教材研究とはなにか

明治図書出版刊「教育科学・国語教育」33(1961.9)掲載---
(<教材研究とその批評>「研究」として湯山厚「『ごんぎつね』をめぐって」、佐藤勇一「『ふじの実』の構造と指導」、「批評」として熊谷孝「教材研究とは何か」、滑川道夫「主題追求と段落の問題」が載った。)


   湯山氏の報告を中心に

 「教材研究にふさわしくない記述の方法をとりましたが」うんぬん、と湯山氏はそのあとがきの中で語っておられます。が、内心、じつは氏ご自身そうは思っておられないでしょうし、事実それは「ふさわしくない」どころか、じつにまっとうな記述の進め方であったように、僕には思われます。文学教材を扱う「記述の方法」としてであります。
 記述の方法とは、このばあい同時に、対象のつかみ方のことであり、整理の仕方のことであります。また、それは文学に対する教師の構えの問題でもあります。
 教師自身、それを文学としてつかみ、また子どもたちにそれを文学としてつかませる、というためには、おのずからそこにある構えが必要とされます。そこに必要とされる構えが、どういうものであるのか、あらねばならぬのか、ということを、ところで氏の報告は、この「記述の方法」によって具体的にさし示しておられる、という恰好なのです。
 型やぶりといえば、それは、たしかに型やぶりな報告です。が、こうした型やぶりが、いまは必要なんだと思います。
 あえていうなら、さいきん、教材研究といわず実践報告といわず、そこに一種の《型》みたいなものが出来かかってきている、という感じなのです。紋切り型の起承転結に合わせた、式次第みたいな鋳型にはまった報告が目だって多くなってきている、ということなのですが――。その報告は、明らかに教室の実際とくい違っている。現実の教室は明るく生き生きとしているのに、その報告からは生徒の笑い声ひとつ聞えてこない。
 むろん、起承転結があるのがいけないのではなくて、万事をこの起承転結に合わせて恰好をつけよう、とする点に問題があるわけなのであります。だから、それを対象の切りとり方の固定化、といってもいいかと思います。扱う材料が文学作品だろうと何だろうと、まずそれを段落に分けて、段落ごとの要旨を追って行って全体の主題に達する、という、例の読解の手順の適用であります。どうも、うまくない。うまくないな、と思うのです。これでは文学――文学作品の表現はつかめないからです。
 湯山氏は、そこで語っておられます。文学を文学としてつかませるためには、「一般的にいわれている読解の手順をはなれ」ることだ、というふうに――。文学の表現が示す多義性を生かした、ゆたかな鑑賞体験をそこに成り立たせようとするかぎり、一義的な紋切り型の表現理解をしかみちびかないような、この形式一点ばりの読解手順は否定されなくてはないません。
 文学の表現は、作家による一方交通のコミュニケイションではありません。むしろ、読者と相互変革のコミュニケイションであります。読者を媒体とし、読者の多様な体験をくぐって表現のいとなみが進められている、というかぎりにおいて、文学の表現は多義的たらざるをえません。文学の表現、文学の抽象は、いわば《現実まるごと》の反映・抽象として、体験の日常的多様性をそこに実感させるものとなるのであります。それは、一義的な概念的抽象ではなくて、読者の日常的な体験のリアリティーとその多様性に照応した、多義的な抽象となるほかありません。
 そこで作家は、一つの主題でその作品のすべてを律するわけには行かなくなるのです。エレンブルグは、そのことを次のように語っております。「作家は、はじめに、小説の筋についての観念を持つことはできるが、登場人物がいったん生みだされると、これらの人物に予定された行動をやらせることが出来ないとわかる場合がある。」そういう場合は、「人物の性格を変えるわけにはいかないから、筋を変え」ることで事態に対応するのだ、というわけです。ところで、筋を変えるということは、同時に多様な主題を伴わせるということであり、時としてまた、主題そのものを転換させるということでもあります。
 加えて、そこには、意識せずしてにじみ出てくるもの――いわゆる表現の流露ということがあるわけです。作家その人によって意識されていない、その流露が、表現の意図をこえて別個の主題をそこに形づくっている、というのが、そしてむしろ普通のようです。
 で、この作品のどことどこが流露だ、というふうに指摘することは今の僕には出来ませんが、『ごんぎつね』というこの作品にも、きっとそれがあるに違いないのです。流露をうんぬんしないまでも、読者の体験をくぐっての《現実まるごと》の反映・抽象であるという点で、すでのその表現は多義的ですし、したがって主題を一義的に限定して考えるわけにはいきません。それを一義的なものとしておさえよう、とすることは、おそらく、この作品の示す表現のふくらみを、ほとんどいっさい切り捨ててしまう結果となるでありましょう。
 ばかりか、紋切り型に主題を一つにしぼって理解させようとするとき、湯山氏の指摘しておられるように、この作品は、ただの「道徳教育資料にテン落してしまう」わけです。つまり、そういうおかしなこと にならないための、いわゆる読解の手順をはなれた、氏の指導プランの展開であったわけです。

