

@「フィヒテ」「プレハーノフ」「弁証法」「唯心論」「唯物論」(上記『経済学大辞典』第五巻)〔別〕
@「唯物論とマルクス主義社会学」(岩波講座『教育科学』、「社会科学論」と改題)〔『現唯』、V〕
@「新聞現象の分析」〔『現哲』・『現哲講』、V〕
@「社会科学における実験と統計」〔『現哲』・『現哲講』、V〕
A「歴史と弁証法」(理想30)〔『現哲』・『現哲講』、V〕
C「文化社会学」(同文館『文化社会学』所収、「文化社会学の批判」と改題)〔『イ論』、U〕
F「批評の問題」(思想123)〔『現哲』・『現哲講』、V〕
H「京都学派の哲学」(経済往来9月号)〔『現哲』・『現哲講』、V〕
H「『笑い』の論理的意義」(理想36)〔『思文』、W〕
I「『社会科学』的イデオロギー論の綱要」〔『イ論』、U〕
I*「学界人批判 『やまと魂』学派(経済往来10月号)〔『世一』、X 「『やまと魂』学派の哲学」と改題〕
J『イデオロギー概論』(理想社出版部)〔U〕
J「自然科学とイデオロギー」(同文館『知識社会学』所収)〔『現哲』・『現哲講』、V〕
J「社会に於ける自然科学の役割」(唯物論研究1)〔『現哲』・『現哲講』、V〕
K「世論の考察」(唯物論研究2)〔『現哲』、V〕
K「田辺哲学の成立」(思想128)〔『現哲』・『現哲講』、V〕

○「新聞の問題」〔『現哲』・『現哲講』、V〕
○「共通感覚と常識」〔『現哲』・『思文』、W〕
○「純文学の問題」〔『現哲』・『思文』、W〕
○「思想的範疇論」〔『現哲』・『現哲講』、V〕
○「ファシズムのイデオロギー性」〔『現哲』、V〕
1933 8 33  二月、唯物論研究会の講演会弾圧される。夏休中の数日間を北軽井沢の法政大学村ですごす。七月、中野重治・青野季吉・三木清らと学芸自由同盟を組織し抵抗を企てる。八月、長男海誕生。一〇月、唯物論研究会創立一周年、以降岡邦雄にかわって事務長となり、また研究組織部の責任者として研究会の計画・組織ばかりでなく、自らも研究報告や連続講義をおこなって会の活動の先頭に立つ。

A『現代のための哲学』(大畑書店)〔V〕
A「実践的唯物論の哲学的基礎」(理想38)〔『現唯』、V 「物質と模写」と改題〕
B「技術について」(思想131)〔『技哲』、T「技術の問題」と改題〕
B「喜劇と悲劇との論理的連関」〔『思文』、W〕
C「『無の論理』は論理であるか?―西田幾多郎博士著『無の自覚的限定』について」
 (唯物論研究6)〔『日イ』、U〕
C「現代学生のイデオロギー」(改造4月号)〔『技哲』、T 「技術と知能」と改題〕
D「独創と大衆―『大衆的発明』と特許法」(唯物論研究7 ※筆名「上澤二郎」?)〔『技哲』、T〕
D「ユーモア文学とユーモア」〔『思文』、W〕
D「科学と批評」〔『思文』、W〕
E「思想問題恐怖症」(文芸春秋6月号)〔別〕
F「唯物論と自然科学」(唯物論研究9 ※筆名「上澤二郎」?)
F「技術とイデオロギー」(思想135)〔『技哲』、T〕
F「自由主義の悲劇面」(文芸春秋7月号)〔別〕
G「ドルトン」(唯物論研究10 ※筆名「上澤二郎」?)
G「転向万歳」(文芸春秋8月号)〔別〕
G「唯物論と文学」〔『思文』、W〕
H「倫理化時代」(文芸春秋9月号)〔別〕
I「減刑運動の効果」(文芸春秋10月号)〔別〕
J「技術家の社会的地位」(唯物論研究13)〔『技哲』、T〕
J「創刊の辞」(唯研ニュース1)〔別〕
J「世人の顰蹙」(文芸春秋11月号)〔別〕
J「文科と科学とに於ける供変法則」〔『思文』、W〕
K『技術の哲学』(時潮社)〔T〕
K「技術家の社会的地位」(唯物論研究14)〔『技哲』、T〕
K「新明正道編『イデオロギーの系譜学』」(唯物論研究14)〔『読書』、X〕
K「林檎が起した波紋」(文芸春秋12月号)〔別〕
K*「スポーツ・就職・学生」(帝国大学新聞12月11日号)〔『思風』、W 「21学生スポーツ論」の一部〕

○「技術と実験」〔『技哲』、T〕
1934 9 34  一月より法政大学に学校騒動おこり、予科教授一同とともに予科を辞職、八月、思想不穏のかどで法政大学文学部部を免職になる。以後、もっぱら著述生活に入る。

