芸術学及び文芸学の諸問題――マル・エン『芸術学』を中心として―― 
   徳永 泰 (熊谷孝の筆名と推定される)
唯物論研究会発行「唯物論研究」51 (1937.1)掲載--- 

    *漢字は原則として新字体を使用した。 *仮名遣いは新仮名遣いに拠った。*傍点の部分は太字・イタリック体に替えた。
*明らかに誤植と判断できるものは訂正した。*難読語句(文字)には適宜、読み仮名を添えた。

 マルクス、エンゲルスの芸術論の正しい理解とそれに基(もとづ)く正しい敷衍(ふえん)活用は今日の芸術学及び文芸学上最も必要なことである。この決して容易でない仕事の一試みとして、この一文は書かれたものである。残された多くの問題は他日に譲りたい。

    一、ギリシャの芸術は何故「永遠の魅力」を有するか

 この問題に関するマルクスの「経済学批判序説」中の一節は、マルクス主義或(あるい)は唯物論の貫徹上一の障害をなすものとして、加之(しかのみならず)マルクス主義に何か矛盾するものとして、今でも機会ある毎に問題にされる。併(しか)し果してそうであろうか。これに関して先ず人々の頭を混乱せしめるのは、マルクスが、ギリシャ芸術の永遠の魅力を理解することは「困難」であると云っているその困難と云う言葉であろう。併しここで理解が困難だと云うことは、理解が不可能だと云うことでもなく、また屡(しばしば)そうされるように芸術的魅力を神秘化することでもない。このことは、直ぐ前の所でマルクスが、芸術の発展と社会の一般的発達との不均等及芸術諸ジャンルの不均等の発達に関して、この矛盾の一般的解釈は困難だが、それを「細説するや否や既に説明せられることになる」と云っている所から見ても明かであろう。
 マルクスはこの永遠の魅力について、簡単にではあるが、既に大体の説明を与えて、「困難」を解消せしめている。我々は、原稿の中断を必ずしも嘆くにも当るまい。即ちマルクスによると、ギリシャ芸術の魅力は、ギリシャの未成熟或は未発達ではあるが、併し爾余の古代諸民族のように「躾の悪い子供」でもなければ「早熟の子供」でもなく「正常な子供」の産物であったこと、及びそう云う社会的条件が永遠に帰り得ないと云う事情から来る。だが二度と帰らぬ健全な人類の少年時代、民主的共和国として「特に典型的な模範」(エンゲルス、『家族、私有財産及国家』一六三頁、岩波文庫)たるペリクレス時代のアテネへの愛慕に於て、問題は、そう云う時代に帰ることではなく――また実際決して帰り得ない――それの真の本質を「より高い段階で再生産」することである。模範国の産物としての模範的、古典的な芸術への愛慕に於ても、それは同じことである。
 問題はこれで一応片付いている筈である。後は更にそれを詳説し、且(かつ)それによって一般的命題を引出せばいいわけだ。
 それは大切なことだが暫く措くとして、一応分り切ったギリシャ芸術の我々に対する魅力に関して、マルクス主義或は唯物論では説明がつかぬとして、種々の疑問が提出されているが、その多くは見当違いではないかと思われる。提出されている第一の疑問は、芸術的価値は超歴史的、超階級的ではないか、と云うことである。ギリシャの芸術に限らず一般に秀れた古典的芸術が、我々にとって魅力のあることはむしろ当然な話であるが、併しギリシャの芸術でも必ずしもいつの時代にとっても魅力を持っていたわけではなかった。ここに、芸術自体と共に、それを享受する主体が、時代と階級性が問題になってくる。周知のようにそれは中世に於ては忘れ去られていた。それの価値を見出したのは近世の曙たるルネッサンス期であり、新興ブルジョアジーであった。また近代に於ては伊太利の未来派はギリシャ・ローマの芸術を否定したし、ナチスは中世文化をかつぎ出しても、ギリシャ芸術やルネッサンス期芸術を殊更にかつぎ出してはいないようである。それからまた同じギリシャ芸術にしても、それのどの点を如何ように評価し如何ように学ぶかとなると、時代と階級によって異(ことな)る。近代の文芸に於ても、例えばゲーテについて、似而非(えせ)社会主義者グリューンは、ゲーテの俗人的な面ばかりを高く評価し神聖化することによって、天才ゲーテを俗人化して了(しま)ったのに対し、ゲーテの天才及びプラスとマイナスとを正当に評価し得たのはエンゲルス及びマルクスであった(『ゲーテ論』)。ハイネを単に、一恋愛詩人としてでなく社会主義詩人として、また多くのプチ・ブルジョア的矛盾を内蔵する詩人として正当に評価し得たのもマルクス主義者であった。この意味に於て芸術的価値は超歴史的、超階級的ではなく、その意味に於て必ずしも永遠の魅力を有するものでもない。
