初期機関誌から

「文学と教育」第17号
1960年8月30日発行
 国語教育の基本路線  熊谷 孝 

  事実とコトバ

 国語教育の活動範囲は、ふつうにそう考えられている以上に広い、というのが私の実感です。教科としての「国語」のワクの外で行われている国語教育活動、というようなところまで見とおせば、小学校低学年の教育などは(むろん軸のとり方にもよりますが)すべて国語教育の場である、と言って言えないことはないくらいです。
 この点について、私は、まえに、次のように語ったことがあります。(国土社刊「教育実践講座」第二巻、28〜29ページ)
  ――「小学校では、とくに低学年にあっては、 すべての教科が国語教育の場であるといっていい。教科外活動をふくめて、そういっていいのである。コトバの学習をやりながら、そのコトバの意味する事物をつかませる、というしごとを、事実上、各教科はおこなっているのである。」
  ――「事物は、コトバに先行する。また、そこでの直接の目的は事物をつかむことである。が、コトバがつかめなくては、事物はつかめないのである。いいかえれば、コトバがつかめるようになって、はじめて事物の本質――現象と現象の関係や関連もつかめるようになっていく。それと同時に、こうしてコトバを媒介とし通路として事物の本質にせまることで、こんど逆に、コトバが具体的な内容と体験の裏づけをえ、生きた思考の具としてこんごの生活に役立てられていく、という関係なのである。」
  ――「このようにして、各教科による国語教育活動によって、コトバは具体的な思考の具としての公民権をかちえるのであるが、公民権をかちえたコトバは、いわばそこに思考や認識の拡大再生産過程をつくりだすのである。国語教育は、このようにして、また教材をこえて――全教科を通していとなまれなくてはならない」うんぬん。

  文学の構造的本質と国語教育の課題―コトバの規定性・融通性―

 あらいおさえ方ですが、国語教育の活動領域が広いというのは、大体、上記のような意味においてなのです。そこで、いま、教科としての「国語」の分担領域ということで、しぼって考えてみましても、各教科とのグレンツ・ゲビート(境界領域、かさなり合う分野)における作業や、他教科の活動をささえる作業面のことなどを考えますと、これもやはり、活動分野は「かなり広い」ということになりそうです。
 が、さし当って問題は、国語教育プロパアな課題というか、それの本筋の任務は何だろう、ということなのです。たとえ、それの現実の活動領域は多岐・多方面にわたっていようとも、「国語」という教科にとって本来の課題、本来の任務は何かということなのであります。
 おそらく幾通りもの考え方があろう、と思います。視点のとりようで、答えのだし方もまた、さまざまだろうと思います。が、それを、いま、国語および国語教育の構造的本質からいって、私は、次のように考えます。「第二信号系としてのコトバ体験を子どもたちの内に成り立たせながら、規定性・融通性双方の面にわたって、その言語能力を統一的に指導することである」というふうにであります。むろん、国語に関してコトバ体験を、ということであり、また言語能力を、ということであります。
 こぼれるところはあると思います。先へ行って、修正すべきところは当然修正するようにしたい、と思います。さし当っての作業仮説です。