@「講座 哲学の話―その一 哲学と実際生活」(唯物論研究15)〔『現哲講』、V〕
@「自然科学に於ける世界観と方法」(理想46)〔『現唯』、V〕
@「小学校校長のために」(文芸春秋1月号)〔別〕
A「博士ダンピングへ」(文芸春秋2月号)〔別〕
A「科学的道徳の創造」〔『思文』、W〕
B*「自然科学者とそのイデオロギー(一)熾烈なアカデミズム」(帝国大学新聞3月5日号)
  〔『世一』、X 「自然科学者と生活意識」の一部〕
B*「自然科学者とそのイデオロギー(二)貴族的中立性の真相」(帝国大学新聞3月12日号)
  〔『世一』、X 「自然科学者と生活意識」の一部〕
C「講座 哲学の話―その二 哲学の諸問題」(唯物論研究18)〔『現哲講』、V〕
C「『全体』の魔術―高橋里美教授の哲学法」(唯物論研究18)〔『日イ』、U〕
C「ニッポン・イデオロギー」(歴史科学3-7)〔『日イ』、U〕
C「荒木陸将の流感以後」(文芸春秋4月号)〔別〕
D「講座 哲学の話―その三 哲学の方法」(唯物論研究19)〔『現哲講』、V〕
D「スポーツマンシップとマネージャーシップ」(文芸春秋5月号)〔別〕
D「芸術に於ける全体の問題」〔『思文』、W〕
D*「言論の自由と言論の統制」(三田新聞5月4日号)〔『世一』、X 「言論の自由と統制」と改題〕
D*「社会的随筆四篇一 道徳的論理と科学的品行」(都新聞5月18日号)
  〔『思風』、W 「5社会思想と風俗」の一部〕
D*「社会的随筆四篇二 常識教育の請負師と職業的告白者」(都新聞5月19日号)
  〔『思風』、W 「5社会思想と風俗」の一部〕
D*「社会的随筆四篇三 『事実』の『認識』とオッポチュニズム」(都新聞5月20日号)
  〔『思風』、W 「5社会思想と風俗」の一部〕
D*「社会的随筆四篇四 ファシズムのスカートと自由主義のスカート」(都新聞5月21日号)
  〔『思風』、W 「5社会思想と風俗」の一部〕
E「匿名批評論」(改造6月号)〔『思文』、W〕
E「失望したハチ公」(文芸春秋6月号)〔別〕
E「俗物論」〔『思文』、W〕
F「質問に答える―文科盛衰の原因について」(唯物論研究21)
F「武部学長・投書・メリケン」(文芸春秋7月号)〔別〕
G「文芸評論家のイデオロギー」(改造8月号)〔『思文』、W 「文芸評論家の意識」と改題〕
G「農村問題・寄付行為其他」(文芸春秋8月号)〔別〕
G「ブルジョア道徳と映画」〔『思文』、W〕
○「社会科学に於ける方法」(綜合科学1-4)〔V〕
H「三位一体の改組その他」(文芸春秋9月号)〔別〕
H「日常性について」〔『思文』、W〕
H「篤学者と世間」〔『読書』、X〕
I「偽装した『近代観念論』」(唯物論研究24)〔『日イ』、U〕
I「モダーニズム文学について」(行動10月号)〔『思文』、W〕
I「罷業不安時代」(文芸春秋10月号)〔別〕
I「三四年度思想界の講評」〔『現思』、X〕
I*「日本の宗教復興は小市民的不安からか?」(京都帝国大学新聞10月5日号)
  〔『思風』、W 「日本の宗教復興は小市民的不安からか」と改題 、「26社会不安と宗教」の一部〕
○*「宗教団体法案はなぜ必要か」〔『思風』、W 「26社会不安と宗教」の一部、初出未詳〕
○*「大本教与し易し」〔『思風』、W 「26社会不安と宗教」の一部、初出未詳〕
J『現代哲学講話』(白揚社)〔V〕
○*「学生は変ったか」〔『思風』、W 「15学生論三題」の一部、初出未詳〕
○(*「学生の技能と勤労大衆」〔『思風』、W 「15学生論三題」の一部、初出未詳〕)
  初出は【関西学院新聞1936年8月8日号】(1936年8月の項および別巻「あとがき」参照)
J*「学生はなぜカフェーから閉め出されるか?」(中央公論11月号)〔『思風』、W 「15学生論三題」の一部〕
J「パンフレット事件及び風害対策」(文芸春秋11月号)〔別〕
K「『物質』の哲学的概念について」(唯物論研究26)〔『現唯』、V〕
K「甘粕石介著『ヘーゲル哲学への道』を推奨する」(唯物論研究26)
K「日本倫理学と人間学」(歴史科学4-1)〔『日イ』、U〕
K「高等警察及び冷害対策」(文芸春秋12月号)〔別〕
K「批評家の客観的公正」〔『思文』、W〕
K「常識・合理主義・弁証法」〔『思文』、W〕
K「ジャーナリズムと哲学との交渉」〔『思文』、W〕

○「反動期における文学と哲学」(文芸)〔『日イ』、U〕
○*「神聖科学」(1934年)〔『世一』、X 「神聖文化論」の一部、初出未詳〕
○*「神聖医術」(1934年)〔『世一』、X 「神聖文化論」の一部、初出未詳〕
○「議会と予算」〔『現思』、X〕
○「哲学書翻訳所見」〔『読書』、X〕
○「『本邦新聞の企業形態』について」〔『読書』、X〕
○「『唯物弁証法講話』」〔『読書』、X〕
○「世界文学と翻訳」〔『読書』、X〕
○「『作文』の意義―垣内松三教授の著『国語教育科学概説』」〔『読書』、X〕
○「易者流哲学―反動哲学の一傾向」〔『読書』、X〕
1935 10 35  二月、編集責任者として鋭意出版に努力してきた『唯物論全書』(第一次)刊行開始。八月、岩倉政治とともに佐渡の本間唯一宅に遊ぶ。

