「解釈学主義」批判 −国語教育・文学教育理論の根柢を問い直す−                      

 
平和教育としての文学教育――夏の全国集会へ向けて   熊谷 孝
 
【「文学と教育」bP20 (1982.5) 掲載】

       
 文教研定例の二泊三日の春の合宿研究会が三月下旬、東京・八王子の大学セミナー・ハウスを会場にして開催された。集会テーマは、《第31回全国集会へ向けて ――その共通課題と各パート・各セクションの分担課題の検討》。ここに掲げるのは、この合宿研冒頭の熊谷氏による基調報告の前半部の記録である。 (編集部)
   国語教師と文学教師と(一)

 タイトルの付け方って、むずかしいものですね。《文学教師の条件》というタイトルに夏の集会のテーマを託して、お互いに今、共同研究を続けているわけなんですが、このタイトル、しかし、どうも、あまり通りがよくないようなんです。いろんな機会にいろんな人と話していて、そのことを感じます。
 それじゃあ、どういうタイトルにすればよかったのか? ということになりますが、あれこれ迷ったあげくの今の自分の判断では、文学教師論という私たちの基本テーマそのものを(私たち自身が)放棄し変更しない限りは、タイトルをどう変えてみたところで、今あるような誤解は避けられないだろう、ということなんです。むしろ、今あるような誤解を必至なものにしているような世間の常識との、ごまかしのない対決を通して文学教師の主体を、各自、自分自身に確立するということが、今度の集会のテーマであったはずだと、そう思うわけなんであります。
 今あるような誤解とか、そういう誤解をつくり出している世間の常識、というようなことを申しましたが――これは学生の集まりで話していてのことなのですけれども、「今年の集会は学生や部外者の参加はお断わりってことですか」と、のっけから言われてしまいました。タイトルにある文学教師というのは(教師ということを言ってるからには)それは学校教師のことだろう、という理解の仕方なのですね。
 ですから、文学教師の条件という題が、いつの間にか学校教師の条件という題にすり替わってしまって、これは同業者である学校教師同士集まって、自分たちの問題について話し合う会合なんだろうという判断に、少なくとも最初のうちはそういう判断になってしまっていたらしいのです。 

 それが教職にある人たちの場合になりますと、少しニュアンスが違って来て、文学教師? ……授業の中で文学作品を扱う (こともある)国語科担当の教師のことや、あるいは取り立てて文学の授業を重視しているような国語科教師のことを、そういう言いかたをしてるだけのことだろう、という理解、受けとめ方が一般のようです。
 そうなりますと、文学教師の条件の、条件 ということですが 一事が万事とは言えないかもしれないけれども、私が最近経験させられたような、後味(あとあじ)のあまりよくない経験、そういう言葉反射、反応、受けとめ方も、この条件 という言葉に対しては今はむしろ一般的なんだろう、という気がするわけなんです。
 といいますのは、こういうことなんです。このあいだ教科書問題を話し合う、ある会合に出席しておりまして、私たち出席者がそれぞれに所属している職場なりサークルなり何なりの、今後の集会の日程の中で、教科書問題をどう取り上げていくかということがそこで話題になったわけです。そういう話題の中で、「あなたのところでは?」と訊ねられましたので、こんな標題で夏の公開集会を持つことになっているが、その中で……と言いかけたら、(その時の出席者の大多数は中・高の社会科の教師だったようですが)司会者席の隣に坐っていた、中年の男の先生に、途中でばっさりやられてしまいました。
 「ウチの職場だけじゃないと思うが、教科によって意識や傾向が違っていましてね。特に、国語科の人たちときたら、きょうのような会にはいくら誘いをかけても出てこない。が、生徒に対する発問の仕方はどうやるかとか、授業の導入や締め括りはどうするかとか、そういう授業技術の研究会などには欠かさずに出かけていっている。そういう人たちを相手に集会を組むのはなかなか大へんでしょうな。」
 という、慰められてるんだか皮肉られてるんだか分からないような話を聞かされて苦笑しました。苦笑したというのは、実はこちらが言いたかったような、それでいて言いにくいようなことを、このご仁に代弁してもらっているような面もなくはなかったからです。が、それはそれとして、明らかに、こちらに対する当てこすりですね、あれは。
 ということは、お前さんたちの言う〈文学教師の条件〉というのだって、五十歩百歩、結局は教育職人的・国語屋的・技術主義的な意味での国語科教師の(文学の授業の面にかかわる)資質向上の条件というようなことを考えているだけのことだろう、という臆測めいたものがそこにはあったろう、ということなのですが。
 僕は思うんです、そういう誤解の根は、やはり一つには、このご仁が指摘しているような事柄が、このご仁の職場だけの特殊な事例にすぎないとは言い切れないような、国語教育界の困った伝統と現状そのものにある、というふうにですね。困った伝統の支配? ……戦前・戦後を通じて、解釈学の理論、読解、指導理論に食われっ放しの、多くの国語科教師の姿ですね。それと、このご仁のような方に申し上げておきたいことなんだけど、文学教育を――少なくとも私たちがそこをめざして歩みを進めているような、プロパーな意味での文学教育の営為を、あの解釈学的な文学作品の読解指導と混同しない程度の勉強はして欲しい、という願望を共闘者として私たちは持つわけです。


