「文学と教育」主な連載記事
《座談会》文教研理論形成史 
荒川有史 文学史一九三六年前後――島木健作『再建』の世界を中心に
荒川有史 文学史一九三七――『生活の探究』論争史を中心に
夏目武子 国語教育講座 
荒川有史 文学事象としての大逆事件――徳冨蘆花『謀叛論』を中心に
荒川有史 母国語ノート
荒川有史 なぜ、今、太宰文学か
――〈現代史としての文学史〉の視点から
荒川由美子 絵本を媒介とした障害児とのかかわり
福田隆義 続 国語教育講座
荒川由美子 子どもに精神の自由を
井筒 満 読者論ノート――W.イーザー著『行為としての読書』の批判的検討 
荒川有史 《私の教室》『女殺油地獄』――舞台形象への道すじをさぐる
佐藤嗣男 再び、『羅生門』について
荒川有史 芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化
荒川有史 西鶴
――人間喜劇の文学
香川智之 山田洋次の映画づくりから学ぶ
香川智之 《私の教室》『多甚古村』日誌
荒川有史 芭蕉俳論を読む

佐藤嗣男 南吉童話の成立
荒川有史 近世偽書の条件
――芭蕉俳論に即して 
福田隆義 文学教育よもやま話
 
夏目武子 『平家物語』を読む
荒川有史 西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師
森田高志 《私の教室》蔵原伸二郎



 《座談会》文教研理論形成史 
第95号(1976.2) 《座談会》文教研理論形成史(一)
出席者:荒川有史 熊谷孝 福田隆義 (編集部)佐藤嗣男
1 国語教育の自由と学校教育/2 文学観の問い直しから出発/3 言葉と事態
  
第96号(1976.5) 《座談会》文教研理論形成史(二)
出席者:荒川有史 熊谷孝 夏目武子 福田隆義 (編集部)鈴木益弘
(『芸術とことば』出版前後)/第二信号系理論に学ぶ/言語過程説の功罪
  
第97号(1976.8) 《座談会》文教研理論形成史(三)
出席者:荒川有史 芝崎文仁 夏目武子 福田隆義 (編集部)佐藤嗣男
「母国語」概念の成立/『文学の教授過程』の成立/「教材化」概念の提唱/「教科構造」成立史/『中学校の文学教材研究と授業過程』をめぐって/全国教教研と文教研
  
第99号(1977.1) 《座談会》文教研理論形成史(四)
出席者:荒川有史 熊谷孝 福田隆義 山下明 (編集部)佐藤嗣男
  「国語教育時評」を中心に/「言語自体」ということ/静かな論争を期待する/第二信号系理論こそ原点/方法主義への批判/作用因としてのことば/現場の問題から/〈審議会まとめ〉の問題点/評価と教師の主体性/誤れる「世代」論/なつかしい瀬音が聞えるように/『国語教育時評』を再び
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  荒川有史 文学史一九三六年前後――島木健作『再建』の世界を中心に
第124号(1983.5)〈その一〉 1 一九三六年の課題/2 『再建』の舞台/3 『再建』の視座/4 交錯する二つの視座/5 長編小説のモティーフ/6 主題的発想の多様性
  
第125号(1983.8)〈その二〉 1 人間回復と組織の再建/2 形象の眼を通しての統一戦線志向/3 第三の狂言回し登場の必然性/4 創造主体の動揺――長編小説の屈折
  
  荒川有史 文学史一九三七――『生活の探究』論争史を中心に
第128号(1984.5) 1 『再建』の発売禁止/2 『生活の探究』に対する中野重治の批判/3 創造主体の変質を語るもの――島木健作の反応/4 文学を読むということ/5 『生活の探究』論争史が提起した課題
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  夏目武子 国語教育講座 
第124号(1983.5)第一回 母国語教師の条件
はじめに/荒れる中学生、今・昔/漱石の描く中学生/ことばによる人生設計の実験機/人間は考えるらっきょうである/再び『空気がなくなる日』について
  
第126号(1983.11)第二回 母国語文化と母国語への愛情を
自主編成の立場に立って/『啄木詩集』を中学生に/『最後の一句』と『一話一言』/『最後の一句』――印象の追跡・1/『最後の一句』――印象の追跡・2/『最後の一句』――教材化をめぐって/漱石文学の教材化
  
