文芸映画はもうたくさんだ     熊谷 孝

日本映画教育協会刊「視聴覚教育」1955年1月号掲載---
   文芸映画というもの

 映画はゲイジツで、活動写真は単なる娯楽にすぎないのだそうでありますが、だとしたら私は、ゲイジツというものを呪わしく思うものであります。なぜかと申しますれば、活動写真が映画というものに“進歩”したばかりに、それはひどく魅力の薄れたものに成り果ててしまったからであります。私は私と世代を同じうする世の三十代・四十代の方々とともに、活動写真のあの偉大な娯楽性を心から懐しむものであります。「視聴覚教育」1955.1
 活動写真はおもしろい。いや、面白かったのであります。活動写真さえもが、今は興味サクゼンたるものに成り果てたのであります。文芸映画という、こんにちの活動写真は、現に甚だつまらんシロモノではありませんか。先刻ご承知のとおり、文芸映画と申しますのは、文学と映画の両方にお尻を向けた活動写真のことであります。文学もゲイジツ、映画もゲイジツ、ところで世論にしたがえば活動写真はさいわいゲイジツではないのであります。ゲイジツでないからこれは面白いにきまっています。ところが、無情にも現実は私のこの論理を木っ葉微塵に打ち砕いてしまったのであります。こう見えても私はリアリストです。すこし甘っちょろいところはあるにせよ、リアリストの端しくれであります。くだらんつまらんとわかった以上、それが活動写真であるからといって、文芸映画に昔の夢を追うようなまねはやめようと思ったのであります。自今、私は文芸映画というものを信用しないことにいたしました。固くそう決心したのであります。
 早い話が、こんどの『女性に関する十二章』であります。(『十二章』という文章そのものが文芸作品といえるかどうかは別として)この企画ぐらい、文芸映画というものの正体をハッキリと私たち観客の前に示したものはなかったように思われます。ベスト・セラーズ最高位という“原作”の人気にもたれかかって客の足を引こう、つなぎ止めよう、というコンタンであります。えげつなく、しがない魂胆なのであります。
 そういう胸の中を見すかされまいとして「文豪夏目漱石原作、不朽の名作の映画化!」というふうにやり、文芸という名の香水をふんだんに振りまくのが、まずは文芸映画の定石というものなのですが、今度のは『十二章』という題名をちょっと拝借しただけで中味は別、とハッキリ言っているのだから、これはたいしたものです。おまけに伊藤整特別出演というに至っては、その商魂の逞ましさに、世間はただもうアレヨアレヨというばかりですが、これがしかし文芸映画というものなのではないでしょうか。


   『二十四の瞳』は文芸映画か

 が、また、たとえば、『雁』『太陽のない街』のように、原作の主題なり雰囲気なりを映画の世界に再現させようとして、ひたむきになっているような、主観的にはきわめて良心的な作品も見当たらないわけではありません。最近の問題作『二十四の瞳』にしても、これは大へん良心的な文芸映画であります。文芸映画とは申しながら、これは『十二章』とひそみを同じうする作品では断じてないのであります。
 にもかかわらず、それは、すくなくとも製作の意図と意識の点では“文芸映画”―映画作品としてまだ一本立ちでないという意味における“文芸映画”―にすぎないのであります。『雁』が鴎外の作品を原作視してつくられているように、これも壺井栄の小説を原作視し、この“原作”の雰囲気を再現することにこれつとめているという“原作意識”において、『二十四の瞳』も、ついに文芸映画の域を出ていないのであります。
 と同時に、また、この映画が文芸映画としてはおそらくその最高峰に立つ作品であろうことは、原作者の壺井女史が「私のかいたもの(原作)より遥かに感動の盛りあがった作品になっている。」という意味のことばを洩らしていたというような話からも、あらかた当たりがつこうというものであります。原作の主題的なものや雰囲気といったものを、映画表現の文脈にしたがって充分に再現し翻訳し得ているとすれば、ともかくこれは文芸映画として満点の作品です。いわんや、『朝日』が伝えているように、原作者をさえ泣かせた作品ということであれば文芸映画として一〇〇パーセント、いや一二〇パーセント、一三〇パーセントの作品であるということになるでありましょう。
 が、『二十四の瞳』は、実は文芸映画でなんかないのであります。
 製作者の意識がどうの、なにが原作でそれの主題はどういうものか、というようなことは、たのしみに映画を見る私たち普通の観客にとっては、これは一応どうでもよいことなのであります。要するにその映画がそれとして面白ければいいのです。複雑な予備知識を必要とするものや、ですから原作を読んでいないことには面白味が半減、というような文芸映画は、これは甚だ迷惑なのであります。その点、この『二十四の瞳』は、ベスト・セラーズ第何位かのあの原作は読んでいなくとも、いや読まなかった方のほうがかえってたのしめるという作品になっているらしいのであります。と申しますのは、なまじ読んでいたばかりに“おなご先生”への夢を無惨にも高峰秀子によって破られてしまった、というふうな嘆きも仄聞するからであります。ともかくこれは、封切り第一週観覧料金百三十円相応以上のたのしみを与えてくれる映画であったことは、皆さまのひとしく経験せられた通りであります。
 百三十円という金の用途は、このデフレ下においては測り知られぬほど広く大きく、多岐多様であります。これを文化的に使用するとすれば、岩波新書を一冊買い求めて“光”をふかしながらこれを読むこともできますし、コーヒー店の一隅に、恋人とともに極めてエモーショナルな一時間半を過ごすことも、また可能なのであります。つまり、観覧料金として支払った、この百三十円を、私たちは“損をした”とは思いたくないのであります。でありますからして映画と小説をくらべて、どちらがどうのというような詮さくは、これは“通人、通を語る”の部類に属することで、私たちの関知したところではないのであります。
 おそらく大達文部大臣閣下は“原作”はお読みになっておられまいと愚考するのでありますが、しかもこの映画をごらんになって目に涙された、ということであります。大達文相のような方をさえ泣かせたこの映画が、文芸映画でなどあろうはずはありません。この映画を文芸映画にしてしまったのは、製作者と同様の“原作意識”をもち小説『二十四の瞳』との優劣がどうのというふうな、わざわざご苦労さまな見方をする、ひとにぎりのインテリどものしわざにこれは違いありません。


