「解釈学主義」批判 −国語教育・文学教育理論の根柢を問い直す−                      

   ディルタイ著・徳永郁介訳『想像力の分析』 訳者解説
  一つの解説
  徳永郁介(=熊谷 孝) 
          
【野田書房刊、ディルタイ著・徳永郁介訳『想像力の分析』(1937.9刊)所収】       


 本書は Wilchelm Dilthey : die Einbildungskraft des Dichters. 1887 の全訳である。書名として試みに『想像力の分析』とやって見た。元来ギリシャ哲学史家として有名なエドワード・ツェラー七十歳賀寿『哲学論叢』に発表されたものであるが、現在全集第六巻に収められている。副題ディルタイ著・徳永郁介訳『想像力の分析』表紙が示すようにディルタイの「一詩学への礎石」をなすものである。彼の諸著作は未完成なものが少(すくな)くないが、本論文も亦(また)、詳しい所と簡単な所とがあったりして外観上も未完成の感がないでもない。これは一つは彼の哲学の懐疑論的相対論的本質から来る所もあろう。私が曾(かつ)て『近世美学史』(第一書房)として訳出しておいた「近世美学の三画期」は彼の意図から云っても、その未完成を補うべき一片である。
 本書の翻訳に当っては畏友(いゆう)富岡益五郎君に負う所が多かった。否むしろ彼との共訳と云ってもいい程だが、思う所あって私単独の名で出した。ここに記して同君に謝意を表したい。

 ディルタイは一八三三年ドイツのビーブリヒ市に生れ、ハイデルベルヒ及(および)ベルリンで学生生活を送った。ベルリンで学位を取り 次いで私講師となり、六六年バーゼル大学正教授就任を以て彼の長い教授生活は始まる。六八年キールに去ったが、一年後の六九年には、かのニーチェがバーゼルに来ている。次いでディルタイはブレスラウの教授を経て、八二年再びベルリンに帰り、ロッツェの後を襲った。一九一一年十月一日七十八歳の高齢を以て同地で豊かなる一生を了(お)えた。
 ディルタイが「生の哲学者」「精神科学者」として、ニーチェからシュペングラーに至るドイツ観念論哲学の発展の連鎖の一環をなすことは周知の通りである。彼の一生の仕事は自然科学及(および)自然科学に類する科学に対するこの「精神科学」の確立と建設にあったということが出来る。彼の精神科学一般と共にその一分科としての文芸学が、現代の哲学一般に対してと共に文芸学に対して与えている影響は、良かれ悪しかれ広く且(か)つ深い。最近特にやかましい日本の文芸学も彼の影響を受けている所は決して少くない。若(も)し直ちに影響と云えない所があるとすれば、それはおのずからディルタイ流になっているというわけだ。方法に於(おい)て自然科学からばかりでなく社会科学からさえも機械的に切離されそれに対置せられる精神科学主義、それと関係のある鑑賞主義などがそれである。従前の文芸学に於ける歴史的・文献学的実証論的傾向に対する一面的な軽侮(けいぶ)と過小評価がこれに伴っている。これらの点には併(しか)し、遺憾乍(ながら)ディルタイの弱点を一面的に拡大した所がないでもない。というのはディルタイには実証論的歴史家としての健全な一面があるからである。
 このようにディルタイの文芸学は今日のそれに対して重要な意味を持っているというばかりではない。彼の時代の支配的傾向であり且(かつ)彼の哲学の一面をなす歴史的・文献学的・実証論的傾向或(あるい)は自然科学的立場から、精神科学への決定的転回をもたらしたものは、就中(なかんずく)文芸に関する諸研究であったという。その意味に於て彼の文芸学は彼自身の全哲学にとっても重要な意味を持っている。それ丈(だけ)彼の文芸学に対する正しい理解と批判は今日の重要事の一つである。
 併し詳しいことはここでは述べられない。私は今簡単に彼の詩学即ち本書を中心として彼の文芸学に一般を見渡しておきたい。
