初期機関誌から

「文学と教育」第19号
1961年2月?発行
 教研全国集会 国語分科会に参加して  荒川有史  

  1.問題意識の種々相

 教研全国集会は、ぼくにとってはじめての経験である。大阪代表という意識よりも、今まで学んできた文教研理論を、どんなふうに全国の仲間に訴え、どんなふうに相互交流を実現していくことができるだろうか、という思いでいっぱいであった。
 第一日目、熊谷孝先生、篠原由喜子さん、鈴木勝さん、福田隆義さんなどが見えたときには、あたたかいはげましと、ものすごい恥ずかしさの交錯する気持を味わった。いつまでたっても、同じ認識水準に低迷している自己を知っているだけに、ひとつひとつの発言に後ろめたいものがあった。第二日以降も、入れかわりたちかわり、東京の仲間・大阪の仲間がたずねてきてくれたが、この気持は終わりまでつきまとった。
 こうしたぼく個人の内部事情にくわえ、参加者個々人の問題意識のちがい、司会グループの見通しの弱さ、講師団グループの視点のせまさ等々が、討論をつみ重ねていきたいという個人的なねがいにブレーキをかけた。
 問題意識のちがいは、教研に参加する姿勢のちがいでもある。一方は、教研を、教師の切実なナマな体験を発表し交換しあう場にしようと考える。理論は学者にまかせ、わたしたちはまず実践を、という姿勢である。他方は、教研を、教科の論理を確立し、教育課程の自主編成につながる道を発見する場であると考える。よりよき実践を実現するためにも、高い理論精神によるささえを、という姿勢である。
 こんにち、大部分の教師は、子どもたちがこの不幸な現実に満足することなく、現実をつくりかえ、現状をのりこえていくなかで全面的に発達していくことをねがっている。そうしたねがいも、ほんとうは教師自身の人間変革を前提として実現されていくのであろうが、前提条件に対するわたしたちの自覚はきわめて弱い。と同時に、理論精神を強調する側にも、現場主義に傾斜している人たちの思想・感情をくぐりぬけて発言するという態度に欠けていた。
 また、司会グループには、第一日の国語教育の本質論をめぐる討議にもとずいて、二日以降のプログラムを全面的に変更する、という英断と柔軟性に欠けていた。原案作成者に対する遠慮があったにせよ、第一日で学習指導要領方式のプログラムが完全に否定された以上、前もってきめられた計画を変更することは、討議を建設的に進めるために絶対必要であった。
 さらに、講師グループの構成ならびに視点が問題であった。すぐれた実践報告も、すべて教育理論・言語理論の側からのみ整理され、文学理論にもとずく整理は一言もなかった、といってよい。ところが、文学教育の視点は、討議をつらぬく一つの重要な赤い糸であったし、発言量からみても、すくなくとも討議時間の三分の一は超えていたはずである。講師グループの国語教育観が、討議の内容をせばめ、制約していたことは事実である。
 こうした矛盾をはらみながらも、第十次の国語分科会は、第九次以前とはちがった成果を記録している。それを国語教育の目標・構造・機能にしぼって検討してみよう。


  2.文教研理論の再確認

 第九次教研までの国語分科会は、国語教育の目標をつぎのように設定している。
 a 日本の文字・日本語の発音・文法・文・文の部分・文章などについての意識的自覚を高め、その知識を正確豊富にし、読む力・書く力・話す力・きく力などの能力をのばすしごと。(国語科固有の目標にそうたしごと)
 b コトバと結びつけて、子どもたちの認識諸能力(感覚・知覚・注意・記憶・想起・表象・思考・想像などの力)をのばしてやること。(全教育と共通の目標達成のしごと)
 c 正しくゆたかな物の見方・考え方(世界観の基礎・価値意識・事物に対する見解・信念など)・感じ方(感情の質)を身につけるさせること。(全教育と共通の目標達成のしごと)
 d 民族のコトバである日本語についての意識的自覚をうながす過程で、ごく自然な民族的意識をたしかめること。
 aでは、日本語のもつ法則性を体系的に理解することの必要が強調されている。が、ことばの法則性をささえているものへの視点が欠けている。その弱さは、日本語を構成する各要素を、バラバラに、同じ比重であつかっているところにもあらわれている。学習指導要領の支持者から、戦前の「単語主義」「要素的知識主義」に逆行する見解だ、と批判されることにもなる。したがって、日本語についての法則的知識を正確豊富にすることが同時に子どもたちの認識のしかたをたしかなものにすることだという視点を、先ず確認しなければならない。体系としての知識こそ、生きた認識過程の切断面であったのだから。
 また、認識と知識との動的な関係をぬきにして、日本語についての知識を身につけることが、ただちに読む力・書く力・話す力・きく力などの能力をのばすことにつながる、という思考方式にも問題があった。国語科固有の目標として、さいしょに、読む力・書く力・話す力・きく力などの諸能力の向上をうたうこと自体、学習指導要領の形式論理的な四領域論につながる弱さを含んでいたことになる。
 b cでは、コトバとの結びつきをとおして、認識諸能力を高めること、あるいは、正しくゆたかな物の見方・考え方・感じ方を身につけさせることを強調しているが、なぜ二本立ての目標を設定しなければならないか曖昧であった。認識そのもののなかに、客観世界の反映のしかたそのもののなかに、価値判断がつらぬかれていることを、こんにち強調すべきであったのである。また、第二信号系理論に立つというシャルダコフ『学童心理学』、スミルノフ『心理学』などをふまえ、認識諸能力を要素としてうちだすことにも問題があった。これらの諸要素が決してバラバラにはたらくものでないことを力説しても、何を軸として認識活動が展開するのか不明である。どうしても、認識活動の諸側面を固定して訓練することにつながりがちである。思考を軸として記憶が、思考を軸として注意が、……というふうに、ダイナミックに心的活動がとらえられる必要があった。外国の心理学教科書の項目を、そのまま国語教育の目標にもちこんで不思議にも思わなかったわたしたち教師の事大主義・権威主義をいたく反省させられた、とも言えよう。
 a b c の項目をとおして言えることは、国語教育の目標が、内面的な関連なしに提起されているとである。だから、国語教育の独自性と他教科の共通性とが、木に竹をついだような形で列記されることにもなった。それへの批判から、国語教育の独自な任務は、ことばと事物との関係をたえずてらしあわせ、もう一度ことばにかえってきて指導する、という点に求められた。そうすると、a b c の目標も、統一した視点で追求することができるようになる。この点は、熊谷孝先生が早くから主張されていることでもあるが、国民教育のなかで国語教育を位置づけていくうえでの貴重な確認であった。
 と同時に、ものの見方・感じ方における正しさ・ゆたかさが、平和・独立・社会進歩などとの関連で明らかにされたが、まだ綺麗事にとどまっている。国民教育というばあいの“国民”概念にしても、存在としての九七%を想定しており、国民意識に徹した存在が数%にしかすぎないという矛盾は、見すごされている。国語教育の目標論にこの矛盾の論理を生かしえなかったのは残念であるが、今後の課題として考えられるべきであろう。

 以上、第十次教研の成果として言えることは、わたしたちが学習指導要領の思考様式と絶縁して、認識を軸として、国語教育の目標、構造、指導形態を構想しはじめたことである。ただ、討議の主題が第九次までのつみ重ねの上に固定されたため、たえずもたもたしたけれども、その混迷をとおして、文学学習・文法学習等々を軸とした統一的な国語の学習指導への要求がはじまった、と見てよいだろう。それだけに、わたしたちは、文教研理論を再検討し、新しい展望をうちだしていきたいと思う。
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