「文学と教育」掲載記事 対象別一覧  唯物論研究会時代の戸坂潤(全集第二巻による)
 戸坂(戸坂潤)理論と どう取り組んできたか。
 
   
文教研・66年度ゼミナール(一) 戸坂理論学習会の発足………文教研理論部会(「文学と教育」第38号 1966.5)
 (…)じつは、サークルのメンバーが共通してめいめいに所持している一冊の本があった。戸坂先生の全著作ちゅうの圧巻『科学論』である。(…)これは、しかしどうも、むずかしすぎて歯が立たないのである。各自、なんべんか食いついてみたのだが、これは、眠られぬ夜のための、よき催眠剤という結果になってしまった。哲学史への、とくに近代哲学史への無知が、そういう結果をみちびく原因ないし理由のひとつという自己診断である。
 これは、どうやら、せめて訳本でなりと、ディルタイやハイデッガー、フッサール、さかのぼってリッケルトたち新カント派のもの、A.コントのものなど、ひとわたりその入口だけでものぞいてみた上でないと、わかるはずがない、ということになった。そこで、さし当って時評的な色の濃い、比較的(これもあくまで比較的の話だが)肩の凝らないものから読みはじめて行って、各自その間に青帯の文庫本にでも当たってみることにし、その上で『科学論』に取り組もうじゃないか、という話し合いになった。
 というのは、この二月に勁草書房から戸坂潤全集の第一回配本がおこなわれ、配本の巻(第二巻)に時評論集『日本イデオロギー論』(一九三六年初版)が収められていることを知ったからだ。この『日本イデオロギー論』が果たして「肩が凝らない」ものかどうか、はなはだ疑問である。が、これでさえ全然お歯に合わないとなったら、以後、でっけえ口はきくな。そういうことで、はじめることにしたのが、こんどの『日本イデオロギー論』学習月間
である。
文教研・一年間の報告………夏目武子(「文学と教育」第39号 1966.7)
(…)論理の問題──自分の哲学史学習の貧弱さなどから、ためらいがちだった戸坂論文の学習にとりくむことにした。四月、五月を学習月間にあてた。勁草書房の戸坂潤論文集刊行をきっかけに、第一回配本の『日本イデオロギー論』がテキスト。正直いって難解であった。熊谷さんに「以後でっけえ口きくな」といわれそうなのであるが、第一回目、熊谷さんに戸坂論文のとき口 を教わる。少しわかりかけると、論文にぐいぐいひきつけられる。論理の美しさみたいなものを感じてしまう。助詞ひとつ、よみまちがえると、ひどいしっぺがえしを受けるのだ。
 「戸坂潤がここで提出している公式・定式は、こんにちでも公式でありうるか」という問い。文献学主義・文学的自由主義・解釈学・日常性・批判と実証との関連……、昭和十年代の問題が今日どれだけ克服されているのか? そして私達自身、知らず知らず陥っている弱さを思い知らされた。個人差はあるが、「よみました」というほど、文教研全体としてわかったとはいえないが、一度戸坂論文を読んだ目で、自分たちの今度の仕事
[第二の著書『中学校の文学教材研究と授業過程』の原稿分担執筆] をふりかえると、熊谷提案を実践的克服できなかったこと、つまり理論的に十分克服していないことを痛いほど知らされた。
  
