資料:鑑賞主義論争
「文芸復興」 昭和12(1937)年8月号掲載  

 「文芸学への一つの反省」補遺
    
――本間氏の「文芸学」批判のかたちで――
           乾  孝(ほか) 

 
 私共の「文芸学への一つの反省」が発表されてから一年近い月日が流れた。その間に、あれをめぐって多数の論議が闘わされたのは私共の光栄とする所だが、然も必ずしも欣快(きんかい)とは言い得ない所である。というのは、紙面に限られて、当然論ずべくして尽くし得なかったことや、かろうじて触れ乍(なが)らも甚(はなは)だ舌足らずに畢(おわ)った箇所が思わぬ誤解に席を設け、無益な論議の種を播(ま)いたのも争われない事実だからだ。例えば今度出た本間〔唯一(ゆういち)〕氏の「文芸学」なども、そうした意味で私共が間接にその責(せめ)を負うべき誤解に基(もとづ)いた誤謬(ごびゅう)を含んでいる。私共はこれを機会にあの論文の補足的な説明をして今までの誤解の因(もと)を解き、今後の無駄骨折(むだぼねおり)の根を除く義務があるだろう。
 便宜上、先ず本間氏の「文芸学」の批判という形で話をはじめる。
〔補註 1〕
補註 1本間氏の文芸学の批判を第一義の目的として論ずるには他に人があろうから、ここでは唯(ただ)私共の関係のある限りでだけふれる。
 本間氏は先ず「日本文芸学」をとりあげる。これは寔(まこと)に当を得たことで、私共の場合にも事情は同じだった。つまり、文芸の科学的 な取扱いを論ずる場合に、この「日本文芸学」の発展の経過は、兎(と)に角(かく)第一にふれなければならないもので、氏が言われるまでもなく、これを国文学者だけに委(まか)しておけない性質のものなのだ。「一つの反省」に吉田や乾の様な門外漢が故(ことさ)らに名を連ねたのもその為だった。ところが、その点を強調した序文を削って了(しま)った為に氏があの論文を国文学者の日本 文芸学批判として読みすごして了われたとすれば半ばはもとより私共に責がある。併(しか)しより大きな半分は氏の現状認識に対する誠意の不足にある。同じ原因から、氏の日本文芸学系譜図は全くのこしらえ物になって了った。歴史的な通観はあの場合、現代的問題の在り方を鮮明にする為の、取り上げることの歴史的意義 を反省することなしには許されない筈だ。進歩的な国文学者から既(すで)に救い難いものと見放されている人々の論著を「国文学者」の代表的見解であるかの如くに誣(し)いたり、つとに自己批判済(ずみ)の旧著に鞭(むち)打ったりすることは余白を埋める余興としても許され難い。而(しか)も、氏はこれにのみ専心して主流には一行も触れておられぬ。〔補註 2〕
補註 2、たとえば一寸(ちょっと)今思いついただけ並べても近藤忠義氏「国文学の普及と鑑賞の問題」(解釈と鑑賞 十一年六月)「国文学と鑑賞主義」(国文学誌要 十一年六月)「文学の鑑賞と評価」(短歌研究 十一年十一月)など。石山徹郎氏の論作にしても、「文芸学と日本文芸学」(国語と国文学 十一年十二月)「日本文芸学の根本問題」(短歌研究 十二年三月)などは充分進歩的な意義をもつものであるのに本間氏はことさらに旧著にこだわってその積極面に目つぶっておられるのである。兎に角、氏が事情に暗いにしても周囲の明るい人の意見を求めるなりなんなり道はあった筈だ。例えば新島氏の唯研(ゆいけん 「唯物論研究」)一月号所載の論文などは、後半に到って単なる言葉洒落によってその善き意図を歪(ゆが)めているとはいえ、遙(はるか)に実情に通じたものであった。こんなことは余計なオセッカイかも知れないが、私共の論文共同製作の提唱、実践はこうした欠点に備えんが為にも意義を有(も)つものなのだ。