第127号(1984.2)第三回 自主編成の立場に立って――『十五少年漂流記』『走れメロス』を中心に
おもしろくなった太宰文学/『十五少年漂流記』の教材化/『坊っちゃん』を読む/教科書の中の太宰文学/『走れメロス』――魅力的な書き出し/『走れメロス』――シルレルの詩との対比で
  
第129号(1984.8)第四回 教科書の中の「言文一致」
はじめに/言文一致をどうとらえるか/中学生・高校生が目にする「言文一致」論/明治三十年代の「言文一致」/「ホトゝギス」と言文一致
  
第130号(1984.11)第五回 『君死にたまふことなかれ』――異端の文学としての位置
はじめに/『みだれ髪』と『君死にたまふことなかれ』と/桂月と剣南の論争/晶子の文学宣言――『ひらきぶみ』/教室の中の『君死にたまふことなかれ』
  
第131号(1985.2)第六回 平和教育としての文学教育――『山椒魚』『鼻』を中心に
はじめに/教科書の中の『山椒魚』/数字の訂正を/『鼻』の教材化/教室の中の『鼻』/『鼻』は悪文?/漱石の書簡の意味
  
第132号(1985.5)第七回 印象の追跡としての総合読み――森鴎外『高瀬舟』に即して
はじめに/印象の追跡ということ/庄兵衛の意識をこそ/安楽死の問題をめぐって/解釈学への疑問
  
第133号(1985.7)第八回 解釈学批判ノート
はじめに/科学分類論にふれて/教育と基礎科学/内容と形式をめぐって/日常的な教室の中で
  
第134号(1985.11)第九回 黒島伝治『電報』の印象の追跡
  
第135号(1986.2)最終回 太宰文学と文学教育――『走れメロス』に即して
はじめに/太宰文学入門をめぐって/『走れメロス』の素材典拠/「もっと、恐ろしく大きいもののために走る」/「明るい健康的な面」を代表する短編か?/怒濤の葉っぱの世代の文学として
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  荒川有史 文学事象としての大逆事件――徳冨蘆花『謀叛論』を中心に
第126号(1983.11) はじめに/1 日本近代文学における異端の系譜/2 謀叛のすすめ――蘆花の文学精神/3 芥川世代の精神形成/4 幸徳秋水と徳冨蘆花
  
第127号(1984.2)(その二 1 秋水と蘆花の相互主観性/2 秋水の思想の変化 
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  荒川有史 母国語ノート
第132号(1985.5) 1 平和を求める心性/2 母国語教師としての母親/3 母語の基盤――言語共同体/4 母国語概念をめぐって
  
第137号(1986.7)〈その二〉 1 名著の魅力/2 民族の共通信号への胎動/3 〈地球〉の発見と人間の自立 
  
第139号(1987.2)〈その三〉 日本人としての存在証明
1 二つの母国――一八歳の少女の苦悩/2 内なる母国の自覚 
  
第140号(1987.5)〈その四〉 日本語の壁
1 言葉をとおして思索するとき/2 言葉と文化の問題/3 母国語奪還のために
  
第141号(1987.7)〈その五〉 志賀の日本語・芥川の日本語――熊谷孝著『増補改版 太宰治』に寄せて
1 なつかしさを喚起する文体/2 世代形成過程を生きる/3 母国語文化の外に位置づく志賀文学
  
第144号(1988.5)〈その六〉 連想・読書雑感
1 曲言型批評への共感/2 言葉で思索する楽しさ/3 〈国語入試問題必勝法〉の行方
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  荒川有史 なぜ、今、太宰文学か――〈現代史としての文学史〉の視点から
第135号(1986.2) 1 森鴎外と太宰治/2 太宰と芥川・太宰と井伏/3 真の現代文学とは何か
  
第136号(1986.5) 1 真の現代文学とは何か/2 『右大臣実朝』誕生の時代/3 日本列島不沈空母下の太宰文学/4 詐欺師と嘘つきと/5 世代形成過程から成人への歩みを描く
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  荒川由美子 絵本を媒介とした障害児とのかかわり
第135号(1986.2) (一)子どもたちとの出会い
1 せんせい、ボクはいつ?/2 絵本の読み聞かせ/3 ファンに支えられて
  