『科学論』(戸坂潤)ゼミに関する中間報告………文教研/理論部会(「文学と教育」第43号 1967.3)
 ごく普通のいい方をすれば、これは私たちの哲学の勉強会である。が、私たちは、“哲学”ということばを好まない。科学以外に、あるいは、科学でない哲学というようなものは考えないし、必要としないからである。で、それを、いま、戸坂潤にしたがって“思想の科学”と呼ぶとしよう。『科学論』(戸坂潤著)をテキストにしたこのゼミナールは、(前年度における同じ著者による『日本イデオロギー論』の学習会同様)思想の科学の学習と研究のつどいである。私たちの教育実践と運動を理論で武装するための、これは、過去の学問遺産の受けつぎの場なのだ。/私たちは個々に、めいめいに、国語教育研究に関する財産目録をたどって学習をつづけている。国語教育の現在の課題を究明するために、会員個々人の関心と必要に応じて、しかるべくそのように学習がいとなまれているのである。(…)
 そこで、そうのような会員個々人の学習・研究の上に立って、このゼミでは、むしろ既往現在のそれらの教育理論が、思想史ないし思想の科学のどの時点に位置づけて考えられるべきものであるかを、巨視的な視点で見きわめようと、いうのである。相互の協力においてである。そのことで、また、私たちの内がわに巣喰っている、思想史上の前時代的なものを剔抉し克服しよう、というのである。
 いいかえれば、思想の科学の歴史の上で、とうに批判ずみであるはずの思考の方法や発想に足をとられているような面が自身にありはせぬか、ということを少しく徹底して考えてみよう、というのである。たとえばディルタイの著作に関して自分にただ一片の知識の持ち合わせもない、ということが、自己の思考の発想のしかたがディルタイ的でない、ということを保障するものではないからである。
 また、たとえば、言語道具説に関して何の体系的・組織的な知識の用意がないということが、自分自身の言語観が道具説のそれから自由であり得る、ということを約束するものではないからである。
 事態は、むしろ、その反対である。意識的には自己を実在論(リアリズム)の立場に位置づけて考えているつもりであっても、歴史への(したがってまた思想の科学にたいする)無知のゆえに、実はただの素朴実在論や、ディルタイふうの神がかりの追体験主義の立場で強力に自己主張をおこなっている、というような場合が少なくないのである。
 また、たとえば、である。言語道具説と、こういえば、むき になって反対を唱えながら、自分自身の授業の組み方、進め方そのものは道具説の発想以外ではない、というような事例はあまりに多すぎる。
 こうした自己矛盾が、思想の科学の歴史への無知に起因している面のあることは見のがしえないように思われる。少なくともそのような無知が矛盾(自己矛盾)の自覚をさまたげている事実は見のがし得ないのである。
 『科学論』ゼミは、このような自己矛盾の剔抉と対決の場として用意された。芥川龍之介の言葉(『大導寺信輔』)をかりていえば、「本から現実へ」である。こんにちこの只今の、教育課程の改悪(42年度、学習指導要領の改定)を目の前にした「現実」に立ち向かう構えを自身に用意するために「本」をくぐろう、というのである。そういうための「本」として私たちが協議して選んだのが、戸坂潤の偉大な思想的・理論的達成を示す労作『科学論』であった。(…)〈文責/熊谷 孝〉
 
 
文教研一年間のあゆみ………(「文学と教育」第48号 1968.1)
67年─ 1月28日 明星学園 『科学論』(戸坂 潤)第一章
チューターの熊谷孝は、『科学論』ゼミに関する中間報告(「文学と教育」№43)の中で、ゼミの目的をつぎのように要約している。
[前項参照] (…)
 第一回は、科学の予備概念(科学以前と自然科学の成立について)。
 はじめはウンウンと読みすすめていっても、途中からいくつも疑問がわいてくる。が、ひとつひとつの疑問に立ち止まっていると、永遠に『科学論』を読みおえることができない。とにかくおしまいまで行くことが大事だ、というのが熊谷先生のご指摘。また、うなづけないとすれば、こっちに問題があると、まず考えるべきだとも言われた。故戸坂潤先生の「偉大な思想的・理論的達成を示す労作」への信頼と敬意が、そのことばには、こめられている。ところで、チューターの熊谷先生は、こうした性質の本を読みすすめていく場合、「要約する読み方」が有効であることを示唆された。事がら主義に徹し、どうしてもひっかかるところで、しらべるという方法である。私たちの要約の仕方をとぎすますために、第一章に即してめいめい要約されてみてはいかがであろうか。段落指導の切り口では、つかめない何かが発見できるかどうか。ご参考までに、チューターの要約を。
 1) 学問・芸術・技術の未分化。
 2) 学問は、芸術ないし技術の一部分。
 3) 学問は、道徳ないしは宗教の一部分。
 4) 現代では、学問の自律性が問題。
 5) 近代的学問の特色~科学の尺度としての自然科学。
 6) 自然科学の特色を語る事で、科学の特色を語る。実験。
 7) 実験と観察の歴史。
 8) 科学の立場──客体を運動として把握する。“予見するために見る”、そのための実験。
 9) 実験は実証のための立場。一定の予見を実証するための科学的操作。
 10) 現代ブルジョア科学への批判として、“科学”とは? が問われる。形式論理的な“科学と哲学”論批判。
 11) 価値と実在、哲学と科学。
 12) 科学が哲学にすりかわる。客観的説明にかえるに主観的解釈をもってする。
 13) 観念論の側の哲学観とその批判。哲学は集合名詞ではない。ブルジョア哲学の二刀流を斬る。
 14) 社会科学にわりこむ“哲学”。
 15) 科学の理想像、唯一性、単一性。唯物論。
 16) 方法と体系──知覚、感覚、認識、etc.
 