@「シェストーフ的現象について」〔『思文』、W〕
@[付]唯物論研究に就て(戸坂潤手記)〔別〕
A「『常識』の分析―常識なるものの有つ矛盾は何を意味するか」(唯物論研究28)〔『日イ』、U〕
A「愛国運動と右翼小児病」〔『現思』、X〕
A「農村匡救の種々相」〔『現思』、X〕
B「『文献学』的哲学の批判」(唯物論研究29)〔『日イ』、U〕
B「行動主義文学の批判」(新潮3月号)〔『思文』、W 「行動主義文学について」と改題〕
B*「受験地獄礼讃」(文芸春秋3月号)〔『思風』、W 「20受験地獄論」と改題〕 
  ※〔別〕に「受験地獄礼讃」として、ほぼ同文を収録
B*「ラジオ講演を聴く」(経済往来3月号)〔『世一』、X 「ラジオ講演について」と改題〕
C「統制主義の名目と実質」〔『現思』、X〕
C「啓蒙論」〔『思文』、W〕
C*「現下日本の大学と学生生活―学職ギルドとして」(京都帝国大学新聞4月16日号)
  〔『思風』、W 「学職ギルドとしての大学」と改題、「18大学論」の一部〕
C*「学生野球統制令の矛盾 文部省的観念は破産する」(帝国大学新聞4月28号)
  〔『思風』、W「学生野球統制令の矛盾」と改題、「21学生スポーツ論」の一部〕
D「文科統制の本質」(行動5月号)〔『日イ』、U〕
D「現下の復古現象について」(改造5月号)〔『日イ』、U 「復古現象の分析」と改題〕
D「日本主義の再検討」(経済往来5月号)〔『日イ』、U 「日本主義の帰趨」と改題〕
D「免職教授列伝」(文芸春秋5月号)〔別〕
D「文学における偶然性と必然性」〔『思文』、W〕
D「ジャーナリスト論」〔『思文』、W〕
D「国体明徴運動と内閣審議会」〔『現思』、X〕
D#(大学検討座談会)(文芸春秋5月号)
E*「警察とギャング」(改造6月号)〔『世一』、X 「警察機能」と改題〕
E「学界の純粋支持者として」(文芸春秋6月号)〔別〕
E「ギャング狩り」(文芸春秋6月号)〔別〕
E「スターリン氏とウェルズ氏」(進歩6月号)
E「現代日本の思想上の諸問題」〔『日イ』、U〕
E「農村対策のからくり」〔『現思』、X〕
E*「学術的授産所としての私大と帝大との同質化―私立大学論」(三田新聞6月28号)
  〔『思風』、W 「私大と帝大との同質化」と改題、「18大学論」の一部〕
○*「先生商売論」(大学生活 ?)〔『思風』、W 「18大学論」の一部、初出未詳〕
F『日本イデオロギー論』(白揚社)〔U〕
F「自由主義哲学と唯物論」(唯物論研究33)〔『日イ』、U〕
F「横光利一論」(文芸7月号)〔『思文』、W 「横光利一の論理」と改題〕
F「ディレッタント論」〔『思文』、W〕
F*「日本の官僚」(労働雑誌7月号)〔『世一』、X〕
G〈文芸座談会(戸坂・窪川・中野・森山・岡・他)〉(唯物論研究34)
G「佐渡と新潟―旅の随筆」(唯研ニュース30)〔別〕
G「文化統制現象の分析」(改造8月号)〔『現唯』、V〕
G「重臣ブロックと機関説」(経済往来8月号)〔『現思』、X〕
G*「膨脹するわが日本」(文芸春秋8月号)〔『世一』、X 「膨脹する日本」と改題 ※別巻に初出原文〕
H「質問に答える―空間論について」(唯物論研究35)
H「軍統制の問題」(経済往来9月号)
H「文芸統制をどうみる」(文学評論9月号)
H「唯物論とファシズム(巻頭言)」(歴史科学9月号)〔別〕
H「『社会政策』株式会社」〔『現思』、X〕
I『科学論』(『唯物論全書』のうち、三笠書房)〔T〕
I「その後の国体明徴運動」(経済往来10月号)〔『現思』、X〕
I「大学・官吏・警察」(文芸春秋10月号)〔別〕
I「風刺文学に対して」〔『思文』、W〕
I「局外批評論」〔『思文』、W〕
I「モーラリスト及び風俗評論」〔『思文』、W〕
I「モーラリストの立場による科学と文学」〔『思文』、W〕
I*「スポーツの喪失とファンの発生 職業野球団と神宮大会」(帝国大学新聞10月28号)
  〔『思風』、W 「スポーツの喪失とファンの発生」と改題、「21学生スポーツ論」の一部〕
J「選挙粛正」(労働雑誌1-11)
K「文学批評に於ける三つの要点」〔『思文』、W〕
K「三五年度思想界の動向」〔『現思』、X〕
K「文化統制の種々相」〔『現思』、X〕
K「三六年度思想界の展望」〔『現思』、X〕
K*「諷刺としての邪教」(エコノミスト12月号)〔『思風』、W 「24」〕

○「哲学と文章」〔『思文』、W〕
○「論文論」〔『思文』、W〕
○「啓蒙論」〔『日イ』、U〕
○「文化の科学的批判」〔『日イ』、U〕
○「『文学的自由主義』の特質」〔『日イ』、U〕
○「インテリ意識とインテリ階級説」〔『日イ』、U〕
○「インテリゲンチャ論に対する疑問」〔『日イ』、U〕
○「インテリゲンチャ論と技術論」〔『日イ』、U〕
○「現代日本の思想界と思想家」〔『日イ』、U〕
○*「官公吏の社会的地位」(1935年)〔『世一』、X 初出未詳〕 
1936 11 36  一月、二女月子誕生。二月、二・二六事件の勃発に身の危険を案じ、東京市内の本間唯一方に身を隠し、ついで関西方面にゆき、事件の落着をまって帰宅する。八月、堀真琴・森宏一とともに、新潟・佐渡・高田と講演旅行をする。「おけさほど唯物論はひろがらず」の句は、そのときの感慨。

