初期機関誌から

文学と教育 第33号
1965年5月20日発行
   監修者の弁―小学校編から中学校編へ―  熊谷 孝 

 共同研究『文学の教授過程・小学校編』が、六月、明治図書から刊行される。私の監修ということになっているが、監修者代表というほどの意味であることを、ご承知いただきたい。真実の監修は執筆者全員である。
 が、そういうことを言うのは、責任のがれのためではない。監修者としての最終の責任は、やはり私にあるし、私の負わねばならぬものである。
 共同執筆の経験は、これまでに何回となくある。が、こんなふうに、執筆者全部そろって共同学習をつづけながら仕事と取り組んだという経験は、前に一回あるきりだ。法政で助手をしていた時分に、いまやはり法政大学にいる乾孝(当時、心研助手)とさいきん三重大学に移った吉田正吉(当時、東大脳研副手)と私の三人で、『文芸学へのひとつの反省』『芸術における写実の問題』その他一連の雑文を書いたのが、それだ。
 が、それも今こうやって考えてみると、お互い、さまでことばを必要としない、以心伝心のツーツーの状態で仕事が進められて行ったように思う。議論らしい議論がそこに行なわれたという記憶はない。仕事そのものには、こむずかしい議論は伴なわずに、議論はもっぱら、仕事の後の仕事以外のことについて行なわれたように、おぼえている。といっても、私はほとんど聞き役で、乾のあの不意打ちの連続みたいな、おそるべき饒舌と、吉田一流のおよそタイミングというものを無視した(はずれた?)ヘンテコな話術に悩まされ、心身ともにくたくたになって、ご帰館はいつも夜中の二時、三時。「いま、お帰りですか?」という、寝とぼけた、不機嫌な、下宿のオカミサンの声が今でも耳に残る。
 話はすべったが、つまりこんどの仕事ぐらい、仕事そのもののことで議論を重ねた経験は私にはない、ということなのである。かねがね文教研の諸兄姉とはツーツーのあいだがらのつもりでウヌボレていたが、仕事に密着したかたりで具体的に話し合っていくと、意外にお互いの認知の構えそのものの間にズレのあることが露呈されてきて、私をあわてさせた。言うまでもない前提のつもりでいたことが、実は一向に言うまでもなくないのである。
 それは、いたし方ないとして、荒川有史君のことば(三省堂「国語教育」3月号)を借りていうと、文教研の面々には、自分の理屈はまともだが、他人のはヘリクツだと思ってるところがあるのだ。だから、手を焼く。手古ずった。
 今だからいうが、どうしてウチの旦那方はこうもガンコなんだろうと、内心ハラを立てたこと五回や十回ではない。旦那方のほうでは、どうか? 多分、お互いがお互いのガンコさに対してムキになったり、ハラを立てたり、呆れたり、いろんなことがあったろうと思う。確かのことは、次のことだ。ハラは立てても、相手に対してアキラメなかった、ということである。相手を説得するか、こちらが説得されるか、お互いがしんそこ から納得しあうまで、時間をかけ、学習を深め、討論しつづけた、ということである。そいつを、一年半やった。なんとも粘り強い(よく言えばの話だ)、なんともガンコな、マスラメ、マスラオたちである。
 マスラメの最たるもの、蓬田静子・夏目武子の両女史。なにをいっても、なんといっても、ひとの言うことなんか聞いてくれないのである。片やマスラオの中のマスラオは、佐伯昭定・荒川有史の両巨頭。彼らのやること、すべて荒事である。ことばの暴力をこれほどまでに発揮できる人を、私はあまり見たことがない。
 しかし、そういうガンコ者の集まりだから、こんどのような形の仕事もできた、ということなのだろう。出来ばえについては、また、別個の基準から評価されねばならないが、この本の全内容に対して全員が責任を持てるところまで論議を尽くした、という例はほかにも、そうざらにはないだろう。
 ところで、いま私たちは、この本の続編にとりかかっている。『文学教育の教授・学習過程―中学校編』の仕事である。中学校・文学教育については、
 @文学鑑賞学習 A文学理論学習 B文学史学習
という三つの学習指導領域をそこに考え、その原理や方法、教材体系などについて研究会を持って構想を進めているところだ。原則として毎週土曜日に開催している研究例会では、教材化を予定している作品を中心とした、作家・作品群の検討をつづけている。たとえば、井伏鱒二の『屋根の上のサワン』が教材候補にあがると、井伏文学研究月間が設けられる。
 四月から五月上旬にかけてがちょうど井伏月間だったわけだが、そこでは『山椒魚』から始めて、『丹下氏邸』『多甚古村』『漂民宇三郎』『かるさん屋敷』というふうに井伏文学の展開を跡づけ、最後に、そういう流れの中で『サワン』を位置づけ、評価し、文学としての質の吟味と、発達との関連での教材としての適・不適の検討をおこなう、というやり方である。
 万事そんな調子だから、一体いつになったら原稿になるのか見当もつかない。ともかく、文教研は研究サークルなのであって、何はさておいても自分たちの勉強のための集まりなのだから、お互いがバラバラに孤立していたのでは不十分にしか出来ない勉強を、こうして少しはましにやれるということに意味と意義を見つけて活字化は急がないことにする。
 運動意識が不足している、というお叱りを受けそうだが、雑なやっつけ仕事をしたのでは運動にプラスしないばかりか、効果はマイナスだろう。ガンコで頭のわるい私たちのことだから、手間がかかる。どうか、しばらく時をかしていただきたい。

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