 だがこのことと、「経済学批判序説」の「永遠の魅力」とは別である。問題は、何故ギリシャの古典芸術が或(ある)時代、或階級には受入れられ、或(あるい)は拒否され、或は歪曲しつつ受入れられるか、と云うことにある。例えば、ギリシャ及ローマの芸術はルネッサンス期に於て初めて発見され受入れられ、「模倣崇拝」されたのは何故であろうか。その理由としては、両歴史的時代の経済的社会的構成、政治形態及イデオロギー一般の相対的類似性が挙げられうる。即ち奴隷制と始まったばかりの賃労働制、民主主義或は民主的共和制、残存支配的イデオロギーに対する闘争等。「これらの歴史的時代は根本的に相違していたにも拘らず、階級的支配並びに搾取と云う社会関係の性質中に、またこの関係の基礎の上に栄えた精神文化のうちに、共通したものを有していた」のである(ミーチン監修『史的唯物論』V、三八頁)。これがルネッサンス期芸術がギリシャ及ローマの芸術を模倣崇拝し摂取し得た根本的理由である。
 だが相対的類似性なしにも旧芸術は一応 模倣崇拝し得られる。今日日本に於て見られる歌舞伎熱、書道熱、上代芸術熱等々がそれであって、この学芸復興(?)はルネッサンス期のそれと違って歴史的必然性を持たないが故に、社会的文化的な意味のない単なる個人的道楽であると共に屡(しばしば)反動的な国粋主義と結びついている。そう云う意味に於て今日の学芸復興には一種の必然性を有するが、併し我々の芸術と文化との進展を妨げるブレーキとはなってもそれを富ませ発展させることにはならないであろう。我々の芸術を富ませ発展させ得るものは、一般に我々の芸術よりも高度のものでなければならぬ。それは日本の芸術遺産に於てよりも、むしろ遺憾乍(なが)らより多く外国の芸術遺産の中に見出されると思われる。事実今日のものの分った知識人の頭を充(みた)し、彼等の栄養分となって、彼等を動かしているものは、ソヴィエートのことは云わないにしても、外国殊にフランス、イギリス、ナチスドイツ以前のドイツの芸術及芸術遺産であるが、この事実にこそ真の歴史的文化的必然性があるであろう。これについてはもっと詳しく述べる必要があるが、別な機会に譲ろう。

    二、芸術的価値と歴史的社会的価値

 ギリシャの芸術一般に古典的(私はこの言葉を原義に従って第一級 乃至優秀 の意に用いる)芸術の「永遠の魅力」の問題と関連して、次に屡(しばしば)問題とされているのは、芸術的価値と歴史的社会的価値との「矛盾」である。芸術の芸術的価値と歴史的社会的価値とは矛盾することがあるが、マルクス主義者或は唯物論者は、歴史的社会的価値のみを問題にして、芸術的価値を無視する傾きがある。そして無視することによって、唯物論の芸術理論としての欠陥を蔽(おお)うている、と云うのが、問題の要旨である。これは尤(もっと)もらしい所がないでもないので、悪意的にばかりでなく好意的にも、唯物論に対する疑問となっているようである。この矛盾は暗に陽に鑑賞と評価(歴史的社会的)との矛盾として問題とされている。
 だが一体芸術の芸術的価値と歴史的社会的価値とは矛盾するであろうか、と云うよりも、事実に於て矛盾しているであろうか。古典的芸術作品については、おそらく問題はないであろう。問題になるのは多くの場合、作品があまり古典的でない場合であろう。私の見る所では、その場合に於ても両価値は矛盾しない、また矛盾する筈はない。これについても、マルクス、エンゲルスの取扱方は教訓的である。多くの例の中から一例をとれば、彼等のラッサール作『ジッキンゲン』に対する批評である(ラッサールへの手紙)。批評の要旨は二人とも一致している。便宜上特に今マルクスの批評について見ると、マルクスは先ず『ジッキンゲン』が構成と効果に於て当時の如何なるドイツの戯曲よりも秀れていること、批判的に読んだが随分興奮させられたことなどを述べて、『ジッキンゲン』の芸術的価値を一応認めているが、それは全く一応の称賛であって、事実は無条件的な称賛ではないばかりでなく、むしろマルクスはこれを失敗の作としている。そこで問題は失敗の意味である。失敗と云うのは、この作品が当時の社会主義運動にとって歴史的、政治的には価値があるが、芸術的価値は低いと云うようなものではなく、芸術的価値と共に歴史的政治的価値も低い、つまり芸術作品として全体的に劣っていると云う意味である。それではこの失敗はどこから来るかと云うと、ラッサールがドイツ農民戦争時代に於ける騎士階級の実在の人物たるジッキンゲンに取材し、その悲劇的葛藤を現代悲劇の中心点としようとしたのはいいが、その取上げ方が、主題が葛藤の本質に添わない、つまり間違っている所から、来ていると云うのがマルクスの論法だと思う。そしてこの説明の仕方は合理的である。当然この作品は鑑賞に堪えないと同じく歴史的、政治的評価にも堪えないのである。
