初期機関誌から

「文学と教育」第22
1961年11月10日発行
 文学教育論への反省  荒川有史  
  T 創造的な姿勢をもとめて

 私は、編集グループの一人として、熊谷孝先生の『作家の内部』をいち早く読むことができた。その中に、とくにひきつけられた文章がある。
「すすんだ読者とおくれた読者、鑑賞力の高い読者と低い読者というようなつかみかたではなくて、ひとりの読者のなかに、すぐれた部分とおくれた部分を見分け、そのすぐれた部分につながっていく、という姿勢……」
という部分がそうである。
 ここで語られている姿勢は、もちろん作家の姿勢である。が、作家を「文学の教師」とおきかえ、読者を「文学教室の生徒」とおきかえたらどうであろうか。
 文学教育の方法・技術が実に的確に示されていると言えるのである。
 私たちが、生徒の鑑賞能力を高めるとかいうばあい、ともすれば優秀な子どもの水準にできの悪い子をひきあげることになりやすい。あるいは、教師の鑑賞の仕方に、子どもたちを頭から統制しがちである。
 もうせん、東京山手の高校一年生と『平家』祇王の段を学習したときのことである。私は、当時、清盛の寵愛を失った白拍子祇王の運命に、権力の非人間性しか読みとることができなかった。ところが、子どもたちの中には、結果において祇王をけおとした仏御前の姿に、新しい人間のタイプを発見したものがあった。つまり、祇王は、清盛の気まぐれな呼び出しに対して一度は拒否しておりながら、母親の見通しをもたぬ涙まじりの口説に負けて出仕する。すると案のじょう、大広間の下座にすわらされる。かつては自分がすわっていた上段の間の仏御前とは、きわめて対照的な位置である。左右にいならぶ平家一門のあわれみをまじえた露骨な視線にもたえなければならない。屈辱・後悔などのいりまじった感情の中で、やっと祇王は尼になることへふみ切るのである。それに対して、仏は、祇王の姿に自分の明日を読みとり、自分の意志で運命をきりひらいていこうとする。ここには、たしかに子どもたちの指摘するような質的な新しさがあった。
 しかし、私は、当時の社会情勢とか祇王のシンの強さとか、わけのわからないことをしゃべって言いくるめたことを、恥ずかしい思いで想起する。
 一人一人の子どもの中にすぐれた部分を発見し、「相手のすぐれた部分を軸にして相手を再構成する」(『作家の内部』)という姿勢が、今より以上に弱かったために、テーマの多様な質を理解できる可能性を、自分の手で摘みとってしまったのである。
 では、「相手のすぐれた部分を軸にして相手を再構成する」とは、具体的にはどういうことであろうか。熊谷先生のコトバをふたたびおかりしていえば、「相手の体験をくぐりながら、しかも突き放すとことは突き放す格好でみてみると、さいしょ思ってもみなかったようなシンの強いところや何やすぐれた面を発見することがある……」「そういう前向きのものが頭をもたげるのは、ところでどういう場面、どういう状況においてであるのか、というそこのところをつかむこと」だと思う。
 一日に一度、一週に一度、いや一カ月に一度、あるいは一学期に一度かもしれない。子どもたちが、文学の世界のどういう新しさに、違和やためらいの感情をもちつつもひきこまれていっているのか、また、どのようなコミュニケーションをとおして子どもたちの感動が実現しているのか、等々を、私たちは明らかにする必要がある。トム・ソーヤ、ヴィーチャ、ジャン・ヴァルジャンや『りこうすぎた王子』などに反発し、かつ共感するこどもたちのダイナミックな行動様式を明らかにする必要がある。
 そうした場面・状況の法則性を意識的に発見し、整理していくことが、日々の文学教育の実践を高めることへとつながっていくのではなかろうか。


  U 文学教育は誰にでもできるだろうか

 数年前、文学教育を欠いて子どもの全面発達はありえないという考えの人たちから、“誰にでもできる文学教育”の提唱があった。文学教育のしごとの重要さを考えれば考えるほど、誰にでもできる技術化が望まれたのだと思う。
 が、こんにち、教師が教育の専門家であり、授業の創造的なにない手であり、かつ、“魂の技師”であることを強く主張する立場は、右の提唱とそれとして矛盾する面をもっている。つまり、文学教育の基本路線が明らかにされ、さらに一作家の一作品に至るまでの指導のプロセスが地域性をも考慮して明らかにされたとしても、それでも文学教育は成立するだろうか、という疑問が残るのである。作家が媒介し創造した世界に感動できない人間、作家の示している批評精神とあまりにもかけはなれた所にいる人間などが、文学教育のにない手として、どれだけ有効なしごとができるのか、疑問になってくるのである。
 そこで、私たちが、文学教育の専門家としてとどまろうとするかぎり、たんなる解説家でいることは許されない。また、たんなる文化遺産のおくり手であることも許されない。すくなくとも、『作家の内部』に示された姿勢――くり返しになるが「相手のすぐれた部分を軸にして相手を再構成」していける態度を身につけることが、文学教育の専門家として絶対必要で最低の前提条件ではないかと思う。