第136号(1986.5) (二)教材化のむずかしさと楽しさ
1 教材化の視点を持つこと/2 絵本のもつおもしろさ/3 教材化のむずかしさと楽しさと
  
第137号(1986.7) (三)絵本『おおきなかぶ』を読む
1 『おおきなかぶ』を読む/2 絵本『おおきなかぶ』の魅力 
  
第138号(1986.11) (四)なぜ「障害児に文学を」なのか
1 でも、家の子の場合は……/2 障害をどう受け止めるか/3 障害児に文学を
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  福田隆義 続 国語教育講座
第136号(1986.5)第一回 国語教育――私の遍歴
はじめに/戦後の教師として/狂っていたスタートライン/問われる言語観
  
第137号(1986.7)第二回 言葉体験の端緒的成立を確かなものに――『おおきなかぶ』の教材化を中心に
はじめに/『文学教育の構造化』の時点/今読み返してみて/多様な学習を保障する作品/芸術作品でなければ用をなさない
  
第138号(1986.11)第三回 教育課程の自主編成――『おしになった娘』(松谷みよ子)の授業を参観して
はじめに/「なげ込み教材」という考え方/自主編成の基本路線/署名のある教育を
  
第139号(1987.2)第四回 長編の教材化――井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカ行き』を事例に
   はじめに/『ドリトル先生アフリカ行き』私の印象の追跡/指導過程をめぐって――四年生を対象に
  
第140号(1987.5)第五回 「表現学習」をめぐって――小学校低学年の場合
はじめに/学校教育のスタートライン/主柱・主軸のない作文指導/文学教育の一環としての表現学習
  
第141号(1987.7)第六回 素材主義の克服を――教材選択『あんじゅとずし王』をめぐって
はじめに/私の中の「安寿」と「厨子王」/子どもむけの『あんじゅとずし王』/『山椒大夫」につながる作品とは
  
第142号(1987.11)第七回 『ヴィーチャと学校友だち』――長編の特質を生かして
はじめに/1 『ヴィーチャと学校友だち』/2 教材化をめぐって
  
第143号(1988.2)第八回 「おいたちの記」――小学校高学年の表現学習をめぐって
はじめに/1 自分の知らなかった自分/2 親と子の“対話”から/3 書きなおしたくなるということ/4 記憶のみによる回想のむずかしさ/5 多様な方法の一環として
  
第144号(1988.5)第九回 “文体意識”をはぐくむ試み
はじめに/1 「マス・コミ的文体の氾濫」と今日/2 文体づくりの国語教育/3 これが“私の文章”といえる文章を/4 文体剥奪の過程
  
第145号(1988.7)最終回 民話の教材化――絵物語としての『かさじぞう』
はじめに/1 民話を読む視点/2 民話の語り口/3 絵物語としての『かさじぞう』/4 小学校低学年の特性/5 民話を民話として
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 荒川由美子 子どもに精神の自由を
第146号(1988.11) 子どもに感動体験を/表現しなくなったタカシ君/百点をとったこと/テスト戦争/文学の眼を
  
第147号(1989.3) ――「モモからのメッセージ」
「はやく……しなさい」/「モモからのメッセージ」
  
第148-9号(1989.7) ――『モモ』の再読
「モモ」は桃?/モモのところに/ふたりの友だち/時間の国へ/おわり(ENDE)
  
第151号(1990.3) ――死者との語らい
父と娘/死者との語らい/旅立ち
  
第152号(1990.6) ――『さっちゃんのまほうのて』
すずめの会/小学生になったら……/さっちゃんのまほうの手/可能性を信じて
  
第152号(1990.6) ――人間ってやり直せるんだよね
オトコグミって?/人間ってやり直せるんだよね/後悔しない人生を/私の中の私たち、私たちの中の私
  
第155号(1991.5) ――児童文学を読みませんか
臨床心理士になりたい/夢を共に生きよう。/児童文学を読みませんか
  
第156号(1991.7) ――出会いの場をつくろう
小さな試み/障害者観の問い直し/障害者を産むのは恐い?/出会いの場をつくろう
  
第159号(1992.7) ――絵地図からのよびかけ
一枚の絵地図/歩けなくなった少年/絵の中の少年/家族
  
第162号(1993.7) ――絵地図への旅
お絵描きって楽しい?/絵地図からのYびかけ/家庭内の人間関係/課せられた課題
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  井筒 満 読者論ノート――W.イーザー著『行為としての読書』の批判的検討
第156号(1991.7)(1) 読者論の現在
  