 それではこの作品の主題はどう云う風に間違っているか。マルクスによると、ジッキンゲンは自分では革命家を夢想していたが、実際は反動的な階級的利害を代表していたために滅亡する、換言すると、農民解放と云う彼の主観的意図とそれに反する彼の階級的利害との矛盾の結果滅亡する、と云う風に主題を樹てなければならぬ。然るにラッサールのジッキンゲンは、ラッサールの誤れる主観、観念によって、ドイツ流の革命的小英雄化されている。ジッキンゲンはラッサールの、そして彼の主観に反映した時代精神の単なる伝声器と化されているために、芸術的な溌剌さをも失っている。察する所、ラッサールの『ジッキンゲン』は類似の人物を取扱ったゲーテの『ゲッツ』のむし返しに過ぎず『ゲッツ』とは比較にならぬ代物らしいが、こう云う結果になったのは根本に於てラッサールの史上のジッキンゲン、農民戦争及現代に対する歴史社会的認識及革命観の不足乃至(ないし)誤謬に基(もとづ)くと云うことが大切なことである。こう云う作品が歴史的社会的に価値があろうとは考えられ得ないことである。
 かように芸術的価値に於て低いものが、歴史的政治的価値に於て高い筈はなく、反対もまた事実である。若(も)しマルクス、エンゲルスの『ジッキンゲン』論に於て、何か「矛盾」があるように語られている所があるとすれば、それは一の外交辞令に他ならないのだ。

    三、鑑賞の問題

 芸術の歴史的・社会的価値と区別せられる限りに於て、芸術的価値とは実は芸術の美的・感覚的価値のことであった。だから芸術の芸術的価値と歴史的社会的価値との「矛盾」は、それの美的・感覚的価値と歴史的社会的価値との「矛盾」のことであったわけで、かかるものとして前節に於ける問題の所在が一層明かになるわけである。美的・感覚的価値は表現の形式について云われるが、そう云う美的・感覚的価値を芸術の本質として見出し主張したものはブルジョア芸術論及美学であった。而してその点に於てブルジョア美学は、凡(あら)ゆる一面性にも拘らず、最初は、封建的イデオロギー内容を排除して、中世的芸術から近世芸術を解放すべき旗印として進歩的意味を持っていたが、今日では美的・感覚的価値の一面的な形式化抽象化・形而上学化と共に芸術の新しき発展に対する保守的ブレーキと屡(しばしば)なっている。その限りに於て就中(なかんづく)マルクス主義的乃至唯物論的芸術論が先ず以て美学(実はブルジョア美学)を斥けたのは理由のないことではなかった。だが美的・感覚的価値は、歴史的・社会的価値と共に芸術の否定し得ざる一契機であり、且つ両者の相対的独立性も事実である以上、これに対する凡ゆる排撃にも拘らず、排撃し尽され得ずして、それが危機に瀕する度毎(たびごと)に形式は変ってもいつも繰返し問題とされるわけである。世界観と創作方法の問題もこれと関係があろうし、芸術享受に於て、今我々が取上げようとしている鑑賞と批評の問題がそれである。
 今日特に鑑賞が我々唯物論者にとって問題となるのは、唯物論者は芸術批評研究乃至芸術学上鑑賞の契機を無視或は軽視すると云う非難や不満が観念論者からばかりでなく唯物論者と称するものの中からも暗に陽に向けられているからである。こう云う非難乃至不満は、曾(かつ)てマルクス主義芸術理論の昂揚期以来地下水として流れていたとも見られようが、今特殊な社会情勢とマルクス主義芸術理論の反省期に於て、それが特に頭をもち上げて来たものと思われる。所謂(いわゆる)鑑賞の契機を無視乃至軽視するとかせぬとか云うことはどう云うことであるか、それ自体説明を要することだが、兎に角この問題は今までおろそかにされていたものの一つであろうし、それの論究を我々のコースに上(のぼ)すには今はいい機会であるかも知れない。そして凡ゆる問題がそうであるが、就中(なかんづく)鑑賞の問題は我々の唯物論者としての資格をテストしてくれるであろう。
 この問題は前に述べた芸術の「永遠性」の問題の中に含まれていた芸術享受の側面が取出されたものであって、前に芸術的価値即ち美的・感覚的価値が歴史的・社会的価値との関係に於て問題にされたと同じように、ここでは鑑賞が批評、殊に歴史的・社会的批評(評価)との関係に於て問題とされるが、問題はこの関係を如何に合理的に説明するかにある。その場合先ず我々は一方鑑賞主義、他方歴史主義、科学主義の両極端に陥ることを避けなければならぬ。それは芸術理解・享受の事実に反するからである。過去及び現在の唯物論的芸術学が、仮にこの問題について不充分な所があったとしても、屡(しばしば)そうされるように、唯物論的芸術学と歴史主義、科学主義と混同されてはならない。
 鑑賞主義とは、差当(さしあた)り、芸術に対する無批判的な有難がりやのことだと規定されるだろう。それは芸術の特殊性の名に於て、アト・ランダムにあれこれの芸術や芸術家を絶対化し神秘化するもので、就中(なかんづく)自国の古典について行われ易い。エンゲルスが取上げたカール・グリューンの『ゲーテ』がそのよき一例であるが、この種の鑑賞主義はグリューンのそれがそうであったように反動期に著しい現象だと云えよう。ナチスドイツや今日の日本に於ても見られる所である。グリューンの『ゲーテ』について興味あることは、ゲーテの聖化が、却(かえ)って、ゲーテの卑俗な点のみを高く評価することによってゲーテの卑俗化に終っていることである。鑑賞主義は独善的独断的であり、非科学的なるために、科学の冒涜であるばかりでなく、芸術の冒涜であり、正しき鑑賞自体の否定であり敵対物である。科学は、かかる鑑賞主義の敵対物ではあっても、鑑賞の敵対物ではなく、鑑賞はむしろ科学によって深まり正しいものとなる。
