熊谷 孝著作デジタルテキスト館  (デジタルテキスト化:山口章浩氏)
熊谷  孝 編著 
十代の読書
(河出新書43)

河出書房 1954年6月20日発行

   ◆まえがき
   ◆序 章 読書の一角から
   ◆第二章 読書ということ
十代の読書
 
  ※『十代の読書』から、熊谷孝氏が執筆を担当した章(上記)のみ抜粋した。
  ※原本は、縦書き、1ページ17行、1行42文字。全217ページ。
  ※漢字の旧字体は、大部分、新字体になおした。
  ※くりかえしの記号(「ゝ」や「ゞ」)は対応する仮名になおした。
  ※ふりがなは省略した。
  ※漢数字の「十」に相当する「一」は「十」になおした。例:一七世紀→十七世紀
  ※あきらかにまちがいだと判断できるカッコやカギカッコはけずった。

  ◆『十代の読者』の全体の構成と執筆担当◆

   まえがき……………………………………………熊谷 孝
   序 章 読書の一角から…………………………熊谷 孝
     一 読書への道
     二 二つのコース
     三 読書案内をどう読むか
     四 読書以前の問題
     五 何をいかに
     六 よい環境をつくるために
     七 目かくしを取るために
   第一章 十代の生活と読書………………………川越怜子・巖谷榮二・北村宗秀
     一 十代の読書傾向
     二 都会で読まれる雑誌
     三 農村で読まれる雑誌
     四 都会ではどんな本を
     五 農村ではどんな本を
     六 本のえらび方とうけとり方
     七 雑誌のえらび方とうけとり方
     八 十代の読書態度
     九 十代の読書環境
   第二章 読書ということ…………………………熊谷 孝
     一 良書と悪書(T)
     二 新聞のよみ方
       ――良書と悪書と(U)――
     三 文学への道
     四 小説のよみ方
     五 文学と科学と
     六 映画・テレビ・ラジオと読書
     七 多読による精読を
     八 読書サークルをもとう
   私たちはどんな本を読んできたか
     ――文化人の読書遍歴――
     田宮虎彦  小川未明  石垣綾子  河盛好蔵  岩崎昶  末川博
     村山知義  谷口千吉  柳田謙十郎  福田定良  河原崎国太郎
     秋田雨雀  渡邊順三  長田新  岩倉政治  神崎清  松島栄一
     家永三郎  服部之総  乾孝  川崎庸之  神近市子  高木正孝
     永積安明  西岡虎之助  佐山済  野間宏  遠山茂樹  
     大久保正太郎  来栖良夫  宮永次雄  金澤嘉一  大内秀邦
     藤田圭雄  佐木秋夫  信夫清三郎  戸井田道三  信夫澄子
     江口渙
   良書四〇〇選
     


 目  次

まえがき ……………………………………………………………………………… 3
序 章 読書の一角から …………………………………………………………… 11
   一 読書への道 ………………………………………………………………… 11
   二 二つのコース ……………………………………………………………… 14
   三 読書案内をどう読むか …………………………………………………… 16
   四 読書以前の問題 …………………………………………………………… 18
   五 何をいかに ………………………………………………………………… 21
   六 よい環境をつくるために ………………………………………………… 25
   七 目かくしを取るために …………………………………………………… 27
第二章 読書ということ …………………………………………………………… 127
   一 良書と悪書(T) ………………………………………………………… 127
   二 新聞のよみ方 ……………………………………………………………… 131
      ――良書と悪書と(U)――
   三 文学への道 ………………………………………………………………… 141
   四 小説のよみ方 ……………………………………………………………… 144
   五 文学と科学と ……………………………………………………………… 156
   六 映画・テレビ・ラジオと読書 …………………………………………… 162
   七 多読による精読を ………………………………………………………… 166
   八 読書サークルをもとう …………………………………………………… 169



  まえがき
       熊 谷  孝     

 何をいかに読むべきか、ということを中心に、読書の問題を若い十代の方たちとじっくり話しあってみたいと思うのです。十代のみなさんの考えや、うったえも聞きたいし、わたくしたちの見たところや考えていることなどもお伝えしたいのです。そういうお互いの話しあいの場がこの“十代の読書”です。
 みなさんとしては、この話しあいをとおして、よその学校や、ほかの職域・地域の、自分と同じ十代の人たちが、いったい何を考え、どういう訴えをもっているか、という、そこのところをつかんで頂きたいのです。この本は、つまり、読書の一角からの十代の人びとの交流の場でもあるわけです。わたくしたちは、この本を書き、編むことをとおして、みなさんの持っているよいものを交互に伝達し媒介する、いわば蜜蜂のやくめを果たしたいと願っています。
 わたくしたちは、まえに一度、この本と同じ題名のパンフレットを書いたことがあります。去年の七月のことでした。が、それは非売品だったので書店の棚には並びませんでしたし、発行部数も千そこそこですから、限られた人たちのあいだでしか読まれませんでした。「限られた人たちにしか読まれなさそうなのが惜しいほどの、生きた報告である。」と“朝日新聞”(一九五三・八・二六)では批評してくれました。“婦人民主新聞”やその他いくつかの新聞・雑誌でも、スペースを大きく割いて、わたくしたちの仕事を励ます意味のことばを述べてくれました。が、その仕事は、“十代の読書”と銘は打っても、都会地の、それもごく限られた特殊な層の十代をあいてのものでした。内容が一面的でみすぼらしいことが、それを書いたわたくしたちには、わかり過ぎるぐらいわかっているので、あたりのそういう声にかえって気恥ずかしい思いであったのです。
 こんどは、そこで、調査の幅も拡げることにしました。農村地帯・工場地帯と泊まり込みで、一カ月余りその地域、地域の十代の耕作農民や工場労働者の人たちと膝をまじえて話しあってきました。各地域・各職域の三十代・二十代の人たちや、四十代・五十代の人たちの意見や観察も、直接間接に聞いて回わることにしました。また、同じ都会地の学校を当たるにしても、比較的経済的にゆたかな家庭の子弟だけが通学しているという意味で特殊な学校や、特殊な宗教主義で教育がおこなわれているような学校などと、公立のきわめて庶民的・大衆的な雰囲気の学校とをくらべてみるというふうにしました。観察が一面的にかたよらないように、判断が一方的なものにおちいらないように、と考えてのことです。わたくしたちとしては、なるべく大勢の人の意見をここに反映させたかったのです。
 執筆者の顔ぶれは、前に書いた“十代の読書”のばあいと同じです。北村宗秀、巖谷榮二、川越怜子、熊谷孝の四人です。森村学園女子部国語教室のメムバーです。本の構成についてはいちおう熊谷がプランをたてました。その原案を四人のメムバーで検討し討議して執筆を分担しました。執筆の過程においても、何回か草稿をもちよって合議を重ねましたが、さらにそうして仕上がった草稿については、徹底的な意見の交換をおこないました。こんなふうにして、討議し尽くして、一致点に達したような意見だけが原稿に移されることになりました。ですから、この本には、大勢の人の意見が反映されていると同時に、執筆者めいめいの意見や考えの最大公約数が書きつけられている、ということになります。したがって、執筆者のわたくしたちとしては、部分、部分の拾い読みではなくて、全部をとおして読まれたうえでの、読者の方々の意見なり感想をきかせて頂きたい、とそう思うのです。
 なお、この本を執筆するに当たって、学園内の多くの方々や、各地域・各職域のじつに多くの方々から、好意に満ちた助言や資料の提供をしていただきました。とくに、荒川有史・木村一男・鈴木幹人の諸君には終始かぎりないご支援をいただきました。また、出版に際しては、河出書房の小石原昭氏に大へんお世話になりました。以上の方々に心からのお礼をもうしあげます。
     一九五四・三・十五
目次へ戻る


  序章 読書の一角から

    一 読書への道

 読書というものを、あまり窮屈に考えないほうがよいのではないでしょうか。読んだからには、何かそこから教訓を学び取らなくてはならないとか、だからまた、大きな教訓が得られるような“良書”だけを選んで読もうと心がけるのは、これは大へん結構なことなのですが、しかし、じつは、あまりそう窮屈に考えていただきたくないのです。そう考えたのでは、読書というものが、ぎすぎすした、何か気重なものになってしまいます。重苦しく、楽しくないものになってしまいます。
 読書は、ほんとうは楽しいものです。気の向いたときに、読みたい本を読む、――それでいいのです。いいのではないでしょうか。
 せけんには、よく、良書だけ読もうというようなことを考えて、そのうちにすっかり気重になってしまい、けっきょく本には手をださなくなるというふうな人があります。いちばん愚劣なことです。実際には読んでみないことには、それが良書かどうかも本当はわからないわけです。読もうか読むまいか、と迷っていないで、迷っているひまに読みはじめたらいいのです。
 せっかく期待して読んだのに、こちらの求めているものが、その本からは得られなかったというようなことも、それは全然ないわけではないでしょう。でも、また、求めてはいなかったが、やはりそれも知っておいたほうがいいと思われるようなことの一つや二つは、きっとそこから得られると思うのです。やはりあの本も読んでおいてよかった、と後でしみじみ思うようなこともあるのです。それでよいのではないでしょうか。せっかちにならないことです。そして、あまり欲張らないことです。目先きで欲張ると、かえって損をします。
 本は、わたくしたちの友だちです。気のおけない友だちです。また、ときとして、かなり手きびしい批判を加えてくれる友でもあります。現実の生活において、親に求めて求め得ないものがあるからこそ、わたくしたちは友だちを拵らえます。先輩や先生のところへも、話しあいや相談に出かけていきます。そして、先輩や友人で満たされないものを、反対に親に期待します。つまり、日常生活において、ひとりの人間にすべてを期待することができないように、一冊の本にすべてを要求するのは、はじめからムリな話です。書物にはそれぞれの持ち味があります。一冊の或る本が、ほかの友人には求め得ない、ひとりのよい友の役割を果たしてくれたら、それで充分とすべきではないでしょうか。
 わたくしたちが現実の日常生活において、なん十人、なん百人の複数の人間とのつきあいのなかで、辛うじて自分の要求を満たし、また、それらの人びととのつきあいのなかで、揉みつ揉まれつ自分の“人間”を成長させていっているように、かず多くの本に接することで、自分の要求がかなえられるのです。また、そのことで、自分の人間的成長が約束されるのです。読書とは、そうしたものだと思うのです。
 けれど、また、友だちをたくさん拵らえるといっても、その友だちがいつも似たりよったりの人たちばかりだと、かずは多くても、これはお互いのあいだに進歩がありません。成長がとまってしまいます。いつも相手のいうことにバツを合わせて、ひとをそらさないような“つきあい上手”“お上手もの”なんかも、かずある友だちの中には一人や二人はいるものです、そんな連中のいうことを真に受けて、いい気になっていたら、それこそおしまいです。友だちの選びは大事です。
 それと同じ意味で、本の選びがやはり大事です。本は選んで読むようにしていただきたいのです。いつも自分の気もちにぴったりするような読み物にだけ接していたのでは成長はありません、わたくしたちの心の片隅にひそんでる、卑俗な根性に媚びたような、たちのよくない読み物もけっして少なくないのですから。
 本を選んで読むということは、でもさっきから繰り返えしていっているように肩の凝るような固苦しい意味でではないのです。いつも同じ人とばかり話していないで、たまにはグループ以外の毛色の変った人とも話しあってみることが、生活に幅を増し加わえ、生活に新らしみを添えるように、新らしい本の選択によって、やはり読書の範囲をひろげていく必要があるだろうというまでのことなのです。そのほうが読書にハリが出てくるし、生活が楽しいものになるからです。


    二 二つのコース

 気の向いたときに読みたいものを読めばいい、とさっきいいましたが、読書は、その意味では、ハイキングみたいなものだともいえましょう。ハイキングは楽しみにやるものです。ですから、気が向かないのに、わざわざ出かける必要はありません。ハイクはあくまでレクリエーションです。が、それがまた、明日の生活へのエネルギーを与えてくれるのです。同時に、将来の本格的な登山の足馴らしにもなるのです。
 気向きしだい、あっちのコース、こっちのコースをハイクの道筋を選ぶように、文学コースに気乗りしているときはそれを、評論・エッセイを読みたい気分にかられているときは、またそれを、というふうでいいわけです。つまり、ハイクと同じ調子で、気軽に、あちらこちらを歩いてみていただきたいのです。ほうぼう歩いてみたうえで、あそこのコースがいちばんよかったからもう一度、というのは、これはいいのですが、いつも同じ道ばかり歩いていて、ほかのコースへは行ってみようともしないというのでは、これはどうかと思います。読書の範囲はぐんぐん拡げていただきたいものです。
 それから、平地ばかりあるいていないで、たまには山も歩いてみてください。三日分・五日分の食糧をかついで、ピークからピークへ、縦走コースをたどってごらんなさい。それには、磁石もいるし、地図も用意しなくてはなりません。ま夏でも防寒具が入るでしょうし、だいいち足ごしらえをしっかりしなくてはならないでしょう。が、面倒くさがらずに、息切れのする登山もたまにはしてみることです。平地や丘陵のハイキングとはまた違った、雄大な眺めに接することができるし、ハイクではとても味わえない山独特のおおらかな気分に身を置くことができるでしょう。
 山の味を知ることで、また、ハイクの楽しみも別の味わいを持ってくるものです。ハイクのもつ軽い独特の味わいが、ほんとうにわかるようになるには山を歩いてみることです。読書の楽しみというものも、やはりこうしてハイキングから本格的な登山へ、そしてまたハイキングへ、という道順を辿ることで、だんだんに“ほんもの”になっていきます。つまり、読書の道筋にも、ハイキング・コースと登山コースとの二つの道筋があるのです。それは、音楽ファンの多くが、さいしょ軽いものからはいっていって、やがてシンフォニーに凝りだすようになり、そこの段階を通り抜けたところで、こんどは室内楽のおもしろ味がほんとうにわかるようになるというのと大へん似ています。
 ですから、読書においても、やはり一度はシンフォニーの勉強をすることです。山へ登ることです。たとえ息切れしても、本格的な学術書や第一級の文学作品と取り組んでみることです。でも、今はまだその気になれないというのでしたら、何もそうムリをする必要はありません。その気になるまで、ハイクや軽音楽をたのしんでいてください。それでいいのです。「しかし、いつかは読もう、読んでみよう。」――つまり、それでいいのです。この本のおしまいに、“良書四〇〇選”という、本のリストを掲げましたが、そのリストには、気軽に読めるような小品や随筆も、やや本格的な読み物もつきまぜて並べてあります。みなさんが読書を楽しむうえの、一つの手がかりにしていただきたいのです。
 それで、読書を楽しむコツは、気軽に、そしておっくうがらずに、ということに尽きるように思います。みなさんがこの気軽さを失ない、先きへ進むことをおっくうがって一つところをぐるぐる回りしだしたときは、それはみなさん自身の成長がとまったときです。たとえ生活年齢はテン・エージであっても、精神的にはもうすっかり老い朽ちた“老人”になってしまっているわけです。みなさん。どうか、今の若さで老い朽ちてしまったりなどなさらないでください。十代のみなさんこそ、明日の日本の期待なのですから。
 十代を過ぎても、そしてむろん十代にあっては、身体とともに精神もわかわかしくあって欲しいのです。読書は、じつはそのためのものです。“気軽に、おっくうがらずに――”ということばを、そこでもう一度繰り返えしておきましょう。