第157号(1991.11)(2) 「日本語版への序文」をめぐって(1)/「日本語版への序文」をめぐって(2)
  
第158号(1992.3)(3) 「日本語版への序文」をめぐって(続き)/Ⅰ章の論点(1)
  
第159号(1992.7)(4) Ⅰ章の論点(1)の続き/Ⅰ章の論点(2)/Ⅰ章の論点(3)
  
第161号(1993.4)(5) 1 前回の要約/「二重の回路」と「伝え合い」/3 「虚構言語」と「日常言語」
  
第163号(1993.11)(6) 3 「虚構言語」と「日常言語」(続き)/4 日常性と芸術性(1)/5 日常性と芸術性(2)/6 読みの過程的構造
  
第164号(1994.3)(7) 6 読みの過程的構造(続き)/7 読みの過程的構造(2)/8 読みの過程的構造(3)
  
第165号(1994.6) 「読者論ノート」番外編
安良城理論をめぐって(上)
1 はじめに/2 シンポジウムの感想/3 安良城理論の構想/4 中性下人論と『羅生門』
  
第166号(1994.8) 「読者論ノート」番外編
安良城理論をめぐって(下)
4 中性下人論と『羅生門』(続き)/5 「盗み」をめぐって/6 階級支配と民衆/7 西鶴をめぐって
  
第168号(1995.3)(8) 8 読みの過程的構造(3)/9 ストラテジー論(1)/10 ストラテジー論(2)
  
第169号(1995.6)(9) 10 ストラテジー論(2)(続き)/11 読書過程と事物の観察/12 読書過程の弁証法
  
第173号(1996.6)(完) 1 「歴史・社会学的方法」と「テクスト理論的方法」/2 「近代主義」/3 「反映」と「典型」/4 「日常性」と「芸術性」/5 「文学の機能」/6 「既知」と「未知」/7 「Ⅲ 読書の現象学」における「経験」論
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  荒川有史 《私の教室》『女殺油地獄』――舞台形象への道すじをさぐる
第158号(1992.3)〈1〉 1 原宿と四谷の間/2 原宿文楽の意図とその達成度/3 床本を読むための柔軟体操/4 種本の正体をさぐる
  
第159号(1992.7)〈2〉 1 オンブにダッコから一人歩きへ/2 文学形象から舞台形象へ/3 〈内なる観客〉との対話をめざして
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  佐藤嗣男 再び、『羅生門』について
第162号(1993.7)(上) ――『こゝろ』(漱石)に共軛する下人の倦怠の心情
はじめに/詩的精神に支えられた散文の世界/失うべき何ものもない〈下人〉の登場/『こゝろ』の〈先生〉の倦怠感と下人の心情
  
第163号(1993.11)(中) ――芥川世代と漱石世代の異質性
『こゝろ』の〈先生〉の倦怠感と下人の心情――承前/初出『羅生門』稿の成立/芥川世代と漱石世代の異質性/〈よりそう〉文体――芥川文学の文体的特性
  
第165号(1994.6)(下) ――芥川の歴史小説の方法
二重の媒介構造を持つ作品世界
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  荒川有史 芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化
第163号(1993.11)〈その一〉 ――教室での対話を深めるために
1 親鸞・乾孝・芭蕉/2 人を見て法を説く――芭蕉の教育法/3 連句とは何か
  