 ディルタイが精神科学建設のための主要著作を発表した十九世紀の八十年代には、文芸学は、一般に未(いま)だ科学の独立した一分科とは見做(な)されていなかった、少くとも他の諸分科とはっきり区別されてはいなかったが、今若(も)し文芸に関する諸研究に関する総体を文芸学と呼ぶならば、彼の文芸学は大体三つの要素よりなる。一、詩学。二、文芸史。三、作家の世界観の類型論。一、詩学に属するものとしては本質及(および)「近世美学の三画期」(一八九二)等がある。他に本書の骨子をなすものとして「詩人の想像力について」(一八七八)及「詩人の想像力と狂気」(一八八六、栗林茂訳『ディルタイ論集』所収)等の小論文がある。二、文芸史の研究としては、『詩と体験』(一九〇五、佐久間政一訳他一種あり)及『独逸文芸及音楽論』(一九三三年、富岡益五郎他一名訳)等。三、世界観の類型論は『哲学の本質』(一九〇七、邦訳あり)「世界観の諸類型」(一九一一、全集八所収)等に於て部分的に或(あるい)は断片的に取扱われている。(一部は邦訳されている)これは哲学、文芸に共通な意識の「暗い下層」としての世界観の分類論で、文芸学にとっては、二の部分とは又別な意味で文芸精神(思想)史理解の一つの道を示す。ディルタイの全著作のうちで最も広く読まれたのは『詩と体験』であるそうだが、彼の文芸学としてはこの三の部分の影響はそれに劣らず大きいと思われる。暗示に富むもので、その影響は美術史の研究にまで及んでいる。(Nohl, H. : Die Weltanschauung der Malerei 1908)。そこで一の詩学と二の文芸史との関係であるが、ディルタイ自身も云っているように、一般には科学論が精神史への序論であるように、彼の詩学は文芸史への序論をなす。前者を文芸に関する一般原則論とすれば、後者は文芸史と個々の作家へのそれの適用だと云えよう。
 それでは詩学即ち本書の課題は何処(どこ)にあるかと云えば、標題が示すように詩人(作家)の創造作用の主要契機を想像力と見做(な)し、且(かつ)それを心理学的事実となし、その想像過程を心理学的に分析することにある。その限りに於てディルタイの詩学は一の心理学である、或は心理学を基礎学乃至(ないし)補助学とする。我々はこれによって、詩人の体験に於て与えられる現実の諸映像・心像・形象が一の新たな統一像にまで結合され行く過程――ドイツ語で想像力を表す Einbildungskraft は丁度(ちょうど)文字通りにそういうことを表している――を理解することが出来る。
 ディルタイによると詩・文芸は諸芸術諸文化と同じく人間生活、その特色としての精神生活――Leben が日本語で特に「生」と訳されるのはこの意味であろう。私は併(しか)しその形而上学的悪臭をいくらかでも避けんがために、本書ではこれを生活 (稀には生命、人生)と訳した――の表現であり客観化だというので「客観的精神」の一つ、而(しか)も中世に於ける宗教、啓蒙時代に於ける哲学に代るべき、古典主義時代に於ける最も秀れた一つであるが、想像過程は同時にまたこのような生活の客観化の過程でもある。
 だから詩人の想像力の心理学的分析は我々を彼の生活・精神そのものの理解へ導く。生活の理解とは、ディルタイによれば、詩によって客観化されるこの生活精神の理解なのであるが、それが他ならぬ詩学[、]一般に文芸学最後の目的である。詩はこの意味に於て「生活理解の機関」なのだ。而(しこう)して詩は生活・精神に於て一般精神史につらなるわけだが、その生活・精神の理解 という点で、彼の詩学 一般に文芸学は、所謂(いわゆる)精神科学の主要部分となる。
 所で理解 はディルタイでは特別な意味を持っている。理解とは、自然科学的事実の自然科学的認識とは異(ことな)った生活・精神の認識のことなのである。それは結局に於て直覚や共感を前提としそれに頼るのだが、併しただの印象的な直覚では客観的な根拠がなく、また理性や思考では、生活の認識には役に立たない。そこで必要なのが解釈 であり、解釈の手続がかの解釈学なのである。解釈学は元来文献学なのであるが、その文献学を文化・歴史の一般的な解釈学に高めたのはシュライエルマッヘルであったが、特にそれを歴史学の方法論として前面に押し出したものは W.V.フンボルト、ドロイゼン等である。ディルタイの解釈学はそれらに基(もとづ)いている。ディルタイの詩学 一般に文芸学の方法は、一般精神科学(歴史学)のそれと同じく一の解釈学である。この点に彼の詩学・文芸学の方法論上の一特性がある。