〈文教研告知板〉戸坂ゼミの開始(「文学と教育」第60号 1969.10)
 若手(?)グループで、定例研究会以外に、戸坂理論の学習会をはじめました。テキストは『日本イデオロギー論』。むずかしい、むずかしい、言いながら、この山を登りきれなければ、文教研の名折れとばかり、かたいティーム・ワークのもとにがんばっています。
 
『日本イデオロギー論』(戸坂潤)をテキストにした戸坂理論学習会の報告………椎名伸子(「文学と教育」第61号 1969.12)
1 学習会のめざしたもの
 いつも、いつも、文教研の例会で、自分が、「実際問題の実地の解決のために、その理論を首尾一貫して展開できるところの、包括的で統一的な観念のメカニズム」(戸坂潤によればこれが思想だ)を持っていなければ、教育者としても、文学研究者としての自分もありえないことを、きびしく、感じていたうちのいく人かが、よりあつまり、突貫工事でもいい、とにかく何かを読んで、文教研の理論水準に追いつこうではないかと始まったのが、この「戸坂理論学習会」である。
 文教研では、過去二回、戸坂潤の論文をテキストにしたゼミが行なわれている。第一回は、『日本イデオロギー論』、第二回は、『科学論』である。そして、それにつづく第三回目として、前回のゼミに参加していないメンバーを主として、早く、集中的に、みんなではげましながら、読み合おうとして、『日本イデオロギー論』がテキストに決まった。自分の実践と思想を変革していく武器として、「自由主義とファシズムの間に、万里の長城はない。ファシズムと真に対決しうるのは、唯物論だ。」という戸坂潤のこの論文集は、有効であろうと思ったからだった。ほんとうに書いた人の思想がわかるためには、論文集や評論集を読むべきであると、戸坂潤もいっている。書いた人の「粒粒たる苦心と混乱克服との跡」を「丹念に読ん」でいけば、考え方や思想の見当がつく。われわれも、戸坂潤の思考過程をたどってみようというわけだ。そのことが、自分がしらずしらずに、「解釈学的国語教育」の立場をとった教室実践をすすめたりしていることに、自分で対決する武器を身につけることになるであろうと思ったからだった。

2 学習会の経過
 第一回 十月七日(火)
 序論 現代日本の思想上の諸問題──日本主義・自由主義・唯物論
 報告者 S.F. S.N.
 第二回 十月十四日(火)
 二、「文献学」的哲学の批判── 一、文献学の哲学への発達 二、文献学主義にたいする批判の諸原則
 報告者 K.M. S.T.
 第三回 十月二十五日(土)
 一一、偽装した近代的観念論──「解釈の哲学」を批判するための原理に就いて
 報告者 O.M. S.R.
 第四回 十一月四日(火)
 七、日本倫理学と人間学──和辻倫理学の社会的意義を分析する
 報告者 S.F. S.N.
 第五回 十一月十五日(土)
 十五、「文学的自由主義」の特質──「自由主義者」の進歩性と反動性

 以上のような各章をとりあげて、ほとんど、毎週の火曜日と土曜日に行なわれた。(…)