  V 教科構造からみた文学教育

 『作家の内部』ととりくんで、私たちはいくぶんなりとも文学教育独自の方法をつかむことができた。したがって、その理解の前提となっている創作過程の論理についても、私たちの内部のカオスを整理する中で確認できるかと思う。すなわち、作家がある対象に感動をおぼえ、それを多くの読者と共有したいとねがうとき、創作の第一次状況が展開されること、「作家が自分を見つめることを通して自分のなかに読者をほり起こしていく作業」は、必然的に作家の内部に《見る自己》と《見られる自己》との分化をもたらすこと、また「現実の読者の反映像」が作家の《見られる自己》に屈折してあたためられ、さらに《見る自己》へと浸透していくとき、創作の第二次状況が展開されること、しかも、その第二次状況の完結は新しい第一次状況の出発にすぎないこと、等々のプロセスについてである。
 このプロセスを確認することは、文学教育を言語教育の延長ないし応用部門とする考え方を検討するとき大切になってくる。
 こんにち、文学教育を言語教育の一部分として考える立場に、大きくいって二つある。
 一つは、文学は言語 芸術であり、文学教育は言語教育をおしすすめていくなかで処理できるという立場である。
 が、『作家の内部』で確認したように、文学はコトバを通路とし、コトバを媒体とするけれども、あくまでもそれは芸術なのである。その意味で文学教育の基礎科学は文芸学であり、言語学は補助科学にしかすぎない。もちろん、『作家の内部』は、言語学・心理学・認識論(反映論)などで明らかにされつつある第二信号系理論の成果をふまえてはいる。しかし、第二信号系理論も文芸学の論理にくみこまれて生かされていることに注目したい。
 ところで、第二信号系理論は未完成の科学である。科学自体がたえず発展途上にあるという点では未完成であるけれども、第二信号系理論は、特に各人各様であるという点で未完成なのである。
 たとえば、波多野完治先生の『第二信号系理論と国語教育』(明治図書)の中に、もう一つの文学教育論を見ることができる。
 波多野先生によると、文学教育は、言語教育の中核ともいうべき文法教育の延長であり、「コトバのにおい」=語感を理解させる部門である。すくなくとも、国語教育としての文学教育において、「芸術についての目」をやしなうことは派生的なしごとであり、「大切なことは、文学教育によって、国語に対する“芸術的な”感がやしなわれることだ。」(同上P31)という。
 その前提には、文学表現がコトバの第一信号的な面や無条件反射的な面をふまえて成りたつという考え方がある。たとえば、「アンモチ!」とか「アルコール!」というコトバを聞いただけで、ヨダレが出てくるとすれば、そこには第一信号系的な感情がはたらいたのであり、コトバは第一信号的な条件刺激となっている。また、「バカ!」とか「ウンコ!」というコトバを聞いて、無条件に反発したりいやな感じを受けたりしたときにも、同じことが言えるというのである。
 無条件反射的な面というのは、先生のばあい「コトバの“音”のもつ感覚質」のことであり、「そのものとして、人に快感をあたえ、よろこびをもたらす。」(同上P45)散文よりも、詩歌でとくに大切だという。例として、『奥の細道』に出てくる
荒海や佐渡にたゆたう天の川
閑かさや岩にしみいるせみの声
の二句をあげている。
 第一句では「たゆたう」か「横たう」か疑義があるが、とにかく「ア音」の連続であり、第二句は「イ音」が多い。こうした感覚質のちがいがもたらすよろこびは、芸術享受にとって大切だ、というのである。
 ところで前にもどって、いやな感情・よい感情というばあい、そのよい・悪いの判断には第二信号系の規制がはたらいてはいないだろうか。「バカ!」と言っても、場面場面によって「注意」か、「叱責」か、「からかい」か、あるいは「いたわり」であったりするが、そうした違いをささえているものこそ、第二信号系としてのコトバ体験ではないだろうか。
 また、犬に対して「オアズケ」といっても「オアガリ」といっても異なった反応が見られないのに、人間だけが区別して反応できるのも、感覚質のはたらきそのものが第二信号系によって規制されているからではないだろうか。「荒海や」の世界にしても、芭蕉の現実を反映する姿勢をぬきにして語感だけから理解することはきわめて困難ではなかろうか。
 波多野先生の論理に、右のような矛盾を感じるのはなぜだろう。
 第一には、コトバの第一信号系(感性)的側面と第二信号系(理性)的側面とはとり出されたが、それぞれ発生論・段階論だけでおさえ、両者の統一の原理はうちだされていない。
 第二には、国語教育としての文学教育を考えるばあいでも文学表現におけるコトバの使用が、どのような論理にくみこまれてなされているかを明らかにする必要があった。熊谷先生のコトバをおかりしていうと、「コトバには感性的な世界があるだけでなく、それを踏まえて、その認識をもう一歩先へおし進めたところで、文学教育の基礎づけとなるような、文学の説明原理も生まれてくるのだと思います。つまり、たんにコトバには感性的な側面があるだけでなくて、そうした側面におけるコトバの使用によって芸術の表現がそこに媒介されるという媒介の論理――抽象から具象へ、さらに典型的形象創造への飛躍・媒介の論理――において、逆にコトバのこの感性的側面がつかまれなくてはならない、ということなのです。」(『教育』五七年十一月号)
 こうした矛盾にもかかわらず、『第二信号系理論と国語教育』は、国語教育における「第二信号系の第二信号系」というすばらしい提唱をもふくめて、新しい視点で文学教育論を構想していくのによき条件刺激となっている。『作家の内部』とあわせて、私たちの第二信号系の訓練に役立てていきたいとおもう。

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