評論への期待      熊谷 孝
  
「法政大学新聞」131(1941.2.20)掲載--- 

  *漢字は原則として新字体を使用した。*引用部分以外は現代仮名遣いに替えた。*傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。。。  
*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。
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 芸術の課題は、美にあるよりも、むしろ真実にある、といったフィードレルの言葉は、今日ひとびとによってもう一度翫味(がんみ)し直されてもよいもののように思われる。なぜなら、現に然(しか)あるところの現実の姿と、描かれた現実の世界との距(へだた)りがこの唯今に於けるほど、大きな開きをわれわれの前に示したときは未(いま)だ嘗(かつ)てないように思われるからである。
 ひとは今、彼が好むと好まぬとにかかわらず、政治的現実との対決に迫られており、そうした新しき現実への適応善処の問題に対峙せしめられている。そして、時代に対する彼の良心が鋭いものであればあるほど、また旧(ふる)き自らを揚棄(ようき)しよりよき個人として『全体』への責務を全うしようとする志向が彼にとって大きいものであればあるほど、それは焦眉(しょうび)の問題として、いっそうの緊迫感と共に強く彼自身に迫りゆくのである。かかるとき、ひとり文学のみが描写の翳(かげ)に隠れてオプティミズムの安逸に耽(ふけ)っているとすれば、それは自らの手を以て自らを現代文学の圏外に押しやるの愚を敢(あえ)てなすものと言わねばならぬであろう。
 と言って私は、今日の文学が新しき現実に対して無関心であると言うのでもなければ、またそれが日常生活面への取材を意味なしとするものでもない。ましてのこと、緊迫せる情勢下の文学にとって芸術性の有無なぞは二の次の問題である、なぞいうことを言おうとするものではない。むしろ、それと反対に、文学は飽(あく)まで形象の言葉を以て語られねばならぬとするものであり、また然(しか)かんがえるが故に、現実の全(まった)き姿が形象化され得ず、生ける人間の具象的具体的な再現の行われ得ていない文学の現状に大きな不満を覚えるものである。
 再びフィードレルの言葉をかりれば、真なるもののすべてが美ではあり得ないにしても、少(すくな)くとも真実に触れることなしに美は表現され得ないであろう。たといそこに意識されずして描かれた(謂(い)わば現実の無意識的な反映として描き出された)真実の破片の見出されるような場合があろうと、言葉の正しい意味における文学の表現として、すなわち現象の対象的構成として把(とら)えられたところの現実の正しい在り方と、したがってまた問題の現代的な在り方とを、文学作品を通じて感知し得るというような場合は現在殆(ほとん)ど例外に属すると言ってよい。文学に学ぶべき何ものをも見出し得ないということは一つの時代的な不幸である。
 いかさまそこには、現実の政治的課題に応答するかの如く、移民文学があり農民文学があり、現地記録の戦争小説がある。しかしわれわれは今日の文学のかかる外面的な華やかさについて語るよりも、むしろより多く、それの内面的な貧しさについて語らねばならぬのだ。なぜなら、それらに於いて描き出されたところの現実は、極めて少数の例外を除けば、それの本質的なモメントにおいて把握せられた現実の再現ではなく、単なる現実の現象面の皮相的・恣意(しい)的な記録であるにすぎず、それはたかだか『農民自身の眼』を以て、或(あるい)は『一兵士の眼と心』とを以て無自覚的に抽象された現実の一断面にすぎないからである。
 とはいえ、われわれは、たとえば和田伝氏の一連の農民小説などにおいて、現代日本の苛酷な農村的現実が、農民の心理に即しつつ、切実に体験的に、もののみごとに形象化され得ている例をみることができよう。そこでは、すべての事象が、農民の生活に即して経験せられ評価され、飽(あく)まで農民自身の視角による抽象と概括が行われている。そこに描かれた現実は、もはや農村視察者の見た『農村の現実』でもなければ、農民の衣装を纏(まと)うような木偶でもなく、農村そのものの『在るが儘(まま)』の現実の姿である。
 しかしながら、氏の作品のわれわれに与えるところの立体感が、実は氏自身の農民の眼を以て、現実を在るが儘に描くことによって獲(え)られたそれに外ならないという点にこそ問題があるように思われる。すなわち氏の作品に描かれた在るが儘の現実とは、要するに農民自身にとっての 『在るが儘の現実』に外ならず、農民自身の生活意識に基(もとづ)く現実の一面的な抽象にすぎないという点である。
 氏の作品の有(も)つ表現のナマナマしさは、謂(い)わば体験者の言葉の有つナマナマしさであり、氏によって描かれた人間が有つ具体的な形象感は、体験者自身による自己表現の有つナマナマしさなのであろう。けれど、そのようにして把(とら)えられた人間は、真の意味における具体的な人間像であることはでき得ない。なぜなら、真に具体的なものとは、単なる一面的部分的な真実を超えた抽象的なものによって媒介せられたものであらねばならず、蓋(けだ)し客観的な歴史社会的な視角によって再構成せられぬ限り、それは単なる一素材に止(とどま)らねばならぬであろうからである。
 氏の場合がそのよき例であるように、農民の心理をわがものとなし切ることによって、却(かえ)って作者自身現象に足をすくわれ、現実認識は現実肯定に置きかえられ、かくして現実の暗さは明るさにスリ替えられる、というのが、今日の作品に一般的な事実である。彼等農民が諦めの中にはかなくも見出した『希望』の幻影 を農民自身の視角によってナマナマしく描くことにより、却ってその幻影 は事実であるかの錯覚を起さしめ、都会人士の前に農民生活を一つの珍奇な風俗として提供する結果となっていることは見落されてならぬ点であろう。
 更にいっそう大事なことは、これらの作品に対する一般の支持が、より多く、風俗の目新しさ、珍しさを求める読者心理によって行われているいるということであり、農村的現実が、農民の心理が、或はまた戦場における人間の行動と心理が、読者によって単に『珍しいもの』として把えられているという点である。それはもはや明(あきら)かな如く、読者の作品観点の仕方[ママ]如何(いかん)にのみかかる事柄ではなく、むしろ作品の在り方そのものに、ひいては作者その人の創作方法の、彼の現実認識の方法の然らしめるところと見なければならぬ。
 これらの作家達によっては、たとえば大陸移民の問題は、歴史の進展に伴う不可避的な現象として将来への企画的な予見の下に構想されているのではなく、従ってそうした現象の背後に深刻な農村の現実的苦悩の存することは殆(ほとん)ど全く見落されている。その結果、移民の先駆者達は、たかだか国策の線に沿い大陸への希望に燃えて海を渡る雄々しい時代のヒーローとして描出され、謂(い)わば新聞の三面記事におけると同様の取扱いを受けているような場合すら少(すくな)くないのである。そこで国策そのものすら、その政策が要請せられるに至った客観的根拠から遊離して、単に観念的にしか理解され得ていないのだ。
 かくして、新しき現実が必然的に創り出しつつある、むしろ現代にとって典型的ともいうべき人間の性格・心理が、人々によって単に『異常なもの』『珍しいもの』として理解され、またその態(てい)の理解をしか示し得ない人々の中にのみ今日の文学がそれの本来的な読者を局限しつつあるという事態は、文学そのものが既に現実遊離の方向を辿りつつあるということを示す以外のものではなく、それ自身市民文学の危機を色濃く表現するものと言わねばならぬであろう。
 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より