 氏が岡崎〔義恵〕氏の「日本的」な傾向に対してムキになっておられるのも一応御尤(ごもっと)もではあるが、併し問題はもっと奥にある。私共が、岡崎氏の論を「ツェイトリンに従って」ファッショ的なものだと規定するのを怠(おこた)った為に氏を徹底的にヘコマスことが出来なかった。と言われるけれども、現象的にヘコム ヘコマスは寧(むし)ろ心臓の問題なので「誰それさんがこう言いました」と言う様な唯研温室育ちの甘ったれた口では尚(なお)のことどうなるものでもない。それ処(どころ)か、これでは私共迷えるインテリ共はまるでツッパネられる様なもので寂しくなる程(ばか)りだ。甘ったれたいのはこっちなのだから。氏が「言うまでもない前提」としていられることを、実はハッキリ説明して貰(もら)いたい人が多いのだ。あの全書が、あるグルウプのお揃(そろ)いの壁飾りでない以上は。
 それは兎に角、私共が力を専ら「鑑賞」や「評価」の問題にそそいだのは「日本的な美」の独特 な取扱い等を云々する余地を残すものは芸術の独特な取扱いであり、「鑑賞」などという曖昧
(あいまい)な言葉によってその科学性をナマクラにした結果の手品だと考えたからに外ならない。禍根は寧(むし)ろ「芸術の科学的な取扱い」の歪曲(わいきょく)にあるのだ。氏はこの点を甚だ無造作に論過しておられるが、同書の外の箇所で無条件に引用されて居る甘粕氏の意見とこの点対立するのではあるまいか。
 
鑑賞の問題は熊谷〔孝〕が繰返し繰返し説明しているからもはや言うまでもあるまいが、甘粕石介〕氏にしても本間氏にしても「真理の認識」だとかその「反映」だとか単純に言って居られるのは、表現の理解における理解者の積極的な機能に対して無神経な為としか考えられないのを思えば、今一度略説しておくのも強(あなが)ち無駄ではなさそうである。
 鑑賞を挨
(ま)って芸術作品がはじめて芸術たりうるのは因(もと)よりのことだ。私共は、芸術作品は見る者の準体験として働き爾後(じご)のよりよき実践へと彼を駆り立てた時、はじめて使命を畢(おわ)るものだと規定しているがその為にも鑑賞はなくてはならぬ手続きなのだ。私共はそんな意味での「鑑賞」をまでしりぞけたのではない。恋人は恋する相手の恋情を挨(ま)ってはじめて恋人たりうるのである。併しまた、クレオパトラの肖像に感心出来ないからと言ってアントニウスを罵(ののし)るのはナンセンスだろう。アントニウスの心情をよく理解 する為には自分の恋愛経験の裏打ちが必要であるにしても、何も自らクレオパトラに惚れ込む必要はあるまい。否(いな)、却(かえ)って、自分の彼女への一身上の感情は除外されなければならないのだ。卑俗な例で畏(おそ)れ入るけれども、芸術品の感激にも同じ様な相対性があるのだ。だから それは主体的に直観によって追体験すべきだというのが解釈学流の行き方だが、実はだから こそ出来得る限り客観的に理解 しなくてはならないのだ。(更に後を見よ)本間氏にしろ甘粕氏にしろ、芸術と科学との差に相当気をつかい乍(なが)ら、然(しか)も案外はっきりしないのは、矢張(やは)りこの両者の訴え方 の力学的な差異を見すごして、両者倶(とも)に表現者によって認識された「真理」のきれはじがそのまま封じ込まれたものとしての、理解者を要さない、自足的な表現 を空想していられる所に原因があるらしい。「あの山」と言う表現は甚だ抽象的で融通的だが、この山頂に並んでいる二人の人間にとっては充分一義的な規定であり得る。寧(むし)ろ、地図の上に「標高何米何々山」と示されるよりも遙(はる)かに全体的、具体的ですらある。この表現者の有(も)つ融通性が二人の現在立っている身体の場によって限定されているからだ。併し、遠隔の地にいる第三者に「あの山」を理解させる為にはやはり地図なり何なりに手頼(たよ)って表現の規定性を強めなければならない。こうした表現の融通性の面の自覚的な利用が芸術的表現規定性の面のそれが科学的表現であると私共は考える。〔補註 3〕