@「批評の機能」(唯物論研究39)〔『思文』、W 「批評に於ける文学・道徳及び科学」と改題〕
@「随筆・エッセイ及び評論」〔『思文』、W〕
@「挙国一致の偽装」〔『現思』、X〕
A『思想としての文学』(三笠書房)〔W〕
A「芸術・思想・民族―論壇批判」(日本評論2月号)
A*「新興宗教雑感」(唯物論研究40)〔『思風』、W 「22新興宗教について」と改題〕
A「ファッションは天下をとるか?」(労働雑誌2-2)
A*「入学試験準備の問題は解決出来るか」(教育2月号)
  〔『思風』、W 「入学試験準備の問題」と改題、「19学校教育二題」の一部〕
○*「高等教育の問題」〔『思風』、W 「19学校教育二題」の一部、初出未詳〕
B「大衆、説得力、デマゴギー」(唯研ニュース43)〔別〕
B「現下に於ける進歩と反動の意義」(改造3月号)〔『日イ』、U〕
B「自由主義・ファシズム・社会主義」(日本評論3月号)〔『日イ』、U〕
C「常識の論」(歴史科学4月号)〔『思文』、W〕  ※執筆1935.12
D『道徳の観念』(岡邦雄と共著『道徳論』―『唯物論全書』のうち、三笠書房)〔W〕
D「イデオロギー」「仮説」「技術」(城戸幡太郎他編『教育学辞典』第一巻、岩波書店刊)〔別〕
D「実験をめぐる問題―石原博士による拙著批判に沿うて」(唯物論研究43)〔『現唯』、V〕
D「吏道振粛」(改造5月号)〔『現思』、X〕
D「自由排撃三法案」〔『現思』、X〕
D「改革熱の流行」〔『現思』、X〕
D*「映画の写実的特性と風俗及び大衆性」(映画創造5月号)〔『思風』、W 「2」〕
D#「解釈学の評価と批判」(教育・国語教育5月号) [全文]
E*「現代青年論」(日本評論6月号)〔『思風』、W 「14現代青年の問題」と改題〕
E*「不安の二種類」(中央公論6月号)〔『世一』、X〕
E「不穏文書取締」〔『現思』、X〕
E*「文芸時評一 時評の改組」(東京日日新聞6月23日号)〔『思風』、W 「3文芸と風俗」の一部〕
E*「文芸時評二 軽風俗と重風俗」(東京日日新聞6月24日号)〔『思風』、W 「3文芸と風俗」の一部〕
E*「文芸時評三 退屈権」(東京日日新聞6月25日号)〔『思風』、W「3文芸と風俗」の一部〕
E*「文芸時評四 人民派と人民戦線」(東京日日新聞6月26日号)〔『思風』、W 「文芸と風俗」の一部〕
E*「文芸時評五 モラルと風俗」(東京日日新聞6月27日号)〔『思風』、W 「3文芸と風俗」の一部〕
F「『種の論理』―田辺博士の所説に就いて」(唯物論研究45)〔『現唯』、V〕
F「森宏一著『近代唯物論』」(唯物論研究45)〔『読書』、X〕
F「熊沢復六訳『小説の本質』―ロマンの理論」(唯物論研究45)〔『読書』、X〕
F「シュッキング著、金子和訳『文学と趣味』」(唯物論研究45)〔『読書』、X〕
F「エス・ヴォリフソン著、広尾猛訳『唯物恋愛観』」(唯物論研究45)〔『読書』、X〕
F「唯研創立当時の一表情」(唯研ニュース50)〔別〕
F*「文学とモラルの説一 モラル問題の一致点」(都新聞7月11日号)
  〔『思風』、W 「4文学・モラル及び風俗」の一部〕
F*「文学とモラルの説二 何がモラルでないか?」(都新聞7月12日号)
  〔『思風』、W 「4文学・モラル及び風俗」の一部〕
F*「文学とモラルの説三 『文学は認識』の弁」(都新聞7月13日号)
  〔『思風』、W 「4文学・モラル及び風俗」の一部〕
F*「文学とモラルの説四 文学は科学の道徳的形象」(都新聞7月14日号)
  〔『思風』、W 「4文学・モラル及び風俗」の一部〕
G*「風俗の考察―実在の反映一般 に於ける風俗の役割 一節〜四節」(唯物論研究46)
  〔『思風』、W 「1風俗の考察」 一節〜四節〕
○*(1風俗の考察 五節)(1936年 新文学?)〔『思風』、W 「1風俗の考察」 五節、初出未詳〕
G「M・N・スミット著、堀江邑一訳『統計学と弁証論』」(唯物論研究46)〔『読書』、X〕
G「知識階級と文化運動」(改造8月号)〔『現唯』、V 「現下の文化運動」と改題か ※推定〕
G*「作家の教養の問題」(文芸8月号)〔『思風』、W 「13」〕
G「学生の技能と勤労大衆」(関西学院新聞8月8日号)
  〔『思風』、W 「15学生論三題」の一部 ※別巻「雑録」にほぼ同文を収録〕
H「自然科学」「新聞」「日本精神」「論理学」(三木清編『現代哲学辞典』、日本評論社刊)〔別〕
H「文芸学の研究を唱道する」(唯研ニュース54)〔別〕
H「―夏の旅・佐渡の島紀行 高田で座談会のこと」(唯研ニュース54)〔別〕
H「啓蒙の現代的意味と役割について」(饗宴9月号)〔別〕
H*「旦那持ちのラジオ」(日本評論9月号)〔『世一』、X 「日本のラジオ」と改題〕
H*「人民戦線に於ける政治と文化」(セルパン9月号)〔『世一』、X 「所謂『人民戦線』の問題」の一部〕
H*「文化と民族精神 その抑制的過程について」(早稲田大学新聞9月30日号)
  〔『世一』、X「民族精神と文化」と改題 「所謂『人民戦線』の問題」の一部〕
○*「日本型ファシズムと文化人民戦線」(1936年)
  〔『世一』、X 「所謂『人民戦線』の問題」の一部、初出未詳〕
H*「論壇時評1 批評発表の困難相 論壇時評は疑問であるか」(読売新聞9月1日号)
  〔『思風』、W 「7思想的評論について」の一部〕
H*「論壇時評2 確信なき思想的評論 綜合雑誌の綜合点とは」(読売新聞9月3日号)
  〔『思風』、W 「7思想的評論について」の一部〕
H*「論壇時評3 思想的資格の有無 評論を裏づける一二のもの」(読売新聞9月4日号)
  〔『思風』、W 「7思想的評論について」の一部〕
H*「論壇時評4 思想―教養―感覚 最近の一トピック」(読売新聞9月5日号)
  〔『思風』、W 「思想的評論について」の一部〕
H*「女性教育の問題」(学生評論9月号)〔『思風』、W 「16」〕
I「自然弁証法」(大阪商科大学経済研究所編『経済学大辞典』追補、岩波書店刊)〔別〕
I「実在論」「プラグマティズム」「マッハ」「模写説」(同上『経済学大辞典』追補)〔別〕
I*「教育と教養」(唯物論研究48)〔『思風』、W 「12」〕
I「庄司・松原訳編『ファシズムの諸問題』」(唯物論研究48)〔『読書』、X〕
I*「宗教における思想と風俗一 ひとのみち事件批判」(報知新聞10月1日号)
  〔『思風』、W 「25宗教に於ける思想と風俗」の一部〕
I*「宗教における思想と風俗二 新興類似宗教の魅力」(報知新聞10月2日号)
  〔『思風』、W 「25宗教に於ける思想と風俗」の一部〕
I*「宗教における思想と風俗三 不敬宗教の背景」(報知新聞10月3日号)
  〔『思風』、W 「25宗教に於ける思想と風俗」の一部〕
○「国民生活の安定とは何か」〔『現思』、X〕
J*「三木清論」(中央公論11月号)〔『世一』、X 「三木清氏と三木哲学」と改題〕
J「三六年度思想界の回顧」〔『現思』、X〕
J*「出版現象に現われた時代相」(文芸春秋11月号)〔『世一』、X〕
J*「ジャーナリズムと大衆」(三田新聞11月20日号)〔『世一』、X 「ジャーナリズム三題」の一部〕
○*「現下のジャーナリズム」(1936年)〔『世一』、X 「ジャーナリズム三題」の一部 初出未詳〕
J*「ジャーナリストの問題」(セルパン8月号)〔『世一』、X 「ジャーナリズム三題」の一部〕
J*「検閲下の思想と風俗(一) 映画とダンスホール」(中外商業新報11月3日号)
  〔『世一』、X 「検閲下の思想と風俗」の一部〕
J*「検閲下の思想と風俗(二) 新興風俗の弾圧」(中外商業新報11月4日号)
  〔『世一』、X 「検閲下の思想と風俗」の一部〕
J*「検閲下の思想と風俗(三) 道徳振りの本体」(中外商業新報11月5日号)
  〔『世一』、X 「検閲下の思想と風俗」の一部〕
J*「現代における『漱石文化』 一、漱石はなぜ『大きく見える』か」(都新聞11月18日号)〔『世一』、X〕
J*「現代における『漱石文化』 二、漱石的教養」(都新聞11月19日号)〔『世一』、X〕
J*「現代における『漱石文化』 三、岩波出版物」(都新聞11月20日号)〔『世一』、X〕
J*「現代における『漱石文化』 四、門下的漱石文化」(都新聞11月21日号)〔『世一』、X〕
J*「分析型と主張型とについて」(作品11月号)
  〔『思風』、W 「8評論における分析型と主張型」と改題〕
J*「衣装と文化の論」(ペン11月号)〔『思風』、W 「10衣装と文化」と改題〕
K『思想と風俗』(三笠書房)〔W〕
K『現代日本の思想対立』(今日の問題社)〔X〕
K『現代唯物論講話』(白揚社)〔V〕
K〈訳述〉ブリッジス・ティルトマン『探険英雄伝』(改造社)
K「唯研の恋愛論、其他」(唯研ニュース62)〔別〕
K「現代唯物論と文化問題」〔『現唯』、V〕
K*「ラジオと大学教育」(教育12月号)〔『世一』、X〕
K*「最近の『朝日新聞』」(日本評論12月号)〔『世一』、X 「その後の『朝日新聞』」と改題〕
K*「ナチスの芸術統制に寄せて」(東京日日新聞12月1〜3日)〔『世一』、X〕