   国語教師と文学教師と(二)

 そこで、私たちが言う文学教師ということなのだけれども、それがどういうことをさして言っているのか、(お互いに)も う一度確認しておきましょう。
 私たちが言ってるところの文学教師――それは、《文体づく りの国語教育》《文体づくりの国語教育の重要な一環としての文学教育》という私たちに共通の視点的立場からいって、広く一般に文学教育の実践主体に位置づくような人びとのことをさす呼び名でしたね。学校教師として公教育に携わる国語科の担当者は、すぐれて文学教育活動の実践主体であってくれなくては困りますが、しかし何も職業として学校教師そして国語科教師の道を選んだような人たちだけが文学の教師なわけではないでしょう。そのことは、子どもがその成長の過程で最初にに出会う母国語の教師、文学の教師が多くの場合、母親である、ということからも自明なことでしょう。

 この場合、見落とされてならないことは、母親は、(直接的にはわが子に対して)最低限、幼児期を通して、母国語の教師であることで、また母国語文化である文学 の教師でもあり得るという点でしょう。さらにまた、すぐれた文学教師であるためには、彼女はすぐれた母国語の教師としてあらねばならない、ということがそこに確認されなくてはなりません。
 そして、すぐれた国語教師は、よほどの悪条件がそこに作動しない限りは、おのずと文学教師への道を歩き始めることになるだろう、ということなのです。なぜなら、国語教師が自分本来の母国語の教師としての道を踏みはずさない限りは、母国語文化である文学、最もすぐれた母国語操作の結晶 である文学の世界への誘(いざな)いを、目の前の子ども――子どもたちに対して試みることをしない、というようなことは考えられないことだからです。これは、母親の場合に限った話ではありません。学校教師の場合も同じことです。
 別の言いかたをすれば、こうした母親の姿にこそ、国語教師 と文学教師の、したがってまた、文体づくりの国語教育と、文体づくりの国語教育としての文学教育の原型・原像が在る、ということなのであります。

 問題は、そうした国語教師と文学教師との、また国語教育と文学教育との必然的な内部関連が、どこまで当事者自身の自覚にもたらされているか、ということでしょうね。その点の自覚化・意識化を前提(前提条件 )として、はじめて国語教師=文学教師の資質が幅と深まりを持つようにもなるのでしょうね。皆さんには再三紹介を繰り返したことなのですが、次のようなJ.デユーウィの発言は、ここでの問題の本質を(切り口は別ですが)実に明確にえぐり出してみせております。
 「花が咲くのは、土壌や空気、湿度、種子などが作用し合った結果であるが、この相互作用 のことは知らなくとも、花を愛玩することはできよう。しかし、そうした相互作用のどういう ものかを考えてみなくては、花を理解 することはできないだろう。理論 とは、この理解のことなのである。……植物をどんなに愛玩しようと、その原因となる条件 を理解できないことには 植物の成長と開花を左右することは、まず偶然的にしかできはしないのだ」しかじか。
 植物の――この場合、子どもの成長と開花を左右することが偶然的にしかできない、というのでは困ります。そこで、自分の子育て実践に実験的な意味 を持たせて、自分を見つめ直すということ、またそのことを契機の一つ として、ポキポキ、ギクシャクしない幅のある理論を自分自身に用意する必要があるのでしょうね。
 理論とは、この場合、子どもの成長と開花の条件 ――諸条件の相互作用の理解(僕自身の言葉で言い直せば、実践的な主体的認識)のことです。その相互作用というのが、今ここでの課題に即して言うと、母国語の教師である国語教師と、(母国語操作のすぐれた結晶である)母国語文化の教師としての文学教師との必然的な内部関連のことだ、ということになるわけなのであります。つまりは、そうした内部関連をきっちり押えた国語教師論=文学教師論を、まさに実践的な理論として用意する必要が今はあるだろう、ということなのであります。


