初期機関誌から

「文学と教育」 第40号
1966年9月10日発行
 文教研(武蔵野・宮城)集会に参加して              
 武井美子 鈴木益弘 本間義人 蓬田静子 千葉雄一 石川孝子
    

   一つの感想  武井美子

 第一日目だけ、それも遅刻して伺ったので、印象記事を書けという御註文には困りました。あまりにおこがましい感じで気がひけますが、お許し下さい。
 昨年はじめて出席させていただいて、夜の懇親会までお招きにあづかり、熊谷先生を中心とした“精神共同体”的なまとまりと、メンバーの方々の個性にじかに接し、『文学の教授過程』『中学校の文学教材研究と授業過程』の労作が生まれる基盤を如実に感じとることができたように思います。
 昨年の懇親会の席で、自己紹介のとき、私はそのアット・ホームな雰囲気の中で図にのって[私は文学は好きだが、教育は苦手だ」などと申しました。いやしくも“教育”の名を冠した研究会で言うべきことではなかったのかもしれません。しかし、一年たった今も、この本音は変わりません。そして、私にこの本音を思わず吐かせたのは、熊谷先生のおっしゃる「文学主義と文学教育主義の否定」にまず共感を持ったからにほかなりません。
 かつて、二十年の昔、いわゆる“文学少女”だったころの私は、よく文学(小説)を読みました。そして書くことも好きでした。太宰治の『女生徒』は、繰り返し読み、文句なしに溺れたものの一つでした。それでも、ほんとうの意味でかしこく なれなかった。言いかえれば、乾先生を囲む討議の際申しました二重の疎外、この女性のように、私自身も立たされていたその状況を明確に見ることができなかったのは、その文学の読み方 にあったと思います。顔の両側をぴったり隠された馬のような読み方 が、私に与えたものと、与えなかったもの(あるいは失ったもの)の意味を探ることが、文学の、同時に教育の課題であると、戦後二十年たった今、私は考えています。大河原氏のことばをお借りすれば状況認識、文教研の「文学史、文学理論の側面を持つ文学の読み方、教育の方法」ということにつながるのではないかと思うのです。「女生徒」にぴったり共感する生徒に対して、荒川先生は「暗澹たる感じ」と報告されましたが、私も同感です。二十年前と「状況は変わっていない」のでしょう。しかし一方、これに反発する生徒の反応は、「状況は変わった」ことの反映でもあるようです。そして、いずれも、そのままでは未来への可能性とはなりえない、というところに教育の問題があるように思われます。
 経験的で、しかも自己本位のことを書きましたが、私自身にとっても大事なこの課題を考えるために、今年の会に出席させていただいたことはプラスでした。
 文教研の方々が、今後も、時代の断層、教育の断層を鋭く掘り下げてゆかれることを望み、陰ながら声援をさせていただくつもりでおります。
 (三省堂「国語教育」編集部)