    三 読書案内をどうよむか

 未知の新らしい山に登ろうとするときは、慎重を要します。まかりまちがったら、いのち取りだからです。それで、できることなら、経験者の話を聞くに越したことはありません。経験者の注意によく耳を傾けることです。けれど、また、それが経験者のことばだからといって、話を鵜呑みにして山へ行くのはまだまだ危険です。というのは、この先輩の登山者は、よく晴れた日にその山へ行っているのに、自分は雨がちのシーズンに登山しようとしているのであって、条件がまるで違うのです。そこで、つまり、経験者の経験談というものも、或る条件のもとでの真実を伝えるものとして理解しなくては、とんだ誤算をします。案内書や地図にしても、そのとおりです。いくら正確な地図でも、十年まえ、二十年まえのものですと、それをたよりにして行ってみると、そこへ泊まるつもりで予定していた山小屋が影も形もなかったりします。
 読書案内にしても同じことです。さまざまの読書案内や、新聞・雑誌の書評を読んでというばあいも、また先輩の話を聞いて、というふうなばあいも、つまりは同じことです。それが、或る条件のもとでの発言であるということを考えにおいて聞かないと、判断を誤るようなこともないとはいえません。が、そのことは、経験者の話を聞かなくともいい、ということではありませんでした。わたくしたちとしては、たんに、その聞き方なり読み方の点にかんして注意を促したというだけのことなのです。さらに附け加わえていうと、わたくしたちが安心して耳を傾けてよい経験談というのは、その経験がどういう条件のもとでの経験であるのかという自覚を伴った経験談に限られるとさえいえましょう。
 で、さいきん、読書案内ふうの本がたくさん書店の棚に並んでいますが、そういう本を読んで、自分の読書コースをきめたり本を選んだりするうえの、判断の参考や手がかりにすることはよいことだと思うのです。でも、それはあくまで、手がかりであり参考であるにとどまります。判断は自分のものです。判断するのは、みなさん自身なのです。この本にしても、むろん例外ではありません。みなさんの読書への手がかりを確実なものにしたいと、わたくしたちとしては唯そのことを願っているだけです。


    四 読書以前の問題

 ところで、これはひじょうに大事なことでありながら、あまり取り上げられていないのは、本は読みたくとも、読めないような生活事情にある人びとのことです。十代の人びとのあいだにも、そいういう事情の人はたくさんいるはずです。早い話が、「本を読む暇があるなら縄をなえ――。」といわれて、毎日たえまない労働に追われているような、農村の若い世代が、その生きた例でしょう。
 こんど調査した、東北地方の或る二三の農村のばあいについて見ますと、本は学校の教科書で充分、というのが、親たち一般の考えのようでした。ふつうに五反百姓と呼ばれている貧農のばあいは、中・小学校に通っているこどもたちに、教科書さえ満足に買ってやれないという実情なのですから、実際、雑誌や単行本どころの話ではないのです。学級文庫や村の公民館で本の貸出しはやていても、子どもたちがそれを借りてきて読んでいるようでは、くらしが成り立ちません。そこで、「本を読む暇があるなら縄をなえ。」ということになります。生活の苦しさがいわせる言葉です。
 が、「本を読む暇があるなら……」というこの貧農の声は、同時に、中農以上――一町五反歩前後の耕地をもつ、わりあいゆたかな標準農家の親たちの声でもあるようです。これは、貧農のばあいと違って、「百姓に学問は要らない。」「本なんか読んでいるようでは一人前の百姓にはなれない。」という“観念”の声であるらしく思われます。が、それもよく考えてみると、単なる観念の声ではなくて、農村の現実を踏まえた叫びであることが知られます。生産力の向上などということは二の次ぎにして、単位面積による収穫高をふやすことをまず考えなくてはならない、今の日本の農村と農業の現実なのです。農村人は、近代的農民であるよりも、一人前の“百姓”であることを強いられているのです。「本を読む暇があるなら……」という叱責の言葉は、やはり現実そのものからくる言葉です。
 とすれば、いったいどうしたらよいのでしょう? これは読書以前の問題です。が、これが解決されないことには、農村の読書は成り立たないのです。
 都会地では、一般に、農村ほどのことはないようです。農村とくらべては“読書の自由”があるようです。が、月々貰う僅かの小づかいや、家への食い扶持をいれた残りの小づかい銭では読みたい本もふた月に一冊も買えたらいいほう、というのが普通でしょう。それで、苦しい親のフトコロぐあいや家計のことを考えると、しいて買ってくれともいえなくなる、というふうな人も、きっといるでしょう。
 さらにまた、家計の苦しい苦しくないではなくて、周囲が無理解なために、自分の社会的な関心の高まりと要求を満たしてくれるような本は読むことを禁じられている、というふうな家庭環境にある人を、なん人、なん十人となくわたくしは知っています。そういう環境のなかにあって、気をくさらせているような人が、十代後期にはひじょうに多いのです。
 さっきもいったように、ここに挙げた事例は、みんな、読書以前の事例――問題です。が、それが解決されないことには、読書への道は閉ざされてしまうのです。
 問題が根本的に解決されるためには、いや問題を根本から解決するためにこそ、読書が必要なのです。問題解決のための読書――これは“二つのコース”の項でいった、登山コースの読書です。(登山コースの読書というのは、かならずしも第一級の作品を読むということだけではありません。むしろ、問題意識をもった読書――読書態度をいうのです。)
 たとえ家計は苦しくとも、そのつもりになれば、すくなくとも今よりは本が読めるようになるはずです。読書の機会をより多くつかむことができるはずです。それも、気をくさらせて自分ひとりがポツンと孤立していたのでは高が知れていますが、同じ思いの友だちどうしが寄り集まってくふうを凝らせば、そこにいい智恵も生まれてくるはずです(第二章“読書サークルをもとう”の項参照)。農村のばあいは、確かに条件はずっと悪いのですが、しかし原則的には同じことです。まず、そのつもりになることです。自分ひとりの狭い生活のワクのなかだけで、どうこうしようと考えずに、横につながることです。友だちみんなと話しあってみることです。そして、読書サークルなら読書サークルという形のものがいったん出来てしまえば、またそれからそれへと道が開けてくるものです。そのことは、いちばん終りに挙げたケースの人たちについてもいえることなのです。
 きっと、めいめいが、めいめいに悪条件のもとにあるのだと思います。(ことに、上からの圧力に苦しめられている、職場の読書サークルの人びとの悩みは大きいでしょう。――“十代の読書環境”“読書サークルをもとう”などの項参照。)だから、お互いに愚痴はやめましょう。愚痴をこぼしている暇に、条件をととのえることを考えましょう。読書の条件は、めいめいにととのえるほかないのですから。お互いが横に手をつなぐことで、めいめいに道を切り開いて行っていただきたい、と思うのです。


    五 何をいかに

 何をいかに読むか、読むべきか、――そのことが、つまりまたこの小さな本の主題にもなるわけですが、“何をいかに読むべきか?”ということは、けっきょく“なんのための読書か?”ということできまります。いいかえれば、目的(“なんのために”)が対象(“何を”)と方法(“いかに”)を決定するのです。本の選択と読み方を決定するのです。
 将棋の手をおぼえるという、ごく実用的な目的なら、それはP八段やQ八段というその道の専門家の書いた手引き書を読めばいいにきまっています。でも、また、その本が専門的すぎて初心の自分にはわかりにくい、というのなら、それではアマチュアの将棋ファンの書いたもので、難点はあるが、わかりはごくいいからZ氏の著書を読んでごらんなさい、というふうにもいえるでしょう。――これが、ごく普通の意味での“なんのため”と“いかに”との関係でしょう。
 つまり、読書は手段であって、目的は別のところにあるはずです。将棋をおぼえるなら覚えるという目的があっての手引き書の読書なのです。暇つぶしに“銭形平次”を読むというのでも、そこには暇つぶしの“ため”という、りっぱな(?)目的があるわけです。目的のない読書というのはあり得ません。そうではないでしょうか。ですから、目的がどこにあるかで、どういう本を選ぶかということも、また、その本の読み方などもきまってくるというものです。
 ここでみなさんといっしょに考えてみようとする“読書”が、将棋や碁やいけ花といった、専門書の選びや読みようのことでないのはいうまでもありません。およそ今のこの時代を生きるだれもかれもが、人間として社会人として、共通して読まなければならないような本――そういう本のことを中心としての“何を”“いかに”がここでの問題なのです。
 ですから、つまりは、ひとり立ちの人間(社会人)として、さらにいえば平和と自由を愛する日本の国民の一人として、どんな本をどんな仕方で読まなければならないか、ということなのです。(そして、この“どんな仕方で”ということのなかには、本を買いたくとも買えないような、読みたくとも読めずにいるような、そういう事情のもとにある人びとへの助言を当然ふくんでいます。さっきもそのことを考えてみたように、いまどき、欲しい本を右から左と気軽に買えるようなくらしの人は、ほんのかぞえる程しかいないはずですから――。)わたくしたちが、いまここで考えているのは、そういう意味での、ごく幅の広い読書のことなのですから、けっきょく、人間らしい人間に自分を育んでいくことが読書の目的である、というふうに定義してみてもよいだろうと思います。
 が、そのことは、たえずこの目的意識を胸に刻みつけておいて、本はいつもきちんとした態度で読まなくてはいけないとか、娯楽読み物なんか手にしてはいけない、というような窮屈な意味ではないはずです。わたくしとして、みなさんにおすすめしたいのは、やはり、気の向いたときに読みたい本を読む、という本の読み方です。事の実際からいって、人間らしい人間に自分をそだて上げるという読書の目的は、読書というものが自分の生活の楽しい一部となりきったところで、結果として(――あくまで結果としてなのです)実現されるものだと思うのです。順序をはきちがえないことです。窮屈に考えないことです。
 読書は、そこで結果として、人間形成のためのものでした。ところで、自分の“人間”をつくるための読書というのは、“人間”をつくり変えるための読書というのと一つことです。旧い自分はたえず乗り越えなくてはなりません。たえず自分を成長させていかなくてはなりません、ときとして“おとな”のなかに見受けられるような、意固地でかたくなな人間にならぬように、わたくしたちの思想や感情は、つねに新らしく、つねに若わかしくありたいものです。つねに若わかしく、新らしくあるためには?――そこでわたくしたちは、読書の習慣を身につけなくてはならないし、また、読書の習慣を失なってはならない、ということになるのです。
 本さえ読めばいい、読んでいればそれでいい、というのでは決してありません。読書は、あくまで生活の手段であり部分であるにすぎません。が、本を読む、読書が生活の一部になり切っているということだけは欠くことのできない条件のようです。食欲の衰えがからだの衰えを意味するように、読書欲の減退は、多くのばあい、その人の精神生活の枯渇を意味してはいないでしょうか。
 読書の必要については、もうこれ以上繰り返えすまでもありますまいが、食べ物にも栄養価の高いものと、その反対にからだに害になるものとがあるように、本にも良書あり悪書ありというわけです。さらにまた、せっかくの栄養食も、歯が悪いせいで、ろくろく噛めずに消化が充分でなかったり、胃腸が弱っていて全然それを受けつけない、というふうなことがあります。つまり、良書が良書の役目をしない、という例はじつに多いのです。“何を読むべきか”ということに併せて、“いかに読むべきか”ということを真剣に考えてみなくてはならない、と思うのです。