   魂の技師としての文学教師  

 そこで、いま一度、文学教師とは? という点について確認を、と思います。お配りしてあります刷り物の一枚目にお目通しください。これは、この夏の全国集会の日程表を兼ねた集会案内の表紙にアピールとして掲載を予定しているものです。ついでに申しますが、二枚目のほうも、やはり、この集会案内に付載することを予定しておりますところの、集会の趣意書みたいなものです。集会プログラムの大まかなコメントを兼ねた、集会の趣旨説明ですね。研究企画部で草案をつくれ、ということでして、山下明さん、夏目武子さん、それに私の三人で、ああでもない、こうでもない、と揉み合いを続けながら書きあげたのが、この二枚の刷り物に在りますようなアピールです。
 いま申しましたように、これは草稿・草案です。皆さんの審議を経て、修正していただいて成案になるという性質のものであるわけです。僕個人の意見も多少はいり込むかもしれませんが、ともかくこの案文に即して、提案の趣旨みたいなことを、研究企画部の側から代弁させてもらいます。

《アピール》
 ここにいう文学教師――それは、自身に文学を必要とし、また、文学の人間回復の機能に賭けて、若い世代の“魂の技師” たろうとする人びとのことである。こういう人びとの中には、当然、学校教師もいるだろう。当然また、人の子の親や、兄や姉もいるだろう。限界状況の一歩手前まで追い込まれた、日本の社会と教育の現状は、今、まさに、そうした人びとの文学教育への積極的な参加を求めている。
 お目通しいただいた案文で、文学教師とは? の確認に代えます。母親こそ、子どもが最初に出会う文学教師である、という先ほどの話題を、この案文の叙述と重ね合わせてお考えになってみていただきます。また、文学教師であることの自覚や、文学教師としての自覚がそこに伴なうならば――と言ったことの意味についても、ご再考ねがいます。思えば、今度の夏の集会は、そういうことの意識化・自覚化を、自分という実践主体の問題として考え合うことをテーマとして組まれた研究集会であったはずでしたね。
 これはただの注ですが、案文中の「文学の人間回復の機能」 云々――むろんのこと、普通に詩だ小説だ、文学作品だといわれているようなもののすべてがそういう機能を持っている、という意味じゃありません。太宰治(『男女同権』)の言い分じゃぁりませんが、中には、散文をただ頻繁に行替えして並べただけで、詩だ、と称しているようなシロモノだって、ないことはないのですから。
 僕が言うのは、文学のエスプリは本来そういうものだ、ということです。文学本来のエスプリは、しらずしらずに見失ってしまっている自分の人間を自分自身に取り戻す、そういう精神の機能を持っている、という意味なんです。これが文学の創造と創造完結(鑑賞)の醍醐味ですね。ではないですか。
 で、もしも、普通に文学作品という名で呼ばれている、すべての作品が、そういう文学のエスプリに満ち溢れているような作品ばかりだったら、私たちが取り立てて作品を評価するとか教材化作品の選択をどうするか、といったことに、あまり神経を使わなくとも済むはずです。また、ことさら、《異端の文学系譜》を探り求めて、その中で教材化作品を選ぶ、というような手数もはぶける、というものです。そうではありませんか。ですから、「文学の人間回復の機能に賭ける」というのは、文学のエスプリの横溢しているような作品を掘り起こして、その作品が示しているような、作品それぞれに個性的なその 人間回復の機能に賭ける、ということ以外ではありません。
 次の、「魂の技師」――断わるまでもないでしょう、ゴーリキイの言葉です。文学者の使命というか、その機能的役割りをさしているわけです。
 それを私たちは、次のような私たち自身の持論を前面に出して文学教師もまた魂の技師としての任務と役割りを負っている、ということを案文の中で言ったわけなんであります。持論と申しましたのは、いえ持論ですから、ここでくどく言う必要はありますまい。《創造の完結としての読者》という、あのことです(小著『芸術の論理』/T「芸術の原点への思索」/1「創造の担い手としての鑑賞者」参照)。つまり、作家・芸術家が創造者の栄誉を担うことは言うまでもないけれども、その創造の完結は 、読者の鑑賞を待って初めて実現するものだ、したがって読者もまた、その意味で創造にコミットしていると考えざるを得ないだろう、というようなことでしたね。作品の内容をスタティックに、汎言語主義的に一義的なものとして理解するのではなくて、それを〈送り内容〉と〈受け内容〉の弁証法として動的にダイナミックにつかみ取る限りは、というのでしたね、私たちの持論というのは。
 そこで、そういう持論に立って考えますと、鑑賞者=読者にもピンからキリまであるわけなのでして、そこには、みごとな完結のさせ方も見られると同時に、なんともぶざまな 完結のさせ方も見られる、というわけです。そこでまた、文学教師は、自分たちめいめいの教育の場面、場面で、そこに学習者としてのポジションに在るところの「若い世代」の「魂」に働きかけて、彼らをすぐれた鑑賞者、すぐれた創造の完結者にはぐくむ任務を負ってる、ということですね。文学教師を、魂の技師と呼んだ理由は、うまく言えませんが、そういうことです。


