古典教育の視点      熊谷 孝         (『文学と教育』12 1959.11)
 はじめに
 速記録にしたがって、氏の講演の一部をここに掲載します。本来の演題は「西鶴研究の問題点」というのですし、二時間余にわたる講述なのですが、ここにかかげるのは、直接古典教育に言及された、その一小部分です。
 なお、この講演は、先月下旬に、大阪府高校教員特別研修会の記念講演として行われたものであります。会場は、大阪府立夕陽丘高校でした。(編集部)

失われた体験

 
そろそろ持ち時間切れのようです。あますところ、二十分そこそこで、今日の話も終らなくてはなりません。先を急ぐことにしましょう。で、先刻来問題にしている、古典教育の視点ということについてですが、私の考えているところを端的に申しあげて、皆さまのご批判をいただくことにします。
 さっきの話につなげて申しますと、それぞれの時代の民衆の間に受けつがれてきた、民族固有の体験というものがありはしないか、と私は考えるのです。それを、民族固有の仕方における民族的体験の世界というふうに言ってもいいかと思うのですが。
 もっとも、その受けつぎ方は、無媒介な受けつぎではないのであって、その時代、その時代の民衆の時点における受けつぎなのであります。したがって、その体験――いわば原体験とでもいうべきものですが、形そのものとしては、それはすでにその面影をさえとどめていない、というのが、むしろ普通かと思います。
 今は失われた、過去のそうした数々の体験のなかに、しかしこんにち、そこをくぐることに深い人間的な意味と感動を見つけるような体験がないわけではない。むしろ、そこをくぐり抜けることで、この人間疎外の時代を生きる私たちが、この疎外状況から私たち自身の人間を回復させ確立させる手がかりがつかめる、ということがありはしないか。そう考えられるのであります。考えられる、考えられないというより、これは私たちの実感、共通の実感ではないかと思います。民衆の古典を通してでなければつかむことの出来ない何かが、そこにはある。……と、そう実感するのですが、多分、私ひとりの感想ではあるまい、と思います。

追体験と準体験と
 また、これは私の持論ですが、《体験をくぐる》のであって、追体験というのとは話がおのずから別であります。失われた体験を《くぐる》ことと、それを追体験することとは、違った文脈の話です。
 追体験というのは、相手の体験に同化すること、すくなくとも同一化を理想像とした体験の仕方のことらしいのですが、私のいうのは、追体験ではありませんで《準体験》なのです。それは、たとえば、こういうことなのであります。
 私たちは現に、教師として学生や生徒の指導に当っているわけですが、若いこのハイ・ティーンや二十代の学生諸君の体験をくぐって歩みを進めるのでなければ、充分の意志の疎通をもって相手を指導することなど、望み得べくもありません。私のレクは、とくに教養課程の講義など、漫談半分のごく常識的なものなのですが、しかし学生に言わせると「むずかしい」のだそうです。なかには、つまらない、なんて言うのまでいる(笑)……つまらない、というのは、これは講義内容に対する批判を含んでいるわけですから話は別ですが(笑)、相手をわからせることが出来ないというのは、これは相手の体験をくぐって話を進めていないからのことであって、こちらに責任がある。
 学習者の体験をくぐらない指導では、一方通行、アマクダリの授業に終らざるをえません。つまり、お互がお互、相手の体験をくぐり抜けることが出来たようなときにだけ、一方通行ではない対面交通のコミュニケーションが学習の場において成り立つのです。いや多分そういうことなんだろう、と思うだけです。今日の授業はうまく行ったぞ、というような満足感を私は味わったことがないので、実感としてはわかりませんが、リクツとして多分そういうことになるのだろうと思います。(笑)……
 こちらの言うことが、こちらの文脈にしたがって相手に通じた、わかってもらえた、という時は、じつは相手の文脈をたどって、こちらの考え方、感じ方を相手の体験にかさね合せることが出来た時なのであります。話が通じる、通じたというのは、つまりそういうことなのであります。
 話が通じたということは、しかし相手がこちらに同化した、ということではありません。すくなくとも、一体になったということではありません。相手の考えがつかめた、ということと、相手の考えや考え方に共感する、ということは、話が全然別です。私の講義がつまらんという学生のなかには、ちゃんとこちらの言うことはつかんだ上で、あの教授のカビの生えた思考方法にはついて行けない、ツキアイきれない(笑)……とこう言っているのもいるわけなのですから。
 ともあれ、体験をくぐるというのは、ですから相手と同一化するということではりません。相手の意見との一致点を見つけた、或いは全面的一致を感じたという場合にしても、それは自己の主体を喪失したということではないはずです。たとえ主体の位置づけ方に大幅な変化が起ころうとも、であります。主体の位置づけ方を変えるのは、主体自身であるからです。
 追体験の論理――それは主体喪失の論理のような気がしてなりません。というのは、あながち、己をむなしうして天皇に帰一し奉る、という例の戦時ちゅうの追体験・同化の論理をここに連想するからだけではありませんが。……が、お互さま、あの論法には閉口しましたね。ウムを言わせないのですから。論理がないくせに、無の論理だなんて言うんですから(笑)……あのころ、無の論理は論理の無である、というシャレをとばしたら、これはひどく怒られた(笑)……ともかく、そんな記憶があります。シャレというヤツは二度くり返すと面白くもなんともないのですが、でも申しましょう。笑ってくださらなくて結構です。追体験の論理――主体喪失の論理は論理の喪失である(笑)……実はマジメに私はそう考えるのであります。