    六 よい環境をつくるために

 読書は、人間形成のためのいとなみです。そのことが、同時に、人間をつくり変えるということになっていくのでした。ところで、そのことが、また当然、よい環境をつくる(――環境をよりよいものにつくり変える)ということに関係してくるのです。
 成長した人間、つくり変えられた人間は、新らしく生まれ変った“自分”というものの要求にかなうような環境をさがし求めます。育ったからだは、そのからだに合った着物を必要とします。また、とし相応の着物のガラや裁ち方を要求するのです。それと同じように、精神の成長によって、人は現在の環境を不満に感じるようになるのです。今のままの環境では“自分”というものが死んでしまうし、人間は人間らしくは生きられないということを実感するようになります。
 だから、読書の結果は(――それがまともな読書だったら)、よい環境をつくるということを自然考えるようになっていくはずのものなのですが、本当のことをいうと、環境をよりよいものにするための読書ということ、そこのところに読書のいちばんの目的があるわけです。(中途半端な読書の結果は、環境をよくすることを考えるかわりに、その環境から逃げだすことを考えるようになります。そういう例も、またけっして少なくないのです。)
 変えなければならない環境というのは、それはこんにちの日本の現実です。それは、たとえば、せっかくの読書欲を台なしにしてしまう、生活苦や矛盾に満ちたこの現実です。きっぱりしたいい方をしますと、こんにちの日本は、民族の歴史はじまって以来の危機に見舞われている、という点に関してなのです。わたくしたち日本人の生活は、基地経済下の悪い社会条件によって、すっかりメチャメチャにされてしまっています。カストリ雑誌の氾濫にはこまったものだとか、ストリップなんてとてつもない見世物がハヤって、というような溜息まじりの話も聞きますし、うちのお父さんはこのごろ競輪に凝りだして……というふうな歎きの声も、よく耳にします。ところで、こういう社会の風潮は、みんな基地経済のせいです。新聞もとれない、ラジオどころか電灯もひけない、子どもに教科書さえ買ってやれないという農村の貧乏、そして都会の貧乏も、もとはみんなこの基地経済につながっています。
 わたくしの住んでいる東京でも、朝鮮戦争の半ばごろから目だってパチンコ屋がふえてきましたが、これも平和産業が衰えて、それがどしどし防衛生産(軍需産業)に切り替わって行っていたことのあらわれでした。生産が特需(軍需)一方にかたよるので、日用品は不足して物価が吊り上がり、小資本のふつうの店では仕入れがむずかしくなってパチンコ屋へ転業、ということになったのでした。いつ売れるかもわからないような、原価の高い品物を仕入れて店に並べておく商売より、品物やお金の回転の早いパチンコやのほうが、というわけです。
 お客のほうは、お客のほうで、やはりまた、煙草やら醤油やら日用品の値段があまり高くて手が出ないため、イチかバチか景品の日用品めあてにバクチを打つというわけで、ここにパチンコ狂時代を現出したのでした。おなじ憂さばらし、気ばらしの娯楽でも、儲かる可能性のある娯楽を、というのでしょうか。ですから、「あんな下品な遊びをして……」とヒンシュクしてみても、ヒンシュクしてみただけでは、これはどうにもなりません。国民の生活が従属経済から解放されて、もっと豊かにならないかぎり(つまりは平和的な生産や貿易が順調にいって物価がさがらない以上)、パチンコやストリップや、競馬・競輪・カストリ雑誌の問題は解決しません。これは、たんに道義や道義心だけの問題ではないからです。
 そういう現実の本当のところを知るためにも、しっかり読書していただきたいのです。広く深い読書を、とそう思うのです。
 たんに感情的に戦争や厭やだから再軍備には反対だとか、また、なんとなし軍隊があったほうが気強い感じがするからという、唯の感じだけで再軍備に賛成というのでは、民族の危機は解決されません。感じには、もう一歩理論的な裏づけが必要なのです。わたくしたちは、発言にもっと責任を持とうではありませんか。そのためにこそ、大いに読書しようではありませんか。


    七 目かくしを取るために

 中日戦争ころ、わたくしたちの見たニュース映画に、毎回きまってこんな場面がありました。“皇軍”を迎えて無心に日章旗を振る中国の子どもたちの姿です。それは祖国を侵略され占領されることで、心の祖国をさえ忘れ去ろうとしていた、当時の一部中国人の姿でした。
 が、それとまったく同じ風景を、つい最近わたくしは、アメリカのプロ野球団の来日した日に見なければなりませんでした。
 その日、東京と横浜をつなぐ京浜国道を通りあわせたわたくしは、喜々として星条旗を振って選手たちを出迎えている女生徒たちの群にぶつかったのです。一時過ぎのことだし、もう午後の授業も始まっていたでしょうに、この女子高校生や中学生たちは授業も投げて我れを忘れ、校門の前でわめき立て、手に手にハタを振っていました。新聞社の自動車が撒いていった星条旗をなのです。(彼女たちは明らかにハタを振らされているのです。中国の子どもたちがそうであったように――。しかも、振らされていることに気づかないで無心に、そうです、無心にハタを振っているのでした。かつて中国の子どもたちがそうであったように――。)わたくしは、ただもう、わけもなく恥ずかしくなりました。
 すべては“目かくし”させられているところからきています。(眼帯をかけさせられた箱入り娘は“無心”にハタを振る――。)目かくしを取ることです。ものごとの本当のところを見ることです。見ようとすることです。社会悪に堪えていくだけの、しっかりした批判力と抵抗力を身につけることです。そのための読書です。
 何ごとも無条件にうけいれる“すなおさ”をではなく、正確にものごとを見ていく真のすなおさを、みなさんに期待したいのです。そして、よいことは砂地が水を吸いこむように、悪いことは若竹のよううに強い力ではねかえしていけるような皆さんであっていただきたいのです。まず、目かくしを取ることです。眼帯を外ずすことです。そのための読書なのです。
 わたくしたちがわたくしたちの“人間”をつくり変え、環境をつくり変え、そしてもっと住みよい世の中で、すがすがしい空気を呼吸して生きていけるようにするためには、まず、あるがままの自分というものを見つめる必要がありましょう。わたくしたちの生活の基盤や周囲のことを見きわめる必要がありましょう。そして、だれとどう手をつないで社会悪とたたかっていったらよいか、という手がかりを確実なものにするためにこそ、必要なのです。
 つぎの章からその結果を織り込んでいくつもりの、わたくしたちのこんどの読書調査が、せけんでふつうにいう意味での読書調査のワクをこえて、こんにちの十代の生活の基盤や周囲にまで及んでの調査になっているのは、右に述べたような理由からなのです。“何をいかに読んでいるか”という調査は、ただそれだけポツンと報告されたのでは、あまり意味をなしません。“何を”“いかに”という調査が生かされるためには、“なぜ”という面の調査(なぜそういう本が、そういう仕方で読まれているか、という点の調査)が伴わなくてはならないでしょう。そういう面の調査というのは、けっきょく、生活基盤や生活環境の調査ということになってくるのです。そこでは、読みもの以外の映画・演劇・演芸というような娯楽(――それらを、“娯楽”ということばで一括することには問題がありましょうが)にかんすることも取り上げなくてはならないのです。
 そうした広い幅をもった調査であれば、きっとその調査活動そのものが、“何をいかに読むべきか?”(――したがってまた、“いかに生きるべきか?”)という問いにたいする答えを用意することになると思うのですが、わたくしたちのこんどの仕事は、まだまだそういうところ迄は行っていません。そういう理想像を胸にえがきながらの、精いっぱいの仕事であるというにとどまります。読書の面に問題を絞りながら、十代の皆さんといっしょに十代自身の生活のうえを考えてみようとしたのが、この小さな本におけるわたくしたちの企てです。
(序章執筆担当 熊谷 孝)
目次へ戻る


  第二章 読書ということ

    一 良書と悪書と〈T〉

 良書というのは、ひとくちにいって、“ためになる本”ということでしょう。悪書というのは、だから、“読んでためにならない本”“害になる本”ということなのでしょうが、実際に良書・悪書のけじめをハッキリさせるとなると、これはなかなかむずかしい事がらです。
 というのは、“ためになる”“ならない”というのは、本の内容そのもの以上に、それを読む当人のかまえ(態度)のほうに問題があるからです。さきごろ、“チャタレイ夫人の恋人”という本が、ためになる、ならないでとうとう裁判沙汰にまでなりましたが、そのことは、良書・悪書の区別をすることのむずかしさをよく示しております。
 ためになる、ならないというのは、見ようによっては、きわめて主観的な事がらです。いや、そのこと自体はけっして主観的な事がらでなんかないのですが、多くのばあい、本当にためになったかどうか、ということより、ためになったつもり、ならなかったつもりという“つもり”(――主観)のほうが、ずっと重く見られがちだからです。長いこと医者に通ったがダメで、拝んで貰ったらなおった、というようなのが、それです。なんのことはない、療養の結果体力が回復してきていたときに、ちょうど拝み屋のまえに坐ったというだけのことなのですが、しかし当人の“つもり”では、医者は役立たずで“ためになった”のは拝み屋のほうなのです。あの本はくだらない、この本はすばらしいというのにも、よくこの手があるのです。
 それから、たとえば“ジャン・クリストフ”とか“戦争と平和”というような本は、これはまず良書といい切ってよいかと思うのですが、小学生の読みものとしては全然といっていいぐらい不適当です。これらの本(作品)は、子どもを読み手として考えたばあい、けっして“良書”とはいえません。(それは、正しくは、良書ではあるが適当ではないとでもいったらよいのでしょうか。)つまり、そこでは、読者その人の体験のありようが問題なのです。子どもとおとなとを問わず、体験のおさなさや体験のゆがみの程度が、いつも問題になってくるのです。
 ですから、その人の経験の幅がひじょうに狭く、そのうえろくろく読書もしない、というようなばあいには、良書も良書のはたらきをしないわけです。また、普通にいうところの経験豊富な年輩の人で、なかなかの読書家であるというような人であっても、その経験(体験)の仕方がゆがんだものであり、読書の方向がまたかたよったものであるような場合には、そういう本(良書)は手にとって見ようとさえしないでしょう。たまたま読めば読むで、妙にソッポな批評を口にするのも、じつはこうした人たちなのです。こういう人にかかると、良書が悪書で、悪書が良書にされてしまいます。
 わたくしは、去年のくれから新年にかけて、二週間ほど東北地方の農村地帯をつぎつぎと歩き回りました。そして、途中、二三の公民館に立ちよって、そこの図書施設を見せて貰ったのですが、或る村の公民館の図書購入簿を見てみますと、一九五〇年から五一年にかけては、これと思うような良い本が大量に購入されているのですが、五二年の半ばごろから五三年へかけては妙にたるんだ感じなのです。おまけに、どういう角度から考えてみても“悪書”と判断されるような本まで、ずい分まじっているのです。
 「つまりですね、ここの公民館の図書の買い入れ方がかたよっている、という声があったのですよ。本なんかろくすっぽ読んだこともないような、村会議員の一部なのですけれど――。その本の内容がどういうものかもわからないくせに騒ぎ立てるのですから処置なしですよ。戦争中は、本の題名に“社会”という文字がはいっていると、それだけで赤い本だということにされましたね。今だって、ちっとも変ってやしませんよ、ここの村は――。」
 公民館へわたくしを案内してくれた、Rさんという大学出の青年は、わたくしが首をかしげたのを見て、怒ったような調子でこんなふうに説明してくれました。すると、ちょうど、この図書閲覧室に見えていた、インテリふうの感じの中年の村の助役さんが、急にいたずらっぽい目つきをして書棚のまん中へんを指さして、こんなふうにいってみせました。
「あれをどこかすみのほうへ移してくれんかね。あそこにあったのでは目立っていけないよ。」
 助役さんの指は“マルクス・エンゲルス選集”と書かれた、シリーズの背文字に向けられていました。そういわれて、若い公民館の主事さんは黙って目で笑っていましたが、
「マルクスは赤のなんのというより、古典でしょうが……。ああいう古典さえいけないと議員の人たちはいうのですか?」
とわたくしは聞いてみることにしました。助役さんのユーモアがわからないわけではなかったのですが――。
「なあに、本そのものより、わたしが助役であることが気に入らんのですよ。敵は本能寺というところですかな。」
 それで、わけがすっかりのみ込めました。助役さんのいうように、敵は本能寺なのです。助役さんを失脚させる口実に本のことをいい出しているのです。(この助役さんは、左右両派社会党あたりの統一の線で推されている人だということでした。)この本は或るきまった立場から書かれている、そしてそういう本は悪書だというわけです。「かかる悪書を公開閲覧させておくとは、もってのほか――。」というところなのでしょう。読書の自由も何もあったものではありません。
 “社会”という文字が題名にはいっていれば、それは悪書だ、という、治安維持法下の特高的三文常識が、良書・悪書を見分ける基準になっているのです。こういう判断は、ところで、さっきもいった“経験豊富な人たち”のものなのです。経験(体験)の深い、浅いということより、体験の仕方がまともか、まともでないかということのほうが、もっと重く見られていいと思うのです。すくなくとも、わたくしには、“資本論”や“ドイッチェ・イデオロギー”を悪書だと放言する自信はありません。

 ところで、序章、第一章と読みつづけてこられた、みなさんには、何が良書で何が悪書かという、それのいちばん基本的な点についての判断は、もうとうについておられるはずです。良書というのは、真実がゆがみなく述べられているような本のことでした。悪書というのは、まことしやかなウソが(――あるいは、ウソがまことしやかに)書いてあるというふうな本のことでした。三S政策(――“十代の読書環境”の項参照*)みたいな愚民政策に歩調を合わせてものをいっているようなのが、つまり悪書ちゅうの悪書であるわけです。
 そういう、たちの悪い本が案外に人気があるというのは、けっきょくは一方的なマス・コミニュケーションのはたらき(――“十代の読書環境”の項参照)によって、一方的にかたよった頭脳訓練がおこなわれ精神陶冶のおこなわれている結果だと思うのです。つまり、そのことで、傾向のよくない本を“良書”として受け入れるかまえ(精神的基盤)が、あらかじめ読者の側にできあがっているという点に問題があるのです。

*三S政策という言葉があります。スクリーン(映画)とスポーツとセックス(性)と、三つのSの頭文字のつくものを、植民地の支配政策としてとりあげるということなのです。つまり、……インチキ報道、マスコミニュケーションの裏づけとしておこなう愚民政策なのです。スクリーンの人気スタアにうつつをぬかし、スポーツ界の花形に熱狂し、セックスの問題で好奇心や興奮にかられていますと、現実の政治やさまざまの社会の問題について深く考えることをしなくなるので、ことに植民地支配には好都合なのです。この政策は、植民地においてはむろんのこと、一般に独裁政権のものでとられる政治の方式のようです。大正末期から昭和十年前後へかけての頽廃文化の“つくられたる流行”などもその一例です。インテリ人種や学生層は享楽に青ざめ、プロ階級が貧窮に喘いでいるときに、独裁者はひそかに戦争準備をととのえていたのでした。(本書第一章 九「十代の読書環境」から)】