 氏の指導プランは、(1)「最初にえた印象を、部分の読みを深めながら検証し修正していく」という方法によるものであります。そのことを通して、(2)「文学というものについての知識を、この時期の子どもなりに身に」ついたものにさせる、ということのようです。
 別のいい方をすれば、第二信号的条件反射を成り立たせると同時に、そこに成り立った条件反射を自覚にもたらすような指導をおこなう――ということになりましょう。そこを意識化してつかませることで、氏のいわれるように、将来、子どもたちが「作品を理解する上に欠きえない力」が養われていくことにもなるのであります。
 (1)の面について氏の主張しておられることは、「せっかちのよう」だが、「大まかに」でも早く「作品全体を見わたせる」ようにすることだ、ということらしい。そして、そこから子どもたちがえた「初印象を大事に」しながら、「すぐれた表現部分に目を向けさせる」ということのようです。たとえば、「さし絵を参照したりしながら、ざっと ごん の行為をしまいまで見とどけ」させたところで部分に帰っていくのです。そういう部分は、もはや段落などであるはずがありません。
 表現部分の指導は、そしてある表現部分と別のある表現部分との関連や、対応関係をつかませる指導であり、また、そのコトバ(表現)に対応する事物を、イメージ(感情体験)としてそこによび起こす操作であります。湯山氏のいわれる「部分の読みを深め」る、というのは、そういうことなのであります。そんなふうに、「部分の読みを深めながら」「最初にえた印象を」「検証し修正していく」ことで、いわば動的・生産的なコトバ体験として作品の表現理解をそこに成り立たせる、という方法がそこに意図されているわけなのであります。《国語教育としての文学教育》の理念は、まことにかくあるべきだ、と思うのです。
 というのは、コトバに対応する事物がイメージ(映像)としてつかめ、コトバとコトバとの関連、関係づけにおいて事物相互の関連がつかめるようになる(する)ということこそ、国語教育の基本的な課題にほかならないからであります。作品の表現を「深く読みとら」せることが、そして氏の場合、「ことばによって自分の心情をしばられている」状態から子どもたちを解放し、「それをたしかなことばに近づけていく」操作につながっているわけなのですから。

 で、そんなふうに、氏の指導プランは至れり尽くせりのものになっているわけなのですが、僕としては一つだけ疑問が残ります。教師がこういう作品(教材)をひっさげて教室にのぞむ場合、
 (1) この作品が、どういう時代の(またどういう文学時代の)、どういう生活の中にいた子どもたちの体験や心情をくぐって書かれた作品であるのか
 (2) いわば、作品本来の読者である当時の子どもたちのリアリティーにおいて、それは、どのように受けとめられた作品であったのか
というような点が、当然というか実際問題として、教師自身によって事前に「研究」されるわけです。それは、また、
 (3) 作家がどういう人であるのか
 (4) また、それは、どういう時期のこの作者の作品であったのか
というようなことにも、つながっているわけです。
 で、つまり、教師が実際問題として事前に追究せざるをえないような、この面の「教材」研究が、報告の中では全然といっていいぐらいネグレクトされてしまっている――という点に、じつは僕の疑問もあるわけです。
 この作品の表現が、「子どもに無条件に喜ばれそうな」ものになっている、と氏はいわれるわけですが、その無条件のなかに条件がある――といういい方はおかしいかもしれませんが、本来の読者の喜んだ 条件と、いま僕たちの目の前にいる子どもたちの喜ぶ 条件とは、共通点もきっとあるでしょうが、また違う点があるかもしれないのです。その点をおさえる必要がありそうです。ともあれ、作品の表現本来の多義性をゆたかにつかむためには、本来の読者の鑑賞体験をくぐるという操作が、教材研究の一側面として行なわれなくてはならないように思われるのです。そこをくぐりぬけることで、氏の精緻な指導プランは、一そうの緻密さを増し加えることになっていくのではないか。そう思われるのです。