 カール・グリューンとは反対に、一般的にマルクス、エンゲルスの芸術論は、科学的であると共に、秀れた鑑賞の例である。マルクスは詩はあまり分る方ではないとか、彼の芸術理解は限られていたとか云うこと位間違ったものはあるまい。
 尤(もっと)もシェークスピヤやバルザック(リアリズム)をあのように高く評価し且愛好した彼は、一般にアイディアリズムのものやロマンチシズムのものを低く評価し且愛好しなかった。また若し彼が今日生きていたら、専(もっぱ)ら個人の病的な心理追求に耽(ふけ)るジョイスやプルースト(一種のアイディアリズム)を高く評価し愛好し得たとは思われない。その限りに於て彼の理解と鑑賞とは限られていたとは云えるが、併しそれらに対する理解や鑑賞がなかったとは必ずしも云えない。理解や鑑賞が無批判的な愛好心酔でない限り、それはむしろ彼は理解し鑑賞し得たが、それらを鑑賞に堪えないものとしたと云うべきであろう。そしてその点にこそ彼の芸術理解や鑑賞の確かさ深さ、豊富さがあるわけで、その意味に於ては鑑賞主義は、自(おのずか)ら理解や鑑賞の広さ、深さ公平さを誇るにも拘らず、却(かえっ)て浅薄偏狭にして独断的独善的なものである。その点鑑賞主義は、批評に於て闊達な筈の印象批評が屡(しばしば)(かえっ)て一定の固定観念を以て臨む独断的批評と共通するのと、略(ほぼ)同じ関係にある。かような鑑賞主義は科学の欠如と芸術的音痴との結果であって、マルクスの芸術に対する理解や鑑賞が限られていたのは、彼が経済学者であったからではなく、また芸術的音痴(鑑賞無能)であったからでもなく、それは要するに、理解や鑑賞に何等のプリンシプルも体系のない鑑賞主義者で彼がなかったと云うことの証左に過ぎないのだ。而してマルクスに於て理解や鑑賞のプリンシプル、体系をなすものは即ちかのリアリズムであったわけだ。
 科学ばかりでなく芸術の敵である鑑賞主義を斥けなくてはならぬことは明かであるが、併し鑑賞主義を斥けるあまり、反対に鑑賞そのものをまでも、単に主観的の故を以て芸術の批評或は研究上否定しようとする所に、歴史主義、科学主義の行き過ぎがある。歴史主義とは、芸術の美的・感覚的価値を無視或は否定して、単に歴史的・社会的価値からのみ芸術を批評研究し、或は芸術の社会的・経済的基礎即ち物質的基礎のみを究明しようとするもので、若し鑑賞主義が芸術の美的・感覚的価値の歴史的・社会的価値からの相対的独立性を絶対化し形而上学化するとすれば――観念論的美学者の所謂芸術或は美的価値の自律性が即ちそれである。――歴史主義は、それを否定して直ちに機械的に両者を結合する。ここに一見唯物論のように見える歴史主義は観念論に転化するわけで、何れも間違っている。唯物論は正しいものである限り、そう云う鑑賞主義や歴史主義、科学主義とは無関係でなくてはなるまい。鑑賞とは芸術の美的・感覚的享楽のことであったが、かかる享楽を与え得ない芸術は我々にとって無であり、また秀れた芸術に対してかかる享楽を持ち得ないものは、芸術を語り研究する充分なる資格はないわけで、鑑賞の契機を無視して芸術の充分なる批評研究はあり得ない。他方芸術の歴史的社会的批評乃至研究なくして、芸術の正しい鑑賞も正しい理解もあり得ない。
 そこで問題は、鑑賞と批評殊に歴史的社会的批評内容研究との関係を如何に正しく把握するかにある。従来機械的に切離され或は結合されていた両者を弁証法的に連関付けることが正しい把握の道であろう。
 鑑賞とは前に述べたように、芸術の美的・感覚的価値のそう云うものとしての受容である。その場合人は暫(しばら)く歴史的・社会的批評から解放されて、芸術の世界に浸り、限りなき悦びを感じつつそれを味わう。その限りに於て鑑賞は歴史的社会的批評とは違った芸術享受の一契機であるが、併し他方鑑賞はそれ自体一の批評であって、ただその批評は美的・感覚的である点に於て歴史的社会的批評と異(ことな)る。それは即ち趣味判断と云われるものであろう。「趣味については論議され得ない」ように、鑑賞についても論議され得ない。鑑賞は批評としては印象批評に属し、形式的主観的なることを本質とする。だが、主観的な鑑賞自体また客観的に批評し得られるわけで、この客観的批評を斥けて鑑賞が絶対化され、神秘化されるとき、鑑賞はその敵対物たる鑑賞主義に転化する。我々は前にそれを無批判的な有難がりや、と規定しておいた。