人生に見物席はない
 失われた体験の世界への準体験ということを私がいうのも、だからそうした過去の体験や体験の仕方への同化の必要を語るものではないのです。そこをくぐる必要がある、ということをと言っているのであって、同化の必要を言っているつもりはないのです。
 敬愛する西鶴の文学にしてからが、そこに示されている体験を追体験するというようなことは不可能ですし無意味です。私のいうのは、今は失われた、その体験――十七世紀の民衆による民族的体験(民衆の時点においてつかみとられることで民族的な意味をもちきたした、大衆の生活体験)を、そしてそうした体験の要約としての思想や感情を、こんにちの準体験として再生産する必要がある、ということなのです。
 私のいう、古典教育の視点というのは、そういうことなのであります。学習者の間に、そうした準体験を成り立たせる古典教育を、原理的にも方法的にもジュスティマズィーレン(体系化)することの必要をいっているわけなのであります。別のいい方をすれば、古典教育の方法を、追体験ではない《準体験》として確立しなくてはならない、ということなのであります。本来の主題である西鶴文学につなげていうと、次のようなことになるでありましょうか。
 「人はばけもの、世にないものはなし」(『近年諸国咄』序)――先刻来ルル申しあげましたように、西鶴は、人間を化物としてつかむことで、化物どもの右往左往する、この人間世界の姿を喜劇としてとらえました。人間を化物と考えるということは、自分という人間、自分自身を化物としてつかむ、ということであります。自分のなかにひそむバケモノを発見し自覚することであります。つまりは、自己の非人間性を、それを克服する姿勢において見つめる、ということにほかなりません。
 ひとは、しばしば、西鶴文学の笑いを転合(てんごう)の笑い、はぐらかしの笑いとして軽く見すごしているようですが、はぐらかしの笑い――それは、傍観者の態度がもたらす笑いにほかなりません。笑いのなかに問題を回避する、傍観者のあざとさ……それが転合の笑いであります。西鶴文学の笑いは、その意味ではむしろ、泣くほかないこの現実を、泣かずに生きていけるようにと問題をさぐるところに成り立つ、喜劇精神の笑いですあります。
 その笑いは、きびしい。読者は、初めに笑った分だけ、後で考えこまなくてはならない。或いは、別の笑い方でもう一ぺん笑い直さなくてはならない。たとえば、他に対する嘲笑が自嘲につながり、自己反省と黒い手への怒りに転ずる……といった、何かそうした笑いであることは、前に『世間胸算用』などについて見てきたとおりです。実にきびしい。何よりも自分に対して、きびしい。まず、自分を突き放すのです。自分を突き放して、自分が化物の一人だという自覚をもつのです。「人はばけもの」とは、自分が化物だということです。
 自分を突き放して見得ることで、他を突き放して見ることが可能となるのです。自他を突き放して、それを化物としてつかむところに、西鶴の人間喜劇が成り立つのです。人生に見物席はない。すべての人間が、舞台の上に立たされている。これが人生劇場の構造です。見物するといっても、自分自身、舞台の上にあって演技しながら、舞台の風景を見廻すほかないのが、人生です。ですから、現実のルツボのなかに自分自身意識してとびこみ、自他を突き放して見得る人間だけが、現実そのものをリアルにつかめる、ということになるのであります。