○*「文化の危機とは何か」(1936年)〔『世一』、X 初出未詳〕
○*「日本資本主義の退嬰主義と進展主義」(1936年初)〔『世一』、X 初出未詳〕
○「技術の意義」〔『現唯』、V〕
○「自由の概念と文化の自由」〔『現唯』、V〕
○*「風俗文学としての社会時評」〔『思風』、W 「6」、初出未詳〕
○*「風俗警察と文化警察」〔『思風』、W 「 9」、初出未詳〕
○*「教育と啓蒙」〔『思風』、W 「11」 初出未詳〕
○*「現代青年子女の結婚難」〔『思風』、W 「17」、初出未詳〕
○*「宗教にインチキ性とは何か」(教学新聞 ?)〔『思風』、W 「23」、初出未詳〕
○*「ブルジョア哲学とその宗教化的本質」〔『思風』、W 「27」、初出未詳〕
○*「現代の哲学と宗教」〔『思風』、W 「28」、初出未詳〕
○「『現代宗教批判講話』」〔『読書』、X〕
○「社会・思想・哲学・の書籍について」〔『読書』、X〕』
○「『現代哲学辞典』」〔『読書』、X〕
○「マルクス主義と社会学―住谷氏『プロレタリアの社会学』について」〔『読書』、X〕
○「非常時の経済哲学―高木教授『生の経済学』」〔『読書』、X〕
○「新明正道編『イデオロギーの系譜学』」〔『読書』、X〕
○「再び『イデオロギーの系譜学』」〔『読書』、X〕
○「朗らかな『毒舌』―『現代世相読本』」〔『読書』、X〕
○「入沢宗寿著『日本教育の伝統と建設』」〔『読書』、X〕
○「ブック・レビュー論」〔『読書』、X〕
○「読書家と読書」〔『読書』、X〕
○「如何に書を選ぶべきか」〔『読書』、X〕
○「論文の新しい書き方」〔『読書』、X〕
○「校正」〔『読書』、X〕 
1937 12 37  前年の二・二六事件を契機としてファシズムが猛威をふるい、戦争の危機はついにこの年の七月、中国侵略をめざす日中戦争となり、やがて太平洋戦争へとのめりこんでゆく。こうした情勢の急変のなかで唯物論研究会の活動は困難をきわめるが、その先頭に立ってたくみに困難を切りぬけ、四月には第三次『唯物論全書』の刊行を開始し、「名船長」ぶりを発揮する。前年の暮頃から『都新聞』の匿名批評欄「狙撃兵」で、青野季吉・大森義太郎・本多顕彰らとともに反戦反ファッショの論陣をはり、痛烈な批判活動を展開してきたが、年末にはついに大森・岡邦雄・向坂逸郎らとともに執筆禁止にあい、その活動も極度の危険にさらされるにいたる。