    二 新聞の読み方
      ――良書と悪書と〈U〉――

 こんど東北の農村を歩いてみて、新聞やラジオの報道に対する信用の度が、都会における以上に農村において大きい、ということを身にしみて経験させられました。
 都会地では、新聞記事やラジオのニュースについて、隣近所の意見は一致し合致しても、職場へいくと、また別の見方や意見に出くわすわけです。一つの報道内容がさまざまの立場、さまざまの角度から検討され批判されます。たとえば、いつかのメーデー騒擾事件の記事の取り扱い方に対しても、都会地ではかなり批判的です。作家の梅崎春生氏その他を動員してルポルタージュした、岩波の“世界”の報道記事が真相を伝えるもので、日刊新聞の報道内容はまったくの拵えものだ、というふうな声が、都会地ではかなり大きいのです。
 その点、農村は違うようです。日刊新聞への信頼はほとんど絶対的である、といってもいいくらいのものです。むろん、例外はありますが、例外はあくまで例外なのです。これは南郷村という、宮城県北部の単作地帯(水田耕作一方の農耕地帯)の農村のばあいなのですが、全般的にかなりくらし向きのゆたかな村なのに、新聞はどの家でも一種類、一部しかとっていません。つまり、都会地のように、“朝日”もとれば“毎日”も“産経”もとるというような家はないのです。どうしてかというと、“朝日”だろうが“読売”だろうが、書いてある記事内容はどれだって同じにきまっている、違いは記事の書き方のわかりいい、わかりにくい(やさしい、むずかしい)だけのこと、という判断からのようです。それで一戸に一部、一種類ということになるらしいのです。
 “朝日”だって“読売”だって書いてあることはみんな同じ、という農村人の判断の基礎にあるものは、政党機関新聞なんかは別として、日刊商業新聞の報道は一様に真実を伝えているという、新聞というものへの深い、深い信頼です。これは、新聞なんてどうせ本当のことはこれっぽっちしか書かないんだから、どの新聞を読んだって同じこと、というのとはまるで違います。そういうわけで、どうせ読むのなら、“わかりがよくて面白い”地方新聞を、ということになるらしいのですし、東京の新聞でも、やはり“わかりのいい”某大新聞が人気があるらしいのです。(この南郷村は一五〇〇戸ぐらいの村です。そのうち、一四〇〇戸が新聞を定期的にとっていますが、新聞の購買部数がちょうど一四〇〇なのです。つまり、一戸一部、一種類ということになります。その一四〇〇部のうち、九六〇部が地方新聞で、一六〇部がいまいった東京の某新聞です。あわせて一一二〇部、ちょうど八〇パーセントの人たちが同一傾向の新聞を読んでいるというここになります。――木村一男氏の提供資料による。)
 つまり、農村では甚だしく一方的にかたよった頭脳訓練と精神陶冶が毎日規則的にくりかえされているという恰好なのです。全般的には農村ほど甚だしくはないにしても、都会地でもやはりまた、ゆがんだ精神陶冶がたえまなく繰りかえされています。見ようによっては、刺激が直接的なだけに、かえって都会のほうが、といえるよう面があるのかも知れません。ともかく、事情は右のとおりです。良書が悪書とされ、悪書が良書として値ぶみされる条件は十二分です。
 これは、良書・悪書という面での話ではないのですが、――「学校では、政治に関することはどうもハッキリおしえてくれない。だから、総合雑誌でも読んで世の中のことを知りたいと思うのだが、“世界”や“中央公論”ではむずかしくて手がでない。それで、いま代わりに“リーダーズ・ダイジェスト”を読んでいる。」というふうなことをいっていた中学生がいます(旧版“十代の読書”三一ページ参照)。すなおで、まともな生徒なのですが、それだけに放任しておけない感じなのです。せっかくの意欲を、と思うのです。“世界”を読みたい、でもそれはむずかしいから“リーダーズ・ダイジェスト”で代用しよう、というのでは、これはまるで見当ちがいだからです。さっき農村のばあいについて見てきたような、“朝日”ではむずかしいから“読売”を、というのとまったく同じまちがいを、この都会の中学生もやっているわけです。方向をまちがえた本や雑誌の選択をしないように、ということを、わたくしとしてはぜひいっておきたいのです。(事のついでにいいますと、「学校では政治に関することはハッキリ教えてくれない」という生徒のなげきは、教員の政治活動の禁止ぼ二法案が国会に上程されて以来、いまや、激しいいきどおりに変ってきています。)
 本のえらびに方向ちがいをしないようにするいは――そこで、わたくしたちとしては、“読書サークル”の必要とういうことを、いつもいい続けているのですが、しかし、それを話題にのぼせるのは後のことにして、さらに次のことをいい添えておきたいと思います。
 それは、良心的な雑誌、良心的な新聞といっても、新聞や雑誌はそのとき、そのときで、編集方針ががらりと変るというふうなこともあり得る、という点に関してです。例はすこし極端すぎるかも知れませんが、戦時中の新聞の編集ぶりを思ってみてください。“良心的”と定評のあった某大新聞すら、その良心をファッショの手に売り渡していたではありませんか。また、これは、今のところウワサ以上のものではありませんが、或る大きな社会的な出来事が東京のまんまん中に起って、なん百人という死傷者が出、なん百人という人たちが検挙されるようなことになったとき、現場に居合わせた各新聞社の記者たちが、社会正義に訴えた記事を書こうとハリキッテ社へ帰ってみたら、どこからか回されてきた文書にしたがった、拵えものの報道記事がすでに印刷中であったというふうな話もあるくらいです。デマかもしれません。が、各紙の報道が、記事内容はいうまでもなく、記事の文体までが規格にはまって同じ調子であったことと、ニュース映画の示すところや、現場にいあわせたという、かなり大勢の人たちの話と食い違う点が多すぎることから生じたウワサなのです。どちらがどうということより、そういうウワサがもっともらしく感じられるような条件のもとに、(すくなくともその当時)新聞が置かれていたということを、わたくしたちとしては考えてみる必要があろうということなのです。鵜呑みはいけないし、何によらず一辺倒はいけません。
 ですから、“自分”というものをしっかりさせることが先決です。ひところのハヤリ言葉でいうと、自主性の確立ということです。
 それから、これは心理学者の乾孝氏にきいた話なのですが、この友人が大学で教えている学生に風変わりな人物があって、新聞はいっさい読まないことにしているというのです。どの新聞もウソしか書かないから、読むのはやめた、というわけなのだそうです。でも、スポーツ新聞だけは例外だ、とこの学生はいっているというのです。どうして……?というと、それは「スポーツ新聞だけは本当のことを書いているから」なのだそうです。
 この話を聞いていて、わたくしは笑いを止めるのにひと苦労したのですが、そのうちに笑ってばかりはいられないことに気づいてきました。こういう態度がいちばんいけないのだ、ということなのです。相手がウソつきなら、その相手を否定することはいいのです。が、いっさいのものを否定することで、見ざる、聞かざる、言わざるの態度に落ち込むのでは、これは相手を否定したことにはなりません。それは、ほんとうの意味での否定ではなくて逃避です。その逃避の場所がスポーツであったりするのでは、それこそ三S政策にひっかかったみたいなものです。黙殺したつもりの相手に、すっかり乗ぜられたかたちです。(断わっておきますが、わたくしはスポーツそのものがいけないなんて言っているのではありません。わたくし自身、これでなかなかスポーツ愛好者なのです。ただ、それが“逃避のためのスポーツ”であったり、“スポーツ以外のことには無関心”というのであってはおしまいだ、というだけのことなのです。)
 この学生のように、新聞を読まないというのではいけません。読まなくてはいけないのです。かりにウソが多いとしても、やはり読まなくては、と思います。大事なことは、新聞に“読まれないようにする”ことでしょう。つまり、読まれないで読めばいいのです。まえにも見てきたように(前章“十代の読書環境”の項参照)、今の新聞・雑誌は、かならずしも当りまえのことを当りまえに発表してはいません。なかには、余りひどすぎると思うような記事(報道の仕方)も見かけます。また、なかには、“非良心的”と刻印を押してもいいような新聞だってないわけではありません。
 でも、相手がそうなら、こちらの出ようもあろうというものです。新聞には新聞のよみ方があります。戦時中の新聞を見ると早わかりなのですが、トップ記事や、大きな見出しをつけた記事は、ウソ八百並べていると思えばまちがいはなかったのです。それと同時に、そのころの新聞は、紙面のすみのほうに小さく出されているような記事が、案外真実に近いものを伝えているのでした。
 あいてが良心的でないと思ったら、こんなふうな読み方もできるという、これは“歴史”がおしえてくれた教訓です。
 が、それでは、良心的であるのと、そうでないのと、どこで見分けをつけるか、ということなのですが、それは一つには、いくつかの新聞をくらべてみることでしょう。一つの出来事を“朝日”ではどう扱っているか、それを“読売”のほうでは、というふうにくらべてみるといいでしょう。さらに、そこへ(――たとえばの話なのですが)“世界”とか“婦人公論”の示しているような、事件の判断なんかを持ちだしてくらべてみると、いっそうハッキリしてくると思います。そういうことを読書サークルの話題にして話しあう、というようにすると、判断がだんだん正確なものになっていくはずです。判断の材料になるようなものを、みんなで持ちよって、視野を拡げて話しあうことなのです。
 また、たとえば、同じような事がらが、同じ新聞の一面と三面とでどう取り扱われているかという、そこのところをよく見てみることです。社説では再軍備反対とかなんとかいっておきながら、家庭欄では、世の奥さま方に軍需株をお買いなさい、儲かりますよ、とすすめていたり、三面の社会記事では“敵機北海道に侵入”という大見出しで、今にも戦争の始まりそうなことを書き立てたり、というような新聞がかりにあったとすれば、これは良心的とはいえないでしょう。そして、たいがいの人は、社説や一面を読むよりは(或るいはそれを読む以上に、念入りに)三面記事や家庭欄のほうを読むわけですから、その新聞のホンネは再軍備賛成ということになるのでしょう。
 それから、大新聞でよくやる“世論調査”ですが、拵えものの“世論”を載せることをやっているようなのは、これは悪質と断定していいでしょう。たとえば、“再軍備の可否”という国民世論の調査ですが、当然賛成意見の多そうな層をおもにした調査をやっておいて、国民の七割は再軍備支持だなどという結論をだすのは、ひどいです。
 また、「もし再軍備が正式におこなわれるようになったとして、あなたは徴兵制がいいと思いますか、それとも保安隊ふうの志願兵制度がよいと思いますか?」というような質問のだし方は、たちが悪いと思います。答えるほうは、再軍備反対の人であっても、再軍備が実現したという仮定のもとに○×をつけさせられるわけですから、“保安隊がいい”という項か、“徴兵制を望む”という項か、そのどちらかに○をつけるのが、まず普通でしょう。(自分はもともと再軍備そのものに反対なのだから、そういう問いに対しては答えようがない、といって無記入でいくとか、どっちの項にも×をつけるというふうな人は少数でしょう。しかも、無記入だろうと、両方×だろうと、集計の面では、再軍備そのものに反対という意向は抹殺されてしまうわけです。)そんなやり方の調査をしておいて、国民の支持は志願兵制度にあるの、徴兵制度にあるのといい立てるのは、これはあんまりだと思うのです。そうではないでしょうか。
 おまけに、こういう問いの出し方は、好むと好まないとにかかわりなく、じきに正式の再軍備になるんだという観念を、多くの人びとに植えつけることになるのです。(それは、再軍備論者に対しては激励を意味しますし、反対論者に対しては“あきらめ”を強いる効果があります。)こんなペテンにかけたみたいな“世論”調査では、正しい国民の世論(世論のありのまま)は反映されませんし、また、世論を冷静な客観的なものに高めていくという、新聞ほんらいの正しい使命も果たされないわけです。
 雑誌や単行本のばあいも同じことなので、その本や雑誌がどの程度に良心的であるかということは、いま見てきたような、ごまかしや矛盾があるかないかで、あらかた当りがつくでしょう。あとさきで矛盾のあるような、そしてそれが矛盾していることは百も承知でやってのけているような、たちの悪い本が、つまり悪書なのでしょう。わたくしたちは、矛盾にたいして敏感である必要があります。本に“読まれない”で“読む”ためには、どうしてもそれが必要なのです。と同時に、良書にしたしむことは、そういう敏感さを身につける上からも必要なことなのです。
 ところで、その“良書”ということと“良心的な態度で書かれた書物”ということについてなのですが、良心的な書物と良書とは、やはり分けて考えなくてはいけないように思います。たとえ良心的ではあっても、ものの見方や考え方の根本のところに狂い(矛盾)のるような本は、これはどうも良書とはいい切れないように思われます。
 そんなふうに洗い立てていったら、良書といえるような本はないということになってしまいはせぬか、といわれるかも知れませんが、でもやはり、たんに良心的な書物と良書とは分けて考えなくてはいけないと思うのです。良心的でない良書というのはありえません。良書は良心の産物です。けれど、良心的な書物が、かならずしも良書であるとは限りません。問題は矛盾のあるなしです。
 が、しかし、良書というのは、一〇〇パーセント誤謬のない本ということではありません。そうではなくて、正確でなければならないところは、現在として可能な限度まで正確に書かれている、そういうふうな本のことだと思います。だれやらがいっていました。「なにもしない人間には誤謬はない。そのかわり発言権もない。」という意味のことを――。良書とは、発言権をもって発言している本のことなのです。


    三 文学への道

 地球は、南極と北極とを両軸とする軸(心棒)を中心に回転している、と考えることができます。読書の世界の北極・南極は、科学と文学です。わたくしたちの読書は、科学と文学とを二つの極としておこなわれているわけです。書物にも、科学書と文学書を両極として、さまざまの科学的な読み物や、文学的なさまざまの書物があるわけですし、また、読書の態度や方法にも、文学的と科学的との区別があるわけです。文学の方面から順に考えていくことにしましょう。