   佐藤氏の報告にふれて

 これは、湯山氏の報告同様、力のこもった報告であります。『ふじの実』という、この教材に関する過去の指導体験をふまえ――いわばご自身の実践に実験的な意味をもたせて省察しつつ書かれた、すぐれた報告であります。
 《作品の研究》の項目にせよ、《指導の研究》の項目にせよ、それは、首尾一貫した綿密・精緻な教材分析になっていますし、また、この二つの項目の叙述が、それとして矛盾なく統一されております。
 指導書などには、いろいろ結構なお題目が並べられていますが、これはただのお題目ではない、現場をもった先生でなくては書けないような報告になっています。で、もし、紙幅に余裕があって、そこにカットされているような項(たとえば二・4・C)の説明などが文面に出ていたら、一そうその感が強いものになっていたろうに、と惜しまれます。
 しいて難点をあげれば(――いや、これは本当は難点でなどありませんが)、ともかく、すこし欲ばりすぎている、ということでありましょうか。たとえば、《指導の目標》の設定にしても、
  A 主題からみた目標
  B 文章の構成からみた目標
  C 表現の性質からみた目標
というふうに洩れなく扱い、《指導すべき能力》の項では、
  A 知識――(1)文章の種類、(2)文字・語い
  B 技能――(1)聞くこと・話すこと、(2)読むこと、(3)書くこと
  C 態度――(1)(「指導目標A」を参照)、(2)科学的な読みもの・随筆、また、寅彦の他の作品に親しむ。
といった調子でソツがなさすぎる、という感じなのです。ソツのないのが難点だ、という妙なケチのつけ方をするわけは、これではせっかくの現場感覚にもかかわらず、指導書とどっちこっちのものになってしまいかねない危険性を感じるからです。
 たとえばの話ですが、抒情詩だって文法教材にもなり得るし、語い学習の教材にも充分なりえます。そして、じつは、語い学習なり文法学習なりを伴わなくては、詩を詩として扱うことも不可能です。それはその通りなんだが、(誤解をおそれずにいえば)詩を詩として扱うことに主目標をおいた学習の場では、他は切り捨ててもこれだけは欠けない、という何かがあるはずです。寅彦のこうした科学随筆を扱う場合にも、同じようなことがありはしないか、ということなのです。
 つまり、主目標がこれこれの所にあるのだから、副次的な目標は教室ではこの程度におさえて、あとはホーム・タスクに廻すようにするとか、何かそういうアクセンチュエーションがはっきりしていてこそ、現実の指導プランと結びついた、現場人の現場的な教材研究である、ということになりそうな気がするのです。

 前号以来、問題にしてきている、段落指導ということにふれてなのですが、――二・4・Eの《主題をつかませることを中心とした指導の留意点》の項では佐藤氏が指摘しておられるような、(1)「通読によってだいたいの内容をつか」ませ、次に(2)「精読をし、筋道をたどり、細部にわたって読み」を深め、(4)「作者の意図の強調点を手がかりに、文章全体の構造から、主題をつか」ませる、という指導方式に、僕は賛成です。が、(3)の、段落に分けて、「段落ごとの要点をつか」ませる方式には、僕としては疑問が残ります。
 行が変わるごとに《段落》とよんで、それを一まとまりのものとして扱うことに、一体どれだけの意味があるのか? ――じつは僕に、よくわからないのです。小学校低中学年の場合は別としてであります。一の2の《構成》の項などを読んでみると、氏もまた同様のことを感じておられるのではないかとも思うのですが、どうなんでしょう?
 与えられた紙数が尽きました。そこで、アトランダムに書きつけるほかなくなりましたが、二の2《指導の目標》のA《主題からみた目標》の設定には全面賛成だ、ということを、まず言っておきたいと思います。二三教室を見せてもらったのですが、この種の教材を扱った授業には、えてして理科の授業だかなんだかわからないようなものを見かけます。国語の授業は、コトバの学習にはじまって、コトバの学習に帰り着くものでなければならぬはずであります。氏の指摘されたような目標をおさえた指導が必要なのだ、と思います。
 これは至って瑣末なことですが、――一・3・の(1)に、この随筆の「センテンスが長い」理由として、「現象を克明に叙述し、また、用心深い、正確な説明をしようとしたためだろう」ということが挙げられています。その通りだとは思いますが、寅彦がこの文章を書いていた当時の、一般の文章常識からいっては、この程度の長さはむしろ普通だった、ということが前提として考えられてよいように思います。そういう前提に立っての発言ですと、氏の判断が肯けるものになってくるのですが。
 欲ばった注文をつけました。すぐれた報告であったればこそ、願望みたいなものを書きつけたわけなのであります。
(国立音楽大学教授)

熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より