補註3人間表現のこの二つの面は、社会的な動物としての人間の生き方(知覚・記憶・行動)に固有な二つの面に根ざしている。詳しくは最近の論文で公けにする。
 一方、表現が融通性の面に近よる程、直接体験による規定が多くなる訳だから、ますます感動は生々しくなる。そこで芸術家は、まず自分の体験を充分規定性の面で鍛え、次に自分の目ざす大衆の生活面による規定を計算し予定して可及的に融通性に富んだ表現によって訴える。〔補註 4〕
 
したがって、理解される内容がむしろ主に理解者の体験の抽象面によって規定されるから、その規定の座標軸が理解者自身には自覚されず、主観的な全体感を与えるのだ。〔補註 5〕 これが本来の意味での鑑賞 でなければならない。こういえば、古典の当時 の意義を理解する為には私達自身の鑑賞が邪魔である理由も判然とするだろう。且(か)つて山頂の一人が言った「あの山」という言葉を東京にいる私達が論ずる為には、窓から首を出すのは余計なことだ。それよりも先ず地図を按(あん)じて理解 を深めるべきである。要するに、一批評家のの鑑賞の結果は単に現代の或る層の一人の感想としての一データにとどまる。万人の中のただ一個人の一身上の確信を、万人を通じての90%の確率の上に置く思い上りをディルタイ以来の由緒(ゆいしょ)正しい芸術貴族の独善主義だと私共は規定した。尤(もっと)も一データにしてもその作品の現代的意義を論ずる場合には全く無意義ではないが。〔補註 6〕
補註4、芸術家の創作活動そのものがまた彼の真理認識をたすけるのは云うまでもないが、鑑賞者の認識を問題とする限りこの作用は一段違った秩序のものなのだ。甘粕氏や本間氏などはこれを混同し作家と鑑賞者との機能の差を無視しておられる。
5、この点に関しては、の「筆跡と人柄」(教育・国語教育 増刊「国語教育の基礎科学」所載)に詳しいが、更に本年五月応用心理学会総会において発表した「言葉による人柄の表現」(教育心理学研究十二巻七号所載)で実証しておいた。
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「古典作品と現代作品との区別をどこでつけるか」という様な奇問も、読者を締め出しにして作品を抽象的に考える所に発生するので、実は現代 の大衆の鑑賞を問題にする限り何年前に書かれたものでも「時評」の領分にある訳だ。尚(なお)後を見よ。
 処(ところ)でまたこの「現代的意義」の意味も理解者の積極的な意義を前景に出すことによって明確にされる筈(はず)のものなのだ。従来ともすれば混同されていた「現代研究されることの意義」と「現代鑑賞されることの意義」とがその機能的な差をあらわにされるわけなのだ。例えば過去の或る作家の制作態度が現代作家にとって教えることの多い場合、その研究はその意味で現代的意義を有つと言える。が、このことは、その作品が現代の大衆に鑑賞される可(べ)きであるということを意味しはしない。また逆に過去の或る作品が、作家の意企とは別に、現代大衆に鑑賞される可(べ)き意義を有(も)ったこともあり得るが、これまたその作家のその当時の意義を直接に大きからしめる根拠にはならないのだ。