 鑑賞は美的・感覚的享楽・批評として主観的なものであっても、それ自体として正しく科学的な場合があるが、併し自己を客観的に反省しないので鑑賞主義に陥り易いが、それを防いで鑑賞の舵を正しくとるものが、少くともその主要なものが、歴史的社会的批評と云うものであろう。鑑賞に於て自然的本能的であった批評はここでは自覚的になる。歴史的社会的批評はかようなものとして、鑑賞自体をも批評し得るしまた批評せねばならぬ。そして芸術作品と共に鑑賞者即ち読者自身が批評の対象として日程に上る。
 だが自覚的な批評も、鑑賞として機能するときは、高められた段階で、再び本能的自然的となる。これに反し批評は批評としてはどこまでも厳密に科学的でなくてはならぬ。例えば特定の芸術を産んだ社会的・経済的構成を研究し、それと件(くだん)の芸術との関係を規定すると云う科学的批評的操作に当って、若しそれが紊(みだ)りに感傷的、美的・感覚的に行われるならば、批評は己れの機能を喪失する。そればかりでなく、かかる批評は結局鑑賞をもスポイルする。
 だから鑑賞はどこまでも美的感覚的に、批評はどこまでも科学的に、これが芸術享受上必要なことであって、その限りに於て両者は対立すべきである。混同は両方をスポイルする。それは宛(あたか)も文芸と哲学、文芸と音楽との混同たるドイツロマンチシズムが、その何れをもスポイルしたのと同じことだと云えよう。鑑賞と批評は、かような混同によってでなく対立によってこそ、相補って両者を全きものとなし、以て芸術の全体的な理解・享受を可能ならしめる。
 だが、芸術の歴史的社会的批評が科学的であると云うことと、芸術の社会的基礎と芸術との相対的独立性を無視し否定して、機械的にこれを結びつけるのとは別であって、それを敢(あ)えてなすものがかの歴史主義や科学主義であったわけで、そう云うことは歴史的社会的批評研究の本来与(あずか)り知らざる所である。芸術の歴史的社会的批評乃至研究は、如何に厳密に行われても、芸術の価値、そのものを左右することは出来ない。悪しき芸術は依然として悪しく良き芸術は依然として良い筈であるが、歴史主義や科学主義は屡この事実を無視しようとする所に、その一面性と非科学性がある。
 次に我々は科学的な批評(歴史的社会的)の能動的否定的性質に注意しなければならぬ。批評とは即ち非難・破壊である。この点が、ブルジョアイデオロギーの非紳士的として侮り厭う所なるにも拘らず、鑑賞――それ自体一つの批評ではあるが併し専ら受動的静観的な鑑賞と異る批評の本質的一機能であって、批評のかかる機能は、歴史の一定段階に於て芸術が自律性を奪われ政治化されるとき、最も活発に発揮される。そして芸術批評自体が科学的本質を発揮することによって政治批評的性質を帯び且つ一の政治批評に転化して屡(しばしば)弾圧を招く。最近法令として公布せられた(昭十一、一・二七)と伝えられるナチスの「批評統制」が即ちその一例であろう。これはナチスの芸術や政治が国民大衆のものでなかったこと、そして批評こそが国民大衆のものであったことの証左だということについては云わないことにしよう。今我々にとって興味あることはこの場合批評はいけないが鑑賞はいい、と云うばかりでなく、これを鑑賞すべしとして一定の芸術に対してのみ鑑賞を強いられ、許されるのは、鑑賞の受動的個人的本質と共に、より多く鑑賞主義の無批判的な有難がりやの本質を暴露するものだ、と云うことである。そしてここで大切なことは、かかる批評統制は、科学的批評に対する冒涜であるばかりでなく、元来科学的批評なしには不可能な正しい鑑賞に対する冒涜である、と云うことである。

    四、リアリズムの優位

 知られているように、マルクス及びエンゲルスは、『ジッキンゲン』論(ラッサールへの手紙)に於て、市民悲劇の二つの方法乃至(ないし)方向としてシェークスピヤ的方法とシルレル的方法とを対置し、前者を高く評価している。この対置は一般に文芸(一般に芸術)に於ける基本的二方向としてのリアリズムとアイディアリズムとの対置として見られよう。而(しか)してシルレル的方法に対するシェークスピヤ的方法の優位勝利はアイディアリズムに対するリアリズムの優位勝利に他なるまい。ホーマー、ダンテ、セルヴァンテス、シェークスピヤ、ディドロー、フィールディング、ゲーテ、バルザック等世界文芸史上の最高峰をして最高峰たらしめたものはそのリアリズムであって、マルクスがそれらを高く評価したのも正にそのリアリズムの故であった、と云うことが出来よう。この意味に於てリアリズムこそ文芸の大道と云うことが出来る。而してマルクスがそれを歴史的・社会的にまた芸術的に高く評価したばかりでなく個人的趣味の上でもそれを愛好したと云うことは充分に注目されていい。即ち彼に於ては理論的にも実際的にも批評(研究、科学)と鑑賞との間に矛盾もなければ、批評のために鑑賞を無視すると云うようなこともなかった。