 文学作品を読むということは、もともと、作中の人物のなかに自分を(――あるいは自分の分身を)見つけだし、その人物といっしょになって、自分がげんに辿ってきたコースとはまた別の人生コースを歩いてみる、ということなのです。描かれた現実はあくまで描かれた現実であって、自分がこれまでに体験し今げんに体験しているところの実人生とはべつものです。それは、自分にとって未知の人生でさえもあります。それにもかかわらず、この二つの現実(人生)のあいだには、かならず触れあうものがあるのです。(もし、触れあうものがなければ、文学作品を読んで楽しむ、読んで考えるということは、はじめから成り立ちません。生活の軸とワクのちがう文学にたいして“翻訳”という手続きが必要になってくる理由も、ここにあるでしょう。翻訳というのは、たんに言葉の壁を取り去るというだけの仕事ではありません。言葉の壁を突き破ることで、ちがった生活圏の体験を、わたくしたちの生活圏の体験として再生産すること、それが翻訳ということなのです。たとえば、おたな相手に書かれた作品を、言葉だけいくらやさしくしてみたって、それは子どもの心情にうったえる作品にはなりません。作品の主題を、主題の方向においてとらえ、それを子どものいだいている生活の実感に即して再生産するのが、翻訳ということなのです。たんに言葉を、ではなくて、言葉の内容――つまり体験や思想を、わたくしたちの言葉のなかに再現・再生産するのが、翻訳の仕事なのです。)
 で、いま、“伸子”(宮本百合子)や“放浪記”(林芙美子)などの世界をおもいうかべようと、また“二十四の瞳”(壷井栄)や“真空地帯”(野間宏)などのあの現実におもいを走らせようと、それはみなさんの自由ですが、――そこに描かれた人間の生活、人間の体験は、それがたとえ異常なものであろうと、またあまりの特異さ、異常さのゆえに、事がらそのものとしては部分的一致をしか感じさせないものであるとしても、しかしそれが自分のかつて体験した(あるいは今げんに体験している)出来ごとに通じる何かを含んでいることだけは確かです。そして、この共軛する“何か”が、人間の体験(生活)のいちばん大事な部分であることも、いまは明らかなのです。
 その出来ごとは、読者めいめいのばあいとしては、あるいは心のどこか片すみでおこなわれている出来ごとであるのかも知れません。が、ともかく、その出来ごとにたいして、わたくしたちは或る判断にしたがって行動し、行動しようとしているのです。それゆえの今のこの悩みなのです。ところで、作中の人物は、かつてのあの自分の立場に立って、しかもそれとは別の行動を起こそうとしているのです。それは、わたくしの選んだ道とはスレスレのものでありながら、しかしけっして一つものではありません。そして、それは、あのとき、あそこで、ああしたふうな躓き方さえしなければ、自分もおそらくその地点をめざして進んだであろう道なのです。それは自分にとっても、また可能であった一つの生き方なのです。悩むべきところで悩み、そして踏み切るべきところで踏み切った、作品の主人公は、さて、今、ある行動に移ろうとしています。わたくしは、かれと連れ立って新らしい別個の体験を、そこで体験(――準体験)してみることができるのです。
 体験してみる、とはいっても、これは言葉を通路とした体験(――言葉による行動の代行)であって、体験そのものではありません。なまみの体験とはべつものです。一種の体験(――体験の仕方)であるとはいえましょうが、なまみの現実体験とはやはり違います。体験に準ずる“体験”――“準体験”とでも名づけたらよいでしょうか。文学を読むというのは、そこで、つまり、準体験することです。ですから、作品の主人公と連れ立って歩くということは、その道筋がどんなに困難な、また苦難に満ちたそれであろうと、わたくしたちは臆病風に誘われずに、そこを歩いてみることができるのです。現実の人生コースにおける弱者も、準体験の世界ではヒーローになれるわけです。
 が、もし、また、自分にとてもついて行けない、かれといっしょには歩く気がしなくなった、ということであれば、いつ、どこででもこの主人公と別れることができます。読者は、その本をぱたりと伏せることで、この煩わしい友人を遠ざけることができるのです。
 それで、また、思いかえして、やはり行動を共にしたくなったというような場合には、相手はけっして冷たくない、いついかなる時でもわたくしたちを迎えてくれる寛容さをもっています。いきさつは人によっていろいろでしょうが、ともかくこうして連れ立って歩いてみた結果は、(それがもし文学作品としてすぐれたものであるならば)現実の人生以上の“生きがいのある人生”を、きっとわたくしたちに味あわせてくれるに違いないのです。それで、ただの一度でも人生の生きがいのどういうものであるかを味わい知ったほどの者は、このさむざむとした人生をうつ向き加減に歩くというようなことは、もう出来なくなります。こうして文学の準体験は、読む相手によっては現実の体験以上のものとして体験的なはたらきをし、人びとの生活の実感そのものを鍛えなおし、行動のもとになる人間の思想そのものをはげしく揺さぶるのです。


    四 小説の読み方

 体験をはなれて文学は成り立ちません。文学は、作者と読者との体験のふれあう面において成り立つのです。それで、たしか藤森成吉氏であったかと思うのですが、この作家が若かったじぶん、工場労働者の生活を小説に書こうとして、しかし自分には工場生活の体験がないために途中でペンが進まなくなってしまったというのです。考えたあげく、けっきょく、自分自身工場労働者になって働くことを決心しました。それ以外に道は見つからなかったからです。つまり、文学の創作にとって必要なのは“体験”なのです。
 お読みになった方も多いと思うのですが、伊藤永之介氏の農民小説“鴉”――あの中篇の作品を書きあげるのに、伊藤氏は一年もかかったということです。末は賤業婦に転落していく織り物小工場の女工さんの生活というものが、あまり暗くて何べんペンを執っても書きおろす気になれなかった、と氏は語っています。その暗い、みじめな彼女たちの生活のなかから、ロウソクの火のようなほの明りを探がしだすことができるようになって、はじめてペンが執れた、ともいっています。つまり、解決への手がかりを体験的にとらえることができるぐらいに、体験そのものを深めていくことが作家にとって必要なのです。体験と文学。文学とは、つまりそういうものなのです。すくなくとも、そういうものであるべきだと思うのです。
 ですから、そういう意味では、文学(創作)は作者の体験の表白だといってもいいのです。が、藤森氏のばあいがそうであったように、作者が自分の狭い体験のワクを越えるところに文学が成り立つ、といったほうが、もっと正確でしょう。“鴉”の作者のばあいにしても、さいしょ灰いろ一色に映った現実から“ほの明り”を見つけだしたということは、やはり、“体験の幅をひろげた”“ふかめた”“越えた”ということを意味してはいないでしょうか。作者が自分の体験した事がらを小説にえがくとしても、作者の体験そのものは、小説(文学)にとって、やはり素材以上の意味を持たぬのではないでしょうか。しかも、小説の題材として取り上げられるまえの素材一般というほどの意味での“素材”です。題材以前の素材。そこから題材として拾われるものがあれば、捨てられるものもある(むしろ、捨てられるもののほうが多い)、という意味での素材にすぎないように思われるのです。
 小説家が目をつけるのは、むしろ、かえって読者(――読者として予想するあいての人びと)の体験のほうだといってもいいのです。藤森氏のように、労働者の人たちをあいてに労働者の生活を語ろうとするような作家のばあいですと、自分のナマ半可な工場生活の体験は、ただたんに、きっすいの労働者のきっすいの労働者的生活体験に通ずる手がかり以上のものではあり得ないはずです。今までのような自分の生活では、手がかりさえつかめないから工場入りをした、というまでのことなのです。
 そこで、複数の読者の複数の体験とふれあうような、自分自身の体験や体験の仕方、――それだけが小説の現実の題材になるのです。つまりは、作者と読者を(――そして読者と読者を)つなぐ、体験の社会的な“つながり”と“結びつき”と“ふれあい”の面に問題を絞るところに、小説の認識と表現が生まれるのです。
 ですから、一つの作品を仕上げることは、その作家にとって、自分の体験のワクを越えたことを意味します。旧い自分を乗り越えたことを意味します。小説を書くということは、ですから、自分のナマの体験を書くということではなくて、じつはかえって、“体験を離れる”“体験をワクを越える”ということなのです。それは、また、読者の生活(体験)に結びつき、読者である民衆に学び、民衆の心を心とする、というのと一つことになるのです。文学者が民衆の魂の技師となるためには、自分がまずすぐれた民衆の一人でなくてはなりませんし、民衆の魂をもった人にならなくてはなりません。すぐれた小説家――文学者は、たえず自分を乗り越えています。
 作品を読む側にとっても、事がらの根本は同じことです。民衆に学ぶ(――民衆の生活と魂を準体験する)ことで作家がたえず成長をとげているように、読者もまた、文学作品を読むことで、民衆らしい民衆の生活を(――生活の仕方)を準体験するのです。そのことによって、自分の“人間”をつくり変えていくことができるのです。そして、自分の周囲に数多くの“友”を発見するようにもなるのです。今までは赤の他人でしかなかったはずの、行きずりの路傍の人たちにさえ、深いしたしみを覚えるようになっていくのです。街角で風船を売っている、あのアルバイトの学生も、靴磨きの少年も、行列してバスを待っているサラリーマンやオフィスガールたちも、みんな自分のような生活の苦しみを苦しみとし、同じような悩みを悩み、似かよったことを考えて生きている人たちなのです。そういうことが、今は身にしみてわかったのです。わからされたのです。
 自分はひとりぼっちではなかった、苦しんでいるのは自分だけではない、みんなが苦しんでいる、今はみんなが苦しいのだ、――そういうことを皮膚からじかに感じることができるのです。孤独からの、いや孤独感からの解放です。(場合によっては、それは、ウヌボレからの解放〈?〉でもあります。周囲はみんなワカラズヤばかりだと思っていた、そのウヌボレの孤独感からの――。)
 小説を読むというのは、つまりそういうことなのです。自分の体験に即してものを考えながら、自分自身の狭い体験のワクからぬけ出る、ということなのです。自分の体験や生活の実感、さらに思想といったものと、作中の人物のそれとを対決させることで、体験の仕方(――思想的なもの、感覚的なもの)を変え、広い世界へぬけ出ていく、ということなのです。その広い世界というのは、民衆の広場・国民の広場です。文学の道は、そういう広場へつながっているのです。
 が、いま現実にわたくしたちのまえに置かれている(――というのは、ジャーナリズムがつくりだしている)大量の文学作品のなかには、むしろ、わたくしたちがこの広場へ出ていくことを妨げようとするものも少くありません。母もの小説・股旅ものなどの、いわゆる通俗小説が、まずさし当りその代表的なものとしてかぞえられましょうが、しかし一流の総合雑誌や文学雑誌に載っている、“良心的”な作家の“良心的”な作品にもそれが少くないのです。(たんに良心的な書物と良書とは区別しなくてはいけない、とまえにいったのは、そのことなのです。――“新聞のよみ方”の項参照。)いわゆる通俗小説だけが“通俗的”なのではなくて、ひどく現実離れのした、これらの“良心的”な文化主義の作品もまた充分通俗的なのです。広場への道をふさぐものが、つまり通俗的と評されてよいのです。
 “涙”の少女小説にしたって、それが娯楽読み物だからいけないの、泣くのが悪いの、というのではありません。泣いたって、いいのです。いけないのは、人間として泣くのが本当、というところで泣かせないで(――というよりは、泣くべきところは避けて通って)、さもないところで読者の涙腺をくすぐる、というその通俗性です。
 わたくしたちが精いっぱい、根かぎり生きて、それをもっと、もっとよいものに作り変えていかなくてはならない、わたくしたちの生活(人生コース)を、涙とともにそれを“運命”とあきらめさせてしますような、通俗的な現実観・人生観がいけないのです。(自分自身のことをあきらめるのはまだいいとして、ほかの人の苦しみを見ても、ただそれを哀れがるだけで、しかしそれもこれも“運命”だから仕様がない、とあきらめを強いるようなのは、これは人権侵害です。……いいえ、これは笑いごとではありません。通俗的にしか人生や世の中のことを考えないような人にかぎって、えてしてそいう押しつけがましいことをやりがりですから。)
 通俗的なものの見方・考え方というのは、ですから狭くかたよった人生観・現実観のことです。それは、ものごとの本当のところを見抜くことのできない、片輪な歪んだものの考え方ということでもあります。そういう考え方をしている人は、実際の生き方のうえでも今みてきたような“押しつけがましい”ことを他人に対しても平気でやる人です。(多くのばあい、当人は善意でそれをやっているわけですが、これは他人迷惑な話です。)そういう通俗的なものの考え方をみなさんに押しつけ、みんさん自身のなかにある“成長の芽”を刈り取ることで“広場”への道をふさごうとするものこそ、この通俗文学であるのです。その点をもうすこし具体的に考えてみましょう。

 ――「あなたのなくなったお母さんは、なんておっしゃるの?……そして、お父さんのお名まえは?」「母は平井よし子ともうします……」
 ――「ああ、やっぱり……やっぱり……」と君代の肩をだいて引きよせました。「君代ちゃん! わ、わたしは、あなたのお母さんですよ。」「えっ?」……「君代ちゃん、わたしはね、満州であなたを生むとすぐ、病気になって入院したの……そのるす中に、あなたのお父さんがなくなって……」
 ――夢にまでみた、あたたかい母のふところ……君代は声をあげた泣きました。……お母さんは、君代のからだをかたく、かたくだきしめたまま、その髪に、あつい涙をしたたらせました。