第164号(1994.3)〈その二〉 ――創造と鑑賞の秘密を通路に
1 連句のありよう/2 去来の構成意識/3 芥川の構成意識
  
第165号(1994.6)〈その三〉 ――創造完結者としての芭蕉
1 馬齢を重ねつつも/2 古典の再発見/3 先師・宗師・大山師の感受性
  
第166号(1994.8)〈その四〉 ――鑑賞体験の方向差・個人差
1 創造完結者としての芭蕉/2 表現理解を規制する想像意識/3 文体反応にみる方向差・個人差
  
第167号(1994.11)〈その五〉 ――芭蕉と其角の相互主観性
1 私の内なる其角像/2  〈内なる其角像〉のひろがり
  
第168号(1995.3)〈その六〉 ――其角の視座
1 蕉門における其角の位置/2 其角人脈の多様性/3 其角像の再発見
  
第169号(1995.6)〈その七〉 ――時期区分論の視座を通路に
1 課題の再確認とおわび/2 蕉門一座の人間模様/3 風狂精神の連続・非連続――芥川にみる時期区分意識/4 〈文学の科学〉構想の試金石
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  荒川有史 西鶴――人間喜劇の文学
第170号(1995.8)〈その一〉 1 西鶴世代の発見――その原点/2 “こんにち”に立つこと/3 文学史の内側から〈近世〉を見る
  
第171号(1995.11)〈その二〉 1 西鶴文学の基礎/2 転形期を生きた人々/3 新興町人の形成過程/4 児童文学と成人文学
  
第172号(1996.3)〈その三〉 1 課題の再確認/2 史実と虚構の間/3 対話の志向するもの/4作品形象から見えてくるもの
  
第173号(1996.6)〈その四〉 1 課題の再確認/2 作品形象から見えてくるもの/3 文学以前か文学か
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  香川智之 山田洋次の映画づくりから学ぶ
第172号(1996.3)(上) 芸術家の誕生/芸術は誰のために
  
第173号(1996.6)(中) 娯楽と芸術/「笑い」の質について
  
第174号(1996.8)(下) 「現実」をどうとらえるか/リアリズムについて/明日を生きるために、そして明日の現実をつくり出すために
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 香川智之 《私の教室》『多甚古村』日誌
第176号(1997.3)(一)
第177号(1997.6)(二)
第178号(1997.8)(三)
第179号(1997.11)(四)
第180号(1998.3)(五)
第181号(1998.6)(六)
第182号(1998.8)(七)
第185-6号(1999.8)(八)
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  荒川有史 芭蕉俳論を読む
第177号(1997.6)〈その一〉 ――愛読と濫読との間
〈はじめに〉芭蕉俳論の課題と構成/1 『去来抄―先師評』の魅力 
  
第179号(1997.11)〈その二〉 ――太宰治と芭蕉の間
1 継続課題の確認/2 子どもとは何かを問う視点/3 近世詩にける子どもの発見/4 芭蕉に通底する太宰治の主題意識/5 異端の系譜の原点に位置づく芭蕉
  
第180号(1998.3)〈その三〉 ――芭蕉像変容の契機
1 再読・太宰治と芭蕉の間/2 芭蕉像変容の機転としての〈第二芸術〉論/3 短詩型文学の行方/4 日本文化としての短歌
  
第181号(1998.6)〈その四〉 ――第二芸術論者の芭蕉像
1 課題の再確認/2 主題へ向けて――構成と展開/3 副題としての発句の位置/4 芭蕉三百年祭を照射する西鶴忌/5 近世日本の詩人としての芭蕉
  
第182号(1998.8)〈その五〉 ――第二芸術論者の芭蕉俳諧批判を斬る
1 課題の再確認/2 風雅とは何か/3 文章作法の切り口から/4 近代主義の正体/5 近代主義・素材主義・部分主義
  
第183号(1998.12)〈その六〉 ――人間疎外とたたかう文学(廣末保)
1 新しい課題の発見/2 芭蕉における〈俳諧〉の発見/3 抵抗としての亡命/4 近世文学史の起点
  
第184号(1999.3)〈その七〉 ――民衆詩としての芭蕉俳諧
1 課題の再確認/2 『冬の日』の画期性/3 文学史の中の近世俳諧
  
第185-6号(1999.8)〈その八〉 ――芭蕉一座の成立と展開(廣末保)
1 課題の再確認/2 俳諧の場における個と集団の問題/3 芭蕉一座の成立と再生産過程 
  