 ところでリアリズムとアイディアリズムとの対置の問題については、右に見たように、マルクス及エンゲルスがシェークスピヤ的方法とシルレル的方法との対置の形に於て述べてい、それに関するF.シルレルの詳しい註もあり、日本でも既に種々述べられている所だが、一般論としても尚(なお)若干問題が残っているようである。文芸論に於ける反映論、模倣説の貫徹、文芸に於ける現実性(リアリティ)の問題、想像力の問題等、を通じてのリアリズムとアイディアリズムとの異同優劣の追究がそれである。
 文芸(一般に芸術)は爾余のイデオロギーと同じく現実(自然及社会)の矛盾の反映である。或それの模写模倣と云ってもいい。むかしから偉大な作家及理論家は殆(ほと)んど凡(すべ)て反映論者、模倣論者であった。アリストテレスについては云うまでもない。セルヴァンテスは『ドン・キホーテ』の序に於て「この本はただその組織に於て自然の真に適すればよいのです。そしてその模倣が愈(いよいよ)完全になればこの作は愈上出来です」と云い、バルザックはかの『人間喜劇』の総序に於て「フランス社会そのものが自己の歴史を創造しつつあるのであって、私は唯それを記述する書記に過ぎない」と云っている。(註)一般に哲学の認識論として模写説が最も合理的なものだとすれば、文芸の認識論として模倣説が最も合理的なものだろうと云うことは考えられうる所で、右に見た秀れた諸作家、理論家が模倣論者であったことは決して偶然ではない。これに対しアイディアリストは一般に創造説をとっていると云えよう。近代に於てはワイルドがよき例であって、それは恰(あたか)も観念論哲学がカント以来構成説をとっているのと同じ関係にあると云えよう。前者に於ては存在と意識(認識)との関係が転倒せられているのは興味ある事実である。若しアイディアリズムが哲学上観念論だとすれば、リアリズムは唯物論だと云えなくもない。而して若し哲学上模写説が合理的であるならば、文芸に於ても模写説は合理的なものとして貫徹されねばならぬし、また貫徹され得るであろう。リアリズムについてはその点一応問題はないとして、問題になるのはアイディアリズムである。そこでアイディアリズムに対する模倣説・反映論の貫徹が差当っての問題である。
註、 セルヴァンテスに於ては自然が(必ずしも社会に対する自然ではないが)バルザックに於ては社会が文芸の対象とせられていることは、ルネッサンス期に於ては自然科学に比してあまり発達するに至らなかった社会科学が、近代に於て漸(ようや)く発達した事実と関連して、興味ある事実である。尤(もっと)も美術に於ては現代に於ても自然を学べと云うことが云われることもあるが(ロダン)、それは文芸に対する美術の特殊性による所もあろう。尚カントの美学に於ても、社会は殆んど問題にされていない。その点に於て彼も亦(また)旧き伝統を曳(ひき)ずっていると云えよう。

 一体文芸が現実の反映・模倣だと云うことはどう云うことであるか。作家の主観は云わば現実を写す鏡の面であって、作品はその鏡面に現実が映った映像である。だが映像はもとより現実の機械的なコピーではなく、作家の主観の鏡面に於て現実が無限の屈折をなしたものである。而して主観と共に現実も常に動き且つ複雑極まるものなる以上映像は二重に複雑多様とならざるを得ない。ところで、現実を如何に屈折して作品にまで反映せしめるかは、基本的には現実によって規定せられると共に、また機械的な鏡と異(ことな)った作家の自由に属するわけで、ここに作家の自由と作品の多様とがあるわけである。またそこに表現の技能・手法が入って来る。
 ところで作品にまでの現実の屈折反映の過程は、心理学的には所謂(いわゆる)想像力の想像の過程なのだ。即ち想像力とは、作家が己れの主観に映じた内的諸映像、心象(ビルト或はイミッジ)を一の統一像にまで総合する心意力に他ならない。ドイツ語の Einbildungskraft は文字通りにそのことを表わしている。だが諸映像の総合(直観の多様の総合――カント)は一般に概念的認識に於ても行われるわけで、その総合が比較的に美的・感覚的に行われる所に芸術的想像力の特異性があるであろう。それは現実とは一応異った独特の芸術的世界を創り出すと云うので特に創造的想像力と云われる。
 文芸はこの意味に於て芸術的想像力によって現実を屈折・反映すると云えよう。文芸(一般に芸術)の根本的二方向として対置せられるべきリアリズム及アイディアリズムの何れに於てもこの点に於ては変りはないわけである。蓋(けだ)しアイディアリズム殊にロマンチシズムはリアリズムに比し想像力が卓抜だと一般に云われているが、これは一つの錯覚であって、これは想像力の働く方向及想像力によって作り上げられた映像の性質の相違から来るに過ぎない。
