文学と文学教育      熊谷 孝
  
国土社刊「教育」40(1954年12月号)掲載----- 

――「おれたちを何だと思つてるんだ? ロボットだと思うのか、生きた人間と思うかどつちかだ?」〈イリヤ・エーレンブルグ〉


      文学による教育

 文学教育を“文学への教育”と考えるか、それとも“文学による教育”と考えるかで道順は多少とも違ってくるが、しかし、そのいずれを主にして考えるにせよ、文学教育の意義についてわたくし自身幾分懐疑的になっていったことは否めない。
 ――「今のこの時期に、こんなことをやっていて、いったい、なんになるだろう?」
 端的な例だが、朝、駅前で原水爆反対の署名をした足で学校へ行き、生徒を前にして「奥の細道」のテキストをひろげたときの、あのチグハグな思いは、これはどうしようもないものだ。「松島や鶴に身をかれほととぎす」――と読んで、ふっと溜息がでる。生徒のほうは、もっとつまらなそうだ。
 わたくしの懐疑は、そしてきわめて素朴である。その一つは、文学の批評なり享受が文学の創造に対して、はたしてどれだけの意義を分けもつか、という疑問につながっている。つまり、文学創造における、あるいはそれに対する文学教育の意義 なり役割なりというような点だ。
 作家のなりそこないが批評家になって、もってまわったような作品批評をやる。そうした批評家の批評というものに、わたくしは、ほとんどなんの期待も持てないでいる。が、そういう批評家を、さらに一回りも二回りもスケールを小さくしたような人間が、教室で生徒を相手にぶつところの文学談義というふうなものは、これは思ってみただけでも、お寒いことではないか。
 それも自分の鑑賞眼や批評眼をひけらかすというふうな無邪気なのはまだいいが、まるでどこそこの決定にもとづいての発言であるというみたいな、判で押したような批評の規格品を押しつけるのでは、文学への道を開くどころか、せっかく芽生えようとしている文学への関心も、文学的関心も根こそぎ刈り取ってしまうことになる。現に筋のいい若者たちの多くは、文学の道を選ぼうとはしない。文学的思考によってものを考えるよりは、直接科学的な思考によって問題と対決しようとしている。そうさせるものが、今の文学教育にはあるのだ。
 それは、文学教育が、すくなくとも結果において、科学的なものの考え方を否定する教育に横すべりしているか、それもたんに科学的な思考に手がかりをつけるだけのものに終っている、ということである。たとえば「人形の家」や「外套」を教材にして、こんにちの(あるいはその当時における)女性問題や“家”の問題、人間の自由に関するさまざまの問題を考えようとする人がいる。女性問題や結婚の問題を、生徒といっしょに考えてみようというので「人形の家」をよむのである。しかし、ハッキリいうが、これは文学教育ではない。
 それは、文学作品のなかに問題をさぐる(文学的思考において問題をさぐる)のではなくて、あらかじめ用意されたテーマと結論に作品を結びつけるという操作でしかない。あえていえば、作品のストオリーをそこへ結びつけるのである。そのことで、予定されたテーマを説明し、あるいは予定した結論の正しさの裏づけとするのである。そのばあい、そこにとりあげられた問題が、問題そのものとしていかに歴史的・客観的に、またいかに時評的に“科学的に”追求され処理されていようとも、それは、たかだか科学的思考への橋渡し教育にほかならない。文学的思考方法というか認識方法というか、ともかく、そうした文学特有の準体験的な認識は、そういう操作のあいだからは生まれてこない。文学的思考へと導かれないような、また、文学的思考によって導かれないような、いかなる指導もそれを“文学教育”と呼ぶわけにはいかない。それは、厳密な意味では“文学による教育”とさえいえないものなのではあるまいか。が、そうしたものが文学教育であり、またそうした一点にこそ文学教育の窮極の(あるいはせめてもの)役割がある、と考えるような人たちが現にいる。わたくしはいきおい懐疑的にならざるを得ない。
 けれど、また、そんなふうな科学的思考への橋渡し教育が、結果ととして文学への橋渡しをもたらすようなばあいが全然ないわけではない。たとえ少数の生徒ではあっても、またそれが、いかなる意味における興味であるにもせよ、彼らが「人形の家」なり「外套」なりに対して興味を感じ、そのときのそうした興味がキッカケとなって、つぎつぎと小説や戯曲に目を通すようになる、というふうなことも、やはりまたあり得ることなのだ。問題の鍵は、むしろ、その辺のところにありそうに思われる。
 つまり、このばあいは、思ってもみなかった好結果がということになるのだが、たんにそうした幸福な偶然に期待するのでもなく、むしろそのような結果を必然的なものとするためにこそ“文学による教育”が組織的・計画的におこなわれなくてはならぬのだ。知能の程度や知識の程度も、環境も、したがって意識や感覚の点でもまちまちな生徒を五十人、六十人とごっちゃに詰めこんだクラスではいい気な“批評家”たちが空想するような、足並みそろった“文学への教育”など、とうていできる相談ではないのだ。そして、あえていうなら、ハッキリとした問題意識をもったこういう“文学による教育”が、現場の実状からすれば、実は“文学への教育”を立派に実践しているということにもなるのである。が、もしまた、わたくしのこの発言が、雀の涙よりももっとちっぽけな今の教育予算の割当を肯定した発言と誤られるならば、これほど遺憾なことはない。むしろ、わたくしがいいたかったのは、現在文学教育の前進を阻んでいるものが、ほかでもない、この非教育的な教育予算の数字に端的に示されているようなある種のバーバリズムの力だ、ということである。


