大学セミナー・ハウス 発行「セミナー・ハウス」36 1974年9月25日号 掲載
 セミナー・ハウスと私
国立音楽大学教授  熊谷 孝

 たしか六年前のことです。その自分、音楽の科学の会という学生主催の自主ゼミがあって、科学分類論に取り組んでいました。その年の冬です。ゼミの年間総括を合宿してやることになったとかで、コメンテーターとして私も引っぱり出されることになりました。その折の会場が、このセミナー・ハウスだったわけです。この施設を私が訪れた最初です。「セミナー・ハウス」36
 学生諸君の討論は、ふだんそうである以上に、なぜかここでは一段と活発で充実していました。レーンやロビーで見かける他の大学のゼミ所属の学生諸君の眼も、また一様に澄んで、いきいきとしていました。それは、ふだん大学のキャンパスで見る多くの学生の眼とは別のものでした。
 面識のあるはずのない、これらの学生諸君や教授諸氏が、行きずりに「おはよう」とか「寒いですね」と私たちに声をかけてくれるのもまた驚きでした。学生族とは教師に対しては無愛想にふるまうように出来ている人種であり、教授族という人種はまた、特定の相手に対するとき以外は仏頂面している種族だ、という私の経験的判断は根拠を失いました。私にとっては観念としてしか存在しえなかった大学人というもの、大学相互の交歓の姿をそこに見た思いでした。
 以来(俗な言いかたで恐縮です)、私はセミナー・ハウスのファンになりました。誘われてではなく、今度はこちらから担当ゼミの学生を誘って、ここへやって来るようになりました。学生諸君がこの施設とこの人的環境の中で、ホンモノの大学人に成長するきっかけをつかんでくれるのを期待してのことです。
 私の所属するパーティ、文教研――文学教育研究者集団も、今年で、まる五年、ここの施設を使わせてもらって長期の合宿ゼミを持ち、年度大会を開催して来ておりますが、会場を常にセミナー・ハウスに求めてという集団のメンバーの気持の根底には、やはりこの人的環境への信頼と共感ということがあるようです。
 最近の例で申しますと、私たちは、ここの講堂を会場にして8月上旬、三泊四日の日程で、〈教師自身のための文学史研究の集い〉という百二十名規模の集会を持ちました。〈私の大学/芥川竜之介から太宰治へ〉というのがその集会テーマでしたが。
 この集会には初参加の会員も少なくなかったのですが、設備や食事のこととあわせて、とりわけ人的環境には満足し切っていたようです。現実に学生諸君の真摯な姿を目にしながら、わが学生時代を偲びつつ、〈私の大学〉に参加しえた悦びを語って故郷に帰って行った参加者もありました。

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955~1964(昭和30年代)著作より1965~1974(昭和40年代)著作より1975~1984(昭和50年代)著作より