3 学習会を終わって
 私が、この学習会に参加したことの大きな収穫は次のことである。
 それは、ほんとうの学問とは何かを、考えさせられたこと。私が高校、大学をとおして、学んできたのは、第七章で、戸坂氏が批判している和辻倫理学(『人間の学としての倫理学』)に典型的に現われているように、「倫理」という言葉の意味、「人間」という言葉の意味、「世間」あるいは「世の中」という言葉の意味といったふうに、「言葉の文義的、語義的解釈を手がかりとして、『学術的』分析が始められる」ような学問ではなかったのか。それに対して、戸坂潤の論文は、和辻倫理学を批判しながら、「首尾一貫した論理」をみごとに展開している。そして、この時代に主たる社会的勢力として大きく「常識」となっていた日本ファシズムを痛打しているのである。
 またもうひとつは、自分がほんとうに、戸坂理論を身につけて、生きた自分の思想とするための勉強の方法のことである。それは、戸坂潤の批判している文献を自分の力で読んでみて、戸坂潤のように、適切にしかも、相手の思想を克服する形で批判できるかどうかを自己検討してみることである。こうした意味で、私はほんとうに入口に立ったにすぎない。しかし、全メンバーが、五回目の学習会で、今まで学んだものを総括しながら、『戸坂潤全集』の全五巻を早く読了しようと話し合ったことにはげまされながら、自分の武器として、戸坂理論を学んでいきたいと思っている。熊谷先生は、この戸坂理論の上に、第二信号系の理論や、文芸学の成果をふまえて、言語観、文学観を確立されたのだから、私たちも、熊谷理論をほんとうに学ぶためには、「論理を首尾一貫して展開できる観念のメカニズム」を身につけなくては成らない。
  
文教研リポート/問題別研究会から………(「文学と教育」第73号 1972.3)
戸坂潤を読む会
 “現代史としての文学史”をわたしたちの手に、ということで、ランガー論文や各自の大学の卒論などを検討してきたわたしたちは、12月例会のテーマ「“文学史/一九三六年”へのアプローチ」に少しでもアプローチしたいということで、戸坂潤の研究会を発足させた。戦争体制へとすべてが傾斜していったあの暗い時代に、毅然とした態度で精力的に活躍した唯物論哲学者・戸坂潤は、また、いうまでもなく文教研理論にとって大変縁の深い人なので、参会者の期待は大きかった。
 第一回は11月16日。テキストは「思想としての文学──付二、所謂批評の『科学性』についての考察」(戸坂潤全集第四巻)であった。数頁の小論文ではあるが、学ぶことが多くて、とても一回では終わらず、続いて12月5日に第二回の会をもった。両方とも八名の参加で全員が存分に意見を吐き、充実した研究会だったと思う。「単に文芸批評だけではない。総ての評論風の批評は直接感受した印象の追跡を建前とする。……」冒頭から、わたしたちは緊張する。そして、「印象」とは、「科学的批評」とは、とくんぐん深められる。その展開の仕方が実に明快なのだ。著者がどんな時代に、どんな読者に向かって書いたものか、これは論文においても大事だというおさえで始めたが、今後も、よりいっそう場面規定をおさえながら、戸坂理論の研究を進めていきたいと思う。(杉浦 寿江)
    