 問題はだから現実の反映の仕方及映像の性質如何にある。この点から両者の差異について私は簡単に次の諸点を指摘しておこう。リアリズムは先入見に煩わされる所なく、又先入見があるにも拘らず屡(しばしば)それを破って率直に現実を見これに従う。それは現実に対する客観的な態度であって、作品に就いて見れば、作家の主観は作品の背後にかくれる。「私の考えているリアリズムは、作者の見解如何に拘らずあらわれて来るものであります」(エンゲルス、ハークネスへの手紙)。リアリズムはこの意味に於て現実の相対的に正確な反映だと云えよう。これに対してアイディアリズムは一定の出来上った観念、理想によって現実を截断する。この観念理想は先入見となって現実を忠実に観ることを妨げる結果現実を歪曲して反映する。文芸はその先入見によって追越されスポイルせられて、屡(しばしば)表現(形式)の率直さと溌剌さを奪われる。日本の文芸としては リアリスチックな記紀文芸の率直溌剌さは未(いま)だ仏教観念に禍されていない証左であり、これに対し、徒然草などの諦観性と低迷は仏教観念に禍されている証左だと云えよう。この意味に於てアイディアリズムは現実の歪曲せられた反映だと云える。そしてかかる作品は多かれ少かれ作家自身の単なる伝声機にすぎない。ロマンチシズムはかかるアイディアリズムの一種と見做(な)されるべきであろう。
 もとより、リアリズムにもアイディアリズムにもピンから切りまであるわけで、一概に云うことは出来ないが、一般にリアリズムはアイディアリズムに比して芸術的価値が高いと云えよう。第一にリアリズムは表現の溌剌さと率直さに於て我々を喜ばせ、第二にその低度のものと雖(いえど)も、現実についての知識を与える。蓋(けだ)し現実についての知識はそれ丈けでも我々にとって大きな喜びである。これに対してアイディアリズムはその本質上、現実に就いての知識をではなく現実とは無関係即ち現実の歪曲せられた作家自身の単なる観念の積重ねを与えるにすぎない。
 併し乍(なが)ら如何にアイディアリスチックな作家と雖も、良心的である限り、虚偽を語っていると彼自身思っているわけではない。否(いな)主観的には真実或は現実の追究と云う点に於てはアイディアリスチックな作家殊に現代の深刻な彼程熱心なものはない。それにも拘らずそれが非リアリスチックだと云わざるを得ないのは、彼の真実、現実と我々の所謂それとの間に食い違いがあるからである。我々の所謂現実とは我々の主観から独立した存在としてのそれであって、それとの近似的一致(現実性、リアリティ)が我々の追究せんとするものであったのだが、アイディアリストにとって問題なのは、そうでなく彼の主観に於ける心象としての現実であって、それとは独立した客観的な現実もそれとの一致と云うことも殆んど問題ではないのだ。そして遂には単なる心象としての現実――それはだから現実ではなく単なる観念だ――こそが、真の現実と思い誤るに至るのだ。アイディアリストの所謂現実はリアリストの所謂現実とは別個のものであって、それは転倒せられた現実なのである。かかる転倒せられた現実即ち「内的」現実自体の追究と云う意味に於て、アイディアリズムは一般に内向的だと云える。この点に於てアイディアリズムは外向的なリアリズムと決定的に相違する。哲学に於てはカントに於てと同じくデカルトに於ても客観的な存在ではなく思惟が存在なのであるが(「我思う故に我在り」)、存在の転倒に於て芸術上のアイディアリズムは哲学上のそれと帰を一にする。
 而してこの現実の転倒に於て、模倣説に対してアイディアリズム特有の(哲学上の構成説に相当する)創造説が生れてくる。その近代に於ける代表者は、模倣を転倒するオスカー・ワイルドである。「芸術が自然を模倣するのではなく、自然が芸術を模倣する。」併しこの命題は、芸術が単に観念的受動的でなく、却(かえっ)て自然、一般に現実を変革する実践的物質的機能を有することを無意識的に語るものとして興味がある。「観念が大衆を捉えるや否や一の物質力となる」(マルクス)。
 だが、アイディアリズムの所謂現実――単なる観念としての現実こそが芸術的現実だと云う人があるかも知れない。実際芸術的現実とは、客観的現実とは一応無関係にそれ自体として有する現実らしさ「まことらしさ」のことであった。所謂創造的想像力によって作り上げられたそう云うまことらしさが、芸術の世界として一応現実から独立せる存在を保っていることを認めざるを得ない。だがそう云う芸術の世界が現実から独立せる存在だと云うことは、全然 独立している存在だと云うことではないばかりでなく、普通そう云われるように現実に於てはそう云うものは存在しないと云うことでもない。むしろ、芸術的現実は元来客観的現実に於て存在するものであって、さればこそ芸術的現実として想像せられ作り上げられ得るのだと云うべきであろう。即ち現実の現象は無限に複雑であって、その複雑な現象の中から本質的なものを見出しとり出して来たものが即ち芸術的現実なのである。このことは、我々が享受に於て芸術的現実の真実性を客観的現実との一致によってテストしていることによっても分る。我々は作品の享受に於て、作品が一応の成功を示せるものなる限り、必ずしも意識的にそれを客観的現実と比べ合わせるわけではあるまい。