〈読書〉欄記事      熊谷 孝
  
「月刊児童福祉」bV〜9(1950年6〜8月号)掲載----- 


      小学生文庫

 小学校中級程度の子どもには、まだやはり絵といっしょに文章を与えるというくふうが必要だ。それもお添えもの程度の挿し絵ぐらいでは駄目なので、絵と文章が半々というバランスでないと、子どものほうからは食いついてこない。その絵はまた、線のひじょうにハッキリした、対象が浮き彫りにされているようなものでないといけない。むろん、色刷りに越したことはない。
 それから、或る程度に筋の展開が見られる、読み物ふうのものであることが大事だ。筋の構成を持った、しかしそれでいてまたあまり筋のこみ入っていない、その場その場でいちおう事件のケリがつく――事柄の処理がおこなわれる、というようなものとしてあることが望ましい。
 これらのことは、紙芝居にたいする今の子どもたちの人気というものを考えてみれば、しぜん胸に落ちるものがあるわけだ。街の紙芝居と漫画本に夢中になっている、甚だしい学力低下のなかにある今の子どもたちを引き上げるのには、まずこの辺のところから出発する以外に手は見当らない。
 今本屋の店先きで子どもたちの人気をさらっている小峰書店の小学生文庫は、一般のそうした要望にこたえたものである「青い鳥」「地球のふしぎ」「生物のくらし」「バンビのゆめ」の四点がその第一期計画として刊行されたわけだが、中でも「地球のふしぎ」はすばらしい。地質学者の武者金吉氏が草稿を作り、児童もので長年苦労してきた編集者が文学表現と構成の面で協力して出来上ったのがこの本である。(「生物のくらし」も同様である。)
 主題としては一貫した構成を持っていながら、部分部分が読み切りの形になっている。これはいい。また「なぜ空は青いのでしょう?」というふうに、著者は子どもの文脈にしたがって考えていく。そういう観察と思索の糸は「地球をこの世の中をもっと住みよい所にするための地球の研究」という著者のイデーに織りなされて子どもの心につながっている。可愛い童画ふうの絵と総ルビの文章で、初級向きとして見ても、さまで無理ではない。価格の低廉なことも一般の親にはありがたい。(小峰書店新刊、定家各冊百円)――1950.6.15


      親にも愛される読みもの――刀江児童文庫と山本氏のディケンズ訳

 せっかく素直に育ってきている子どもを、歪められた笑いや粗雑な感傷主義に導くような読み物が、いま、ひじょうに多い。現状からすると、読書が逆に子どもの生活をマイナスにするという奇妙なことになっているのだ。それで、本当に子どもの心のカテになるような読み物を、というので編集されたのが、この刀江児童文庫であるという。
 仕上った現物は、必らずしも企画どおりにはいっていないが、編集者の良心は高く買われてよい。巻末に「父母教師のための指導要領」を添えているのも、着眼だ。
 編集者の良心が、筆者にその人を得てよきみのりを結んでいるのは、さしづめ山本政喜氏訳の「クリスマス・キャロル」(ディケンズ)や波多野完治氏著「人くい島探険」あたりだろう。
 山本氏の訳は、いまはやりのダイジェストでも抄訳でもなく、原文の文脈に忠実な完訳である。それでいて、それがその侭、児童読み物ふうのスタイルになっているのだ。訳者にいわせると、そういう事になるのが当り前なので、ディケンズはみずから大衆の一人として大衆のために書いた作家なのだし、「クリスマス・キャロル」殊に子どもにも大人にも親しまれることを目ざして書かれた作品なのだから、すなおに原文を読みさえしたら、こうしたやさしい文章に訳すほかないわけだというのである。
 訳者は、「従来いくつか出ている訳の文章と、私がここに出した訳の文章とが非常にちがっている」といい、「従来の訳文が……作者の意図を充分に考えていなかった」ことを批判しているが、当っている。ディケンズは母親にも子どもにも親しんでもらいたい作家だが、それが、いま、山本氏訳のような素晴らしい翻訳を私たちのものとすることが出来るようになったことは深い悦びである。(K)(刀江書院発行・定価百四十円)――1950.7.15


      良書のダンピング

 児童物の出版も、どうやらこのところ底をついた感じ。夏枯れの出版界、見渡したところ八月の新刊にこれはと思うものがない。
 「子どもに良書を」と考える親のフトコロのほうも、これまた御同様に夏枯れと来ていて、新刊書の売れ行きはガタオチに落ちる一方、そこここの露天や神保町辺のゾッキ屋で、漫画本やら絵本をひっくり返している若い父親や母親の姿が、目立って多くなってきている。安い値段で、汚れてなくて、しかも余り俗悪でないものをという、これもやはり親の愛情の表現である。

 そういう形でしか示すほかない親の愛情にとってお誂え向きの良書が、さいきんゾッキ本の中に姿をあらわしはじめた。金詰りと購買力の低下で良心的な中小出版社がツブれたり左前になったりしたせいである。つまりみんなが貧乏になって来たから良書のダンピングもおこなわれるということなので、果して喜んでいいのかどうか分らないが、ともかくバット一箱ぐらいの値段で良書を手にすることが出来るようになったのは確かだ。

 たとえば、いつかこの欄で紹介した「闘う人道主義者トルストイ」や「少年少女伝記読本」シリーズが、定価百二十円というのが三十円を下回った売り値で店晒しされている。
 教育文化社の「みつばち文庫」――これなども、定価七十円のが十円そこそこで買える。この文庫には、「ことばと文字の歴史」(塩田紀和)、「今の家・昔の家」(藤島亥治郎)をはじめ「交易の話」「農業ものがたり」「火と人間」などが収められていて、小学校中級以上の読み物としてまた社会科の副読本として格好の物である。
 そういうわけで今は十円二十円で買える良書がたくさんある。お互い、さびしいフトコロであればこそ、同じ子どものために使うのならそれを有効に使っていただきたいという、これはお母様方へのお願いである。(K)――1950.8.15



熊谷孝 昭和20年代(1945-1954)著作より熊谷孝 人と学問