「あつい涙をしたたらせる。」――ちょっと類のない、奇妙な表現です。
「母は平井よし子ともうします……」――“阿波の鳴門”のお弓のせりふみたいな、時代がかった表現です。が、まあ、それはいいのです。
 これは或る少女雑誌に連載されて人気をはくした、或る通俗少女小説の大詰めの一節です。これまで何カ月かにわたって、君代の悲しい“運命”に涙してきた読者は、お母さんが「君代のからだをかたく、かたくだきしめた」ところで、またもや嬉し泣きに泣くわけですが、他人の悲しみを自分のことのように思って泣き、他人のよろこびを自分のよろこびとするという読者――少女たちの気もちは、ほんとうにとうといと思います。そこには、人間のゆがめられない“善意”が感じられます。それは、それでいいのです。それでいい、というより、人間はみんなそういう善意の人でなくてはならないでしょう。
 問題は、むしろ、次のような点にかかっています。
 “運命”が母と子を引き離したというのですが、そういう運命というのは、いったい何かという点です。父がなくなって生活に困ったのが君代を手離した、いちばんの大もとのようにこの作品には書かれています。で、もし、そうであるとしたら、こういう例は、むしろ今の世の中にはたくさんあることなのですから、世の中のしくみや、ありようそのものに原因のあることであって、ひとりびとりの人間に固有の運命というようなものではないはずです。
 第二に、――手離したとはいっても、見ず知らずの人の手に君代をわたしたのではなくて、やはり気ごころの知れている相手に娘のことを頼んだわけなのですが、それがどうしてゆくえ知れずになったかというと、戦争のどさくさのためだというのです。そう書かれているのです。そうは書かれているのですが、“戦争のため”というところに問題が絞られてはいないのです。作者のペンは、ただもう母と子を引き離して読者の涙を絞ればそれでいいらしいのです。原因が戦争による“どさくさ”のためであろうと、あるいは縁日の人ごみの“どさくさ”のためであろうと、ともかく読者にいちおう納得のいくような理由で二人を生き別れさせてしまえば目的完了というわけです。ひどいものです。
 “母のない子と、子のない母と”ではありませんが、こんどの戦争のために、母を失ない、子どもを失なった人たちは、かず限りなくいるのです。読者のみなさんのなかにも、そういう方はおられるでしょうし、また、みなさんの周囲にもそういう方が多いと思います。戦争さえなかったら、としみじみ思います。そういう母と子の涙の大もとは戦争です。
 だから、今の世の中には、たくさんの“君代”がいるわけです。一人の君代に対する少女たちの涙は、ほんとうは、こうした大勢の“君代”に対してそそがれるべき涙であったのですし、また、読者である少女たちは、こうした“かわいそう”なことのなくなるような(――泣いてばかりいなくとも済むような)世の中にしていこうという“決意の涙”でなくてはならなかったわけです。
 ところで、少女小説の話のはこび方というのは、そういうことを考えていくようには仕組まれていないばかりか、そういう本当のことは考えさせまいとしてムキになっているみたいなのです。真実への目を(広場への道を)ふさごうとして、ただもう必死なのです。カンぐって見ると、そんな感じさえするのです。
 君代たちの辿った人生コースを、かりに“運命”と名づけるとして、しかしその運命を人間の力ではどう仕様もないものとして、君代たちに対しても、読者に対しても“あきらめ”させてしまっています。母と子を引き離したものも、また、このふたりを引き合わせたものも、みんな運命(――めぐりあわせ・偶然)だというのですから。かりにそれを運命と呼ぶにしても、わたくしたちに必要なことは、その運命とたたかって“しあわせ”をわたくしたち自身の手で現実の生活のなかにもたらすということではないでしょうか。ですから、わたくしたちが文学作品に期待するものは、その意味では、“運命とのたたかい方”なのではないでしょうか。ところが、通俗小説が与えてくれる“解決”は、あきらめ以外のものではないのです。(つまり、通俗小説のさし示すところにしたがえば、ひと握りの利権屋や戦争屋がひき起こす戦争も、これは運命であると、あきらめるほかないわけです。)
 もう一ついけない点は、“あきらめ”に徹して“運命”に屈服していれば、最後はきっと幸福がつかめるという、とんでもないウソをおしえる点です。(ずいぶん人を食った話だと思うのです。戦争屋どもの儲け仕事にやらかした戦争が運命で、そして戦争屋のいいなりになっていれば幸福になれるなんて――。)おとなものの通俗小説では、たとえば、運命忍従型の“女らしい”“おとなしい”娘さんが、多くの近代型女性群あいての恋愛合戦において、最後の勝利者になることにきまっています。また、堪えがたいところを忍んで運命にさからわなかった母親が、やはり人生のゴールにおいて“しあわせ”になるのです。通俗恋愛小説・母もの小説の少女版である、この作品の君代にしても、そのとおりでした。つまり、「おとなしくしていたほうが身のためだよ。」「さからっちゃあ損だよ。」と、こういっているようなものです。
 「わたしも不幸だけれど、この母親にくらべたら、まだましなほうだ。」という、あきらめ。「君代とくらべれば、まだわたしの苦しみなんか……」という、あきらめ方。そして、「この母親さえ、君代さえ幸福になれたんですもの。」という、はかない希望――。そのあげく、苦しみのさなかにある複数の“君代”や、複数の母親たちのことは考えてみようともしないし、まして母親共通の、いや日本の国民共通の苦しみの大もとについて考えてみることや、苦しみの根を取りのぞこうとする努力は何一つしない、ということになるのです。“運命にさからっちゃいけないよ”なのです。
 その点、インテリ向け文化主義の諸作品は大へんスマートにできています。知性的です。が、それは敗北の知性です。いわゆる通俗小説が“泣いてあきらめろ”“待てばくるくる……”と語っているのに対して、これは“黙って逃げろ”と教えるのです。(もっとも、このごろでは、通俗小説の教えるところは“忘却”ということらしいのですが――。)“新聞のよみ方”の項で紹介した、スポーツ新聞しか読まない学生みたいに、いっさいの現実に背中を向けることを語っているのです。今のような薄汚れた世の中で権力の側にいるような連中はロクデナシばかりだし、権力の反対側にいるのは、これはまた、死ななければなおらないような、手のつけられない愚民どもである、どのみち話したってわかる相手でないから黙殺するにかぎる、という態度です。
 黙殺してどうするのか? 黙殺は黙殺です。黙って白い目を向けているだけです。汝ら、愚かなる人民どもよ、汝らは汝ら自身の愚かさゆえに滅び去れ、というわけです。
 また、――汝ら権力にへつらう者どもよ、歴史の審判はま近いのである、汝らが愚かしい暴挙を楽しむのも瞬時のことであろう、というわけです。それで、自分自身は無風地帯に逃避して“歴史の審判の日”を待とう、という態度です。つまり、今さからったって仕様がない、という態度です。さからうのはドン・キホーテだけ、自分たちはドン・キホーテにはなりたくないし、いわんやサンチョには、というのです。
 「今さからったって仕様がない」というのと、ところで「さからっちゃいけないよ」というのと、事の実際として、いったいどう違うのでしょう? 筋道こそちがえ、これも“あきらめ”の世界ではないでしょうか? “長いものには巻かれろ”式の前近代的な盲従主義の世界ではないでしょうか? つまり、インテリ文学もまた、充分“通俗的”なのです。国民の広場への通路をみずからふさぎ、国民の自由(それは、わたくしたち日本人にとっては“人間の自由”“人間解放”というのとまったく同義語です――)への実践的努力をドン・キホーテ呼ばわりする近代主義者たち(およびその文学)が、もっとも通俗的な前近代主義のものであるということは、見ようによっては、これは当然の“運命”かもしれません。インテリ文学を、大衆文学より“高い”とか“高級だ”と考えるのは、これはまったくの買いかぶりです。
 ですから、成長期の十代の方々には、そういう通俗的な、まがいものの文学は避けて、まともな、ほんものの文学にしたしむようにして頂きたい、と思います。この本の巻末のリストに揚げた詩や小説や評論には、単なる手がかり以上の意味を持たぬものもいくつかありますが(――たとえば、芥川の“鼻”菊池寛の“入れ札”などのテーマ小説ですが)、“まがいもの”だけはまじっていないつもりです。みなさんが文学の道に進むうえの手がかりの一つにして頂きたいと思います。


    五 文学と科学と

 文学にしたしむことで、その人の思想や感覚が幅と厚みを持ったものになってくる、という意味のことをまえにいいました。その人の体験の仕方そのものが変ってくる、ともいいました。が、それも、読みながら、そしてまた読んだあとでの“整理”が着実におこなわれてのことなのです。単なる読みっぱなしでは、せっかくのすぐれた文学作品も、さまでの大きなはたらきをしないようです。また、かなり精読したつもりでも、ひとり合点に終っているというばあいが少なくないのです。それというのも、根本は、文学が相手(読者)の感覚にうったえた表現をしているからです。
 それは、いわば、ふれあう生活体験(――したがってまた、触れあう生活感覚)を持った者どうしの話あいの場みたいなものです。その席へ第三者が顔をだしても、ちょっと取っつけないし、けっきょくお互いの話の本当のところはつかめません。つまり、自分という読者が、その作品にとって“予定外の読者”であったようなばあいに、そういうことが起こるのです。
 で、いまの例でいうと、肌あいの違う相手でも、長くつきあっているうちには気心ものみ込めてくるように、かず多く読んで読みなれるということがまず必要なのですが、“読みなれる”というためにも、そこに“整理”が必要になってくるのです。感覚的なものを概念的なものに整理するという仕事です。
 感覚的な表現を概念的に抽象する、などというと小むずかしい感じがしますが、別のいい方をしますと、だれにでも通じるようないい回しになおす、ということなのです。例が単純すぎてかえって誤解をまねくかも知れませんが、それはたとえば、だれそれは悪友だ、というばあいの“悪友”という表現です。“つきあいを避けたほうがよい悪い友だち”という意味で使われるばあいもあれば、その反対に“無二の親友”というほどの意味で、したしみをこめてそういっている場合もあるわけです。つまり、そこのところを整理することなのです。また、たとえば芥川龍之介の“河童”ですが、あの作品が河童の世界そのものをえがいたものでないことは、いうまでもありません。河童は人間です。それも治安維持法下の、暗い谷間の人間です。そういう人間の姿を、芥川は“暗い谷間”を生きる良心的な知識人の立場からえがいているのですから、それは一九三〇年代のインテリの自画像である、といってもいいかも知れません。が、河童は河童であって、人間とはすこし違うところもあるようです。河童のほうがましなのです。谷間の人間よりは、なのです。国民の自由を最後のひとカケラまでも奪い取ろうとする悪法(治安維持法)のもとでは、人間は“陸へ上った河童”“神通力を失なった河童”以外のものではない、と芥川は語っているのではないか、etc……と考えていくこと、それがつまり、感覚的な表現の抽象的な整理ということなのです。
 こういう抽象化(――概念的整理)をおこなうことは、文学を文学でないものにしてしまうことでしょうか? せっかくの文学特有の味をなくしてしまうことでしょうか? そうでないことは、これはみなさんに、よくわかって頂けると思います。むしろ、そのことが整理つかなくては、“河童”の文学的なおもしろ味はわからないでしょう。
 ところで、この抽象的な整理を組織的・系統的にやるのが科学の仕事なのです。
 ですから、文学を正しく理解するためには、わたくしたちは、科学的(学問的)なものの考え方を身につけていなくてはなりません。文学と科学とのつながり、したがってまた、文学的な読書と科学的な読書とのつながりは、まずこうした点にあるわけです。せけんには、まま科学的なものを毛嫌いして、文学書や文学的な傾向の本しか読まないような人がおりますが、当人の“つもり”は別として、そういう人は文学のわからない人です。わかるはずがないのです。
 が、それはそれとして、科学的というもの(学問的というもの)が何かなじめないもののような印象を与えているのは、それの抽象的なもののとらえ方、あらわし方のせいでしょう。いいかえれば、感覚的なうったえ方をしないせいでしょう。けれど、その感覚的でない、抽象的であるという点こそ、科学の身上なのです。どんな考えの人にでも、またどんな感覚の人にでも通じるような言葉づかいでものをいっているのが、つまり科学なのです。だれにでも通じるようないい方をするためには、言葉や言葉づかいについて、あらかじめハッキリとした“とりきめ”をしておかなくてはなりません。早い話が、みなさんが登山に使う、地理調査所発行の“五万分の一”の地図です。
 あの地形図は、客観的な正確さを期待して、わざと抽象的な記号をもちい、線の抽象的な使い方をしています。郵便局は〒という記号であらわします。Пという記号〔原文 鳥居の記号〕は神社をあらわすという“とりきめ”です。山の高さとか水深をあらわすのには、みなさんご承知のとおりの曲線を使っているわけです。ひとくちにいって、それは抽象的なとらえ方であり、あらわし方なのです。五万分の一に示された地形は、とりきめ(約束ごと)の上に立つ抽象の世界です。が、この五万分の一の地形図が便利で役に立つのは抽象的だからでしょう。科学が役に立つのも、感覚的であることをつとめて避けて、それが抽象に徹しているからです。抽象に徹しようとしてあらかじめ用語(術語)のとりきめがおこなわれ、表現が(感覚的な描写とはま反対の)“説明”に終始するのです。その点が、科学や科学書の一般に敬遠されるゆえんでしょうが、これは、地図というものを見なれない人、記号のよくわからない人が“五万分の一”を敬遠して、あやしげな駅売りの遊覧地図・鳥瞰図を愛用するのと似ています。
 遊覧地図も、それは“遊覧”という遊びごとの山歩きのうちはまだいいのです。けれど、すこし山らしい山を歩いてみようとか、本格的に山と取り組もうという気になったら、遊覧地図ではもう間に合いません。記号がわからなかったら、地図の欄外に説明がついているのですから読んで覚えればいいのです。見れば、だれにでもわかるのです。記号がわかって地図を見ると、こんどは“五万分の一”でなくては、という気になります。
 そして、地図をたよりに一度でも山歩きをしてくると、そのときの登山の体験がものをいって、次ぎには地図をひろげただけで、この山はこんなふうな山だろう、ここの地形はこんなだろうと、まるで風景写真でも見るように、その場の様子がいきいきと目に浮かんできます。行ったことも見たこともない、そこの模様、その景色がなのです。そうなると、もう駅の売店のあの鳥瞰図・遊覧地図はのぞいて見る気もしなくなります。五万分の一のネウチがわかることで、遊覧地図のほんとうのネウチ(つまりマイナスのネウチ)もはっきりしてくるのです。
 話の筋あいはそれとまったく同じことです。科学特有の術語・概念、科学特有の説明的な抽象的表現になれるのには、かなりの努力がいります。が、それも最初のほんの僅かの期間です。地形図を読めるようになるのに、さいしょ思ったほどのことはないようなものです。それに、これはどうしてもこなし切らなくてはいけないのです。地図を読みこなせなくては、せっかくの登山がいのち取りにもなりかねないように、人生の“登山”にも科学(学問)という“地図”がいり用なのです。学問的な書物は読まなくてならないし、読みこなせるようにならなくてはいけないのです。科学的なものの考え方を身につけるためにです。それは、いちばんはじめの話に結びつければ、文学がわかるためにもなのです。