       “文学への教育”

 で、そんなふうな、意識された“文学による教育”の場にあっては、たとえ生徒の興味が作品の主題から遠く離れたところに注がれているようなことがあったとしても、教師はそのことでいたずらに悲観したり匙を投げたりはしないだろう。また、たとえば、「人形の家」の演習が演習の時間のワクのなかではたんなる離婚問題いっぱんに関する意見の交換会に終ったとしても、あながちにそれだけのことから失敗を結論することにはならないだろう。成功・不成功は、むしろ、壁に仕切られたそうしたワクのなかで、どの程度確実に生徒の文学への関心と文学的関心に手がかりを与えることができたか、ということによって測定される事柄なのである。
 同様のことは、いうところの“文学への教育”がかなり徹底しておこなわれているような教室についてもいえることだ。文学作品のなかに問題をさぐる(文学的思考においてさぐる)というこの操作〈準体験的認識のはたらき〉は、けれど行きつく窮極の地点においては、描かれた人間像のなかに読者が自己を発見し、その主人公なり女主人公の置かれている典型的シチュエーションのなかで、実はかえって自己凝視をさせられる、ということにほかならない。とすれば“文学への”この教育も、けっきょくは読者である生徒や教師自身の“人間”や“生活環境”あるいは“現実”が最後には問題になってこざるをえないわけだ。
 が、そこまで行きつけるか、また行きついてとしてどこまで問題を掘りさげることができるか。かぎられたワクのなかで、あるいは一つの単元を終えるまでに、どうでも結論をそこへ持って行かなくてはと考えるのは、おそらく間違いだろう。間違っている、いないというより、それは現実に不可能なことだ。納得のいかぬことには人間は動けないし、動かぬものだ。教育の相手は“生きた”人間である。問題は、だから、やはり、どの程度確実に手がかりを与えることができたか、である。
 そのように考えてみたとき“文学による教育”の指導過程のある一齣だけをとりあげて、それがまだ“文学への教育”になっていないからといって非難するのはあたらないし、また“文学への”文学教育が、いまだ自己凝視にいたっていない(つまり、その意味での“文学による教育”になっていない)という理由で非難するのもやはりあたらない、ということがわかるだろう。“文学への教育”と文学による教育とは、それぞれが文学教育の側面であって、それらは教育の対象領域を異にしているのではない。直接的には前者をめざしたところの指導をふくみ、後者を意図したそれも、現実には前者によって与えられている、という関係がそこに見られるのである。
 現場の実践面においては、ところで、曲がりなりにもこの二つの側面は統一されている。それが統一されなくては、教室の作業を一歩も先へ進めることができないからだ。統一されぬまま、チグハグな対立をつづけているのは、現場を離れた抽象的な文学教育論議の部面においてだけである。が、いま、文学教育の前進のために必要とされるのは、この二つの側面の意識的な統一と、そうして実践的に統一された立場からの体系的な文学教育の方法の樹立である。


