方向的な一致と若干の疑問と

明治図書出版刊「教育科学・国語教育」59(1963.10)掲載---
(この号では、特集<文学教育の独自機能を探る>の中に「誌上シンポジウム」が組まれ、「提案」として西郷竹彦「文学教育のめざすもの」、それに対する「意見」として以下の四編が掲載されている。1 大久保忠利「提案を読んでいくつかの疑問」 2 熊谷孝「方向的な一致と若干の疑問と」、3 益田勝実「『国民的』と『文学教育』との間で」、4 遠藤豊吉「国語科教育の構造を展望して」)


   先行する問題

 編集部から事前連絡によると、提案は《文学教育独自の機能をさぐる》というテーマでおこなわれる、ということでしたが、実際に提案者がお書きになったものについてみますと、かならずしもそうなってはおりません。直接にこの課題にとり組むというよりは、むしろ、課題の前提となる問題の解明という地ならしの仕事に提案者自身、意欲を燃している、という感じなのです。
 そこで、僕もまた提案者のひそみにならって、この先行する問題に対する自分自身の姿勢みたいなことから書きはじめよう、と思います。そのことが同時に、提案とかみ合うところ、かみ合わないところを自身にハッキリさせることにもなるから、と考えてのことであります。
 もっとも、そんなふうに書き進めようというのは、僕の気持の底に、西郷氏の提案の進み方に対して共感するものがあるからです。この先行する問題をいいかげんに扱ったのでは、本筋のところで課題にせまることはできない――と、僕もまた考えているからであります。


   教育以前と教育技術と

 多分、提案者もそう考えておられるに違いありません。教育以前の問題に対する当人の姿勢が、、じつはその当人の教育実践のありようを規制する、というふうにであります。教育以前が教育自体を制約する――これは、ところで僕の持論というか経験的な実感です。
 自分の気持をぶちまけたいい方をすると、だから教師にとって必要なのは、板書の仕方がどうのといったことより、まず、この教育以前――自分にとっての《教育以前》を確かなものにすることではないのか、というふうに思えてくるのです。
 しかし、そのことは、教育技術を身につける(身についたものにする)なんてことは、これはこの次の問題だ、というふうな意味ではありません。技術を伴わなくては、何ものもそこに生まれはしない。いっさいの生産が最終的には技術の関連し技術によって制約されるように、教育という名のこの人間工場の作業も、やはり技術に支えられて進められてゆきます。こと教育に関して、技術的に不可能なことが実践的に可能になる、というようなことは、他の偶然的与件が幸運にはたらくという場合以外には考えられません。
 つまり、そういうことは重々承知のうえの僕の上記の発言である、というふうにご諒承いただきたいのです。だからして、また、技術という点にアクセントをおいていえば、その技術を無意味に空転させたり、それを宙に浮いたものにしないためにも、教育以前への反省を――ということなのであります。
 教育技術――それは、教育手段の体系であります。提案者のことばを援用していえば、「国民としての子どもたちを国民たらしむべく」自分の目の前の子どもたちに向かって、じか にはたらきかけ、全面発達へ向けてその《人間》を変革していくための、組織された一まとまりの教育手段の体系、それが本来の意味での教育技術であります。だからして、角度を変えていえば、それは方法 というのと一つのことだ、ということにもなりましょう。技術と方法、それは二にして一だ、といっていいのかもしれません。
 ともあれ、手段の体系としてのこの方法は、(すくなくとも第一次的には)対象 によって規定された体系であります。いいかえれば、対象の性質にしたがって、それを処理する手段が組まれるということ、方法の対象による規定ということなのですが。
 同様にして、また、技術は、目的 達成のための手段にほかなりません。方法や技術に対する、対象・目的の先行ということが、そこにいわれなくてはなりません。
 しかし、やがて教師その人において、あるいは教師集団のなかで主体化され技能化されたこの手段の体系は、さらに反復をかさね習慣化されることで、手段意識を薄らいだものにしていきます。手段を目的視するのとスレスレの状態が、そこに生じます。それは、たとえ手段であるとしても、しかもどんな対象をも一様に処理できる万能な手段だ――というに近い考え方です。
 このようにして、目的に応じて手段が選びとられる(あるいは手段が組まれる)という形ではなくして、どのような対象、どのような目的に対しても、つねに同一の既成の手段で対応していく、という姿勢がそこに生まれることになります。教育技術主義・方法主義――と、これを呼んでいいかと思います。