 科学の表現(説明)は、ところで、文学の表現(感覚的な描写)とちがって、事前のとりきめさえのみ込めていれば、だれにでもわかる表現でした。その点が、この“説明的な表現”の特ちょうでした。が、だれにでもわかるという、その“わかり方”についてなのですが、それがとくと胸に落ちるかどうかということは、やはりその人、その人の体験のありようによってきまります。それは、山の地形図を見て、山の気分を味わうことができるのには、その人の登山の経験が必要なのと同じことです。ただの一度も登山の体験をもたずに、何枚も何枚も地形図だけ眺めていても、これはダメにきまっています。古いことわざに「論語よみの論語知らず。」というのがありますが、それなのです。現実の体験(――実践)に裏づけられてこそ、科学の理解は、たんに頭だけの“理解”にとどまらず、“科学的なものの考え方”として生活の実感を支配し、こんごの実践を方向づけるようになるのです。科学の理解を成り立たせるものもその意味ではやはり“体験”です。
 こう見てくると、人間のふれあう体験の面において成り立つ文学は、科学的なものの考え方にささえられて正しい理解にみちびかれるわけですが、そのような科学的なものの考え方をもたらすものが何かといえば、それもやはり現実の生活体験(――まともな仕方による体験)であるということになるわけです。ところで、科学的なものの考え方を成り立たせる、まともな体験の仕方というふうなものは、人間に限りのある狭い体験からだけは生まれてくるはずがないのでして、そこに、文学であるとか映画であるとか、そうしたさまざまの準体験による体験のささえとおぎないが必要になってくるのです。文学と科学との双方にわたった読書が必要なのも、そのためですし、また、読書いがいに映画やテレビや絵画や彫刻などの、さまざまのルートによって準体験の幅をひろげ深めていくことの必要もそこにあるわけです。
 つぎに、映画その他の準体験と、ことばによる準体験や認識(――つまり、文学や科学)との関係を考えてみましょう。そのことで、読書の役割というものをいっそうハッキリさせることができるように思われるからです。


    六 映画・テレビ・ラジオと読書

 ひとりの人間が体験できる範囲というのは高が知れています。それで、狭い体験のワクを越えるための読書を、ということを語ってきたのでした。が、わたくしたちをワクの外の広い別の体験の世界へ連れだしてくれるのは、なにも本や雑誌や新聞だけではありません。ラジオもそういう役目果たしてくれます。映画やテレビもです。その他さまざまのものが、そういう役目をつとめていてくれます。ですから、なにも読書だけが、というのではありません。ほかにいくつかルートがあるのです。
 新聞をひらいてごらんなさい。紙面のあちらこちらに写真が載っているでしょう。で、もし新聞に写真が出ていなかったとしたら、と考えてみてください。それは、たんに紙面がさびしくなる、ならないというだけのことではありません。今の新聞が伝える実感のナマナマしさが半減する――というのは大げさすぎるとしても、それをかなり大幅に削り取ってしまうことだけは間違いのないところでしょう。
 ということは、つまり、言葉(――文字に媒介された言葉)による伝達を主とする新聞のニュース記事も、写真や絵画(――たとえば政治漫画)や図版などの、目によるうったえ方(視覚的な伝達)によってささえられ、おぎなわれて伝達・報道の効果を挙げているということにほかなりません。このあいだ、“朝日新聞”にK特派員のソヴェート印象記が連載されて人気を呼んだのですが、人気のもとは、記者その人の観察の確かさと、問題のつかみ方のジャーナルなカンのよさにあるには違いないのです。でも、あの記事に写真が添えられていなかったとしたら、と思うのです。モスクワの街頭スナップやら何やら写真入りであるために、読者のわたくしたちは、筆者のKさんと連れ立ってモスクワの街並みを散策しているような気分になってくるのですし、それでまた、Kさんの見聞は確かで本当だという気がしてくるのです。視覚によるうったえというのは効果が大きいのです。
 それがさらに映画やテレビになると、言葉ではとてもあらわせないような面を、しかも言葉による説明や描写をさえ伴って伝えてくれるのです。ことにテレビは、野球や相撲の実況放送でもわかるように、それを同時的・継時的に伝達できるのですから、“ことばによる体験伝達”のワクをほとんど越えることのできない、本や雑誌・新聞の比ではありません。同じく言葉を通路とした準体験ではあっても、耳からうったえるという感覚的な直接さの点で、ラジオもまた、文字ことばによる訴えであるこれらのものより報道効果は大きいといえるでしょう。
 つまり、今の世の中は読書にだけは頼っておれない時代なのです。読書では不充分なところを、映画やラジオやテレビでおぎなわなくてはならないのです。それで、また、これまで読書というものに負わされていた重荷が、かなり肩替わりされる結果になったともいえそうです。確かにそういう面があります。が、じつは、そのことで、かえって読書の役割が大きくなったともいえるのです。
 それは、つまり、感覚的なものは、言葉という抽象的なものに媒介されてこそ、その人の生活を方向づける思想にまで高められる、ということにもとづいています。映画やテレビの表現はひじょうにナマナマしいだけに、その感覚的なナマナマしさを、一度、ことばで整理してみる必要があるのです。(ことばは、もともと、ものごとを抽象化してとらえて“考え”をまとめる、というためのものです。あるいは、自分の胸にあるものを概括し、整理し、要約し、それを“考え”にまとめあげて相手に伝え、相手の心をゆさぶるというためのものです。また、相手のほうの考えなり行動を、それによって理解し感覚するというためのものです。言葉ほんらいのそういう性質を、ぎりぎりのところまで活かして、現実や自然の抽象的な整理・概括をおこなうのが科学であるわけです。)ことばによる整理、それがどうしても必要なのです。
 早い話が、劇映画から受けた、或るナマナマしい印象とか感銘といったものは、あとでその映画を見たものどうしで語りあって整理してみないことには、自分の理解がまともかどうかということさえ、じつはあやしいのです。“原爆の子”という、平和への願いをこめて作られたあの映画を、母もの映画か何かを見る目でみて、単なる“哀れな老人の物語”にしてしまったり(都会の某女子高校のばあい)、反戦映画の“姫ゆりの塔”が戦争熱・再軍備熱をあおる結果となったり(地方小都市の某高校のばあい)、というような実例がかなりあるのです。前の例でいうと、かわいい孫の将来を考えて自殺をはかる老人の哀れさというところに焦点が絞ぼられて、原爆への抗議、戦争の否定という主題は見すごされてしまっています。これらの観客(女子高校生たち)の固定した感覚にとっては、それが原爆のもたらした悲劇であろうと、単なる交通事故もたらした悲劇であろうと、まったく同じことなのであって、ともかく泣けさえすればそれでいいのです。(「ほかの映画の四倍泣けます!」という映画の広告を、このあいだ新聞で見かけましたが、こうした人を食った文句が宣伝効果一〇〇パーセントの殺し文句であることを、わたくしたちは知らなければなりません。)
 泣けさえすればそれでいい、というのは、また、泣いてしまえば後はけろり、ということでもあります。だから、後の整理が必要なのです。ことばによる反省が必要なのです。で、そのばあい“言葉”と“言葉づかい”が正確でなくてはなりません。話術の上手・下手ではなくて、あくまで正確さの問題です。つまり、自分の“感じ”(印象)をそのまま自分自身の“考え”(思想)にしてしまうのではなくて、“感じ”や“感じ方”や、そういう感じ方をしたときの自分の“視点”や“立場”についての自覚と反省をもてるような、正確なことば――ものの考え方が欲しいのです。それは、矛盾にたいして敏感な、といってもいいのです。
 ところで、そういう敏感さというものは、まともな仕方による読書のもたらすところです。それは、あるいは、こういうふうにいえるかも知れません。よほどの人でない限り、読書によらないでそういう敏感さを自分のものにした人はないし、また、読書から離れてしまって、そういう敏感さを持ち続けた人はいない、というふうにです。
 ことに、こんにちのように、マス・コミュニケーションの傾向に問題が多く、儲けるためにはなんでもやるというコマーシャリズム(商業主義)が文化のあらゆる面に横行している時代にあっては、批判的態度による読書ということの必要は、ますます大きくなる一方です。


    七 多読による精読を

 “批判的態度による読書を”ということを、まえの項の終りのところでいいましたが、それもこれも自分というものを高め、環境をもっとよいものに作り変えていくためにこそのことでした。たとえ善意のふるまいであっても、その行動が歴史の歯車を逆転させるのに力をかしているというような場合だってあります。こういう善意は、善意なだけに始末がわるいのです。他人迷惑――いや迷惑のなんのの話ではありません。例の“つもり”と“実際”とのくいちがいなのです。読書は、こういうことにならぬための読書であったはずです。
 こういうことにならぬための――それを積極面からいえば、歴史へのよりよい参加の仕方を学ぶための読書、というふうにもいえましょうか。それで、なるべくまともな本を選んで読むように心がけなくてはならぬのですが、しかしせっかくの良書が、という例は、これは予想外に多いのです。
 たとえば、――今の日本の良心を傾けて編集された或る手記が、あんまりだと思うのです、カストリ本代用に読まれているのです。そういう例にも、こんど東北の農村地帯を歩いていて二度、三度とぶつかりました。
「こんな良書が、こんなにも大勢の人に愛読されているというので、傾向がいいなんて買いかぶらないでくださいよ。どうも行きずりの調査をする人たちは、うわつらだけ見てどうのこうのいうから困る。この手記なんか、僕の見たところでは、そうとうえげつない興味で読まれていそうなのですから。……その証拠には、ほかの本は借り出して行ってもカヴァーなんかかけて読みはしないのに、この本だけはちゃんとカヴァーをして持ち歩いている。つまりですね、ひとまえでカストリ雑誌は気がひける、それでカヴァーをかけるというのと、これは同じなのですよ。」
と、南郷村公民館の図書閲覧室で、木村さんは語ってくれました。質的にも量的にもかなり充実した図書施設をもつこの村の公民館には、さいきん発行されたこのすぐれた手記が備えられてあるのです。が、せっかくのその本がというので、木村一男さんという、二三年前に大学を出たばかりのこの若い知識人は、いかにも心外だというおももちでそう語るのでした。
「みんなに引っ張りだこなのですね。借りて読みたくても、いつも貸し出し中というので断わられてしまう……。だれかの名まえで借り出して“また貸し”され“回覧”されるらしいですね。」
と、この本の高い人気について、いま故郷のこの村で病後を養なっている大学生の荒川有史君は、口をはさみます。地声なのでしょうが、ずいぶん大きな声です。ですから、それが聞こえているのでしょうが、公民館主事の安部さんは、黙って事務をとりながら苦笑しています。多分、二人の意見に賛成なのでしょう。
 この若い二人の慨嘆を聞いているうちに、わたくしは、何々を読んでいる人が何パーセント式の調査だけでは、読書傾向の本当のところはつかめないことに気づかされました。“いかに読まれているか”が、むしろ探られなくてはならないのです。良書は、必ずしも、その本のあり方が要求しているような、まともな仕方で読まれているとは限らないのですから――。さらにいうなら、まともな仕方でさえ読まれるなら、悪書や愚書も、それを読む人にけっしてマイナスの結果はもたらさないでしょうから。
 そうした“まともな仕方による本の読み方”を実現するためには、“まともでない本”や“まともでない本の読み方”をたえず再生産しつづけている“社会悪”の根を掘りかえして除き去らなくてはならないわけですが、この点は繰りかえしまえに述べたとおりです。さし当っての現実的な対策としては、やはり、まともな本を選んでそれを数多く読むようにする、精読する、という以外にないでしょう。
 多読と精読は矛盾しません。一冊の本をいくら時間をかけて読んでも、ズレた読み方をしていたのでは、結果は“雑読”“濫読”ですし、多読でも読み方がまともでなければ、というわけです。けれど、どちらかといえば、多読のほうが、良書・悪書を見分ける目もできるようですし、したがって“かんどころをつかんだ本の読み方”“まともな本の読み方”を早く身につけるようになるらしいのです。この南郷公民館の安部主事のお話でも、良書の閲覧者は同時に良書の多読家――傾向のいい読書家なのだそうです。これと思うような本を、次ぎ次ぎと借り出して読みまくるのは、こういう人たちだということです。また、そういう“傾向のいい読書家”である人たちこそ、どっしりと腰をすえて粘り強く村の民主化のための努力を地道にしている人であるということも、木村・荒川両君の口裏から察することができました。


