「解釈学主義」批判 −国語教育・文学教育理論の根柢を問い直す−                      
 
  《新刊紹介》

  大久保忠利著『国語教育解釈学理論の究明』    熊谷 孝   

【明治書院刊「月刊 文法」(1969.12刊)掲載】


 「このような旧い時代の理論を批判するなどということは、じつにしんどい仕事でした。」という著者のことば(本書「あとがき」)に接したときには、あのエネルギーのかたまり みたいな大久保さんにしてやはりそうだったのか、と思った。
 「しんどい仕事でした。」
 大久保さんの実感というかホンネだと思う。解釈学批判のこの仕事は、いつか――いつか ではなくて実はいま ――だれかが、ぜひ手がけなくてはならない仕事である。その仕事を、大久保さんがいち早くここでやってくれたわけなのだが、それがなかなかたいへんな仕事なのだ。戦後二十何年かのいまとなっては、資料の蒐集にまずひと苦労もふた苦労もしなくてはならない。集めたその文献を読み通すのが、また並みたいていの苦労ではない。
 というのは、砂を噛むような思いで、そのいちいちがカチンとくるような論旨のものをごっそり、一年、二年と継続して読みつづけることを日課として自分に課さねばならない。そういうしんどい仕事を大久保さんは、よくぞ自分にうち克(か)って――と私はしんそこ から思う――やりとげられた。解釈学が「いまもなお体制側の国語教育理論の中に生きつづけ、拡大再生産されて向う側の理論の土台となりつづけているのを見ると、だまっておれない」(本書・同上)、という大久保さんの研究者としての良心が、『国語教育解釈学理論の究明』というこの貴重な労作をうみ出すことになったのである。
 研究者としての良心云々。――教育の現場に密着して仕事をつづけている研究者の実践的良心、という意味である。
 また、貴重な労作云々。――その作業が、唯物論科学の視点から十分な資料の裏づけを伴って、解釈学的国語教育の理論を学説史の上に正当に位置づけるという、まことに画期的な研究業績になっている、という意味である。第二に、氏のいわゆる「向う側の理論の土台」を、教育現場人が自分自身の教師としての実践に対する反省とともに把握できるように、この本の構成と叙述が配慮されている点への評価である。
 この本の構成は次のとおりである。
  第一部/垣内松三の形象理論・その成立と限界
  第二部/石山脩平の社会観・教育観と解釈学的国語教育観
  第三部/その頃の解釈学的国語教育観への批判と抵抗的実践
 つまり、生哲学系列の日本の国語教育理論全般にわたる見取り図が、学説史的な展望においてそこにあるわけだ。然(しか)り而(しこう)して、垣内や石山その他解釈学的国語教育学者の所論が、「論者をして自著に語らしめる」(本書「まえがき」)という方式の叙述によって具体的かつ批判的に整理されている。それは、この面からすれば、唯物論科学の線で体系的・系統的にまとめられた解釈学文献の集成だ、ということになる。この本のすぐれた特色の一つである。
 論旨としてとくに読みごたえがするのは第二部の石山批判である。時評的な意義も大きい。戦前の解釈学的国語教育が今日に果しているマイナスの役割と意義を、この第二部の所論は実に具体的に解き明かしてくれている。第三部に「哲学研究家からの解釈学批判」の章を設けられたことも、またこの本の叙述の展開を体系的なものにすることに役立っている。直接、国語教育にはふれなくとも解釈学批判を徹底しておこなったのは、当時にあっては唯物論哲学者であったのだから。問題は、ただ、その唯物論哲学者たちの中のだれの、どの所論を選ぶのが妥当かという点で人それぞれに意見を異にする、ということがあるだけだろう。(国立音楽大学教授) 
   A5判・二七〇ページ・定価一〇〇〇円・勁草書房発行


熊谷孝 人と学問「解釈学主義」批判 目次