   イデオロギー主義=素材主義

 
次に、二枚目のコピイにお目通しいただきます。
《今次集会の課題と構成》
1. 文教研・全国集会の日程は、例年、ヒロシマの被爆の日を中心に、8月5日〜8日に組まれている。そのことの意味を、最初に、まず、確認し合いたい。今回もまた、集会を、核の完全廃棄をめざす反戦・平和の国民運動へ向けて、文学教育運動本来の視点的立場からの共闘・参加の場にしなければならない。

2. とりわけ、今年の集会は、《平和教育としての文学教育》の担い手である文学教師の、実践主体としての資質の条件
――条件づくりについて考え合う場にしたい。教師の資質(プシコ・イデオロギー、文学的イデオロギー)を幅のあるものにするための条件づくりである。教育荒廃の今日的状況を、しゃにむにそこにつくり出している、反動政治権力の凶暴さを身にひしひしと感じるがゆえの、そうした疎外・抑圧から教育を守り抜くために必要とされる教師の資質と条件を、今は文学教育の場に即して考えてみようというのである。

 案文の1.と2.では、集会の全体テーマに関して、このあと読みます3.と4.では、集会の構成についてのコメントを、というつもりの案文の文章なわけですが、初めは前半の全体テーマに関する部分を話題にいたします。
 1.の「文学教育運動本来の視点的立場からの共闘・参加」しかじか、ということと、2.の「平和教育としての文学教育」ということ、そしてまた、その「担い手である文学教師」しかじか、ということを一括しての話になりますが、まず初めに確認し合いたいと思いますのは、至って当り前のことなのですけれども、文学教育の営みは平和教育以外のものとしてはあり得ない、という点についてなのです。
 それは、井伏(鱒二)さんの文学なんかを例にしていうと、『黒い雨』を扱えば反戦・平和の教育になるが、『朽助のゐる谷間』や『夜ふけと梅の花』なんかを取り上げるんじゃ、平和教育としての文学教育だとは言えない、というようなものではありません。『朽助』では平和教育にならない、『黒い雨』なら、というのは、観念の先走った素材主義的な発想です。素材を主題と取り違え、そこでまた文学の論理にくるっと背を向けたところの、困った想念だ、と言うほかありません。
 その片側ではまた、『黒い雨』は教科書にはなじまない、というようなことを言いたくて言いたくて、うずうずしているような向きもあるとかないとか。まさかとは思いますし、まさかそうしたことがあろうとは思いたくもありませんが、先ごろのあの、『屋根の上のサワン』を、構成がシリメツレツだから教科書から下ろせ、という批判は、実は、『屋根の上のサワン』 という作品に対する批判であるというよりは、この作品の作者が『黒い雨』の作者井伏鱒二であるからしておこなわれたケチつけである、そうに決まってる、といった声もそこ、ここで聞かれます。
 それはそれとして、『黒い雨』を教科書から下ろせ、はずせというようなことで、もしもあるとすれば、『屋根の上のサワン』や『鯉』に対する非難・誹誘(ひぼう)を含めての話ですが、私たちは、機会あるごとに、というよりは機会をつくって批判・反論を展開しなくてはなりません。
 ところで、その反論には、二つのモメントがあるわけでしょう。一つは、民主主義社会のルール――憲法を無視した、政治権力の教育への不当な介入に対してですね。このほうの批判・反論は、いわば政治と教育の問題一般に関するものなのですから、反論する側の意見や見解に食い違いが生じるはずはありません。ところが、もう一つの反論のモメントはといいますと、もはやルールがどうのという次元の問題ではなくて、論理の問題でしょう。文学の論理自体の問題でしょう。
 つまり、言ってることが、(たんにルールの問題に関してだけではなくて、文学の論理に照らしてみて)おかしいんじゃないか、という、そういう問題でしょう。『黒い雨』の場合を例にするのは、今は一応仮定の話ですので、こちらの言いかたもいきおい歯切れが悪くなりますけれども、ともかくいつもの出方からすると、反核感情をあおり立てることになりかねないような、被爆者の悲惨な現実に取材しているから好ましくない作品だ、という、多分それに近い判断の仕方なんだろうと思いますね。反核は反米につながるから困る、困るんだ、という意味のことを、ついこのあいだも日本の首相が言ってましたね。
 これは作品論、文学論ではなくて、政治論ですね。それも、ファッショ的なイデオロギーによるところの……つまりは、民主主義の想念とはあい容れないところの……。が、見ようによっては、というか考えようによっては、これも文学論の一種であり、一種の文学論なんでしょうね。そういうことになるんだと思います。というのは、右寄りだとか左寄りだとか、そう いう区別は別にして、文学論・作品論ということで言えば、それはイデオロギー主義の、そしてまた素材主義の文学観による作品論だ、ということになりますのでしょう。そういう性質、 そういう種類、そのてい の文学論だという意味なんです、僕の言ってるのは。
 論理の次元の問題として言えば、それは、虚構・典型の論理、 つまりは文学の論理の道すじを踏みはずした、素材主義の文学観によるところの文学論・作品論にほかならない、ということですね。〈文学の論理〉の面からの批判――そのことが反論の第二のモメントになるわけです。