第187号(1999.11)〈その九〉 ――〈対象の声なき声〉の源流をさぐる(廣末保・熊谷孝・佐藤嗣男・藤田省三)
1 課題の再確認/2 松のことは松に聞け/3 対象の声なき声に聴く
  
第188-9号(2000.8)〈その十〉 ――〈軽み〉への道程(山本健吉)
1 芭蕉奪還への道筋/2 〈あそび〉の視角/3 戦後十年のしごと/4 歳時記――日本文化の総決算/5 文学史の一環としての鑑賞と批評/6 〈かるみ〉にみる日常性・非日常性
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  佐藤嗣男 南吉童話の成立
第182号(1998.8)(上) 〈倦怠〉の文学としての南吉童話/自己疎外からの脱出口の模索/『権狐』から『手袋を買ひに』へ
  
第184号(1999.3)(中) ――『権狐』と『ごん狐』
「スパルタノート」版『権狐』(一)/「スパルタノート」版『権狐』(二)/「スパルタノート」版『権狐』(三)/「スパルタノート」版『権狐』(四)/「スパルタノート」版『権狐』(五)/「スパルタノート」版『権狐』(六)
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  荒川有史 近世偽書の条件――芭蕉俳論に即して 
第190号(2000.11)〈その一〉 1 偽書の成立事情をさぐる/2 偽書作成と剽窃行為との異質性/3 「真贋の森」が示すもの/4 偽書の判定規準
  
第191号(2001.4)〈その二〉 1 偽書の定義/2 「支考」臭の根源をさぐる/3 芭蕉の遺言書にみる支考像/4 支考に対する同門の拒否反応――其角との対比にみる
  
第192号(2001.8)〈その三〉 1 必要な回り道――偽書の条件を問題にする意味/2 偽書の判定規準/3 同門の拒否反応の多様性/4 支考の衒学性に対する全面否定
  
第193号(2001.11)〈その四〉 1 支考批難ふたつの源流/2 『葛の松原』の成立事情/3 芭蕉と支考との対話/4 芭蕉の批評眼を移調して
  
第194号(2002.4)〈その五〉 1 偽書問題の周辺/2表現理解の方向差と個人差/3 蕉風付合論の起点/4 『去来抄』よりの逆照射/5 去来と支考との対話
  
第195号(2002.7) 〈その六〉 1.偽書づくりの張本人/2.支考の著述とその源流/3.感動に始まり感動に終わる/4.俳諧作法の初歩/5.〈芭蕉種〉にみる主題意識の持続性・一貫性
    
第196号(2002.11) 〈その七〉 1.偽書説の再検討/2.〈おくのほそ道〉歌仙の基本形と変化形/3.芭蕉の評語を手がかりに/4.宗匠と連衆が奏でる交響曲
  
第197号(2003.7) 〈その八〉 1.芭蕉と去来の関係を主軸に/2.去来情報の位置――不易流行の実現/3.創作の動機と文体への定着/4.〈さび〉とは何か/5.蕉門における丈草と浪化の位置
  
第198号(2003.11) 〈その九〉 1.天才の超数学/2.さいごの〈必要なまわり道〉/3.浪化集にみる北枝と支考/4.浪化追悼句集にみる北枝と支考
  
第199号(2004.5) 〈その十〉 1.回り道のおかげで見えてきたこと/2.偽書制作の必要性・必然性/3.支考の方法意識/4.支考俳論の特性/5.ゆたかな〈芭蕉種〉の時間性・構造性
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  福田隆義 文学教育よもやま話  
第191号(2001.4)(1) 文学教師の条件
はじめに/学力低下の元凶/教師は授業で勝負する/教師の主体/私と『一寸法師』
  
第192号(2001.8)(2) まぶしかった新卒先生
はじめに/剣道三段だった新卒先生/若い仲間の組織者/若さの特権を生かした新人/巻き込まれて恩恵に/惚れた強み
  
第193号(2001.11)(3) 私と「学習指導要領」
はじめに/読まれない「学習指導要領」/教育の右旋回にたいする怒り(五八年版)/文教研のスタートライン/国語教育としての文学教育/戦後・新教育のなかの国語科/形をかえた拘束
  