 注記しますと、ここにいう《規定性》ということ、そして《融通性》ということなのですが、それは、たとえば、「赤」とか「白」というコトバです。この赤なり白なりというコトバ」に例をとって申しますと、これらのコトバが本来意味していたはずの(また意味しているところの)、色彩の面での赤や白……これが、つまり、規定性の面でのコトバの使い方であります。
 「彼女は、やはり白だったよ」とか、「あいつすこし赤いんじゃないか」というふうに使われる「白」とか「赤」とか「赤い」というのは、そして融通性の面における使い方です。「すこし赤い」……むろん、左がかっているという意味ですが、この「左」とか「左がかっている」というのも、融通性の面でのコトバの使用法だ、ということになりましょう。
 それから、ためしに『広辞苑』で「しろ(白)」の項をひいてみたのですが、(一)「雪のような色」とか「太陽の光線を一様に反射することによって見える色」というような説明と並んで、(二)「犯罪容疑者が犯罪の事実なしと判定されること、またその人」という説明がそこに行われています。前の二つが規定性の面での、また後の「犯罪容疑者」うんぬんが融通性の面における用法を示したものだ、ということになります。融通性の面におけるその用法を、規定性の面で説明したのが、そしてこの「犯罪容疑者」以下のセンテンスである、ということになるのでありましょう。
 で、ともあれ、コトバには規定性と融通性との双方の面での使い方があるわけです。どちらにウェイトを置いて使われるかは、コミュニケーションをささえる場面の規制や、当事者間の人間関係のあり方などによるわけですが、ただ、そのいずれを欠いても言語生活そのものが成り立たなくなることだけは、たしかです。
 そこで、お互いの間に、デイリーな生活感情の面での共軛性
(ふれ合うところ)が大きければ大きいほど、そこでのお互いの話のやりとりは、(原則的には)コトバのこの融通性にもたれかかった形で行われるのが普通のようです。「もたれかかる」というより、そこを通したほうが、こちらの思いを「まるごと」に相手に伝えられる、ということでもありそうです。
 これが初対面の人が相手では、この「まるごと」の伝え、伝え合いが成り立ちません。お互いの共軛性を、そこに見つけえないために、コトバをなるべく規定性の面でつかんで、ともかく話の筋が筋としてまちがいなく相手に伝わるように、とつとめなくてはなりません。それは、いわば「いつ」「どこで」「だれに」話しても通用するような、コトバのえらびと使い方です。
 いつでも、どこででも、そしてだれにでも「わかる」ような表現というのは、しかし現実にはありえません。が、いわば、このだれにでもわかる……「わかりそうな」そういう方向をめざして、表現の規定性を意識的に強めることで伝えを成り立たせよう、とするわけです。窮屈といえば窮屈、味気ないといえば、それはたしかに味気ない。しかし、コトバのこの規定性に徹する方向で(つまりまた、それの自覚的な利用によって)事物にせまるとき、そこにやがて、《概念による概念への抽象》《概念的抽象による世界の再構成》としての科学――科学的認識の世界が成り立ちます。
 規定性に徹する方向に概念が、そして科学が成り立つ、ということは、しかし融通性の面のささえなしにそれが実現する、ということではありません。初対面の相手に対して規定性を強めた表現をする、というのも、それは相手の未知の部分に向けてなのであって、相手のすべてに対してではない。ある意味では、私は、すでに相手を知っているのです。ふたこと、みこと、コトバを交わすことの中に、すでにある程度に相手をつかんでいる……少なくとも、つかんだつもりで私はいるわけです。
 いってみれば、部分 を手がかりとして、相手の全体 をそこにさぐり当てようとし、また「さぐり当てた」わけなのです。こちらのつもり としては、であります。ただ、体験的に「実証」しえない、そのかぎり未知である部分が大きいために、相手のそこに向けて、規定性を強めた表現が行われるわけなのですが、しかしその場合、表現全体のささえとなるのは、彼我