   論理のごまかしは許されない

 ですから、こうした右翼的なイデオロギーによる素材主義的な文学観、またそうした文学観に基づく文学論・作品論に対する批判が、ただ単に、そのイデオロギーの傾向性に向けられるだけでは本当の批判にはならないわけです。また、その批判のありかたが、イデオロギーが違うというだけで、やはり素材主義の文学観・文学論の立場にとどまるものであるというのでは 「文学教育運動本来の視点的立場」からは共闘の組みようがなくなるわけです。
 その理由をくどくど繰り返して言う必要はありますまい。文学の論理に背を向け、また、精神の自由をひたすら守り抜くという文学本来の精神に背を向けた、文学教育というようなものはあり得ないし考えられないからです。文学教育の営みは、「文学の人間回復の機能に賭けて」文化への限りない愛と、精神の自由を守り抜く、そのようなメンタリティーを持続的なものとして、子どもや若者たちに育(はぐ)くむ営みなのであります。
 そのような教育の営みは、教師自身が文学の論理を自己のプシコ・イデオロギーにおいて(あるいは、自己のプシコ・イデオロギーとして)充分に主体化し得ていてこそ、みのりあるものになるのだと思います。そのような文学教育の営みが平和教育以外のものとしてはあり得ない、ということは、もうこれ以上コメントを加える必要はあるまいかと思うんですが、どうでしょうか。
 誤解がないように申し添えますが、共闘の組みようがないと言ったのは、第二のモメントに関してなのであって、現にお互いに平和教育を志向するもの同士、第一のモメントを共軛する通路として連帯し共闘を続けているわけなのであります。この連帯の絆(きずな)は、いついかなる時にも大事に、大切に守られなくてはなりません。
 ただ、第二のモメントについてなのですが、論理のごまかしやへンな妥協は、平和教育運動自体の深まりと発展にとって、マイナスでこそあれプラスにはならない、と私は思います。でありますから、ひと頃そうであったように荒々しく、声を大きくして罵り合うのではなくて、しかしお互いに歯にきぬ 着せずに、論理の面でもっともっと話し合ってみる必要があるように思います。
 そんな思いで、きようも言いたいことをズバズバ言ってるわけなんですが、僕みたいな考え方は国語数育の世界では少数派なことは重々承知しております。承知してはおりますけども、民主主義というのにもいろんな民主主義がありまして、「お前の意見は間違っている。なぜならば、お前の意見は少数派に属 しているから。」というような、多数決原理の議会制民主主義は、ここでは困ります。少数意見でも正しい場合もありますし、多数の意見でも間違っている場合もないわけじゃありません。学問や教育の世界に多数決原理を適用するのは、それを平和教育連動の側に立つ人びとがやるのは自殺行為です。この多数決原理のせいで、いつも苦境に立たされているのは、ほかでもない、これらの平和教育の提唱者や実践家ではありませんか。