分化と未分化
 西鶴は、つまり、そうのようにして、現実を、人生をリアルにつかんだ作家でありました。彼のリアルな目に映った人間の姿は、そしてバケモノであります。人は化物――それは、疎外されたこの社会を生きる人間は、程度の差こそあれ、すべて自己疎外におちいっている、ということを言っているわけです。そこで、人間回復、民衆的人間の探求と発見、という点に、西鶴文学の究極の課題がしぼられてくるわけであります。先にごいっしょに考えてまいりました、『万の文反古』のこよし(巻一・四『南部の人が見たもまこと』のヒロイン)や、『置土産』の利左夫妻(巻二・二『人には棒振虫同然に思はれ』の主人公たち)の姿は、内側と外側とから同時に襲ってくる人間疎外の力に抗して社会の壁に向ってからだをたたきつけた人間の姿をあらわしているように思われます。

 西鶴的体験の世界――それは、むろん、前近代の体験にぞくしています。が、前近代がつねに近代より低いと考えるのは、近代人のウヌボレにすぎません。あえていえば、日本の近代は、近代主義以外のものではなかった。近代の観念が、ただマボロシとしてそこにあったにすぎません。
 と言ったのでは、すこしコトバがすぎるかもしれませんが、観念と現実との背中合せの関係がそこに見られることは確かです。一人一人の人間のなかに、それがある。高邁な近代的理想を口にしている人間の行動が、現実にはどす黒く非人間的なそれにすぎない、というふうな例は、そこここに見られるのです。そういう矛盾に気づいていない場合もあるし、気づいてホオカムリしている場合、逆に居直った態度をとっているような場合等々、ケースはさまざまですが、ともかく観念と行動・生活との二元的な対立と矛盾が、そこにはあるのです。
 ところで、そうした矛盾や対立は、近世封建民衆の場合には見られません。生活と観念との一致が、そこにはあったわけです。もっとも、そこでの一致は、一致というよりは、この二つのものの未分化をいいあらわすものなのかもしれません。
 で、それが未分化であるために、生活そのものが一たび危機におちいると、観念までがそれに応じて低下する、という弱さ、もろさを示すことにもなっているのです。その点に、近代民衆
[近世民衆?]の限界といったものを感じさせられことは確かです。
 が、それはともかく、私たちがいま現に経験しているような、観念だけは一おう進歩的だが実生活はぐうたら、というような矛盾は、そこには見られません。つまり、未分化から分化へということが、それとして進歩や発展を意味してはいない、ということです。つまり、分化が同時に分裂――一種の精神分裂みたいな分裂につながるような分化であっては困るのです。分化の上に立った、その両者の統一……何かそうしたことが望まれるわけであります。
 という視点、という必要から、こんにち私たちは、西鶴的体験の世界をくぐらなくてはならない。そう考えるのであります。しかし、それは、くぐるのであって、同化し追体験するのではありません。今となってはその限界がハッキリしているというのに、あの未分化状態にもう一度かえろう、というのではありません。そうではなくて、生活と観念との一致、統一のためにそこをくぐろう、というのであります。

文学教育としての古典教育
 
 ところで、こんにち、古典教育全般の動向は、追体験のための古典教育への道をたどっているように思われます。追体験を方法とする古典教育――それがどういうものであるかは、戦前・戦中の修身教育・歴史教育・国語教育において、いわば実験済みです。それは民族エゴイズムの別名にすぎない、国粋主義・排外主義への道にほかなりません。
 追体験か準体験か――そのいずれに古典教育の基本的な視点を設定するかは、古典にもう一度戦犯の役割を強制するか、それとも深い人間的感動に結びつく文学として古典を私たちや私たちの次の世代の間にもたらすか? 決定的な分かれ目となるのであります。ともあれ、私は、中学校改訂指導要領に示されているような、「道徳」教育としての古典学習の方向を否定します。それは中学校だけの問題ではなくて、同時に高校教育の問題であります。古典教育は、文学と教育としての古典教育とならなくてはなりません。
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