(ひが)の共軛性(と自分に判断されたもの)にほかなりません。
 何らの共軛性も見いだせないような相手とはコミュニケーションが成り立ちません。《伝え合い》はおろか、一方交通の《伝え》すら成り立ちません。で、そこに見つけた何らかの共軛性、何らかの連帯感がささえとなって、融通性の面でのコトバの使用もある程度に可能となり、(規定性・融通性双方の面でのコトバの使用による)言語コミュニケーションが成り立つ、という関係なのであります。
 そこで、話をもとへもどしまして、概念だけがそこにポツンとあって、概念的認識が成り立つわけのものではない、ということなのです。概念への抽象、概念による抽象ということが成り立つためには、現実の事実として、コトバの融通性をくぐりぬける方向での、別途の抽象のはたらきにささえられる必要がありそうです。
 で、コトバのこの融通性をくぐりぬける方向で、事物を、その事物に対する人間の感情ぐるみの形でつかもうとするところに、文学という芸術的認識の世界が生まれます。
 もっとも、文学では、人間の感情そのものが対象となる場合が多いわけです。「私には、ただもう一つのことがあるきりです。一つのこと――それは、あなたの愛ですわ」というアンナの思いと訴え、そしてウロンスキイの上にやがて訪れる倦怠と愛情のゆるみ……そうした感情が対象となるわけです。文学にとって、避けえない対象です。
 が、その場合はつまり、感情が事物化される(事物として扱われる)ことになります。事物化して扱う、というより、感情ということ 、感情というもの は、それは本来事物であるわけです。ですから、その場合は、アンナならアンナの、ある種のそうした人間感情(つまり事物としての感情)に対する、別個の感情による、それぐるみの形での対象のハアクが行われるわけです。
 こうして対象の位置に移され、それ自体対象化されるところの、この「別個の感情」というのは、ところで伯爵レオ・ニコライエヴィチ・トルストイのそれではありません。むろん、そうではなくて、芸術家としての――というのは、すぐれた意味における民衆の媒介者としての、という意味ですが、ともあれ芸術家としてのトルストイその人の「感情」以外ではないわけです。それは、この芸術家が、そこにくみあげ、媒介し、典型化のプロセスにおいて主体内部につかみとった、ロシア近代民衆のすぐれて民衆的な偉大な感情にほかなりません。
 で、アンナの人間形象も、またウロンスキイやレーヴィンたちのそれも、いわばそうした「感情」の側面から抽象され概括されつつ、彫琢されて行っているわけです。彼女たちの感情のありようやその動きに対する評価も、またそうした「別個の感情」の側面から行われているわけなのであります。(たとえば、ウロンスキイとの出会いを、いわば人生への突破口として彼女のために設計したこの作家も、やがて転落のあげく、ヒューマンな感情を枯渇させてしまったアンナに対しては、こんどは人生そのものからの脱出口――自殺を用意することしか知りません。)
 ここは文学論の場ではありませんから、また図式的な話にもどらなくてはなりませんが、ともあれ、そのようにして感情にささえられ、コトバの融通性にささえられた、「現実まるごと」の印象(日常的全体像)の意識的な逆利用のなかに、移調・変形・典型化という一つながりの方向での反映・抽象が、そこでは行われるわけなのであります。
 その抽象は、概念への抽象とは方向を異
(こと)にしていますが、しかもそれがやはり、第二信号系としてのコトバ体験(後述)をくぐったところで行われる抽象・概括であることに変わりはありません。それは、概念によるささえを必要としますし、そこに抽象の核としてはたらく、形象ないし映像自体がすでに一種の概念にほかならないことは、先ごろ波多野完治教授の指摘されたとおりであります。