      指導計画の変更 ――その実践的意義――

 教師が現場で相手としてとりくんでいるのは学生、生徒、児童という、生きた人間である。相手が生きた人間であるということによって、現実の文学教育は、さいしょ指導者によって予定された結論にまでだどりつけないようなばあいも、まま生じてくるのであった。〈前項参照〉
 相手が生きた人間であるということは、相手のひとりびとりがそれぞれに異なる環境に育ち、現に異なる環境をそれぞれの仕方で生きている、ということである。ある文学者の言葉をかりれば「人間はその環境から引き離されれば、もう生きたものではなくなる」のである。そこで、文学の創作においては「作家は、始めに、小説の筋についての観念を持つことはできるが、登場人物がいったん生みだされると、これらの人物に予定された行動をやらせることができないとわかるばあいもある。というのは、作者に対する作中人物の一種の抵抗があるからだ。人物の性格を変えるわけにはいかないから筋を変えなければならなくなる」ということにもなるのだ。
 基本的には、つまりそれと同じことが文学教育についてもいえるわけだ。人物の性格を変えるわけにいかないから、という言葉のアヤは別として、体験の相違からくる人それぞれの生き方や人柄を無視できないから、筋書を変えなくてはならなくなるのだ。指導の筋書を変えるということが、そしてほんとうの意味で教育的なことであり、実践的なことだということを知らなくてはならない。どうでも結論までもってゆかなくては、というのは、文学教育で教育のすべてを尽そうとする“文学教育主義”へのかたより である。そしてこの文学教育主義が、意識的、無意識的に“文学主義”とよしみを通ずるものであるということが、そこに反省されなくてはならぬのだ。
 文学だけで人生のすべてが尽くされないように、文学教育だけで教育のすべては尽くされない。文学教育はあくまで教育の一環であり、部分にすぎない。おそらく重要な部分ではあろうが、しかも“部分”である。国語教室に姿をあらわす現実の生徒は、理数科の教室にも、また社会科の教室にも出席している生徒たちなのである。彼らは、また、一面、アルバイトによって学資や生活資金をかちえている、労働者としての側面も持っている。この子がと思うような、いたいけな少年が、実はまずしい戦争未亡人の家庭の経済的な支柱であったりもする。それを、文学教育だけですべてを尽くそうと考えるのは愚かなことである。“結論”への到達は、むしろ、各教科相互の緊密な横のつながりと協力による、生徒との人間的・生活的な接触によって可能とされる。生きた人間を相手の、そうした総括的・全体的な教育活動のなかで“わたくし”になにができるか、またなにをなすべきかということを、横と縦のつながりにおいて深く考えなくてはならぬのである。教師として、また文学教育の担当者としてである。