   教育技術主義と文学教育

ぶっつけたいい方になりますが、僕は、この方法主義・教育技術主義を目のカタキにしています。いつも同じ手段で対象にたちむかい、その手段で対象を適当に処理してしまう、という、このいき方は、じつは、対象や目的を手段に従属させることで、本来の対象を他の別個の対象とすり替え、本来の目的から逸脱したズレた方向へ学習者の理解をもっていってしまう、という芸当をやってのけているからです。
 そこに操作されている方法・技術は、別個の目的、別個の対象に適用されるときには有効であっても、今ここでの対象を、その対象の性質にしたがって処理するという目的にとってはナンセンスだ、というふうなことがあるわけです。(ヒゲをそるのに仰々しい足ごしらえ、身ごしらえをして、オノを持ちだすのはナンセンスです。)
 直接、文学教育にそくして例をとると、それはたとえば、段落にわけ段落で区切って「文意」を「分解」してつかませる、という例の読解指導方式のやり方です。この方法で文学作品(――その表現、その認識)を扱ったのでは、文学を文学でないものにしてしまいます。つまり、それは対象のすり替えです。
 創作の場合にしろ、作品鑑賞の場合にしろ、およそ文学の体験は、ことばを融通性の面において操作することで成り立つ、感情まるごと、現実まるごとの体験にほかなりません。対象ということでいえば、文学・芸術の対象は事物(世界)それ自体ではなくて、感情体験に与えられた事物(現実)であります。また、認識ということでいえば、それは事物の一般的・概念的把握ではなくして、感情を軸とした感情ぐるみの事物の把握である、とでもいったらいいでしょうか。
 注記すれば、その感情は、ただの個人感情ではなくして、自他の体験をそこに媒介した、いわば普遍に通ずる(あるいは普遍をふくむ)個としての個性的で典型的な感情であります。もう少し厳密にいえば、むしろ、そういう感情を軸とした一まとまりの理性的な体験であります。
 文学は、そのような個性化・典型化の体験を、ことばの上記のような操作によって、自己をつき放して自己にかえる(自己凝視・自己対象化)という道筋をたどって実現するのであります。
 このような、ことば体験としての芸術体験は、ところで、表現の形式面をただ形式的に撫で回して「文意」をとらえる、という紋切り型のこの「読解」を手段としたのでは成り立ちようがないだろう、と思います。現にこの読解方式の指導は、相手を文学の饗宴に招待する代わりに、教訓の泉かどこかへつれ去ってしまう、ということをやっている。そういう芸当を、うしろめたい思いもなく、むしろ得々としてやってのけている、ということには、何といっても教師個々人の、教育以前の問題に対する姿勢や問題のつかみ方にぬるさ がある、ということが、いわれなくてはなりません。僕自身、教師のひとりだ、という前提に立っての、これは、ぬるさの反省ということなのであります。


   大前提と前提と

 ところで、僕のいう教育以前と提案者のそれとでは中身が違う、というふうに感じられた方もあると思います。一おう、たしかにその通りなのですが、しかし僕としては究極において、くい違いはないつもりです。《国民による国民の教育》の項で提案者が語っておられることは、僕のいう教育以前のさらに前提となる問題にほかなりません。それは、いわば、現実の教育活動にとっての大前提となる問題の整理です。
 その整理に僕として異議のないことは、上記二項の叙述の進め方でもお分かりいただけたことと思いますが、異議がないからこそ、《国民による国民の教育》の項の叙述と、提案の基本部分の叙述をつなぐ(おそらくは紙幅の関係で提案者が意識してカットされたに違いない)中間項の問題を、いわば課題をそこに成り立たせる課題への橋わたしとしてとり上げた、というまでのことなのです。
 つまり、提案者が指摘しているような問題への省察が、いま、どうして必要なのか、ということを、僕なりの仕方で、教育現場の日常的・実践的視点から補足的に語りたかったわけなのであります。僕のつかみ方は、どちらかといえば、教師個々人の主体の問題としての整理に傾斜しています。あえて、そういう傾斜の仕方で、方法主義・技術主義の批判にふれていっております。が、じつをいうと、提案者の試みているような大筋からの整理を、この現場の技術主義に対してもおこない、同時に教師の主体の内側からの反省と整理をそこにおこなう、という形にならないといけないわけだ、と僕自身考えているわけなのであります。