第194号(2002.4)(4) 『サクラ読本』一期生の弁
はじめに/ヒノマルノハタ バンザイバンザイ/『サクラ読本』巻一/神話が歴史/国語には「国民の魂が宿る」?/忠・勇の追体験/一期生のその後
  
第195号(2002.7) (5) 人間が人間として処遇されなかったころ
はじめに/日本は「神の国」だった/軍の「予備校」さながらの中学/地獄への勧誘〈特攻隊員の募集〉/死への訓練/ETV特集「お父さんの髭は痛かった」
      
第196号(2002.11) (6) 文学に力を借りる
はじめに/「暑中見舞い」異変/校長に間違いはないか/理想的兵卒にはなるまい/文学に力を借りる/「学習指導要領」を「試案」に戻せ
  
第197号(2003.7) (7) 教材体系〈自主編成の資料〉として
はじめに/教科書の作品/教科書の定番「作品」/機関誌「文学と教育」を読み返す/【教科書読物教材一覧表】
  
第198号(2003.11) (8) 教科書採択の「今昔」
はじめに/教科書が選べた時期/教師の採択権剥奪/見当違いの抵抗/編集者も悩む
  
第199号(2004.5) (9) 記憶をたどる――「読み聞かせの時間」と民話
はじめに/初めての一年担任/「読み聞かせ」その後/『かさじぞう』と『かさこじぞう』/「笠地蔵」のルーツ
  
第201号(2005.5) (10) 「強制」と「統制」――いつかきた道
はじめに/“私”の形成過程/総仕上げは儀式/国語は「魂の宿る所」か?/シミ抜きと色上げ
  
第202号(2005.8) (11) 三十年めの「学年会」
はじめに/働くおばさん/学年会/仮説実験学習/身についた財産/多岐であった話題
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夏目武子 『平家物語』を読む 《私の教室》 
第195号(2002.7)
声を出して読む/一 下調べが大変/二 意味がつかめてこそ/三 文調の違い/四 グサットくる表現/五 やっと話し合いが/六 旅に出ました/七 課題はたくさんある 
   
第199号(2004.5) その2
――課題をもらう
課題1 これが『平家物語』?/律令体制から庄園体制へ/傭兵から対峙へ――清盛と後白河院の関係/課題2 『平家物語』は発禁にならなかったのか?/課題3 『平家物語』の文体  
   
第202号(2005.3) その3
――私の学習ノート
 
 「年去り年来つて、治承も四年になりにけり」をめぐって/「平曲」と『平家物語』との関係/「矢切の但馬」をめぐって/作者についての一考察/媒介するとは?
   
第211号(2010.4) その4
――私の学習ノート
 
 美しく、滅びる――実盛像 一/一所懸命生きる――実盛像二/実況放送を聞いているよう/「徒歩(徒歩)渡りの先陣」に笑い/動きがある 動画を見ているよう/兼平は義仲を超えた
   
第220号(2014.7) その5
――私の学習ノート
 
『平家物語』の文体的特色/対比すること――重衡と従者・義仲と兼平/マイナスイメージの宗盛と、勇猛なその乳母子/勇将教経の豪快な最期/知盛とその従者の最期/知盛と宗盛/「見るべきほどのことは見果てつ」/平家ハアカルイ 
   
第221号(2014.12) その6
――私の学習ノート
 
◇第一句「殿上の闇討」 忠盛の人物像をめぐって ◇第二句 「三台上禄」 祇園精舎の鐘の声/古典の現代への媒介――木下順二の「無常』感/『平家物語』の全巻朗読――嵐圭史 
   
第222号(2015.8) その7
――私の学習ノート
 
◇第三句「二代后」・第四句「額打論」 二条帝と後白河院/二条帝の「叡慮」/清盛と重盛/後白河院と清盛 ◇第五句「義王」・第六句「義王出家」――「女語り」/第六句「義王出家」 
   
