初期機関誌から

「文学と教育」第23号
1962年3月10日発行
  福井集会傍聴記  小枝木昭定  
 第十一次教研集会に、文教研からは、東京代表として蓬田氏が参加、傍聴に、松戸の鈴木氏と、明星から小枝木氏が参加しました。鈴木氏には、月刊「生活教育」四月号、蓬田氏には、本誌に国語部会の全貌を報告していただきましたので、ここでは、“文学教育”を中心に、小枝木氏に執筆していただくことにしました。(編集部)

 福井集会の国語部会を三日間にわたって傍聴した。その中の印象に残ったものを、文学教育を中心にとりあげてみたいと思う。
 文学教育に関する報告は、北海道と群馬でなされた。北海道では、まず、なにはともあれ“よい文学”に出会わせることが大切であるという前提をおいて、実際に文学教育を行なうには、低学年では「文学 教育すること」、高学年では「文学教育すること」だ、と極めて具体的な提案がなされた。
 群馬では、たとえ物語文であっても、感性的読みから、理性的読みにまで高められなければならない。そして、表現する主体(作者)とそれを理解する主体(読者)とが一致した時に、文学を理解したことになるのだ、という主旨であった。 
 北海道の発言についてであるが、文学教育といった場合、確かに“文学で”と“文学を”という側面は、国分さんの作った分類方式の中にもある。ただ“文学で”といっただけではどうにもならない。問題は、どんな理論をふまえて、そういっているのかにある。このことは、全く明らかにはされなかった。群馬の考えは、討論の中の発言にあったが、結局「作品と読者とのズレをどううめるかが問題だ」という言い方しか出てこなかった。
 討論に入って、「理性的読み」をとりあげた秋田から、「おとぎばなしの中などにある空想性を否定することになるのではないか」という素朴な質問が出てきた。これは、佐賀・京都などから、かるくあしらわれてしまった。
 結局「文学教育」では、提案にしろ、討論にしろ、低調そのものであったといっていいだろう。お互の理論的弱さのため、結局は話し合いを発展させることができなかった。
 たとえば、文教研の中で、いつでも問題にされている「コトバの機能」「典型」「準体験」「作家の内部」「映像論」、これらの一つでも二つでも、あの分科会の討論の中にかみあわせていったら、おもしろくなったのではないかと思う。
 傍聴者として、いささか勝手な言い方かもしれないが、とにかく、そういう印象を持った。正会員として出席したのは、文教研の会員では蓬田さん一人であったが、来年の第十二次には、われわれの中から、もっと多くの代表を出したいものである。(明星)
 
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