  武蔵野集会に参加して  鈴木益弘

 
夏の一日、静かに文学教育について、あれこれ考えながら、自分についても深く考えられたことは、とてもしあわせだった。サァーッと過ぎてしまって、一つ一つ確かめていくことができないでいる私にとって、多くのすぐれて真剣に生きている人達の話を聞きながら反省させてもらうのは、有難いことである。
 常日頃、若い、働いている生徒達と話し合っていながら、現在にうとく、そのために客観的に、どの方向に自分の力が作用しているのか、見きわめきれない、盲目飛行の日日を送っている自分が悔やまれてならなかった。
 夏目先生の経過報告や熊谷先生の基本提案についても、お話の内容の重大さを、話し手の気持をふくめて、受けとめられない自分の方向音痴が悲しくなってしまった。「私はこんなにも、自分を失った日日を過しているのだっ」という焦燥を感じた。
 『女生徒』『トロッコ』で、一つ一つの作品への切りこみのきびしさを感じ、それだけに提起された問題の重要さが身にしみる。『女生徒』の太宰文学における位置づけの中で、生きている場面のちがうこども達を作品にむかいあわせる。複雑に錯綜する「女生徒」の心が、まるのまま子供心に受け取られたら、一まわりも二まわりもこども達は大きくなるにちがいない。“民族の心を”ということばの実体が示されたように思えた。
 乾先生の講演をうかがいながら、心理学が、人の心をばらばらに分析したり、味もそっ気もない科学らしい言葉のなかにはめこんでしまうのが、人間の誇りを傷つけられてしまいそうで、いやでたまらなかった私は、人間がいきいきと成長し、発達していくことを驚きと誇りの中で受けとめられる心理学を勉強しなければいけないのだと思ったりした。
 『マーシャのクマ』の土橋先生の実践は、作品の正しい把握と絵物語という形式の見事な活用でこんなにもいきいきと文学をこどもに与えられるのだという喜びを私に与えれくれた。
 『山椒大夫』で安寿の死をめぐっての厳密な討論を聞きながら、すぐれた作品を愛し、真の文学を愛する人の微動だにしない強靭さと、こわれ易い人の心の美しさをも、そっと大事に取り扱っている慎重さを見せていたゞいたように思えた。
 若気の至りで、粗暴に振舞い、誰れかれかまわず噛みついて“原子力時代の坊ちゃん”とまでいわれた私も、いつのまにか疲れて眠り呆けて、十年余り、浦島の子よろしく、どこにいるのかわからなくなってしまっている。そんな私には、「マーシャ」の深い森での迷いの心細さや、夕暮のくらがりに一条のレールの光る寂寞とした風景も心にうかんでくる。しかし、この夏の日の教訓と、すぐれた文教研の先輩達の、厳しくも温かい力添えの中で、遅まきながら、“民族の心を”心の中に燃し続けて、一つ一つ確実に歩んでいきたいと思う。
 (横浜・商工業高校)


  むさしの集会の成果をたたえて  本間義人

 今度の集会、私個人にとっても、また集団にとっても、意味の深いものでした。やはりあれから一年の共同学習は大きかったと思います。一本勝負式の「文学の授業」ではどうにもならぬということ、作品群という観点に立った文学教育でなければだめだということ、これは、私達の眼前をおおっていた霧が、一挙に朝の光の中に消え去って行ったかのような、清々しい一つの結論でありました。
 作品群、つまり、一つの作品を、なんらかの形で教室に持ち込むとき、その作品が必然的に、他の作品への展望を、内に孕んでいなければならぬということ――私たちの立場が、子どもたちに、一貫して“文学の眼”を養うところにあるとすれば、それは考えてみれば、到りつくべくして到りついた結論であったとも言えるでしょう。私たちが、文学の場面規定を云々することとはまた別に、しかし、そのことと、密接にからみあう地点で成立したこの結論を、今後方法の上で、どのように具体化して行くのか。私たちの当面すべき課題が、ここで新しい局面を迎えることになったのだと思います。鷗外を筆頭に、今日の時点での、日本近代文学の再評価・再編成が、私たちなりに必要になって来ます。既成の文学史にはない「私たちの文学史」がどうしても必要になって来ますね。こいつは何とも、おそろしいような大問題です。それにまた、場面規定ということにからんで、そうした「私たちの文学史」を、授業過程、というよりも、文学教育の教育構造の中にどう位置づけるのか、どう媒介して行くのか、まさしく文教研の前途は、一難去って、また一難といったあんばいです。がんばりましょう。
 (千葉・館山一中)