○*「書物六題」(1935-1937年)〔『世一』、X 初出未詳〕
○*「日本ファシズムの発育」(1937年初)〔『世一』、X 初出未詳〕
@「T・E・ヒューム著、長谷川鉱平訳『芸術とヒューマニズム』」(唯物論研究51)〔『読書』、X〕
@「勝本清一郎著『日本文学の世界的位置』」(唯物論研究51)〔『読書』、X〕
@「認識論としての文芸学」(唯物論研究51)〔W〕
@*「文化統制と文化の『自粛』」(改造37年1月号)〔『世一』、X〕
@*「本年度の思想界の動向(上) 最近の善良主義」(報知新聞1月13日号)
  〔『世一』、X 「日本主義の文学化」の一部〕
@*「本年度の思想界の動向(中) 日本主義の文学化」(報知新聞1月14日号)
  〔『世一』、X 「日本主義の文学化」の一部〕
@*「本年度の思想界の動向(下) 民衆と文学と伝統」(報知新聞1月15日号)
  〔『世一』、X 「日本主義の文学化」の一部〕
A「社会科学」「社会哲学」「ジャーナリズム」「進化論と社会学」(上記『教育学辞典』第二巻)〔別〕
A*「現代日本のヒューマニズムと唯物論」(唯物論研究52)〔『世一』、X〕
A*「和辻哲郎博士・風土・日本」(自由2月号)〔『世一』、X「和辻博士・風土・日本」〕
A「第七〇議会に与う、思想議会たることを知れ」(中央公論2月号)〔別〕
B「秋沢修二著『世界哲学史』(西洋篇)」(唯物論研究53)〔『読書』、X〕
B*「政情不連続線のの社会的基礎」(自由3月号)〔『世一』、X 「政情不安の社会的基礎」と改題〕
B*「民衆論」(政界往来3月号)〔『世一』、X〕
C『世界の一環としての日本』(白揚社)〔X〕
C「科学的精神とは何か―日本文化論に及ぶ」(唯物論研究54)〔T〕
C「岡・吉田・石原共著『自然弁証法』(唯物論研究54)〔『読書』、X〕
C「日本の民衆と『日本的なるもの』」(改造4月号)〔W〕
C「現代科学教育論」(科学ペン4月号)〔T〕
C*「選挙界の思想分布(一) 既成政党の思想的無力」(読売新聞4月28日号)〔『増補』〕
C*「選挙界の思想分布(二) 無産党の色彩」(読売新聞4月29日号)〔『増補』〕
C*「選挙界の思想分布(三) 右翼その他」(読売新聞4月30日号)〔『増補』〕
C#<質問に応へる・「人間学」について>「答」(唯物論研究54)
D「安部三郎著『時間意識の心理』」(唯物論研究55)〔『読書』、X〕
D「ジイド著、小松清訳『ソヴェト旅行記』」(唯物論研究55)〔『読書』、X〕
D「天然色映画讃」(唯研ニュース70)〔別〕
D「婦人雑誌における娯楽と秘事」(日本評論5月号)
D「八大政綱の弁護」(文芸春秋5月号)〔別〕
D「私の見た大学」(三田新聞370)〔別〕
D*「『輿論』を論ず(一) 輿論とデモクラシー」(都新聞5月10日号)〔『増補』〕
D*「『輿論』を論ず(二) 輿論の社会階級性」(都新聞5月11日号)〔『増補』〕
D*「『輿論』を論ず(三) 現下の輿論」(都新聞5月12日号)〔『増補』〕
D*「『輿論』を論ず(四) 新聞と輿論」(都新聞5月13日号)〔『増補』〕
D*「『輿論』を論ず(五) 輿論の心理学」(都新聞5月14日号)〔『増補』〕
D*「科学的精神の殺戮―信念教育の帰趨」(東京日日新聞5月20-21日号)〔『増補』〕
E「最近日本の科学論―(緒論の部―一般的特色について)」(唯物論研究56)〔T〕
E「中条百合子著『昼夜随筆』」(唯物論研究56)〔『読書』、X〕
E「清水幾多郎著『人間の世界』」(唯物論研究56)〔『読書』、X〕
E「日本の頭脳調べ」(中央公論6月号)〔別〕
E「文芸評論の方法について」(文芸6月号)〔W〕
E「日本の頭脳調べ―特に自然科学者に就いて」(中央公論6月号)
F「翻訳について」(唯物論研究57)〔『読書』、X〕
F「新明正道著『ファシズムの社会観』」(唯物論研究57)〔『読書』、X〕
F「早川二郎著『日本歴史読本』」(唯物論研究57)〔『読書』、X〕
F「近衛内閣の常識性」(日本評論7月号)〔X〕
F*「昭和十二年上半期の日本 思想」(自由7月号)〔『増補』〕
G「娯楽論―民衆と娯楽・その積極性と社会性」(唯物論研究58)〔W〕
G「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」(中央公論8月号)〔T〕
G*「日本文化中央連盟に与う」(東京日々新聞8月10日夕刊号)〔『増補』〕
H「再び科学的精神について(「最近日本の科学論」続編)―数学に対して」(唯物論研究59)〔T〕
H「小倉金之助著『科学的精神と数学教育』」(唯物論研究59)〔『読書』、X〕
G「中野重治と北陸を旅する記―夏の紀行」(唯研ニュース77)〔別〕
H「思想動員論」(日本評論9月号)〔X〕
H「挙国一致体制と国民生活」(改造9月号)〔X〕
H「論文集を読むべきこと」〔『読書』、X〕
H*「準戦時体制と政治」(政界往来9月号)〔『増補』〕
H*「時局と評論(一) 科学的精神をめぐりて」(東京日日新聞9月2日号)〔『増補』〕
H*「時局と評論(二) 客観的文責の弁」(東京日日新聞9月3日号)〔『増補』〕
H*「時局と評論(三) 肯定的精神について」(東京日日新聞9月4日号)〔『増補』〕
I『認識論とは何か』(山岸辰蔵=〔山田坂仁〕と共著『認識論』―『認識論全書』のうち、三笠書房)〔V〕
I「哲学の現代的意義(一)」(唯物論研究60)〔V〕
I「技術的精神とは何か」(科学主義工業10月号)〔T〕
I「戦争ジャーナリスト論」(日本評論10月号)〔『読書』、X〕
I*「事変と言論」(セルパン10月号)〔『増補』〕
I*「平和論の考察」(自由10月号)〔『増補』〕
I*「『際物』論(一) キワモノは存在の魅力」(都新聞10月14日号)〔『増補』〕
I*「『際物』論(二) なぜ少年が英雄となるか」(都新聞10月15日号)〔『増補』〕
I*「『際物』論(三) キワモノの親分と手先」(都新聞10月16日号)〔『増補』〕
I*「『際物』論(四) 何故に膺懲すべしや」(都新聞10月17日号)〔『増補』〕
J「哲学の現代的意義(二)」(唯物論研究61)〔V〕
J「ミショオ著、春山行夫訳『フランス現代文学の思想対立』(唯物論研究61)〔『読書』、X〕
J「『土』を見る」(唯研ニュース82)〔別〕
K「大河内正敏著『農村の工業と副業』」(唯物論研究62)〔『読書』、X〕
K「上野耕三氏に対す」(唯研ニュース86)〔別〕
K「一九三七年を送る日本」(改造12月号)〔X〕
K*「社大党はファッショ化したか?」(日本評論12月号)〔X〕
K*「戦時体制下の思想界」(セルパン12月号)〔『増補』〕
K*「日本文化の特殊性」(歴史12月号)〔別〕