  国語学習の現実面

 話がすべりましたが、さきに、規定性・融通性双方の面における統一的言語能力うんぬん、と語った意味は、右の説明を通して、ともかくつかんでいただけたことと思います。で、右にふれたように、コトバの融通性の極に文学が、そして規定性の極に科学が、あるわけです。ですから、いま、文章表現ということでいえば、この二つの極を結ぶ線上に、『資本論』の文体のようなものから『芦刈』みたいな潤一郎ばりの文体に至るまで、あらゆるスタイルの文章がある、と考えていいかと思います。
 もっとも、多様な文体をそこにつなぐ一本の線は、直線ではなくて、ゆるやかな、しかしかなり大きなカーヴを描いている、と考えられます。学問的な内容の論文でも、ぐっと融通性の面に傾斜した、「文学的」といっていいような表現によるものもあるわけですし、また、表現全体としてみては、明らかに文学であり文学以外のものではないが、しかもそれぞれの表現部分についてみると、規定性の面に比重のかかったような文章なども現実にあるわけです。
 だから(といういい方では、話のはこび方が性急すぎるかもしれませんが)、「国語」の指導書などで一般に行われているような、「文」の分け方というか、つかみ方……また、それと文体との関係・関連のつかみ方などについては、首をかしげさせられるような点も出てくるのです。それは、たとえば、「文」の読解の対象を、あえていえば、無前提に説明文、生活文、文学・物語、論説文というように分類して、そこへそれぞれの文体を割りふってしまうしまうやり方です。
 そこで、つまり、これが説明文のスタイル、またこれは生活文の、論説文の……というようなつかみ方や分け方をすることになってしまうわけです。ですから、そこでは、「要約する力と表現力をのばす」のに恰好の教材は「生活文」の文体というものであったり、「要点をおさえて読む」学習に適当であるのが「説明文」というものの文体であったりするわけです。この調子で、また、文学作品の文章というものは、どんな表現部分でも、つねに「味わって読む」ように書かれてあるものだ、ということに、そこではされてしまいます。
 それは或いは、コトバのあや かもしれませんが、文学作品の表現でも、いわゆる意味の 「味わう」ということよりは、「考える」とか「考えさせる」ということに主眼において書かれたような作品も少なくありません。また、いわば感情をぬきにして、事物を事物としてザハリヒにつかませることを狙いとしたような表現部分を、かなり大幅にふくんでいるような作品も、長編の近代小説などでは珍しくありません。
 なるほど、家のつくりや、部屋の装飾、着物の柄やその着こなしなどを克明に描いて、それを「味あわせる」ようなしくみ になっている作品……そこをカットしたら何も残らない、というようなケチな文章も、今の日本の小説に多いことは、たしかです。しかし、「味わう」ことが同時に「考える」ことであるような「味わい方」を読者に対して求めているような文体の作品も、またけっして少なくありません。
 話がまた、すべりましたが、そこでつまり文学学習ということが、「考える」ということを避けて通ったところで成り立つような、そうした「味わう」ことの指導でなんかあっては困る、ということなのです。で、また私のいいたいことは、かくかくのスタイルの文章が説明文というもので、また、しかじかのスタイルが文学の文章のそれである、という式の、まるで順序をはきちがえた、デタラメな文体理解を前提とした読解指導では、子どもたちの読解力はホンモノになってこないのではないか、ということなのであります。
 それは、また、こんな調子で行われる読解指導や、読解指導としての文学学習では底がしれてる、ということでもあります。こんな調子で、といいましたが、まさにこんな調子の読解指導のやりくちを、スッポリ裏返しにしたような形の、「文」を書く指導――作文指導が、その片側で行われているわけなのです。
 それは、ものごとを「説明」するときには、こういう順序で、こういう形式でとか、日記のような「生活文」を書くときには、またかくかくのスタイルで、というような、あえて文章表現のステロタイプ化をそこにつくりだすみたいな、そらおそろしい指導です。
 話しことば、話し方の指導にしても同じことなのでして、そこここの卒業式などで見かける(耳にする?)生徒代表の送辞・答辞の、あのそらぞらしさは、どうでしょう。
 話のはこびに起承転結をつけるような指導をするような指導をしたのが、いけないのではなくて、形式の方が先にあって、その形式――起承転結の既成の型にすべてをはめこもうとした、教師の指導に問題があるわけです。
 日記の書き方を指導するような場合にしても、日記文のあるスタイルというか形式を例示することがまちがいだ、というのではありません。どころか、ことに小学校の低中学年の場合などでいえば、なるべく子どもたちに身近かな場面をえらんで、その場面にそくして具体的に指導するという以外に、どんな指導も成り立ちようがないわけです。
 が、そこにえらばれた場面は、「身近か」ではあっても「特殊」であり、必ずしも普遍に通じるような「典型的」な場面ではないことを、おいおいに子どもたちに自覚させるような指導でなくては、充分「教育的」であるとは言えないのではないか、と思います。今の作文の例でいえば、与えられた現在の場面にとって、そこに例示された表現のスタイル、表現の形式が充分ふさわしいものであるとしても、それが他の場面に移行して考えられたような場合には、むしろ「ふさわしくないもの」にさえなることを、そこに気づかせていく必要があろう、ということなのであります。
 ともあれ、そこでの指導目標は、子どもたちが、与えられた場面の偶然性をこえて事物がつかめるようになることであり、、また、それをのりこえて事物をつかめるような、規定性・融通性双方の面にわたる統一的なコトバ体験と言語能力を成り立たせることなのであります。


  第二信号系としてのコトバ体験の成立
 
 くり返しますが、第二信号系としてのコトバ体験をくぐってするところの、規定性・融通性双方の面における統一的な言語能力の指導ということを、私は、国語教育の中心課題としておさえます。そのことを、また、教科としての「国語」の中心課題として考えるわけです。
 したがって、また、まえにその点にふれて語ったことがあるように(たとえば本誌15号、「教育評論」七月号)、思考や認識との結びつきにおいて言語能力をひきだすことが、「国語」という教科の基本路線だ、という考え方にもなるわけであります。
 と申しますのは、第二信号系としてのコトバ体験を成り立たせるように指導するということは、「信号の信号」としてのコトバの本性――すなわち《コトバ本来の抽象・概括の理性的なはたらき》へと、まっとうな形で結びついていけるような、コトバの指導をおこなう、ということにほかならないからです。
 そこに結びつくことの出来るような、コトバの使い方が成り立った場合に、子どもたちの内にある、最初のただの漠然とした感じは、おいおいに、一つのまとまりをもった《考え》や《意見》の形をとるようになって行きます。さらにまた、次には、そうした考えを、考え方――思考の仕方そのものについての反省のなかに整理し、それを発展的な形でまとめる、という理性的なはたらきを、そこにもたらすことにもなるのであります。
 で、コトバと結びついた、そうした理性のはたらき、理性的なはたらきにささえられてこそ、第一信号系(感性面)のほうも、次第にまっとうなものに、はぐくまれていく、という関係なのですが、そうした意味でのコトバ体験(第二信号系としてのコトバ体験)を子どもたちの内に成り立たせ、それを充実していく任務と役割りを、国語教育は負っているわけなのであります。