   とくに気づいた問題点

 そこで、ともかく、自分自身のこの前提――(大前提に対する直接の前提)にふれていくことで、《独自の機能》に対する提案者の立論の前提となっているものも、かなりハッキリしてきました。また、お互いの共軛点と考え方の上の微妙なズレも明らかになってきたように思います。
 考え方の上のズレ、といっても、基本的な方向のズレではありません。ともあれ、ことは文学・芸術の対象と認識に関してなのであります。
 「文学は対象 を……典型的形象において認識させるもの」だ、と西郷氏がいわれる場合の《対象》についての考え方、つかみ方。
 「なによりも文学教育の独自の機能について肝心の問題は、文学においては対象 にたいする正しい認識 が倫理的かつ美学的評価と密接にむすびついているということ」である、という場の《対象》や《認識》ということの理解の仕方。
 どうも、その辺のところが僕に納得がいかないのです。僕自身、芸術の対象や認識(芸術認識・形象的認識)の性質をどうおさえ、どうつかんでいるか、ということは、上記《教育技術主義と文学教育》の項に書きつけておいたとおりです。ともかく、僕のつかみ方からすれば、文学・芸術の対象は、科学のそれと違って、事物(世界)そのものではない。事物それ自体ではなくして、感情体験に与えられた事物というか、感情ぐるみの事物、現実(世界概念に対する現実)が芸術の対象だ、と考えているわけです。
 芸術の認識――形象的認識というのも、一般的・概念的認識とは別個の、それとして一まとまりの、感情を軸とした感情ぐるみの事物の把握である、というふうに僕はおさえています。(この点に関する詳細と論拠・論証については、牧書店刊の拙著『芸術とことば』の第二章「芸術の対象と方法」の叙述を参照してください。)
 ともあれ、そういう自分の考え方にしたがって提案を読んでみると、どちらの考えがまともか、まともでないかということは別として、考え方そのものの違いはハッキリしてくるわけです。西郷氏の場合、科学の対象も結局おなじだ、という考え方のようです。その同一の対象を「典型的形象において認識」するときに芸術体験が成り立つ、というふうにお考えのようです。
 芸術の認識というのも、氏のつかみ方では結局、芸術固有の認識というのはないことになって、そこにあるのは概念的・一般的認識である、ということになりそうです。いいかえれば、その概念的認識が、「倫理的かつ美学的評価と密接にむすびつく」ところに、文学・芸術の体験が実現する、というのが氏の考え、考え方らしいのです。
 この考え方でいくと、作家が作家自身の認識(概念的認識 )を倫理的・美学的評価と結びつけて外化すれば、それが創造的表現になる、という理解に流れないこともないし、認識は認識、表現は表現という、認識と表現との二元論、二元的評価へと流れていく危険性も感じます。と同時に、文学教育の問題としていえば、こういう文学のつかみ方は、次のような考え方に悪用されかねないように思うのです。いや、悪用かどうかは別として、次のような考え方は、こんにち、かなり一般的らしいのです。
 それは、上記のような二元論的な文学観に立って、まず「読解」方式で作品の「文意」を「認識」させるかたわら、その「認識」を倫理的・美学的評価へ結びつけさえすれば、それで文学教育になる(というより、それが文学教育だ)、という考え方です。民間文学教育運動に熱心な教師のあいだにも、この傾向は根づよい。
 ……というようなことが、そこにあるので少し気になるのですけれど、しかし提案者の文学観と僕のそれと、どちらが真実に近いか? どうも、簡単にケリのつく問題ではなさそうです。

 それから、国語科教育と国語教育のことなのですが、『国語教育の基本路線』(「生活教育」一九六一・一二別冊)その他の文章で書いてきているように、僕は、国語教育は国語科を軸としつつ、いっさいの教科・教科外活動を通じて実現するもの、というふうに考えております。だから、提案の方向に(方向として)賛成だ、ということになるわけですが、国語科の学習指導要領の問題については、提案者とすこし違った考え方をしております。
 あらい大づかみないい方をすると、科学教育の側面(論理教育・文法教育)と、芸術教育の側面(文学教育)との二側面を、僕はそこに考えてみているわけですが、そういう僕の考え方は、不十分にではありますが本誌・9所掲の拙稿(未来社刊『戦後文学教育史・上巻』に再録)その他で語っているので、それらについてご承知ねがいます。
 提案者がそこに語っている「中学校(もしくは高校)になっては独立して文学科を構成することが望ましい」という主張は、ところで僕の場合、教科構造論的には、国語科の対象領域を上記の二側面でおさえる構想との統一的関連においてみちびかれてきているわけなのですが。
 意を尽くしません。誤解にもとづく発言もあるか、と思います。乞ご寛恕――。
(国立音楽大学教授)

熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より