表現と理解のあいだ――文学学習の視点から

明治図書出版刊「教育科学・国語教育」23(1960.12)掲載---
(<特集「読解における主体性」>「読解における主体性をめぐって 3」として掲載された。)

    一 

 芸術の表現および表現理解の特徴として、多義性ということがいわれている。文学・芸術の多義性である。文学の学習指導のむずかしさも、それは一つには、この多犠牲ということに関連するむずかしさである。そこで、この稿では、この多義性ということをめぐって標記の課題を考えてみることにしよう。
 文学・芸術の多義性――それを、さし当って表現理解の面にしぼっていえば、同じ一つの表現(表現理解)に対して、幾通りもの受けとり方が可能である、というようなことである。それが可能であるとか、ないとかいう以上に、現にそうした多様な理解の仕方が行われている、ということこそが芸術にとって特徴的なことである、というわけなのだ。
 いわば文学のクロウト筋である作家や批評家たちの間においてさえ、この作品の表現が何を意味しているか、というようなことでは、存外お互いの間に意見のくい違いを見せているような場合がすくなくない。たとえば、庄野潤三氏の『静物』について、平野謙氏は次のように語っている。「僕の受けとった感じでは、家庭の不安とか危機とかいうこととも関係があるけれども、あの作品は家庭生活の不安、危機というものをそれとして描いたのではなくて、それを何とか克服して、もう一ぺん再建しようとする、いわば幸福再建の物語というふうに受けとったわけです。ところが、吉行さんとか安岡さんとか遠藤さんとか、庄野さんに一番ちかしい同時代の人たちが(中略)家庭の不安とか危機とかいうものを描いた作品だというふうな受けとり方をしていて、僕のとはずいぶん違っていたわけです。そうしたら、伊藤さんが」また別個の意見をのべていた(「群像」九月号)、というのである。
 たとえば、そういうことがあるのである。
 科学の一義性に対する、文学・芸術の多義性――そこが芸術享受の醍醐味というか、おもしろいところだ、というふうに語られるかと思えば、まさにその一点に、芸術に対する非難も集中している。いいかえれば、文学・芸術の伝えが示す意味の曖昧さとふたしかさへの、そのかぎり否定的な評価が一方では行われているのである。
 ともあれ、そこでまた、次のようなことが人々のあいだで話題にされたりもしている。(引用は、NHK第二「教師の時間」の対談放送から。)

 (波多野完治氏)「芸術の場合、どこがカンドコロかということは、非常におさえにくいですね。それから、カンドコロはおさえたけれども、そのほかに、自分にはこういうところが面白かった、ということがあるんじゃないでしょうか。たとえば、主役は何をしているということがあっても、脇役の人のこれは大へん面白かったとか、そういうことがありますね。」
 (岩崎昶氏)「まあ、これは芸術の特徴なんでしょうけれど、つまり意味が多義性といいますか、意味を二重にも三重にも持つ、ということですね。解釈の仕方によって、あるいは見る人の立場によって、ずいぶん違う。……たとえば、戦争映画なんていうようなものが近頃ハヤっていますけれど、同じ一本の映画を、ある人は、これは戦争に反対する映画だと見るし、ある人は、戦争を鼓吹したり讃美したりする映画だと思う。見る。そういう見方で、ずいぶん違っておりますね。」

    二 

 「どこがカンドコロかということ」が「非常におさえにくい」のが芸術であり、文学というものであるとしても、文学学習の場では、おいおいにそれがつかめるように指導していかなければならないのである。また、「見る人の立場」や「解釈の仕方」「見方」で、「意味を二重にも三重にも持つ」てくるのが文学・芸術の表現性格であるとしても、文学の学習指導という視点からは、むしろそれゆえにこそ、方向感覚のたしかな表現理解をもたらすように、その見方や解釈の仕方を、子どもたちと一緒になって、そこにさぐらなくてはならないのである。
 ひとくちに多義性といっても、そこには、(1)表現理解の方向差 を示すような多義性と、(2)「カンドコロはおさえたけれども、そのほかに、自分にはこういうところが面白かった」というような、いわば個人差 の形であらわれる表現理解の多義性とがあるわけだ。
 たとえば、同じ一本の戦争映画を、それを「戦争に反対する映画」として見るのと、「戦争を鼓吹する映画」であると見るのとでは、表現理解の方向そのものが違っている。また、平野氏のように、「幸福再建の物語」として『静物』を読みとるのと、吉行氏たちのように、それを「家庭の不安とか危機」を描いた作品としてつかむのではやはり方向が違っている。文学学習の視点からは、こうした方向差は埋められねばならぬ、と考えるのである。個人差をまでならして 一本にしぼろう、とすることは非文学的であるが、表現理解のこの方向差は、文学学習の場において徐々に埋められねばならない。その表現を、真実の意味において文学の表現として子どもたちに読みとらせるためにである。
 そこで、方向差ないし方向のずれをあらわすという意味での多義性を越えて、まっとうな表現理解を子どもたちの内にもたらすためには、(1)文学・芸術の多義的な表現性格そのものと、(2)表現理解の主体である子どもたちのリアリティーとの関係が、そこにつかまれていなくてはならない。順を追って考えていこう。