  教科プロパアな任務は何か

 そこで、国語教育という作業は、どの教科をとおして行われようと路線は一つだ、ということになるかと思います。そこには、一つの国語教育があるだけだ、とまずそう言っていいかと思うのです。
 が、社会科や理数科などのいわゆる事実教科のほうでは(ちなみに、私は、事実教科・道具教科という分け方をナンセンスだと考えているのですが)、事物をつかませることが、そこでの目的なのであって、コトバの訓練ということを一貫した目的としているわけではありません。コトバがわからなくては(あるいはコトバが身についたものになっていなくては)事物がつかめないからコトバの学習を伴なわせる、というだけのことです。そのかぎりコトバの学習は、手段です。
 コトバの学習に始まって、コトバの学習に終る、というのは、そこでやはり、「国語」という教科に固有のことだ、ということになりましょう。そこでは、コトバはつねに、事物や体験に裏づけられながら、しかもコトバ自体の体系にしたがって学習されなくてはなりません。コトバを通して事物をつかむと同時に、事物をつかんだところでコトバに帰る……コトバに帰り着くところまで指導の手をゆるめない、ということが、この教科に要求されるわけなのであります。
 が、理科や社会かの学習でも、本当は コトバに帰り着かせないと、事物を本当 につかませたことにはなりませんが事物についての経験をコトバで整理し、コトバにまとめさせることは、子どもたちが先へ行って、より広い視野と、より高い次元でその事物を「つかみなおす」ことの出来るような思考の足場を、コトバとしてそこに用意することにもなるのであります。
 コトバに帰る、コトバに帰り着かせるという作業は、だからたんに、子どもの現状にそくして、今は今なりの仕方で事物をつかませる(わからせる)ためにだけ行われるのではありません。それは、まさに、子どもたちの未来のために行われるコトバの訓練であり、コトバの訓練を通してでなければ実施されえない、思考や認識の陶冶にほかなりません。
 「いつもコトバにかえしてきて考える」ということが、そこで子どもたちに習慣づけられなければなりませんが、ひらたく言って、そういう習慣を養っていくのが、「国語」という教科の任務だというふうに考えてみてもいいかもしれません。
 そこで、教師は、子どもたちの「わかった」という、そのわかり方を(「わからない」という、そのわからなさのあり方と一緒に)、いつも問題にしなくてはなりません。
 「わかっているんだが、口では言えない」というような「わかり方」は、これは本当にはわかっていないのです。むろん、時と場合ですが、「自分は、本当にはつかめていないんだ」ということを、いつかはわからせるように、しむける必要が、そこでやはりあるんじゃないか、と思います。
 また、算数的にわかるということと、代数的にわかる、ということとは次元の違ったわかり方です。この点が、今ここで、いわば代数的な思考方法でつかめるようにならないと、先へ行って伸びがない……というより、その先はもう絶対にわからなくなる、というようなことは、どの教科の場合にもあることです。
 それを、いわば算数的な解き口で、ともかくつかんで「わかった」という、子どものわかり方……これを放っておくと、微積分でしか解けないような問題まで、算数で解けると思い、また解こうとするような、とてつもない大人が仕上がること請け合いです。
 いや、これは、けっして冗談なんかじゃないのでして、専門の学者たちが緻密な論理をつみかさね、お互いの成果を交換し合いながら、やっと糸口だけつかみかけたような問題をとらえて「てっとり早く結論をいえ」とか、「納得がいかない、その理論はまちがっているんじゃないか」というようなことを、あっさりと言ってのけるような仁を、そこここの教育研究集会などで見かけないでしょうか。つい先ごろも私は……いや、やめましょう。
 ともかく、それで、コトバに帰り着くところまで相手を見守る必要があるのです。そこのプロセスを意識 して指導することで、国語科の活動は、他教科の活動のささえにもなり得るわけなのです。コトバの学習に終る、という形での学習の上昇循環をくり返す作業のなかに、そして思考や認識の拡大再生産過程をつくりだす動的なコトバ体験も、つちかわれていくのであります。
 このようにして、コトバ体験を動的で生産的なものとするためにこそ、国語の学習は系統化されなくてはななりませんし、またコトバを、ただ実際に「使える」ようにする、というだけではなしに、それを一遍突き放して、その性質や構造や機能を自覚させるという指導も、そこに伴なわせなくてはならなくなるのです。コトバのステロタイプ化を防ぐためにも、であります。
(国立音楽大学教授)

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