○「日本思想界の展望」(日本科学年報1937版)〔X〕
○「読書法日記」(日本学芸新聞)〔『読書』、X〕
○「現代文学の主流―『文化擁護』問題の報告書」〔『読書』、X〕
○「現代哲学思潮と文学」〔『読書』、X〕
○「デカルトと引用精神」〔『読書』、X〕
○「『人間の世界』を読む」〔『読書』、X〕
○「小倉金之助著『科学的精神と数学教育』」〔『読書』、X〕
1938 13 38  前年末に岡邦雄とともに執筆禁止を命ぜられたことは、唯物論研究会の存在を危機におとしいれた。年頭いらい、会の内部で解散か改組存続かをめぐって激しい討論がおこなわれたが、二月一日、大内兵衛ら教授グループが検挙されるにおよんで、結局戸坂の主張にもとづいて会を解散し、主だったメンバーで『学芸』発行所を創設し、機関誌『唯物論研究』を『学芸』と改め、これに依拠して最後の抵抗を試みることになった。だが、この試みも一一月二九日、唯研事件で主要メンバーが検挙されるにおよんで終刊のやむなきにいたる。これよりさき、戸坂は一一月のはじめからクラウス博士らの上智大学内カトリック大辞典編纂部に勤務しはじめていたが、唯研事件で検挙され、一九四〇年五月まで杉並警察署に留置される。