    三 

 芸術の伝えが多義的であるというのは、本来、こういうことなのではあるまいか。(1)文学・芸術の現実のつかみ方が、科学におけるそれのように、概念による概念への一本道の抽象ではない、ということ、(2)むしろ現実の多様性を多様性においてつかむところに芸術の表現が成り立つ、という、それは芸術的認識の本質にかかわることなのではないか、ということなのである。いいかえれば、それの多義性ということは、芸術の認識が「現実まるごと」の反映であり抽象である、ということに根ざしているように思われるのである。
 しかも、その「まるごと」の現実、現実感――リアリティーは、(それがリアリティーであるがゆえに)だれかのリアリティーでなければならない。(早い話が、岸さんや池田さんのリアリティーは私のそれではない)文学の作家は、ところで読者の体験をくぐって、その体験をねらい打ちにした表現をこころみる。ということは、そのリアリティーというのが、作家がそこに相手どった読者のリアリティーにほかならない、ということである。
 むろん、そこには、作家の表現意図と現実の表現内容とのズレがあったり、作家その人にとってさえ無意識な表現の流露があったりして、ことは単純ではない。しかし、一定の読者の体験をくぐり、そのリアリティーにそくした表現が作家によっていとなまれているという限りでは、そこに表現される多義性というのが、無規定に多岐・多様な多義性であるはずはない。
 作家がそこに選びとった読者(本来の読者)にとっては、それは、だからみずからのリアリティーをまるごと に裏打ちし内容づけるような、現実の多様性・多義性にほかならないであろう。いいかえれば、(それがともかく成功作といっていいような作品である場合には)現実の多様性があますところなくそこにつかまれ、現実まるごとの表現が行われている、という実感・印象を読者に対して与えるはずのものなのである。
 くり返しになるが、それは、たんに多義的なのではない、また、文学・芸術の伝えがたんに曖昧であり難解であるわけではない。したがって、本来の読者の間においては、方向的に対立した多義的な理解というようなことは、原則的には起りえないのではあるまいか。方向差をあらわすような意味での多義性は、本来の読者と非本来の読者との間に、あるいは非本来の読者相互の間に生じる、と考えられるのである。
 それをふたたび文学学習の面からいって、方向差としてのこの多義性は越えなければならない。子どもたちがそれを越えることのできるような指導が、そこに実現されなければならないのである。そのためには、まず教師自身、本来の読者の体験をくぐり、また子どもたちにその体験のリアリティーをくぐらせなくてはならない。そして、何よりも、表現理解の主体である目の前の子どもたちの体験――その体験のリアリティーを、教師はくぐりぬける必要があろう。そこをくぐることで、子どもたちに本来の読者の体験をくぐらせることも可能となってくるのである。