 時評と文学史との関係もこうした見方から動的に把握されなくてはならないのは勿論(もちろん)のことだ。こうした点についての甘粕氏の見解への不満は前にも述べたが、それよりも更に進んで文芸学の本質に戻って考えてみたい。私たちは、文芸学の使命は「文芸」という手段を通じての人間実践の高度化を可及的に能率よくする為の凡(あらゆ)る知識の獲得と整理とそれによる働きかけであると考える。その為には自然科学者が「自然科学的に」集めた知識も勿論利用せねばならぬし、また時には同じ対象を、根本的には同じ方法で追究する場合すらあり得る。ただその文脈が違うのだ。この点私共は甘粕氏よりはむしろ本間氏をとるものであるが、両氏倶(とも)に、その目的を単なる「認識」にとどめ、「よりよき実践の為のより正しき認識」と規定されなかったのは遺憾である。これは単に言葉の問題ではない。単なる知識としての知識の追究を目的とする限り、その学の「独自性」について甘粕氏の様な問題もおこりうるのだ。また閑人的な科学論に対して余り文句が言えないわけだ。しかし、こうした規定に案じているのはまた先述した理解 の実践的意義についての無理解に基(もとづ)くと考えられる。
 さて、文芸の本質は、それが果たして来た役割を歴史的に跡付ける文芸史の知識なしには解明できないし、その本質についての知識なしに文芸時評は不可能だ。処(ところ)が逆にまた時評的な文脈なしに歴史的な資料の山を手探りするのは全く無意味だろう。そこで文芸時評は現在の問題に出発し、その解決としての作品の在り方を求める。そこではいつも現代のその層の人々が鑑賞する対象としての作品が問題なのだ。これに反して文芸史学の問題はその当時の 人々が鑑賞した対象としての作品にあるので、実際にあった歴史の流れに沿って文芸現象の変遷の跡を展開し、それを規定して来た凡(あら)ゆる力学的な関係を把(つか)んでこれを年代順に叙述する役割をもっている。ここに支配的な素材選択の原理はその作品の歴史的な性格による功罪よりはむしろ資料的な顕著さによるのである。〔補註 7〕 これに対して狭義の文芸学は、史学によって得られた知識を基に、現代的要求に従って、在る可(べ)き様の文芸の在り方を明(あきら)かにする筈のもので、史学が実際の時間的な順序で展開した古典の諸類型も、ここではその本質的な発展の段階に従って見渡され、その各々の果たした歴史的な役割の正負を判断されなくてはならない。だから当時どの位読まれたかという様なことは、直接この場合の問題ではなく、むしろ資料 として、文芸史学にとっての問題なのだ。また、この正負の判断といわれるものも決してその評価それ自体が目的でもなく、また作者の席次をきめるのが目的でもなく、ただ、今日の文芸作品の正しい在り方を明かにする為の方便なのだという事も忘れられてはならない。
補註 7偶々(たまたま)過去の或る作家をとり上げて問題にする場合でも、この原則に従うべきは勿論のことで、その人の人柄、鑑賞に畢(おわ)るナンセンスは許されない。人柄の特徴は資料 としてこそ意味を有(も)つのである。
 こうして古典作品の歴史的な性格が明らかになって来ると、今度は逆にそれの現代的意義(上述)が必然的に明らかになり時評的なものと結びつくのである。
 文芸学はこうした三つの部門にわけて考えられるが、これは一つの法則によって発展する一つの流れの、三つの方向からの考察なので、対象そのものが分割 されるのではなく、単に方向的に分析 されるのである。だから、尚更(なおさら)のことこの三つの文脈を紊(みだ)した考察は絶対に許されないのである。こうした点についてのより詳細な論述は機会を得次第発表して批判を挨(ま)ちたいと考えている。――(三七・七・三)――
尚(なお)戸坂〔潤〕〔邦雄〕両氏編の科学年鑑にも、本間氏が担当され私共にもふれておられる項があるとのことで、本稿が印刷に回るまで、それを知らなかった筆者の怠慢はお詫びしなければならないが、この論文の目的は上述の通りのものであるから、一応この儘(まま)発表する。
    

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