国文学の動向を批判する 〔アンケート〕      熊谷 孝
  
「文芸復興」1-2(1937.7)掲載--- 

 *漢字は原則として新字体を使用した。 *引用部分以外は現代仮名遣いに替えた。 *傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。
*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。
*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。


 科学主義的な態度が兎も角も前面に押出されて来、そしてこれ迄の鎖国的な雰囲気から自らを解放しようという努力を見せはじめている現勢を好ましいものに思います。
 けれども、茲(ここ)で僕たちは鋭い批判の眼を向けなくては不可(いけな)いのだと思います。その「科学主義」なるものの実体に対してなのです。また、鎖国制度の撤廃ということが日本浪曼派あたりのデタラメな古典「研究」と暗黙の提携をとり交わす事でなどあったりしては不可いと考えるのです。そういう点への監視がいつも必要だというのです。
 国文学の雑学性の止揚という、主観的には至極まじめな意図が、現実そのものへの無反省のゆえに、客観的真実への見誤りのゆえに、結局、俗流「国文学」擁護の為の強弁、乃至(ないし)はその為の無内容な 方法論的体系づけ」だの、見せかけの合理化だのに終始してはいないか、そうした揚句は「日本的なるもの」への日本浪曼派流の非歴史的・神がかり的な「解釈」と手を握り、悪しき現実をヨリ悪しきものに齎(もた)らす為の「重大な」役割を自ら買って出ている様な思わぬ歪みを結果していはしないか等々の点への深い顧慮が必要だと考えるのです。一歩前進二歩退却のナンセンスに陥らぬことです。
 で、ほんとに科学的である為には僕たちは、まず現実を正しく視る眼を養わなくてはならない事になります。まず第一にインテリゲンチアとしての良心をもつ事です。そして僕たちの知識をよき意味に於けるジャーナルなものに導くことです。僕たち国文学徒の知識は、これ迄余りにも「アカデミック」でありました。

 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より