    四 

 そこで目の前の子どもたちを見つめながら、多義性ということを考えるとなると、まず大前提として子どもたち自身の成熟や発達との関係・関連がそこに大きくとり上げられなくてはならなくなってくる。そのことで、また事態はいっそう複雑になってくる。というのは、たとえば小学校のある段階の子どもたちにあっては、作品の表現を自分たちの直接体験(日常性における生活の実感)との関係においてしか受けとめない、というふうなことになりがちであって、それはますます「多義的」になってくるからである。
 それは、いいかえれば、作品の表現理解が、その成熟からいって、自己の体験のリアリティーのワクを突き破る方向には作用しにくい、ということを言いあらわす以外ではない。表現と表現理解とのこうした関係は、すでに多くの実践報告例において触れられていることに違いないが『空気がなくなる日』を三年生の学級で扱った、福田隆義氏(東京・墨田区業平小学校)の最近の報告(「文学と教育」17、「生活教育の前進」10)は、問題をその一点にしぼって追究している点で特徴的である。
 そこで、いま、氏の報告から一、二引用させていただくと、(1)「人間、善意なだけでは、まともには生きられない世の中」であり、まともに生きるためには「善意に加えて知性による裏打ちが必要である」ことが語られているこの作品の表現も、この三年生の子どもたちの場合、「そうしたことへの理解の芽ばえは感じられ」ながらも、しかもそれは「芽ばえ」にとどまっていること、(2)それはたとえば、そうした「知性の裏打ちを欠いた善意」のシンボルともいうべき、「お人よしの村の校長さん」の「気どった博識ぶり」や「善意ではあるが愚劣な行為」の表現なども、福田学級の子どもたちには、読みを重ねれば重ねるほど、「えらい校長先生だ」というズレた方向への理解を深くするだけだった、ということ、それはつまり(3)「校長先生というのは一番えらい先生」という「観念」に縛られて、作品の表現が志向している方向に子どもたちの表現理解が成り立たなかったことなどが、そこに指摘されている。
 で、そのような表現理解――理解の仕方は、どこから生まれてくのか?……「発達ということを固定したものとして考えてはいけないが、それは、やはり発達段階の問題であろう」と、氏は結論的に語っている。

    五 

 つまり、子どもたちにとって意味をもつのは自分自身の生活であり、自分にとって身近かなこと――身近かであると自身に意識され実感されたことに限られるのである。そこでは、自己の生活の特殊性が特殊性として自覚されていないのが普通である。
 そこで、もし、特殊に対する普遍ということをいうならば、子どもたちのつもり としては、自分はいつも普遍的な立場で事物に対しているつもりなのである。それは、つまりは普遍と特殊との主客未分化状態をいいあらわす以外のものではない。
 したがって、特殊のなかに普遍をさぐるとか、普遍に通ずる特殊と、日常的な自我を越ええない単なる特殊とを区別する、というようなことは、よほどすぐれた指導が伴わないかぎり、むずかしい。だからして、また、一種《普遍に通ずる特殊》として造型された典型――『空気がなくなる日』の校長なら校長、ウスノロの大三郎なら大三郎という典型を典型としてこの段階の子どもたちにつかませることには、多くの困難が伴なうのである。
 この年齢期の子どもたちにとっては、多くの場合、典型的な事例もただの一つの事例にすぎない。あるいは、単なる事例と典型的な事例との区別さえつかぬ場合が多いのである。典型を典型としてつかませることのむずかしさが、そこにある。上記、福田学級の場合において見られたように、典型としての特殊を、たんなる特殊――自分たちの生活の特殊のほうへ強引に(?)ひっぱってきて解釈し理解する、ということが、そこに行われるわけである。文学学習の場では、作品の表現理解が多岐にわたり多義性を帯びている、と前にいったのは、たとえば右に見るようなことを指すのである。
 ところで、右の福田氏の報告のなかで注目されるのは、ついに「村の校長さん」を典型としてつかませることは出来なかったけれど、ウスノロの大三郎のほうは「ある程度、典型として子どもたちに理解されることが出来たのではないか」と語られている点である。「さいしょ、大三郎のひごろの態度から、いい気味だと思っていた学級の子どもたちの、大三郎に対するいきどおりが、やがて地主である大三郎の親のエゴイズムへと向けられるようになって行った」というのである。
 そうしたすぐれた表現理解がクラスの子どもたちの間に成り立つについては、むろん、そこに、福田氏の至れり尽せりの懇切な指導が行われているわけなのである。運命の日に、たった一人自動車のチューブを肩にかけてやってきた大三郎について、「しかし、いったいチューブをかけて きたのか、それとも(親に)かけられて きたのか」という語法的な面からの指導や、部分から全体へ、そして全体から部分へという、文脈を追った統一的な表現理解の指導が、そこに行われている。
 で、そうした指導の結果は、(順序を逆にたどれば)大三郎については、むしろその成熟をこえて、その人間形象を典型として子どもたちにつかませることに成功していながら、校長のそれについては「予想したほど反応がなかった」わけなのである。
 ということは、作家の力量(造形力)にもよることだし、いちがいには言えないけれども、自分と同じ年頃の子どもであるとか、直接自分や自分の周囲を感じさせるようなシチュエーションの人間(作中人物)には理解が成り立ちやすい、というようなことがあるのかもしれない。で、もし、そういったダイナミックスが読者と作中人物との間に成り立つとすれば、そこのところを足場として、典型の認識への手がかりをそこに考えてみてもよいのかもしれないのである。
(国立音楽大学教授)
熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より