 それでは解釈とは一体どういうことであるか。ディルタイによると、それは先ず説明とは異ったものであり、且(かつ)それとははっきり対立するものだ。説明とは一定の仮説の上に立ち事物の原因結果の関連即(すなわ)ち因果関係を求めることだ。これに対して解釈とは全体的な生活・精神以外何等(なんら)の仮定なしに、生活の内部相互の間に横(よこた)わる構造連関を求めることである。詩・文芸の如きもの、一般に生きた歴史はこのような解釈によってこそ認識 否 理解されるが、機械的因果論的な説明では認識されない、というので、彼は一般に説明 を方法とする自然科学或はそれに類する科学に対して解釈 を方法とする精神科学を主張し建設した。文芸等や詩学もまたその一つであることは前に見た。
 所で生活とか精神とか云われるものはディルタイでは要するに内的経験、意識の事実であり心理学上の事実に他ならず、その限りに於て社会的関係の総体としての生活ではない。生活の構造連関を求めるということは、ここに於てそういう内的経験、体験の構造連関を心理学的に記述し分析することだ。詩学に於ける想像力の分析もその一つである。彼はこの一般精神科学のと同じように詩学の基礎学乃至(ないし)補助学としての心理学を、普通の説明心理から区別して特に「記述的分析的心理学」と呼んでいる。
 だが如何(いか)なる心理学であれ詩学が一つの心理学であり又解釈学である所に、彼の詩学の限界がある。これは一般に今日のブルジョワ哲学と文芸学の越ゆることの出来ない一限界でもあるのだ。
 ディルタイの文芸学は恰(あたか)もその点に於て今日の文芸学に多大の影響を与え、作家自身にも大きな魅力を以て迎えられている。
 彼のように詩学を想像力の分析に限ることには異論があるであろうが、本書の副題で、彼が一般に詩学……と云わずに「一詩学……」と云っている所にも、起りうべき異論に対する用意が見られるので、その点は暫(しばら)く措くとして、問題は、社会学上の問題でもあるべき想像力を単に心理学上の問題とした所にある。併し想像力についての彼特有の心理学的分析と記述とは、作品が詩人の生活[Leben 生]から そして生活[Leben 生]に於て如何にして創造され、詩人の生活[Leben 生]が想像力に於て如何に成長して行くかを開示し、それによって詩人と作品とを、そして全体として文芸史を所謂「内側」から理解せしめる。殊に詩学の文芸史への適用としての『詩と体験』などはその輝(かがやか)しい例である。そこではレッシング、ゲーテ、ノヴァーリス、ヘルデルリーン等を結節点としてドイツ近世の文芸史(精神史)が取扱われている。これらは夫々(それぞれ)一つの伝記とも見られるが、殊に伝記として書かれた『シュライエルマッヘル伝』の序論中に「私は読者がこの書を閉じるとき、その心に偉大な存在の姿が浮ぶように、併し同時に又現代の科学と生活に関係している厳密に基礎付けられた永久不変の観念の連関が浮ぶようにしたい」と云っているが、『詩と体験』等に於てもこう云った彼の努力が充分に酬(むく)いられているのを我々は見出す。豊富な資料に就(つい)ての実証論的歴史家としての研究と、それに基(もとづ)く周到にして同情のある解釈との、それは見事な統一である。我々はそこに静かな温(あたたか)みを感ずる。このような同情のある学者によって取扱われた作家は慥(たしか)に幸福であるに相違ない。それを読む文芸愛好家にも喜ばれない筈(はず)はない。
 併しまた他ならぬこの点にディルタイの短所がある。文芸を通しての生活[Leben 生]の理解は、解釈の手続上如何に複雑なものではあっても、結局に於いて生活[Leben 生]に対する共感と直観とを前提とする。而して生活[Leben 生]に対して共感し直観する主体は、彼によると、同時にまた生活[Leben 生]でなければならぬ。即ち生活[Leben 生]は理解の対象であると共に原理であって、かかるものとしてそれはいつまでも非合理的なものとして残る。かくして生の哲学(Lebensphilosophie)一般と同じようにディルタイの文芸学は一の神秘主義、生活[Leben 生]の神秘主義に陥る。それでも彼には実践的歴史学者としての合理的側面があったが、エピゴーネン[亜流、独創性のない模倣者]になればなる程それが失われ神秘主義的形而上学的側面のみが拡大されて、救うべからざるものがある。何故ディルタイの文芸学が生活[Leben 生]の神秘主義に陥るかというと、その所謂生活[Leben 生]に対しては、一向(ひとむき、ひたすら)なる直観・共感・愛を前提とする理解と鑑賞は許されても、説明・評価・批判就中(なかんずく)社会科学的批判は許されない仕組になっているからだ。