文学史一九三六年へのアプローチ――戸坂潤の場合………(「文学と教育」第74号 1972.4)
 三月十一日、武蔵野公会堂において三月例会が開かれた。この例会のねらいは、二つにしぼることができる。一つは「文学史一九三六年へのアプローチ」の一環として行なわれた十二月例会での問題をさらに発展的に追究すること。もう一つは、文教研・春の合宿における基本的研究姿勢として、戸坂潤の理論を検討すること。杉浦寿江さんと高沢健三さんによる報告をうけて、討議の柱は次の二点にしぼられた。
 ① 戸坂潤の自由主義批判と「認識としての文学」との関連について。また、それが文教研理論にどう受け継がれているか。
 ② 文教研でこれまでに検討を重ねてきた太宰治や鶴田知也等文学者の自我と科学者の自我の共通点と相違点について。
 ①については、戸坂理論から文教研理論への発展的継承ということがさらに強く再確認された。認識としての文学、つまり、「私たちのイマジネーション理論は、あくまで認識論の一環である」というイマジネーション理論の確立(「文学と教育」70号「基本用語解説」参照)。文教研におけるこのイマジネーション理論は、戸坂理論の積極的な発展として受け継いだものであった。
 ところで、このことは、戸坂潤がきびしい歴史的状況の中で、自由主義の本質(正体)をあばきながら、自己の理論を展開したその闘いの継承ということをぬきにしては考えられない。歴史的な闘いの中での自由主義批判は、科学からの独立を唱える文学主義の否定に直結している。文学主義否定の上に立って、概念的認識と形象的認識の相互作用による認識活動の二側面(前掲書参照)を文教研理論はうちだしている。
 ②については、まず、冬期合宿で提案された「作家の二つのタイプ」について検討。
 文学史一九三六年というテーマにそった場合、孤立化の中で強じんな精神をもち得た作家太宰治の自我と、同じ危機的状況の中で、ますます唯物論研究を強化していった科学者としての戸坂潤の自我とはどこに共通点があるのか。科学者戸坂潤の自我を「無数の相異なる自我の中の一つ」と抑えたことで、自己を小さく抑える型の作家との間に「主観自体による主観的制約からの脱却」と、それによる「対象的世界のまっとうな反映」を共通にし得たこと。つまり、両者は自我をつき放し、自我を絶対化しないという基本的な姿勢が貫かれている。自我を絶対化したところには自由主義や文学主義しか行く道はない。
 こうした問題から、描写文体と説明文体をどうおさえるか、文体として追究していくことがさし迫った課題であるとして、討議は結ばれた。  (山崎 宏)
  
「所謂批評の『科学性』についての考察─ 一つの中間報告として─………夏目武子(「文学と教育」第151号 1990.3)
はじめに
 冬季合宿研究会(一九八九年十二月二十六日~二十八日)で、熊谷孝『文体づくりの国語教育』(一九七〇年刊、以下『文体づくり』と略記)を参加者全員で、リレー形式ではあったが、とにかく一冊読み了えた。集団で一つの仕事を成し遂げるエネルギーを感じた。それとともに、十一月、十二月例会でとりあげた戸坂潤「所謂批評の『科学性』についての考察」(一九三八年一月発表、以下「批評の『科学性』」と略記)を発展的に受け継ぐとは、どうすることなのかを実践的につかむことができた。『文体づくり』には「批評の『科学性』」からの引用が九箇所にわたってなされている(荒川有史氏作成の索引による)。その引用の仕方は、戸坂論文のもつ積極的肯定面を全面に押し出し、その時点では未解明であったことを、ごく自然な形で補っての引用というスタイルである。その発想が初めて提示されたことへの敬意と、それを発展的に受け継ぐとこうなるのであろう、ということが統一的に記されている。戸坂論文の積極面とは、文学を実在の認識と考えること、したがって、芸術的印象は系統的な認識論を想定した上で追跡されるべきだ、云々にあるだろう。
 十一月、十二月の例会で「批評の『科学性』」を文章に即して読み合ったとき、私自身はこの論文に対し前に読んだときとは異なる印象を受けた。いわば、そのマイナス面に目が向いたのである。この論文が発表されてから、すでに半世紀以上経っている。その後の研究(特に第二信号系の理論の研究)の深まりの中で、修正されることがあっても当然であろう。今日の読者が、この説明文体の文体的刺激に対して、どう反応するか、という問題である。論理の完結者もまた読者である。何がマイナス面なのか、例会の話し合いの中で明確になってきたのであるが、マイナス面にも脱帽する必要はない。何がマイナス面か、何が発展的に受け継ぐべき問題なのかを明確にすることが、読者の課題となろう。
 『文体づくり』は大きな示唆を与えてくれる。「批評の『科学性』」は、文学の科学の歴史に、大きく位置づけられなければならないと思う。どう位置づけるのか、私の準備はまだできていない。この稿はその中間報告と受け取っていただきたい。

「文芸学への一つの反省」を手がかりにして
 「批評の『科学性』」がどんな意味を持つのか、説明文体にも場面規定が必要と思う。この論文が発表された時点の国文学界の状況を知る手がかりはないだろうか、そんなことをあれこれ考えていたとき、一九三六年に発表された「文芸学への一つの反省」(熊谷孝、乾孝、吉田正吉)を想起した。読み直してみて、大きな問題提起があると思うのだが、ここでは「場面規定」をつかむ上で私の問題意識を喚起した点に焦点をしぼって、紹介したいと思う。(…)