    八 読書サークルをもとう

 心がけて良書を読む、それもまともな仕方でかず多く読む、精読する、――というのには、しかしやはり“なかま”(サークル)があったほうがいいでしょう。相手はひとりでもいい、ふたりでもいいのです。そして、できるなら五人、十人と多いに越したことはありません。“読書サークル”です。
 サークルは、オフィスならオフィスのなかに、あるいは職場を越えて、ともかく本を読もうという気もちの人が寄り合って、毎週水曜日なら水曜日の夜六時から八時まで、というふうに集まりを持つのです。毎週というのがかえって重荷になってというばあいは、一週間おきでも、ときには二週間おきでも、むろんいいでしょう。水曜会というような名まえをつけると、ちょっと気分が出ます。
 また、同じ学校を出た者どうしでとか、かつてのクラス・メートのあいだで、というのも、これは一つの行き方です。
 学生や生徒の人たちなら、話はもっと簡単です。クラブ活動のなかにそういう組織をつくってもいいし、クラス単位、通学の地域単位に考えて作ってもよいわけです。もっと理想的にいうと、庭球部とか野球部とか競技部というような、それぞれのクラブのメムバーが、それぞれに読書サークルを持つことです。秋の大会をひかえての合宿というような際に、レクリエーションのつもりで、三十分でも四十分でもいいから、同じ本を読みあって話をするような時間を持つとよいのだが、と思います(高等学校や中学校のクラブ活動は、現状では、文化関係のクラブとスポーツ関係のクラブとが、あまりにもきっぱりと分かれてしまっています。そして、文化部の人たちはスポーツにしたしみませんし、また、運動部の人たちはスポーツだけ、というありさまのようです。大学となると、――わたくしの家の近くに某大学のボクシング部の合宿所があるのですが、これはまるでボクシングをやるために大学へはいったみたいな日常のようです。)
 それで、ともかく、事情に応じていろいろなつくり方、会のもち方があるわけですが、まず作ることです。作って始めてみることです。すべては、そのうえのことです。だれが作るのか、始めるのか?――それは、あなたがおやりになったらいいでしょう。
 そういう組織ができると、自分のところでは“読売新聞”しかとっていなくとも、“毎日”を入れている家の人も、“朝日”を読んでいるという人も、何人かのサークルのメムバーのなかにはいますから、その新聞を交換しあって読む、いくつかの新聞を“比較して読む”という、まえにおすすめしたような新聞・雑誌の読み方(“新聞の読み方”の項)も実現できるわけです。
「“農業問題入門”という本、“朝日”の書評でホメていたけれど、あの紹介によると、ちょうど手ごろな感じがする、よかったら読んでみないか。」
 そこで、七円ずつ出しあって一冊買ってみる。序文を読んで、目次をひろげて見る。なかをパラパラと拾い読みして、だいたいこれならということになったら、もう七円ずつ出しあうのです。つまり、二冊の本を十人なり十五人のメムバーで回覧するのです。小づかいのゆるす範囲で、早く本が回ってきて、お互いがなるべく早く読み終えて、なるべく早い機会に“合評会”を持てるように、同じ本を二冊、三冊、四冊と買い入れるのです。三人に一冊くらいの割に本が買えるようだと、これは大へんいいのですが、五人、六人に一冊でも、やりようでうまくいきます。
 ひとりポツンと離れていたのでは、ふた月に一冊しか買えない本が、月に二冊も三冊も買えるし読めるというわけです。そのうえ合評会で自分の考えの至らない点を指摘して貰えるし、あるいは不安だった自分の意見のまともさが“公衆”の批判によって明らかにされるのです。
 みんなが読みおえた、その本は、グループのなかのだれかが個人所有のものとして保存したいというのなら、安く譲って会の基金を拵えてもいいでしょうし、学校や公民館の閲覧室などに寄附してもいいでしょう。が、さらにサークル外の知人に貸してあげるのも一方法です。良書の計画的な普及――、これは、りっぱな社会的な実践活動です。歴史を前へおし進めるのに役立つ、大きなはたらきです。
 そして、相手が読みおえたと思うころに訪ねて行って、謙虚な気もちでその人の読後感をきくのです。きっと得るところ、教えられるところがあるでしょう。また、時間がゆるせば、サークルの合評会で話題になったようなことを話してくるのも親切だと思います。サークルができたからといって、セクト的にそのカラに閉じこもってしまわないで、読書の面でも、その他の面でも、たえずサークル外の人たちと話しあい、協力しあっていくことです。そうすることで、おいおいと新しくサークルに加わってくるような人もでてくると思います。
 サークルが大きくなることは、サークルの質が高まるというのと一つことです。それは、また同時に、サークルのメムバーひとりびとりの質が向上してきたことを意味します。一人でも多くの人の意見が加わることは、また、一人でもよけいに多くの人から意見をきけることは、みんなのレヴェルがそれだけ高まることであると同時に、“みんな”のなかの一人である“自分”の質がそれだけ向上することです。ですから一度サークルをつくった以上、多少気まずいことや、もつれがあっても、そういう困難を乗りこえてサークルを育てていくことです。育てていくだけのネウチがあるからです。(とはいえ、ある種の職場や一部の学校には、こんにちのこの逆コースに順応し、あるいは便乗して、すでに出来あがっているサークルに対して“上”から圧力をかけて押し潰そうとしているところもあるようです。なんということでしょう! 従業員や学生・生徒が読書家になることが、どうしていけないのでしょう? おそらく、真実をおそれる者だけが、読書を“有害”と考えるのだろうと思います。そして、こうした真実に背中を向けた者たちが読書サークルを目のかたきにしているということぐらい、読書サークルの必要と存在理由をもの語っているものはありますまい。読書サークルこそは、まともな読書へのもっとも確実なルートなのです。)
 読書サークルである以上、本筋は本を読むことですし、読みあって話しあうことにきまっていますが、でもなにも活動の範囲を“読書”に限る必要はないでしょう。たとえば、“真空地帯”のような作品をテーマとした集会があったとすれば、戦時中の思い出話や、朝鮮戦争の話や、自衛隊やMSA問題などに話題が移っていくこともあると思うのです。ひいてはお互いの身の上話になるというようなのも、ありがちのことです。そうして、それは、あながち余談であるとか脱線であるとばかりはいえないように思われます。そうした点まで話題を移していくことで、“真空地帯”というこの作品の認識や表現も、じつは正しくつかめるわけなのですから。それで、また、ガリ版刷りの機関誌を半年に一回、一年に一回でもいいから出そうとか、サークル主催の公開座談会をやって村の人、町の人に参加して貰おう、というところまでいけば、周囲とのつながりや結びつきも、ほかのサークルとの交流もおこなわれるようになって、サークルそのものも、サークルのメムバーひとりびとりの成長も確かなものになってくるのです。
 また、これは、ひじょうに大事なことでありながら忘れられているのは、子供に対する読書指導です。サークルの人たちは、自分たちが伸びていこう、自分を伸ばそうということで頭がいっぱいであるために、ほかの人を引き上げるというサークルの大事な任務を忘れがちなのです。他を引き上げることは、同時に自分を成長させることだという原則は理くつとしてはわかっていながら、今はまだ他人のことどころではない、という気もちが先きに立つのです。読書生活のなかに身を置けば、いっそうのこと自分の“低さ”が自覚されてくるのです。ですから、それはへりくだった気もちなのです。自分にはまだとうてい読書指導なんて、という謙虚な気もちなのです。それはわかります。よくわかります。が、それは、じつは“傲慢な謙遜”にすぎません。
 相手を教えようとするからいけないので、教わろう、学ぼうという気もちを持たなくてはいけないのだと思います。子どもから学び取るための、子どもへの読書指導なのです。(この傲慢な謙遜と、文化主義とは、じつは一つものの裏おもてに過ぎません。なんのために教養を高めるのかという、かんじんの目的を忘れてしまって、得意気に小むずかしい言葉のいいまわしを楽しんでいるような“教養人種”の文化主義は、けっしてわたくしたちのものではありません。)
 おとなあいての本に悪書・愚書が氾濫しているように、子どもの読みものも傾向の悪いものがほとんどです。読書サークルの活動分野はこうしたところにもあるのです。サークル活動の幅をそこまでひろげていくことは、同時にサークルのメムバーひとりびとりの読書力とものの考え方を内に深め、身についたものにすることです。早い話が、さいしょ“お話会”のようなかたちで、“指導”の皮切りをやるとして、そのばあい何を選んでどんな話をするか、なのです。俗悪な紙芝居やチャンバラ映画や冒険漫画に馴らされている子どもたちに、乙にお上品にかまえた“赤い鳥”ふうの童話を持ち込んでみたって、てんで受けつけはしないでしょう。
 いや、だいいち、こうした意味での“お上品さ”というのが、ほんとうに子どもの栄養になるのだろうか? “千代田のお城の鳩ぽっぽ”“歌を忘れたカナリヤ”――それは、かえって、せっかくの子どものファイトを失わせることになりはしないか、日かげの花みたいな青白い子どもを拵えあげることになるのではないか、といったことを、そこで考えることにもなるでしょう。読書サークルは、“お話会”“子ども会”を催すに先き立って、そういう基本的な問題についての討議、相談の会を持つことになるのです。
 そこで、むしろ必要なのは、子どものファイトをまともな方向にすなおに伸ばすことだ、というふうな結論を、討議の末みちびき出したとします。子ども会をその方向に育てていこう、というのです。が、それでは“お話”の材料に何を選ぶか、なのです。そこからが、またメムバーひとりびとりの勉強です。めいめいの家へ帰って調べを始めることになるのです。
 次ぎの会合で、ああでもない、こうでもないと揉んだあげく、いっそ日本の古典童話でいこうということになります。けれど、“桃太郎”にしろ“酒呑童子”にしろ、なにかしら侵略主義の臭いが鼻につきます。ファイト満々のおもしろい話ではあるのですが、そこが難点です。でも、お互いに話しあってみているうちに、“酒呑童子”のこの民話にもいろいろなタイプのもののあることが明らかになってきます。いったい、もとのかたちのこの“酒呑童子”はどんなものだったのだろう?――そこで、また勉強です。
 ひとに聞いたり本を読んだりして調べた結果の、みんなで持ちよった話の結論では、酒呑童子の“童子”というのは、どうやら平安時代の寺院の下人のことらしいというのです。童子という呼び名でいいならわされていた、これらの下人たちは、奴れいの境遇にあった寺院荘園の荘民たちの労働を監督していたわけですが、ずいぶんむごい仕打ちもやったらしいのです。それで、荘民たちは、童子のことを“鬼”“鬼”と、かげではいっていました。そういう民衆の呪いが、この“童子”を“鬼”に仕立て、頼光の大江山の鬼退治の話(民話)を生みだすことになったのだろう、というのです。
 で、もし、この推定が当っているとすれば(――というのは、メムバーのなかの別のグループの調べたところでは、童子という呼び名の起こりは寺院にあるとしても、酒呑童子の“童子”というのは“下人”のことではなくて、むしろ寺院貴族その他の領主権力を背景とした“長者”をさすのだろうという意見でしたから)、これは侵略主義のなんのという性質のものじゃない、むしろそれと反対のものだ、ということになります。それは、筋のとおった明るい世の中を、という、民衆の願いをあらわした物語だという結論になるのです。
 ――「すばらしい話だ。こんどの子ども会は“酒呑童子”でいこう。」
ということになります。
 が、よく考えてみると、鬼退治を自分たちの手でやらないで、頼光に――ほかのだれかに期待するという点に難があります。つまり、そこのところを子どもたちにどう話したものかという点で、ちょっと足踏みさせられるのです。が、子ども会には、もう間がないのです。仕様がないから、これは今後のみんなの課題として残して、さし当りこんどはやはり頼光の鬼退治という、もとのままの筋書きでいこう、という申し合わせにします。一人、一人の人間は弱くても、力をあわせれば鬼も退治することができる、――まず、その辺のところでやってみよう、という申し合わせなのです。
 すこし話が長ったらしくなりましたが、子ども会、お話会というかたちで読書指導への手がかりをつけようというのでも、これだけの勉強がいります。そして、これだけではまだまだ不充分なのです。みなさんは、どうお考えでしょう、こういう勉強は、読書サークルにとって脇道の仕事でしょうか? こうした勉強、こうした目的のための本の読みあいや話しあいこそ、サークルにとっての本筋の勉強ではないでしょうか?
 子どもの読書指導をおこなうことで、じつは自分たちのめざすところへ早く、そして着実に辿りつけるように思うのです。
 そこで、読書サークルを持っておられる、みんさんに、おすすめしたいのです。ぜひ、子どものための(――つまりは、自分たちのための)読書指導を、みなさんの手でやってごらんなさい、と。まだサークルに結びついていない方がたも、弟さんや妹さん、そして隣近所の子どもたちに、こうした点、こうした面から手をさしのべていって頂きたいのです。

 「この公民館には、年額十二万円の図書予算が割り当てられています。それをなるべく村民の世論にしたがって使うようにしようとは思っているのですけれど、この本を買ってくれとか、こういう種類の本を、というあまりハッキリした希望や意見がでてきませんのでね……。」それで、けっきょく、お手盛りになりがちだという安部主事のお話です。
 世論らしきものがない、意見らしいものがない。いや、“ない”のではなくて、“出ない”“出しにくい”“出さない”というのが本当のところでしょう。安部さんのおられる、この南郷村公民館のばあいは違うようですが、ほかの町村で見た公民館や学校図書館のようすは、みんなそうでした。“購入希望図書”と書いた、一種の世論箱みたいな投書箱を閲覧室に設けてあるようなところでさえ、そうでした。こんなふうに意見や希望が出ないというのには、世論の中心になるような“読書サークル”がないということが大きな原因になっているようです。また、かりにサークルはあったとしても、それが周囲から孤立していて、世論をつくりそれを推し進めるという力になり得ていないからのことでしょう。どうもそんな気がするのです。
 でも、この村のばあいは、“お手盛り”の結果がわりあいまともに行っているから(――というより、水準以上に行っているから)まだいいのです。わたくしがこんど見てきた、やはりこの仙北地方(――仙台以北一帯)のある村なんかでは、役場の吏員の希望が“世論”にすり替えられて、一方的な希望にもとづく図書の購入がおこなわれていました。また、別のある村では、ワカラズヤの村会議員の暴論が図書室の運営を阻害していました(この点、“良書と悪書と”の項でくわしく述べたとおりです。)ですから、南郷村のばあいは、ほんとうにいいと思います。でも、このすばらしい南郷村のばあいですら、それがもっとより多くの部分において世論が公民館図書施設の運営を支配していたら、と思うのです。
 そこに世論がはたらいたとしても、どういう本が購入されるかという、その結果はあまり違わないかも知れません。けれど、たとえその点の結果は同じであったとしても、「この本も、またあそこの書棚にあるあの本も、みんな自分たちの選んだ本なのだ。」という思いが、閲覧者ひとりびとりの胸にはあるのです。ですから、むろん自分も懸命に読むでしょうし、ひとにもそれをすすめるでしょう。読書欲が違ってくるのです。図書の利用の度合いや利用の仕方――読みようそのものがまるで変ってきます。そうに違いないのです。
 南郷村のすぐれた図書施設や文化水準を、より以上の高みに引き上げていくと同時に、やはりこの村にも見られるような“文化の偏在”(――文化はここでもまた富農や中農上層のものでしかない)を是正していく一筋の確実なルートが、右のようなところに横たわっているように思います。ですから、これは、この村の読書サークルへの期待です。と同時に、世の多くの読書サークルに、こうした公共施設への積極的な参加を期待したいのです。積極的な参加によって、それを真に“公共”の名にあたいするものにすることです。そのことで、みんなが文化の恵みにあずかれるし、自分自身もまた、“本を買えぬ悩み”“読めぬ悩み”の幾分かを軽くすることができるのです。
 まだ、サークルにはいっていない人は、ぜひ加わってください。そういう手がかりを持たぬ人は、自分が提唱者にになって組織をつくってください。家庭や周囲の、読書への無理解も、自分がこうしたサークルに結びつくことで、解決への手がかりだけはつかめることになるのだ、と思います。サークルが、“まともに生きるためのまともな読書”ということを考える人びとの集まりである以上、それを読書以前の問題だなどといって、なおざりにしておくはずがありませんから――。サークル活動は、まずこうした問題を解決するための討議と協力と実行からはじめられるべきでありましょう。
 読書サークルの地に足のついた活動――それが、やがて、“まともでない本”や“まともでない本の読み方”を再生産しつづけ、わたくしたちの手から“読書の自由”を奪い取ろうとしている、当の相手の息の根をとめることにもなるのだと思います。
(第二章執筆担当 熊谷 孝)

頁トップ熊谷孝 人と学問熊谷孝著作デジタルテキスト館