文学教育的モティーフ――芸術過程と象徴過程――      熊谷 孝         (『文学と教育』25 1962.8)
     《はじめに》 これは、文教研・第五回研究集会における氏の報告の導入の部分です。(編集部)

文学教師の条件
 先刻、福田(隆義)、鈴木(勝)、寒川(道夫)の三氏によって、生活綴り方と文学教育の方法的関連を明らかにしようというきわめて実践的・具体的な報告が行われました。さらに僕のこの報告が終ったあとで、荒川(有史)氏が、国語教育の指導体系に関して、理論面からの報告を行なうことになっています。
 そういう理論と実践との双方の面からの報告の間に割りこんでみても、これといって何も話すことはないのですが、文学教育の文学 ということについて……つまり一おう教育というわく組みから離れて、文学の機能そのものについての報告を行なうことで、福田氏たちの報告と荒川氏の報告との、橋渡しというか、つなぎの役を分担することにします。いいかえれば、文学教育のいとなみがその機能にそくして進められなければならない、文学の機能――文学のもつ芸術的機能のどういうものか、という点にさぐりを入れてみよう、というわけなのであります。
 きょう、ここに予定している報告の内容は――

@ ジョン・デュウイーが一九三一年にハーヴァードでおこなった講演――その講演は彼の著書『経験としての芸術』に収められているわけですが、その中の、言語主義批判に関する部分の紹介と、こんにち第二信号系理論を媒介させることによる、このデュウイー理論の批判的・発展的受けつぎの問題
A 芸術の認識機能の核としての象徴機能について
B 日常性と芸術性の関連
というような点についてであります。
 が、本題にはいる前に、きょうのこの報告のモティーフ――文学教育的モティーフについてお話しておきたい、と思います。

 それは、まず、文学教師の条件というような点についてなのですが、自分自身文学を愛し、文学を必要としている人間であることが、その前提条件として教師に対して求められるのではないかということです。子どもたちの成長と発達にとって文学を欠きえない、という反省と自覚から、僕たちの文学教育のいとなみがはじまるわけですが、しかし実は、そのことは何も子どもたちの場合にかぎられることではない。人間がたえず成長をなしとげていく上に、つねに文学を欠きえない、ということなんだ、と思います。
 だからして、自分が文学を必要としていないような教師に、どうして文学教育ができようか。真実そう思うのであります。
 教えるために、教材研究という姿勢で児童向けの作品を読むが自分自身の文学は持っていない……という先生があまりに多いというのが、僕の経験的実感です。
 なぜか、おとなの心で、おとな自身の問題を追求しているような作品には関心を示さないで、子供向けの作品だけを、しかも形式段落だ、意味段落だ、叙述だ、構想だと切りこまざいて、根ほり葉ほり入念に(?)読んでいる。つまり、あまり文学的とはいえないような読み方で読んでいる。これは、どういうことなのか?
 多分、それは、「教えるために読む」という構えがわざわいしているのであって、自分の興味で読む、自分のために読むということになれば、自然、読み方も違ってくるように思うのです。自分のために読む、ということになれば、そしていくらなんでも、『りこうすぎた王子』や『マッチ売りの少女』ばかりは読んでいられない。それは非常にすぐれた作品ですし、おとなになってから読み返してみることで、子どものころ感じたのとはまた別個のまあたらしい感動に誘われる作品ではありますが、しかしおとなだけが知っている悲哀や悔恨や、そこをつきぬけた悦びといったものは、そこにはない。それがないからこそ、児童文学なわけです。
 つまり、自己の関心に促がされて読む、自分のために読む、ということであれば、まさか児童文学だけで自己の文学的欲求がみたされるということはないはずなのであって、目はおのずから成人文学の世界へと向けられていくはずなのです。しかし、現実にそれがない。一体どういうことなのか、僕にはよく分かりません。ともあれ、こういう状況のもとでは、文学教育が不毛に終らざるをえないのは当然だろう、と思います。