   平和教育――それが文学教育の体質だ

 いろいろ申してまいりましたが、文学教育の実践者の場合同様、読解指導や読み方教育の視点的立場に立つ人びとの中に、やはり、平和教育を唱える数多くの人びとのいることを私は、よく承知しております。思うに、これらの人びとの平和教育への志向は、そのすぐれたイデオロギーなりプシコ・イデオロギーによってもたらされたものなのでありましょう。それはそれでいいのです。一般的にいって、イデオロギーやプシコ・イデオロギーに導かれないような平和志向、平和教育志向というのはあり得ないわけなのですから。
 その点、文学教育の視点的立場に立っているような人たちの場合も同じことだと思います。ただ、次のような両者の違いは、はっきりさせておく必要があるかと思います。
 文学教育の視点的立場を明確に自覚しているような人びとの場合は、文学教育自体が内発的に持っているところの平和教育としての教育性格と、自分たちのプシコ・イデオロギーとが矛盾なく結び合っている、と言ってよさそうなのです。むろん、他のさまざまな矛盾は解決・解消されずに残存し続けるのは、これは言うまでもないことですけれども、自分が営む教育の作業内容と、自分自身のイデオロギーの方向性や、プシコ・イデオロギーなどとの間(あいだ)に矛盾・相剋は見られない、という意味です。繰り返しになりますが、平和教育――それは、いわば文学教育の体質的なものなのであります。
 そのことを教師自体について言えば、文学教育のそうした教育性格になじまない(あるいは、なじめない)人には、それが心からなじめるようになるまでは彼(あるいは彼女)の手では“文学教育”はそこに実(み)を結ばない、ということになろうかと思います。文学の教師には、自身に、はっきりと精神の自由を守る側に立って行動するという意識が(切り口をかえて言えば、逆にメンタリティーの自然において平和と自由を志向するというプシコ・イデオロギーのありかたが)必要とされる、 ということでもあります。
  一方、読解指導の視点をとる人びとの平和教育への志向は、自分たちが授業実践の拠りどころにしているところの、〈文学作品の読み方教育〉なり〈文学教材の読解指導〉なりの方法原理や、その根底をなしている世界認識(実は認識ではなくてただの解釈、生の解釈)によって導かれたものではないし、また そこへ結びつくような性質のものでもない、という点を指摘しておかなくてはなりません。その点の論理的な解明へ向けて、続いて話を進めたいと思います。 (未 完)



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