併しその場合でもやはり芸術的現実を客観的現実と比べ合わせているわけで、そのことによって、芸術的現実が真実だと云うことも分るのである。真実とは結局に於てやはり芸術的現実と客観的現実との一致(近似的)と云うことに他ならず、この一致が見出されない限り、芸術的現実はその真実性或は現実性を失って、荒唐無稽となる。芸術的現実は客観的現実とは如何に違っていても、よく云われるように客観的現実に於ても「在りうる」ものでなければならぬが、大切なことは、「在りうる」と云うことは未だ存在しないと云うことではなく、現実に於て存在してはいるが、常人には見いだし得ないと云うことだ。芸術家の創造と云うことはだから、現実に於て存在しないもの、或は存在し得ないものを創造すると云うことではなく、現実に存在しはするが、常人には見いだし得なかったものを見出すと云うことであって、作家が尊敬されるのは、常人には出来ないそう云う困難な発見を彼がなし得るからに過ぎない。
 だが、この点に於てはアイディアリズムもリアリズムも同じことでなければならぬ。右に見た意味に於て想像力のない作家、創造でない文芸と云うものはあり得ない。我々はリアリスト、バルザックに比し、今日のブルジョア・アイディアリスト、ロマンチストの想像力や創造力の貧粗狭隘を遺憾とするものである。問題はだから想像力や創造力の有無大小ではなく、それの働く方向であり、それの性質である。即ち想像力や創造力が客観的現実に添ってそれに肉迫しているか、それとも現実から反れて単に心象(内面的現実)自体の追究に耽っているかが問題である。作品に於ける現実の反映・模倣の正しさと歪曲はこれによって生ずるわけで、これが、リアリズムとアイディアリズムとの岐路である、また両者の芸術的価値の岐路でもある。

 同じリアリズムの芸術的価値にも種々段階があるわけであるが、それはやはり就中(なかんづく)次の二つのものの統一によって決まるであろう。一、現実の模倣反映の正確さの度合、即ち現実性(リアリティ)の度合。二、その反映・模倣の典型性。
 客観的現実は無限に複雑である。その複雑な現実の中から基本的本質的な現実を正確に映し出せば出す程、その作品は偉大である。これに反して映し出された現実が非本質的なものであり、部分的なもの、皮相的なものであれば、その作品は卑俗であり、低徊的である。ここにエンゲルスのあまりに有名なリアリズム規定を想起しよう。「リアリズムとは、ディテールの真実さの他に、典型的な情勢に於ける典型的な性格の表現の正確さであると云えます」。
 だが問題は、我々読者は如何にして作品に於ける現実反映の正確さと典型性とを知り得るかにあるであろう。我々は作品とは別に過去及現在の全経験から現実について一定の映像(認識)を持っているが、この映像と作品の享受によって得た映像(現実認識)との対比に於てこれを知る他はない。そして若し作品が与える映像が我々自身の映像よりも正確であり典型的であれば、我々はその作品により教えられ高められ鼓舞される。その時我々はこの作品を偉大健全と呼びその前に頭が下るわけである。そうでない場合はそれを卑俗低劣不健全と見做(な)す。その場合如何なる作品を「典型的な情勢に於ける典型的な性格の正確な表現」と見做(な)すかは、他ならぬ我々自身の現実認識(映像)の豊富さ深さ健全さ如何によるわけで、結局作品の批評如何によって、我々自身の現実認識の程度を暴露する。

 若し日本の文芸遺産に一般に何か偉大なもの健全なものが欠けているとすれば、それは高度のリアリズムの欠如と云うことであろう。現代の文芸に於ても原則としてそう云うことが云える。だが社会的矛盾の激化に基く社会主義、唯物論の普及浸潤(それは現実を忠実に正確に見ることを教える)に伴って、リアリズムが最近一部では或程度高揚しかかっているのは喜ばしい。『コシャマイン記』はその一例と見られよう。これは文壇の一部では、単に原始的な題材とその独特な表現によって歓迎せられ、そして原始的なあるものに対するロマンチックな憧憬と云う単なる懐古趣味を誘発しているようだが、我々の見る所ではそれが持っている芸術的価値は別な所に存する。アイヌ民族の復興と云う遠大な意図と希望に燃ゆる民族的英雄が後でどんな大きな事業を成しとげるかと思って読んで行くと、最後には、日本人の土方か何かによってありあわせの丸太棒によって、酒のふるまいで好い気になって引上げる所を背後から頭をなぐられてころりと死んで了(しま)うのだが、これは資本主義の前には、遅れた被征服民族の英雄の雄大な意図も生命も実にもろいものだと云う、資本主義的現実の本質的な一面を或程度リアリスチックに表現しているものであって、その点にこの作品の芸術的価値があるわけである。コシャマインの生涯は悲劇と云うよりも喜劇である。若し今日コシャマインの英雄的精神にあやかろうとする文化人があるとすれば、コシャマイン以上の喜劇として茶番である。
 
 熊谷孝 人と学問熊谷孝 昭和10年代(1935-1944)著作より