 「文学の科学」という概念が熊谷孝氏によって提示され、例会でそれをごく当り前のように口にしている私たちであるが、半世紀前においては「文芸学を科学的に体系づけ」ようとする気運が高まってきている状態であった。(…)

 作者が意図した〈送り内容〉と、実際にその作品の表現のありようが示している〈送り内容〉と、その表現から読者が理解した〈受け内容〉、この三つを混同してはいけないこと、読者と無関係に作品をそれだけで完結したものと考えてはいけないこと。今回読み直して、こうしたことがすでに明確に示されていることに対し、感動を覚えた。さらに、「批評の『科学性』」のマイナス面というのは、こうした文学観を欠いたところから生じるものではないか、と考えられるようになってきた。
 「批評の『科学性』」においては、「文芸学」という言葉で社会科学としての“文学の科学”が模索されている。ディルタイ(その系譜につながる岡崎義恵)などの存在論の立場に立つ文芸学を否定し、認識論の立場に立つ文芸学が模索される。大前提が明確にされたことの意味は大きいが文学的認識についての説明は不十分である。
 熊谷孝氏たちが鑑賞主義は否定しているが、鑑賞まで否定しているのではないことが、一年後のその[「文芸学への一つの反省」の]「補遺」の中で強調されている。「鑑賞をまって芸術作品がはじめて芸術たりえるのはもとよりのことだ。私どもは、芸術作品は見る者の準体験としてはたらき、爾後のよりよき実践へと彼を駆り立てたとき、はじめて使命をおわるものだと規定しているが、そのためにも鑑賞はなくてはならぬ手続きなのだ。私どもは、そんな意味での“鑑賞”をまでしりぞけたのではない。」(…)
 「学問というものは、よりよき実践のためのより正しい認識の整理をこそ目的にするものだ」ということが強調されて、「文芸学への一つの反省」は終わっている。

印象の追跡
 文教研が主張している社会科学としての“文学の科学”。その文学の科学を探るには、鑑賞主義のもつえせ 科学性を克服しなければならない。「批評の『科学性』」においては「全ての評論風の批評は直接感受した印象の追跡を建前とする」と、「印象の追跡 」が強調される。「印象はそれを感受する人間の感覚的性能如何によって大変違ってくる。印象とは刺激に対する人間的反作用のことである」。「印象自身と印象の追跡ということとは、ハッキリ別のことではない」。「もし一遍カッキリの印象を直接印象と呼ぶなら、ここで問題になる印象は、必ずしも直接印象ではないと云わねばならぬ。(略)念を押され確かめられ点検された印象なのだ。即ちこの印象は実はすでに追跡された印象だ」。
 「印象の追跡」という概念は、『文体づくり』において発展的に受け継がれ、後述するように文教研理論として大きく位置づけられている。だが、「批評の『科学性』」においては、逆にその限界性が指摘されている。この限界性を克服するところに批評の科学性が保障される、という論脈のように私は読みとった。以下、論脈をたどってみよう。(…)

今日の時点で考えること
 文芸学を科学的に体系づけようとする気運が高まってきた時代に、
[岡崎義恵『日本文芸学』のような]精神科学としてのそれではなく、社会科学としての文芸学が模索されている。アクチュアリティーとはこのようなことであろう。それはまた今日の問題でもある。この他、「批評の『科学性』」には、例会の話し合いで確認されたことなのだが、いたるところに宝石のようにきらきら輝く概念が示されている。例えば──「システムと云えば不動な屋台骨だろうなどと考えるのは下等な常識でそんなものは組織力を持たないからシステムではない」。システムが動的過程的なものとしてとらえられている。また「教養は身についたものでなければ本物ではあるまいが、併し身につくまでは大いに自他によって教育されたものだ。」「批評家の精神は時局性の精神である」云々。「文芸は裸の思想へ肉をつけたものではなくて、夫自身思想を材料とし思想を形式とするものだ」。もちろん、「印象とは刺激に対する人格的反作用のことである。」「印象はすでに追跡された印象である。」「印象の追跡が一般に批評だ」云々は云うまでもない。
 しかし、前項のように論理をたどってみると、今日の私たちにはしっくりいかない点がある。「批評の科学性という観念が持っている形式的 な特徴について検討してみただけ」と限定されてはいるが、記述されている範囲で納得できない点をあげてみる。(…)

