岐路に立つ国語教育
熊谷 孝著『岐路に立つ国語教育――国語教育時評集(1977年3月 文学教育研究者集団出版部刊)
 
   ま え が き         
   
 何度も話題になった。話題になりながら「国語教育時評集」の出版が、今日まで実現しなかったことは、文教研三役の怠慢と非難されてもしかたがない。この時評は、真剣に国語教育・文学教育と取り組んでいる者、あるいは、取り組もうとしている者にとっては、その時点、その時点での「時評」でありえた。国語教育の反省と授業創造への指針となりえたと思うからである。
 熊谷孝先生が、月刊「教育科学・国語教育」
(明治図書刊)の、国語教育時評を担当されたのは、65年4月から66年3月までと、66年4月から67年3月まででの隔月である。すでに十二年も昔のことだが、今読み返してみて、まあたらしい感動をよびさます。先生のこの仕事は、過去のものではない。まさに、今日的「時評」である。
 十二年前、65〜66年当時は、時評のテーマの一つを借りていうなら「岐路に立つ国語教育」の時期であったといえる。中央教育審議会は、あの悪名高い「期待される人間像」
(66年)を発表した。そして、その方向にそって、「教育改革」という名の「学習指導要領」の改悪作業が進行していた。それに対して、民間教育研究団体は統一して対応できない不幸な状況にあった。特に国語教育はひどかった。
 時は一回りして、昨年10月教育課程審議会は、多くの問題をふくむ「審議まとめ」を答申。「学習指導要領」の改訂が日程にのぼっている。この答申に対しても、民間教育研究団体の評価は必ずしも一致していない。今、この時点で「国語教育時評集」を出版することは、偶然ではないように思う。十年前の時評で、熊谷先生が鳴らした警鐘は、そっくりそのまま現在の警鐘であるからだ。
 ところで、この「時評」では、多岐にわたって問題が追求されている。が、一貫していることは、たえず原理・原則にたちかえって問題を考えよう、考え直そうという姿勢である。そういう姿勢が反映し、一つ一つの時評がまとまりをもっていると同時に、18回におよぶ時評全体が、一つの構造をもっている。
 現場の問題に例をとろう。第二回時評では、テストや評価の問題を取りあげている。きわめて現場的だが、しかし、国語教育以前の問題としてである。そして、テストや評価法に、国語科の授業・学習内容が逆に規制されている現実を指摘。テスト体制や五段階評定法に左右されない、教師の主体性が問われている。読者は、自分の問題として国語教育を考え直す。考え直さざるをえない問いかけになっている。第三回時評では、さらに突っこんで、国語とはなんですか、あなたの言語観にひずみや狂いはありませんか、と問いかけている。あたふたとする読者に、あるいは、言語技術主義に飼いならされた読者に「民族の共通信号としての国語」を教えるということは「民族的発想において国語を国語として操作し、また国語を操作することで、民主的・民族的自我形成をたしかなものにしていけるような人間」を育てることだと、明確に方向を提示し、具体例で解明する。ここで読者は、民族語・母国語教育という発想を自分のものにする。第四回時評では、そうした母国語教育の現実は「赤本」や「指導書」に頼ったのでは不可能だ、ということを強調。そして「指導書」の教材研究や指導過程は、文学の表現のイロハをさえまちがえている事例を取りあげて納得させる。読者は、いやがおうでも、自分という主体を問い直さざるをえない。原理・原則からの「指導書」批判であり、教師の主体への問いかけである。さらに第五回は、教材論の問題を中心にとつづく、というようにである。
 ある側面から、全体が一つの構造をもっている、ということを例示したかったのだが、こう追っていくと大事なことが総てこぼれ落ちてしまう。読者にゆだねるほかはない。
 ともあれ、この「時評」は、われわれ読者にとっては、国語教育の指針であり、よりどころだった。いつのまにか国語教育という切り口から、民族的課題と対決を迫られている自分に気づかされた。時評の名に価する時評だからである。ところが、なぜだか、熊谷孝先生の「時評」を最後に「教育科学・国語教育」誌から、時評が姿を消した。残念でならない。が、言葉を重ねよう。十年前の時評で、熊谷先生が鳴らした警鐘は、そっくりそのまま現在の警鐘である。この「国語教育時評集」の現在的な意味・意義はきわめて大きい。
 最後に、この「国語教育時評集」は、明治図書出版モフ了解を得て出版したことを付記しておく。また、こころよく了承してくださった、明治図書の、江部満氏に心からお礼を申しあげる。
  
  一九七七年三月一五日
 文学教育研究者集団
 福  田  隆  義
 

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