第223号(2015.11) その8
――私の学習ノート
 
◇第七句 殿下乗合(でんかのりあい)」 平家の悪行のはじめなり/用意周到な清盛像の造形 ◇第八句 成親大将謀反/成親の大将所望/鹿ケ谷 俊寛山荘/師高・師経事件 ◇第九句 北の政所請願/さるほどに ◇第十句 神輿振(みこしふ)り 神輿 内裏へ向かう/人間対人間として向かい合う/巻第一を読み終えて  
   
第224号(2016.7) その9
――私の学習ノート
 
◇第十一句 明雲座主流罪 ◇第十二句 明雲帰山 ◇第十三句 多田の蔵人返り忠 ◇第十四句 小教訓(こきょうくん) 
   
第225号(2017.7) その10
――私の学習ノート
  
◇第十六句 大教訓 清盛の胸のうち/清盛はかわいい?/上から目線の重盛/したたかな重盛 一族の中の力関係/平家物語において理想化された重盛の位置 ◇第十七句 成親流罪・少将流罪 備前の児島に流罪となった成親/裁判はあったのか?/成経流罪・成親は有木の別所に ◇第十八句 三人鬼界が島に流さるる事 人の命あるべしと思われぬ鬼界が島/康頼・成経 熊野権現勧請し、帰洛を祈る ◇第十九句 成親死去/残酷な殺し方 ◇第二十句 徳大寺殿厳島参詣/下臣の提言を入れての厳島参詣/すっかりその感激性を見抜かれてしまった清盛 
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  荒川有史 西鶴と芭蕉――ふたりの俳諧師 
第201号(2005.5)〈その一〉 1.ケストナー風の長いまえがき――俳号の行方をめぐって/2.華のお好きな戸坂潤・鶴のお好きな平山藤五/3.芭蕉俳号誕生夜話予告
  
第202号(2005.8)〈その二〉 1.おぼえきれない名前の行列――芭蕉俳号誕生夜話/2.俳号「はせを」誕生の契機/3.漢語調の迫力と字あまりの効用/4.「はせを」とはおれのことかと芭蕉言い
  
第203号(2005.11)〈その三〉 1.長生きは三文の得/2.怠けものにも三分の理/3.「位」を洞察する風狂精神/4.西鶴俳諧への偏見を問い直す  
     
第204号(2006.7)〈その四〉  1.太宰治の語調を借りて/2. 西鶴ふうの連続と非連続/3. 芭蕉さんは百韻がおきらいか/4. 名人は危ういところに遊ぶ/5. あばれところに恋の付句の新機軸
  
第206号(2007.8)〈その五〉 1.論点の再確認から/2.近世俳壇史にみる西鶴と芭蕉の位置/3.矢数俳諧の題材一覧/4.静力学から動力学へ―『西鶴大矢数』の復権
  
第207号(2007.11)〈その六〉 1.前号からの要約/2.俳諧師にみる栄光の数々/3.なつかしき宗匠――宗因/4.西鶴と桃青の共存の時代
  
第208号(2008.7)〈その七〉 1.一行詩にはげまされ/2.好きこそ物の上手なれ、とは言うものの/3.芭蕉の豪語/4.所詮俳諧師、やっぱり俳諧師/5.元禄四年の時空間
  
第209号(2008.11)〈その八〉 1.俳諧における現代の一行詩/2.芭蕉の恋の句――現代史としての俳諧史/3.時間軸よりみた恋の十二句/4.西鶴の恋の句十二/5.元禄四年の時空間
   
第210号(2009.11)〈その九〉  1.さいごのさいごの自己凝視/2.さまざまの品かわりたる恋をして/3.夢を忘れない男と女/4.詩人と小説家の二人三脚/5.恥じらいは教養の尺度
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  森田高志 《私の教室》蔵原伸二郎
第203号(2005.11) (上) ――『定本岩魚』と飯能
はじめに/さいたま文学館のこと/一九五四年八月十五日/邂逅(かいこう)伝説/うらやましい話
 
第204号(2006.7) (中) ――『定本岩魚』と、その周辺
「峠みち」の道しるべ石/高麗(こま)郷・奥武蔵/高校時代からの『岩魚』の読者/「めぎつね」の詩碑/
 
第205号(2006.11) (下) ――『定本岩魚』「狐」六篇に即して
○/おわりに
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