 今いくつか列挙したことに共通していることは、主観、客観のとらえ方、そこから生じる文学観の違いにあるように思われる。例会の話し合いが次元を高めた形で整理されている「文教研ニュース」(執筆:№416, 417山下氏、№418, 419樋口氏)を参照しながら、このことを考えてみたい。
 「パブロフの第二信号系の理論(最初の邦訳刊行は一九五九年)は、大脳生理学と心理学の両側面から弁証法的反映論が唯一の確かな認識論であることを実証した。」「コミュニケーション理論とイマジネーション理論とを、この第二信号系の理論の視点から統一することで、文教研の文芸認識論が形成される。」「私たちが考える弁証法的反映論は“相互主観性による反映”である。objective(客観的)とはObject(対象、事物)をどうつかむかというSubject(主観)の問題だ。」SubjectなしにObjectは出てこない。単なる「私」というSubjectがどうとらえるか、ではなく、この「私」は「私たち」を反映している。〈私の中の私たち〉が変わることで〈私たちの中の私〉は変わってくる。相互に反映し合う複数の主観。「相互主観性による反映」を私たちは弁証法的反映と考える。フッサールの提示した概念を有効に組み替えて使っているのだが、戸坂氏は「現象学」を否定する立場から「相互主観性」の概念もintersubjectiveな低次のものとして否定している。私たちは主観を大事にし、その“主観のあり方”を問題にしている。したがって「非主体的な抽象力」はあり得ないと考えるし、もしあったとしても、それは役に立たない」ものと考える。「インターサブジェクティヴな(相互主観的な)客観性」と「それ以上の客観性」(世界的実証)というようにランクづけをしているのも問題だ。
 「戸坂氏は、印象の追跡が批評だ、というかぎり主観を大事にしており、私たちと同じだ。が、最後には主観を否定してしまっている。文芸は実在の認識だ、と仰言るが『抽象力の働きが普遍必然性をもたらし得る』という場合の『普遍』の概念内包はどのようなものか? 〈一般〉との対比で〈普遍〉がとらえられなければならない。」「印象の成立における教養の役割について述べられており、それは〈私の中の私たち〉につながると思うが、ここには〈準体験〉概念がない。」「読者代表が一般読者へ作品を紹介し見方を先導するのが批評だという考え方は、本来の読者の体験をくぐって媒介する、という私たちの媒介の論理とは異なる。ヘタをすると“読み方教育”に陥りかねない弱点を含んでいる」。ここでいう作品とは何を指すのだろう。作者の意図としての〈送り内容〉なのか、読者の〈受け内容〉なのか。作品はそれだけで完結するのではなく、読者の準体験によって再創造される、という「文芸学への一つの反省」に示された文学観とは異なり、「客観主義へつながる危険をも含んでいる」と言えよう。

発展的に受け継ぐということ
 第二信号系の理論以前、反映論が仮説としてしか提示できていなかった時代に、文学もまた実在の反映(認識)であるという指摘がなされた。今日「コミュニケーション理論とイマジネーション理論とを、第二信号系の理論の視点からのある統一の足場」(『文体づくり』)が用意された時点で、戸坂潤氏を内なる仲間、〈私の中の私たち〉としてあたため、対話する。こんな弱点があると指摘するのがねらいではなく、半世紀後では、こうなりますね、とテーゼを出すこと、それが発展的に受け継ぐということだろう。その典型例を先に記したように、私は『文体づくり』に見出した。できるだけ原文のまま、引用しようと思う。