   原作か素材か

 ところで、大達さんが見て泣いたという一点に、『二十四の瞳』という映画の映画作品としての問題がありそうに思われます。どうしてか、と申しますと、いやそこで映画製作者たちの“原作意識”が批判されていいのだと思います。
 確かにあの作品は『山椒大夫』や『太陽のない街』なぞとはくらべものにならんぐらい、“原作”の雰囲気を生かそうとし、また生かし得ている作品であるわけなのですが、そのために、かえって、原作が示す表現の弱さをまでそのまま敷写しに再現してしまっているのです。表現の弱さといっても、これは実は作者その人の責任というよりは、作品の表現を受け止める読者の側に問題があるわけなのですが、かなり多くの読者たちによって、この小説が、現に母物小説ないし通俗少女小説とスリ替えられて読まれているのであります。そういう“弱さ”は、小説を“映画化”する際に当然“補強”され、観客を誤まることのないよう充分配慮されるべきでありました。
 が、それが行われなかったのであります。原作の雰囲気の単なる“敷写し”“再現”に終ってしまっているのです。まことにそのゆえに、映画『二十四の瞳』は大達さんを泣かせ、複数の大達氏、複数の大達夫人複数の大達嬢達の涙を絞る結果となったのであります。涙を絞ったことがいけないのではなくて、その涙が母物や股旅物の涙につながるものがあり、したがってまた、泣きっ放し泣かせっ放しで元のとれない涙であるところに問題があるのであります。
 つまり、もうせんの『真空地帯』が野間宏の小説を撥ねのけて作られたように、これも壺井の小説を突き放して作られるべきであったのです。また、映画『真空地帯』が“素材”として(あくまで素材として)野間の作品を大事にし大切に扱っているのとは違って、この映画の製作者は、小説『二十四の瞳』を“原作”として大事にしているから、大達さんを泣かせたりというようなことにもなるのです。大達文相をさえ泣かせた、と考えてはいけないのであって大達さんが泣けるような映画になってしまった、という、そことところを考えてみなくてはいけないのだと思います。この映画を泣いて文部省特選に指定した大達文相の“人間”はそのときもまたそれ以後も、以前と寸分変っていないという点について深く考えてみるべきだ、と思うのであります。
 が、これは、この作品の弱い一面だけを抉っての話でありまして、その誤まれる原作意識にもかかわらず、結果としてでも文芸映画の域を遥かに越え得ていることには深く敬意を表するものであります。ともかくもモニュメンタルな映画であります。

(法政大学教授)


  ※ 著者自身による修正(脱字補充・語句削除)が2箇所ある。ここではその修正の結果に拠った。
熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 1955〜1964(昭和30年代)著作より