@『読書法』(三笠書房)〔X〕
@「『科学主義工業』の観念―大河内正敏の思想について」(唯物論研究63)〔X〕
@「熊沢復六著『マルクス芸術論』」(唯物論研究63)
@「旧幹事の一人として」(唯研ニュース87)〔別〕
@「所謂批評の『科学性』についての考察」(文芸1月号)〔W〕
@「映画芸術と映画」(映画創造1月号)〔W〕
@「ジードの修正について」(科学ペン1月号)〔X〕
A「無題―回想・五ヵ年有半」(唯研ニュース88最終号)〔別〕
I「クリティシズムと認識論との関係」(学芸10月号)〔V〕
1939 14 39  杉並警察署留置場において意気軒昂としてたたかい、検挙されてくる「思想犯」たちを激励する。夏から秋にかけて膨大な手記を書き、唯物論の研究が治安維持法にふれるものでないことを論証し、絶対無罪を主張。この頃留置場内の「俳句会」で薔薇亭華城(ローザ・ルクセンブルク)と号して句作をする。「蒸せ返える青葉祭や猿の村」や「唐辛、赤くなるころ嫁の来る」などはそのときの作。この年留守宅、杉並区阿佐ヶ谷六丁目二三八番地へ移転。
1940 15 40  五月、起訴され、東京拘置所に移る。一二月八日、保釈出所、二年一〇日目に帰宅。
1941 16 41  この年以降、検束前の仕事であった上智大学内カトリック大辞典編纂所につとめ、週三、四回位勤務。そのほか、白揚社、伊藤書店(編集長本間唯一)の企画顧問として出版企画に参画。禁筆中であり、しかも公判中にもかかわらず、左の四編の論文を発表。一二月、第一審判決、懲役四年の最高刑を言い渡され、直ちに控訴。この年以後、四四年九月下獄するまでの間、来るべき時代のため、夜自宅で原稿を書きたむ。

A「友情に関係あるエッセイ」(改造2月号)〔別〕
E「科学と科学の観念」(経済情報・政経編6月号)〔T〕
E「技術と科学の概念」(東京帝国大学新聞6月9日付860号)〔T〕
F「技術へ行く道」(都新聞7月4日号)〔T〕
H「生産を目標とする科学」(東京帝国大学新聞9月8日付868号)〔T〕
1942 17 42  夏頃より裁判はじまり、一二月、第二審で懲役三年の判決を言い渡され、直ちに上告。
1943 18 43  春と秋、伊藤書店の慰安旅行に加わり、長野、上諏訪、天竜川、大平峠などを訪ねる。またこの頃より内山賢次のすすめでスキーをはじめたところ大いに興味を感じ、たびたび信州岩ッ原へ、内山賢次・森宏一・古在由重・本間唯一らと出掛ける。一二月、控訴院の裁判で懲役三年(未決通算四ヵ月)の判決を言い渡され、直ちに上告。
1944 19 44  三月、大審院の裁判、上告棄却の申渡しあって開廷五分位で閉廷。五月、下獄予定のところ歯の治療のため延期願を出し、つづいて国民学校集団疎開の計画当局より発表されるにおよんで、長男・二女の疎開のため更に延期願を出す。八月、長女嵐子を女学校勤労動員先の寮に入れ、長男・二女を長野県の集団疎開地へ送り、九月一日、一年後には枢軸陣営の敗退と民主主義革命が到来するだろうとの見通しをつけて東京拘置所へ下獄。

K〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(12月12日朝) ……進学の件など明らかとなり安心。……
1945 20 45  五月一日、空襲のため長野刑務所へ移る。七月二三日、栄養失調と疥癬のため急性腎臓炎を発病。八月九日、酷熱の居室で獄死。なお、これよりさき、八月二日八王子の空襲で知人の家へ疎開中の「重要書類」の包みを焼かれたが、その中には、既発表論文の雑誌切抜や、保釈後に書きためた未発表の原稿、計画中の草稿などが一括してあった。八月二六日、自宅で告別式挙行。

@〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿外御一同」(1月8日朝) ……今年は去年よりも良い年であるように。……
A〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(2月9日朝) ……吉報見た。お父さんは本当に嬉しい。……
B〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(3月2日午前) ……三月だと云うに雪どけで寒いことだ。……
C〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(4月12日午後) ……愈々春だが、ここではまだ底寒い。……
D〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(5月6日〈日〉午後三時)(長野) ……一日の夜行で発ち翌早朝長野市へ着いた。……
E〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(6月2日午後)(長野) ……その後変ったことはないか。……
F〈獄中通信〉「戸坂嵐子殿」(7月2日午後)(長野) ……この頃は金板みがきをやめて足袋職人。……
K「獄中通信」(人民評論12月号)〔別〕
1946 21    八月四日、多磨墓地(二五区一種一八側三二号)に埋葬。
1968 43   『戸坂潤全集』第一巻〜第五巻(勁草書房刊)
1979 54   『戸坂潤全集』別巻(勁草書房刊)

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