 「どういう意味にもせよ、批評という行為・活動は印象の追跡以外のものではないということを、わたしは戸坂潤に学んだ。すなわち、印象の追跡としての批評だけが、自己の実感を支えとしながら、その実感の検証を通して実感をこえる(つくり変える)ことを可能にする、ということである。(略)印象の追跡による、きびしい自己の実感の監視を前提とすることなしには、あすの想像力理論の発展を期待することはできないのである」(『文体づくりの国語教育』55ページ。/注、実感とは、自己の想像的意識に与えられた実感のこと)。(戸坂論文からの引用のあと)「文学も認識であるというリアリズム文学理論の仮説(今日ではもはや仮説と云わなくてもいいのかもしれない)に立っていうなら、その認識の特徴は想像的認識による実在の認識、しかも“ことば”の加工による想像的認識である、という第二の仮説に立ってわたしたちはイマジネーションの問題を考えてみてはと思うのだが、どうか。それがどういう“ことば”の加工であり操作であるのか?……その点が、つまり、言語芸術に関する想像力理論の核になる問題なわけだ」(前掲57ページ)。
 「印象の追跡としての総合読み」という
読みの理論、方法原理に定着することで、印象の追跡という概念の有効性が、いっそう明確になる。「文芸学を科学的に体系づける」という場合の「科学性」のありようが明確になってくる。
 「意識しているといないとにかかわらず、文章の読みはすべて印象の追跡による総合読みにほかならない。が、それを教師自身ハッキリ意識化してつかみ、また、そのそれぞれの段階、時限に応じてそれなりに、子供たちにも徐々に意識化させていくことで、受け手自身による印象の追跡(=点検)のしかたを確実なものにする指導が、ここに云う総合読みということなのである。(略)端的に言うと、それは次のようなことだ。子どもたちが、さきざき、自分ひとりになっても、ナカマを内に暖め、中なるナカマを入れ替えながら(つまり発想を組み替えながら)、いろんな文章を確実に読み、自分の実践の方向を自己規制することができるような人間にするための指導ということである。そのために、自己規制のきく文章の読み、作品の鑑賞を実現させなくてはならないが、そういうためにこそ、たとえば、中学校後期の段階では文学理論や文学史学習、表現学習を文学学習指導体系の中にハッキリ位置づけて考える必要がある、と考えている」(前掲223ページ)
 総合読みの定義を紙幅の関係で後半のみ引用する。
 
③ それは、自己の発想をことば(文章)に結びつける過程で、自己の発想のしかた自体を点検し、確かなものにする読みである。言い換えれば、その発想のしかた自体を変革することで、究極においては発想そのものを変革する読みである。
④ それは、表現・記述の過程(=読みの過程)をたいせつにする読みである。すなわち、ことばの継時性における文章の部分と全体、全体像との関係を、それの言表の場面規定 を押え、自分自身の遠近法の調節において主体的につかみとろうとする読みである。
⑤ 総合読みの基本的な特性は、文章の対象的性質──文体的特性──に応じて読みの方法を自己規制していく読みである、ということである。(前掲224ページ)

 文学教育論の側面を含み込むことで、ごまかしがきかない、というか、その概念が実践的にどう有効なのか、ということまで煮つめられている、と私は思う。相互主観性による反映を、読みの方法原理として考えるとこうなる、というものが出ている、と思う。印象の追跡としての総合読みは鑑賞主義を克服する読みの方法原理であり、この読みの方法原理に立つことによって、文学の科学は保障される、と言えよう。〈文学の科学〉という概念は文教研第37回全国集会の講演で熊谷孝氏が提示したものである。詳しくは本誌一四六号をご参照願いたい。
 
文教研・東京例会彙報………(「文学と教育」第152号 1990.6)
□一九八九年十一月第二例会(25日)
・戸坂潤「所謂批評の『科学性』についての考察」を読む(一)
〈司会〉A.Y. 〈提案〉熊谷孝 〈報告〉N.T. K.T.
□同十二月第一例会(9日)
・戸坂潤「所謂批評の『科学性』についての考察」を読む(二)
〈司会〉A.Y. 〈報告〉K.T.
  
日中戦争下における芸術認識論の探求(一)………井筒満(「文学と教育」第206号 2007.8)
日中戦争下における芸術認識論の探求(二)………井筒満(「文学と教育」第207号 2007.11)
戸坂潤と熊谷孝〈上〉 ………井筒満(「文学と教育」第227号 2019.7)
戸坂潤と熊谷孝(2) ………井筒満(「文学と教育」第228号 2020.10) 
 
  
  

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