文学観念の変革を
 数学を知らない人が、ひとに向って数学を教えるというようなことは不可能にきまっています。数学を知っている、それが分かっているということだけで、数学を「教える」ことはできません。が、少なくとも数学を知らなくては数学を教えられません。
 それと同じように、文学が分からない人間に、文学の学習指導というような仕事ができるはずがありません。僕は数年来、《だれにでも出来る文学教育》というようなことを口にもし、書きもしてきましたが、今となっては「だれにでも出来る……」のだれ にハッキリ条件を付けておく必要を感じます。
 つまり、唯今申しましたような、自分自身文学を愛し、文学を必要としている人間でなければならない、という条件です。
 条件を、さらにもう一つ追加します。その条件は、たえず自己の文学観念と対決し、たえずそれを変革し更新していく姿勢、ということであります。
 というわけは、教師その人の“文学とは?”が、その教師の文学教育の方法と教室の実際を決定するからです。早い話が、文学の認識性格を一義的なもの(一本道の抽象)であると考える教師と、それを多義的な現実のまるごと の抽象であると考える教師とでは、指導の方向も、方法も、そして結果も、おのずから違ったものになってくるでしょう。
 前者の場合、生徒たちによる表現理解の個人差は、究極において埋めつくされ解消されなくてはならないものとして考えられ処理されるでありましょう。後者の場合は、むしろ、表現理解の個人差を前提としているのが文学の表現というものだ、という視点に立っての指導が、そこに行われることになるでありましょう。この二つの文学観念、この二つの指導の方法は、どちらかがよりまともで、どちらかがズレている。少なくとも、それは、どっちだっていい、という性質の問題ではなさそうです。
 ということは、つまり、教師その人の文学観念の問題は文学教育自体の問題である、ということです。どういう観念を持とうとオレの自由だ、というセリフは、教師のばあい通用しません。

 文学教育は現実に、@文学への教育と、A文学による教育との二つの活動の側面の統一としてあるわけですが、たとえば、この《文学による教育》ということにしてからが、教師その人の文学理解、文学観念のありようによっては、はなはだ奇妙なことにもなりかねません。
 これも一種の《文学による教育》だということで、文学作品を「道徳」教育に「利用」できる、と考えるような考え方(文学観念)については、いまさら何も言うことはありません。が、社会科などで、近世なら近世の社会構造や、当時の人間の生活や生き方といったことを生徒に分からせるために、近世文学の古典を教材として使う、というような場合です。そこでは、文学による子どもたちの人間形成とか、作品の芸術的な理解というようなことが目的ではなくて、この場合の直接の目的は社会のありようそのものの理解ということにあるのだから、文学生・芸術性というふうな面は一おう捨象してかかってもいいだろう、といった考え方を示す教師がいます。
 しかし、文学生を切り捨てた“読解”では、作品の表現に象徴された本来の意味を読みとることはできません。……太宰治は、『鴎』という作品の中で、
――何だか聞える。ひそひそ聞える……
と書きつけていますが、文学生を無視した“読解”では、かんじんのことが何も聞えてきません。
 同じ作品の中で、またこの作家は「唖は、悲しいものである。私は、ときどき自身に、唖の鴎を感じることがある」とも書いていますが、文学の表現は、いわば唖の表現――象徴的表現にほかなりません。こちらが唖に(少なくとも唖の心情に)ならなければ、その表現にシンボライズされた意味を、感情体験において、イメージとして準体験することはできません。……と話しているうちに、象徴の問題にふれてまいりました。そろそろ本題にはいることにしましょう。(未完)

〔追記〕 次号に続編掲載の予定でしたが、重複する個所がありますので、九月上旬刊行予定の小著『文学――創作と鑑賞の論理』(後注:1963年4月刊行『芸術とことば』)の叙述にゆずります。
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