      被教育者を忘れた文学教育

 前に触れた段階的な指導と効果の測定という点についてだが、それをたんに一年とか二年とか、あるいは小学校とか中学校というようなワクで式って考えるだけではまだ不充分なのではあるまいか。“結論”という言葉をさっき使ったが、いちおうしめくくりという意味での最後の目標を、おおよそ二十歳前後というところにもとめてよいのではなかろうか。ということは、個々の段階に即した指導目標を設けることが、さまで重要な意味をもたないということではない。そうではなくて、そうした個々の目標をもっと現実的なもっと確実なものにするためにこそ、それだけの幅をもって相手の成長を見守る必要がありはしないか、ということなのである。
 これはほかの例だが、――女の子がおとなしく“お人形遊び”をやっている。それは、ごくせまく考えれば、いかにも女の子らしく可愛らしく、それに男の子の遊びのように怪我をする心配もないし、母親の手間が省けて結構なことのようだが、しかし成人の年に目標を置いて考えるとき“女らしく”の一点ばりで育てられた彼女は、彼女自身そのときすでに一個の“人形”になりはててしまっている。お人形遊びは、現実には女性の知能を低める教育でしかなかったのである。むしろ、男の子の遊びのような、自分で工夫したことが、現実の事実の合致しているかどうかを確かめねばならぬような遊びが、女の子にとってもまた必要なのである。だから“おとな”の目からの、“らしい”“らしくない”は実は目標がズレていたための“らしさ”に過ぎなかったのであって、事の実際からいえば“女の子らしく”あるいは“女らしく”させることで、“人間らしさ”を失わせたということが教育的にはマイナスだったわけである。
 つまりは、それと同じことなのであって、小学生の時は小学生らしく、中学生になったらまたそのように、という方式の既成の文学教育の指導方法がはたして適切かどうかは甚だ疑問である。たとえばの話だが、わたくしは、すくなくとも“ひとは十代において何を読むべきか”というようなたてまえから行われる読み物指導には疑問がある。十代には十代らしい読み物を、という言葉そのものにはとりたてて何もいうことはないのだが、問題はその言葉があらわす内容である。十代は十代らしく、というのは、男の子は男らしく、女の子は女らしく、というあの観念につながるものがあるのだ。“ひとは十代において……”ではなくて、だから“こんにちの十代は何をいかに……”でなければならない。
 十代とはテン・エージャーという言葉が一般化して使われるようになったのが戦後のことであり、それがアプレという言葉と結びついて、かなり侮蔑の意味をこめて使われていた(あるいは、使われている)ことを思えば、十代の読書指導ということが、直接社会的な意義と意味をもつ、文学教育の実践的課題であることがわかるだろう。「人は一般に十代において……」のあの方式では、問題はもう処理できないのだ。それは、戦争によって幼少年期をスポイルされた痛ましい被害者の“人間”をつくり変えようとする、魂の技師のしごとなのだから。読者を忘れたとき、その作品は宙に浮いたものになるように、被教育者の生活の実際を見落とした教育は、すでに教育の名にあたいしないであろう。
 だから、“たてまえ”そのものは、そっともとのままにしておいて、そのさきの仕事だけをいくら“良心的”にはこんでも、これはどうにもならぬのである。「文学教育であるからには、年齢相応の適切なよい文学作品にしたしむように仕向けなくてはならない」それは一応そのとおりなのだが、なにがよい作品で、どういうものがはたして適切なのか――である。よいとし適切と判断する、その“たてまえ”に問題があるのだ。
 小中学生のばあいでいえば、講談本へのあの根強い興味を、それをどう向きを変えさせて本筋の文学への興味に結びつけるか、ということを、わたくしもまた考えるのであるが、しかし問題は、まずこれらの通俗大衆小説や読物のどこがいけないかであり、十代前期のこれらの少年少女たちにとって、どういう作品が現実に“本筋”の作品でありうるかである。たんにスマートさに欠けているからとか、泥くさくてツキアイきれない、というだけでは、これは“お教養ごっこ”を事とする文化主義者の発言にすぎない。文学教育のしごとは、けれど箱入り娘あいての“お躾けごと”ではない。たんに“スマートな文学的情操を養う”ための躾けごとは文学教育ではない。
 が、これまでのところ、文学教育の指導は、(すくなくとも結果としては)文学にしたしむことが“日かげの花”をいつくしむことであり、文学的であるということは、また、現実ばなれのした状況に身を置くことだ、というような誤まった印象を一般に対して与えてしまっていることは事実である。であればこそ、文学にしたしむなどということは“男らしくない”ことだというので、男の子や男の子をもつ親たちのあいだで文学は人気がなく、その反対に、女の子たちのあいだではすごく人気があるという、奇妙なことにもなってしまっているのだ。そういう女の子たちのあいだでの人気というのが、れいの少女小説的興味にすぎないことは、、あらためて説明するまでもあるまい。
 そうした少女小説的興味ないし少女小説への興味というのは、ひとくちにいって“女だけの涙の世界”への耽溺であり共感である。母物小説の少女版にすぎない少女小説へのこうした興味が、ところで、むしろ“少女らしい”好みとして、家庭でも、存外、学校でも歓迎されているということは、例の“らしさ”への願望、良妻賢母主義へのノスタルジアが、それがもはやたんなるノスタルジア以上のものとして作用しているということである。また、ちょうどそれを裏返しにしたかたちで、“男の子は男の子らしく”の文脈から、講談・浪曲的ヒロイズムが歓迎され、それをアロハ化した軍国調少年冒険小説が“男らしい”読物として、子どもがこれを読むことをむしろ好ましいこととして親たちにうけとられている現状は、こうした少年版大衆小説の流行が、現実の社会的基盤そのもののなかに深い根をもっている、ということを示している。
 文学教育の仕事がむずかしいというのは、だからたんに指導の技術をどうするかという技術・技巧の上のむずかしさにとどまるのではなくて、こうした悪条件のなかで、子どもたちを引き上げていく――というよりは、むしろ、この悪現実とたたかってまっとうに生きることのできるような人間に子どもたちを育くみ鍛えていく、という仕事だからである。だから、このたてまえからは、定評のある童話や文学作品ならどういうものを読ませてもよい、というものではないのであって、相手の生活のありよう(精神の発育の段階と体験のゆがみの程度)に応じた作品の選びが、そこに必要になってくるのであり、また、いま現に子どもたちの読んでいる作品について、(それが好ましい作品であろうとなかろうと)親や教師がともに読んでともに語りあう、という指導が必要になってくるのである。
 それが、ともかく教師なり親なり指導にあたる側の人たちが、文学の“しくみ”と“はたらき”についての認識を確実なものにし、文学享受の意義の役割の大きいことを充分見とおしたうえで本腰を据えてかからないと、今のこの悪現実のもとでは、消極的な妙な文学趣味を植えつけておしまいになる、というような、かえってマイナスの効果をさえ招くことになるのである。そこで問題になるのはけっきょく教師なり親なり、直接間接にこの文学教育の仕事にたずさわる人たちの“人間”である。教師や親が自己変革することなしには文学教育の前進はありえない。