 実際『詩と体験』を読んでも、夫々(それぞれ)の詩人と作品に対する理解のこまやかさと同情深さには魅力を感じ乍(なが)らも、一面気の抜けたようなもの足らなさを感ぜざるを得ない。彼らが持っている文芸的価値、社会的意義はどうなのか。又レッシング、ゲーテ、ノヴァーリスは、何れも想像力が異常に卓抜だということは分るが、それなら全体としての文芸的価値及社会的意義に於て、そして又全体としての偉大さに於て、レッシングとゲーテ、ゲーテとノヴァーリスとはどう異るかということになると殆(ほとん)ど我々は教えられないからである。
 これは一体どうしたことか。ディルタイに於て、生活は単に精神、内的経験、心理学的一事実として自然と無関係なばかりでなく、社会的関係としての生活とも無関係であり、又精神科学は彼の歴史学でもあるのだが、併し社会科学とも、自然科学とも無関係だとされている(彼の精神科学はだから実は歴史学でさえもないのだ)所に、社会と歴史との客観的存在を無視したそういう任意な主観的な二元論的想定に立っている所に、またそういう想定を無理にも設けようとする所にその根本原因がある。
 精神科学はこのような任意な主観的な想定に基いてのみ「永久不変な観念の連関」を考え出し、理解と鑑賞に於て伸び伸びと文芸と生活を楽しむことも出来、「解釈の自由」を誇り、また自然科学のように真理の一義的な厳密な決定を与えようとせず、ディルタイも云っているように、高々(たかだか)卜占(ぼくせん)的な予言や推定で満足することが出来るのだ。
 私は今、このような精神科学と文芸学が、今日ブルジョワ文芸学の一支柱になっていること、そして十九世紀末から今日にかけて愈(いよいよ)激しくなった階級対立の反映なること、そして支配権力のイデオロギーに結びつきうる可能性を充分に有することについては語るまい。ただ我々は次のことを注意しておかなくてはならない。若(も)し精神科学が科学であるならば、そういう主観的な二元論は許されない、ということを。自然にと同じく、精神の世界――それは人間精神の世界であって社会と無関係な天国ではない――にも、一定の事象については真理は一つしかない筈だ。自然科学が自然に対してなすのと同じように、精神科学もそれを一義的に決定しなければ、科学としての積極的意義を持たず、従(したがっ)て科学としての資格を欠く。若(も)し精神科学が科学であるならば、自然科学と同じように、多義的な解釈 に満足することなく真理の一義的決定のために説明 を必要とする。もとより我々は自然と精神(歴史)、精神と社会との区別、自然科学に対する精神科学(歴史学)の、他方社会科学に対する精神科学の特殊性は認めねばならないが、それと共にディルタイのように両者の共通性を機械的に否定することは、科学及対象の性質そのものよりして許されない。それのことさらなる冒涜こそが精神科学につきもののあの神秘主義をもたらしたのだ。
 ディルタイの文芸学は精神科学の一つとして本質に於てこのような非合理的な核心を持っていることは否めない。今日の我々の課題は、彼の有する実証論的歴史学の半面を生かすことによって、その非合理的な核心を合理化し説明し尽(つく)すことにある。彼の詩学の主題たる想像力について云えば、その心理学的分析を社会科学的分析によって補うことにあるであろう。
訳  者――だ

     
(原文の歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに、圏点を付した部分はイタリック体太字に、それぞれ変えました。また、難読漢字の読みを適宜(  )内に示しました。[  ]内は当サイト掲載にあたっての注記です。)
  

「解釈学主義」批判 目次熊谷孝 人と学問熊谷孝著作年譜資料:鑑賞主義論争