「赤旗」 1983年11月26日号 掲載    

  なぜ、いま、芥川文学か   熊谷 孝

 今はまだ仮説でしかない。が、いわば《徳冨蘆花の『謀叛論』と若い日の芥川竜之介》といったテーマの切り取り方で芥川の世代形成過程を考え、芥川文学の地下水とでもいうべきものを、『謀叛論』に媒介された大逆事件との関連の中でつかみ直そう、という試みが、いま始まっている。
 いうまでもなく『謀叛論』は、大逆事件の判決・処刑の直後に、蘆花が旧制一高でおこなった政府批判の講演であり、芥川はまた当時、一高生であった。そこで、その講演の聴衆の中に芥川の姿を見つけることができるか、どうかの調査に始まって、両者の関連を探る資料踏査が、最近でいえば佐藤嗣男氏や関口安義氏、松沢信祐氏などの研究者によって精力的に進められている。
 あと一息という感じである。その作業がもう一区切りつくところまで来れば、戦後数十年の芥川文学研究史を根底から書き換える、確かな論理的な足場を用意することができようかと思う。研究史の書き換え?………いわば芥川文学の、民衆サイドへの奪還である。文学者芥川や芥川文学の実像を明らかにすることでの奪還である。そのための書き換えである。
 というのは、戦後・現在の芥川文学研究は、文学の研究というよりは芥川の人物論であり、芥川その人の<死の秘密>を問う論議にすり替わってしまっている点も少なくない。その自殺は、彼の人間不信の絶望感によるっものであり、またそれは、自己の人間性不信に表現を与えた芸術的な死である、といった類の意見も跡を断たない。
 さらに、人びとは、各人各様のその死に対する“解釈”に従って、<うしろ向きの予言者>よろしく、芥川文学はその出発の当初から絶望の文学であったとか、退廃的な耽美主義の文学であった、というふうに語るのである。『謀叛論』と若い日の芥川との関連を探る資料研究の営みは、実は<うしろ向き予言者>たちのこうした不毛な論議にストップをかけ、芥川文学奪還のための作業の第一着手にほかならない。
(くまがい たかし 国立音楽大学名誉教授・日本近代文学史)

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955~1964(昭和30年代)著作より1965~1974(昭和40年代)著作より1975(昭和50年代)以降著作より