      明日の文学を決定するもの

 そこで、いちばん初めにもどって、文学創造に分けもつ文学教育の役割ということだが、文学教育のめざすところは、文学的思考において生活できるような人間をつくり上げることであるはずだ。敢えていうが、文学的思考によらなくては、現実の本当のところはつかめないし、人間というものがわからない。つまりは、自分というものもつかめないし、自分の生活の基盤やその周囲のことも本当はつかめないのである。たんなる特殊を典型に変え、具体的な形象においてものを見、かつ考えるという、この生き方こそ、文学教育のもたらすところのものである。それは、他面、すぐれた文学の読者をつくり上げるということである。
 文学教育の意義と役割を、すぐれた読者の創造というこの側面にしぼって考えるとき、しかしそのような“すぐれた読者”を生みだすことが、文学の創造そのものにとって、はたして何程のプラスをもたらすであろうか、という疑惑に行きつくのである。この稿のさいしょに掲げた、文学教育へのわたくしの懐疑というものも、まさにこのことにつながるそれであった。が、偉大な読者の存在なしにどうして偉大な文学が生まれ得よう? わたくしは、いま、そのことに思い至るのである。
 ゴーゴリを生みトルストイを生んだ帝政ロシアは、恐怖にあたいするツアーの圧制にもかかわらず、何よりも偉大なる民衆と、そしてすぐれた民衆意識に生きるインテリゲンチャを文学の読者としてもつことができた。民衆の魂の技師である文学者は、読者である民衆の魂の叫びをより高い次元において作品に媒介し、それを交互に伝えうったえる。前に掲げたゴーゴリの「外套」は、そのような文学作品の典型であった。アカキイ・アカキイヴィチの怒りは圧政に苦しむロシア民衆のそれであり、幽霊になったこの下級官吏の叫びは、民衆の怒りをぎりぎりの形において表現している。
 偉大な読者の存在しないところに偉大な文学はあり得ない。偉大な読者だけが偉大な文学をうむ。すぐれた文学教育が、明日の偉大な民族文学を生むのである。エーレンブルグもいっている「ソヴェートはまだ偉大な文学、ほんとうにわが国やわが国民にふさわしい文学を生みだしてはおりません。が、わたくしは率直に申します。ソヴェートはすでに偉大な文学がつぎつぎに生まれてくるだろう基盤となる“読者”をつくりだしました。と申しますのは、全国民に呼びかける芸術としては、この根底の基礎なくして、こんにち国民の要求にこたえる偉大な文学が存在し得ることは考えられないからです」〈「文学について」中央公論・十月号〉 
(法政大学教授)-- 

熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 人と学問