  第十三回集会に参加して  蓬田静子

 ここ数年来、参加している文教研の研究集会であるのに、今年はことさら新鮮さを覚えた。なぜかと自分自身に問うてみたい。今年の私は、周囲の状況から疎外感を人一倍に感じる毎日で、疲労を増して研究活動も虚脱状態になっていた。
 教育委員会主催の研究集会には、時間と出張手当が配慮されて、二泊三日の研究会がしばしば行われている。そして、民主的な民間団体の研究会への参加には、種々の制限が加えられる。教育委員会主催の研究集会も、学問的な内容で、民主的に運営されるのならば、話は別である。が、それはたんに、与えられた課題を受けて形を整えることにある。そして、教頭・校長・指導主事へのつながりをつける。疑問を疑問として出して、新しい理論を口にする者は常識はずれの異端者あつかいにされる。そのような状況の中にいつしか埋没している自分に気づいても、疲労が重なり学問的研究から遠ざかりたくなっていたのである。そんな気分になっていた私には、この武蔵野集会は我に鞭うたれることとなった。
 一例をあげよう。川越さんと本間さんの『山椒大夫』の報告は、これまでに数度の討論を重ねて来たものである。川越さんは「安寿の生」に視点をあわせ、本間さんの「安寿の死」へ迫ることに対して批判をしながらも、本間さんの実践を認める。本間さんは川越さんの批判を受け入れながらも、「安寿の内面の戦いによって、じりじり燃焼していく生命の炎」として安寿の死を生への結びつきとして論を進めている。教師のちがい・生徒がちがうと方向的には同じように見えても、やはり微妙なところでくいちがいがあって論争が展開され、終る所を知らないというふうにも見えた。このようjな論争ができることに、新しさと誠実さを感じたのは私だけではなかったと思う。
 また、川合章先生の講演には全面的に共感を覚えた。「今日の民間運動の中で、二十坪の内側だけで勝負しようとの風潮と、地域の諸要求を含んで芸術や科学の成果を見直そうという流れが見られる。教育の研究も、芸術・科学の現代の成果と子どもの諸要求から組織しなければならない。民間教育団体で、他団体を政治的としてきめつけるのは内部攪らん者以外でない。」との指摘は、まさに文教研の当面している問題にふれていたと思う。
 文教研の本来の目的は、内面的に研究を深めることにあった。しかし、諸般の事情から昨年は『文学の教授過程』(小学校編)を出版し、本年は『中学校の文学教材研究と授業過程』を出版した。文教研の研究姿勢と研究成果は、今後ますます外部にも影響を及ぼし、その反響がまた文教研にもどってくることであろう。それらが刺激となって、今後の文教研は、ますます研究に幅と深さを加えていくことになろう。文学教育の目的は「文学の眼」を作ることにある。文学作品の送り内容はつねに受け手の生活の中にあったものの、再組織である。文学教育は一本勝負でするのでなく、教材群と教材体系が組まれなければならない。等々の線が打ち出された。これを理論的に自分のものとし、そして実践していくことは、現在の私にとってはなまやさしいことではない。けれども、努力しなければならないんだと自分自身に言いきかせた集会であった。
 (東京・荒川第三瑞光小)


  宮城集会をおえて  千葉一雄

 『むずかしくてよくわかりませんでしたがあんなすばらしい実践を持ち、真剣にとり組んでいる人たちが、自分と同じような教師であることを思うと、勇気をあたえられるとともに、自分が思い切って本物の授業にとりくみ得ないのを、他人のせいにして不平ばかり言っていたことがはずかしく思えました。
 あのような場に臨むと、やらなければとつよく感じますが、ひとりになると無力を感じてしまいます。その意味で、参加した何人かでも、集まりを持っていきたいものです……』
 集会に二日間参加してくれた女の先生の感想です。
 夏休み中でもあり、連絡不充分で参加者は少なかったのですが、それぞれの受けとりかたで、強くひきつけられ、心のゆさぶりをうけました。
 この地方では、十五次教研の県集会や民間教育団体の東北集会も開かれ、自主的な教育研究にふれているのです。
 しかし、その中の国語分科会の行き方には何んか、路線がキチンとしかれてあり、その上を形どおりに歩むしかないような気がし、そうなった根本についての疑問などには答えてくれなかったのです。
 教科書にはよい教材がないので、他の教材をさがすとしても、自分の好みになってしまう。だからといって、この教材がよいからやんなさいでは、ふんぎりがつかない。つぎに自分が選ぶときの基準がつかめない。
 層よみにしても、主題を概念的文にまとめることにしても、説明されればなお強く疑問が出てくる。いったい、国語では何を教えるのか、文学では……というふうに疑問が出、ふんぎりがつかず、ずるずるとしてきていた。
 そこに、今次集会が開かれたのです。
 まず、集まりを持とう。集会の感動を単なる感動に終らせず、私たちひとりひとりが一歩でも二歩でも前進jするために。その中で、連帯感を強め、実践への足がかりをつかんでいこう。当分話し合うことは、
一、  集会で話しあわれたことを、自分のことばでわかるようにしよう。今までの国語教育観を根本的に考えなおしていくために。テキストとして、『文学の教授過程』『中学校の文学教材研究と授業過程』を使っていく。
、   教科書以外の教材に、おもいきって取り組もう。教材研究や授業分析をその前後にやっていこう。――はじめは、他からひろうようになるだろうが、その中で、自分の教材をもつようにしたい。
 宮城集会は、私たちに出発点と方向を与えてくれました。
 星悦男さんや伊藤校長さんが会員になってくれましたし、何人か誌友になってくれました。影響は少なくなかったと思っています。
――   目下、運動会シーズンです。今月末より月一回は集まりたいと思っています。できたら「古川国語サークル」として出発したいと思います。
 東京グループ・千葉グループの今後の助けを求めることがあると思います。よろしく。
 (宮城・池月小一)


  文教研・文学教育への期待  石川孝子

 今年も十を越える民間教育団体の夏期集会が各地で開かれました。家永訴訟問題、後期中等教育の問題、高校入試制度改善の問題、あるいは、42年度教育課程改定の問題など、問題の多い中で民間教育研究活動の進むべき方向は、など漠然とした課題を持っていくつかの集会に参加してみました。が、私の参加した限りでは、教育の危機感はほとんど感じられていないような実感を持ちました。
 教室の中で、与えられた教科書をどうこなすか、という方面にのみエネルギーを消耗させられている傾向が強い時だけに教育の本来の姿を見直す必要があると思うのです。42年度教育課程の改定はほぼ出来上がっているということを耳にする時、現場の教育を締め上げ、教師の自主性を奪いとっているものをこそ再確認して研究の方向を決定すべきではないでしょうか。
 教育課程審議会の内容は極秘とされているので、そのものを知ることは出来ないが、審議会委員諸氏の最近の言動などから、およその推察が可能ですし、特に小学校国語部門の委員長である輿水実氏の最近の論文、著書を見ると氏の意見ではあるけれど、ほぼ方向がわかる様な気がします。氏は三十三年度の指導要領のポイントを次のように言います。
 今度の指導要領であまり目立たないが、最も重要なのは最後の『学習指導の方針』のところに活動の主題の選定の観点10を示したことである。(『小学校学習指導要領の展開』)
 実に現在の教科書を拘束し、指導内容をしばりあげているのがこの10項目でした。そしてまた次のように言います。
 アメリカでは国語科教育が国防教育の指定を受けて、非常に重要視されていることは周知のことである。人間形成の問題「期待される人間像」の問題への国語科の寄与も、当然実験学校をつくって研究されるべきである。(『42年度教育課程の改定』)
 この発言は前記10項目の重要性を裏づける重要な発言ではないでしょうか。
 氏の機能的言語観によれば、国語科の教科構造はスキルによる学習指導、つまり「言語技術教育」と人間形成を目的とする「文学教育」になり、更に戦後の国語教育の欠陥は文学教育の軽視であったとし、今の総合教科書が人間形成とか文学教育の面では、かつての読本におよばないから「読本」の復活を主張する、その際に読み物による道徳教育も合わせて行なえるような読み物教材集を作りたい、というようなことを主張しています。(国語教育88号) これ等の主張のどのくらいが42年度のものに出てくるかは別問題としても、この種の考え方が貫かれるだろうことは確実です。
 文学教育、という大義名分のもとに出されるものは、果たして何を意図するものであるかを見極める必要があると思います。民間教育団体の中でも文学教育は極めて問題の多い、これから理論と実践の両面にわたって発展させていかなければならない問題だと思います。
 文教研の今年の集会に参加して感じたことは、第二信号系をおさえた言語観、更にその上での国語教育・文学教育の理論は、具体的な指導段階を理論化することによって広く私たちの文学教育として発展させなければならない、ということです。
① いわゆる意味の文法の指導を行なうのが文法教育ではないのであって、文法学習を軸とした、その側面からの統一的な国語の指導――それが文法教育なのであります。同様にして、文学教育は、文学の学習を軸としてその側面から文法も扱えば読解もやる、作文もやる、そしてまた話しことばの指導も行なう、ということになるのであります。(文学と教育36号)
② 文学教育の究極の目的はたんに作品に書いてあることをわからせることではないでありましょう。それをわからせること自体は手段です。あくまでも手段です。文学の眼で自己内外の現実をみつめ、自他変革の姿勢で思考し、行動を選びとれるような人間、人間像。それが文学教育において期待される人間像だろうと思います。(『文学の教授過程』)
 ①と②との密接な(明瞭な)指導過程を示していただきたいと思います。こういう人間を育てるために、どんな基礎指導(言語の)をどんなふうにするのか、この点がカナメなのではないかと思うのです。
 (明治図書 『国語教育』 編集部)
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