「文学と教育」掲載記事 対象別一覧   
 児童文学と どう取り組んできたか。 『空気がなくなる日』初出誌「子どもの広場」。表紙は村山知義。
 
   1950年代  
《実践記録》「倍の倍も、ぼくはしあわせです」――『にあんちゃん』と新橋の子………小川勇(「文学と教育」第9号 1959.7)
   
   1960年代  
『馬鹿はひとりで』について………塚原亮一(「文学と教育」第15号 1960.4)
《児童文学の系譜》巌谷小波とその周辺………巌谷栄二(同上)
《児童文学の系譜》「赤い鳥」前後………関英雄(同上)
『空気がなくなる日』を実践して――未分化の段階・三年生に………福田隆義(「文学と教育」第17号 1960.8)
『空気がなくなる日』をどうとらえたか――五年生の場合の実践報告………篠原由喜子(同上)
《教材研究とその実践》『おかあさんの手のひら』………福田隆義(「文学と教育」第21号 1961.7)
『アンネの日記』をめぐって………浅井芳江(同上)
《六月研究例会報告》『次郎物語』………蓬田静子(同上)
『ごんぎつね』を扱って………木村敬太郎(「文学と教育」第26 1921.11)
『きゅうり』の授業………佐伯昭定(「文学と教育」第27号 1963.4)
表現理解の方向差・個人差――『虔十公園林』をめぐって………福田隆義(「文学と教育」第28号 1963.5)
《教科書文学教材の再検討》『ごんぎつね』のばあい………山田松次(「文学と教育」第30号 1963.10)
《教科書文学教材の再検討》教科書教材のウラをさぐる………福田隆義(同上)
『手ぶくろを買いに』をどう評価するか………佐伯昭定(「文学と教育」第31号 1963.12)
《学習指導体系案》『空気がなくなる日』………福田隆義(「文学と教育」第32号 1964.3)
《報告》『りょうしと金のさかな』(4年)………佐伯昭定(「文学と教育」第34号 1965.8)
マーシャとくま』――小学校低学年の授業………福田隆義(「文学と教育」第39号 1966.7)
アンデルセン童話『皇帝の新しい着物』を三年生で扱ってみて………寺坂みさよ(「文学と教育」第42号 1967.1)
児童観の問題と文学教育〔1967.4.30放送、NHKラジオ教養特集番組「児童観の推移と日本児童文学」の再構成………熊谷孝、夏目武子、大内寿恵麿(「文学と教育」第45号 1967.7)
『牛づれ兵隊』をめぐって………芝崎文仁、郷キミ子、黒川実、荒川有史(「文学と教育」第55号 1968.12)
《児童文学史のためのメモ》『牛づれ兵隊』における作家の印象の追跡………黒川実(「文学と教育」第57号 1969.4)
巌谷栄二氏を悼む………(「文学と教育」第61号 1969.12)
   
  1970年代    
国語科の授業構造――小学校1年生の場合(『おおきなかぶ』他)………椎名伸子(「文学と教育」第64号 1970.6)
《授業の構造化――『牛づれ兵隊』に即して》児童文学の視点から………福田隆義(「文学と教育」第65号 1970.8)
《授業の構造化――『牛づれ兵隊』に即して》作者の手紙と印象の追跡………郷キミ子(同上)
《授業の構造化――『牛づれ兵隊』に即して》「点と線・ゲリラの中」をどう媒介するか………芝崎文仁(同上)
ジェット機の騒音の中で――第19回集会の成果と課題………関根礼子(「文学と教育」第66号 1970.11)
《教材化の論理》甘っちょろいヒューマニズム――『月の輪ぐま』の世界………福田隆義(「文学と教育」第67号 1971.1)
芥川の児童文学作品――成人文学との関連………山下明(「文学と教育」第76号  1972.8)
《資料》児童観の推移と日本児童文学………熊谷孝(同上)
芥川龍之介『杜子春』の総合読み………夏目武子(「文学と教育」第77号 1972.11)
芥川龍之介『杜子春』の教材化………大島志津子(同上)
仲間と学んだ芥川児童文学………安田清子(同上)
《作品把握の問題点》岩倉政治『空気がなくなる日』………佐伯昭定(「文学と教育」第81号 1973.6)
文教研『空気がなくなる日』研究史………福田隆義(同上)
《文学教育の原点をさぐる》児童文学とは何か………佐伯昭定(「文学と教育」第82号 1973.8)
《資料》『空気がなくなる日』の総合読みのために――熊谷孝『文学序章』第三章・作家と享受者………(同上)
『ドリトル先生アフリカゆき』案内………佐伯昭定(「文学と教育」第97号 1976.8)
井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカゆき』………佐伯昭定(「文学と教育」第101号 1977.8)
寒川道夫先生のご逝去を悼む………福田隆義(「文学と教育」第102号 1977.11)
再考“文学教育とは”――『大きなかぶ』を例として………福田隆義(「文学と教育」第105号 1978.8)
『あたたかい右の手』と『空気がなくなる日』――“わかる”ということ………佐伯昭定(同上)
《私の教室》『太陽は四角!』をどう読んだか――高校での実践から………樋口正規(「文学と教育」第106号 1978.11)
『あたたかい右の手』の作品把握と教材化――教師自身のメンタリティーを問いながら………篠崎君子(「文学と教育」第107号 1979.2)
《私の教室》『人間の歴史』………福田隆義(同上)
    
  1980年代
民話の教材化――『笠地蔵』を事例に………福田隆義(「文学と教育」第111号 1980.2)
《例会報告》『藤村の童話』の教材化………宮沢薫(「文学と教育」第112号 1980.5)
《私の教室》『かさじぞう』――私の授業モデル………宮沢薫(「文学と教育」第114号 1980.11)
《私の教室》『藤村の童話』――失敗した教材化………奥津志津子(「文学と教育」第116号 1981.5)
アメル先生は、はたして、“他人の言葉を強制する加害者”だったのか――蓮見重彦氏の『最後の授業』否定論への疑問………佐藤嗣男(同上)
『藤村の童話』の再発見………宮沢薫(「文学と教育」第117号 1981.8)
民話の教材化をめぐって――東京⇔広島、往復書簡………福田隆義、中野斉子(同上)
《私の教室》『太陽は四角!』の教材化――小学校高学年………川浦節子(「文学と教育」第119号 1982.2)
《私の教室》対話精神に満ちた文学――『杜子春』………芦部寿江(「文学と教育」第120号 1982.5)
『空気がなくなる日』の授業………香川智之(同上)
《ブック・レビュー》ヤジの少年時代/戦争中の暮しの記録/遙拝隊長/人間の歴史………夏目武子(同上)
『不思議なかみそり』と『鱧の皮』――上司小剣………福田隆義(「文学と教育」第121号 1982.8)
『稲熱病』と『空気がなくなる日』――岩倉政治………樋口正規(同上)
『空気がなくなる日』――児童文学史の中の位置づけ………尾上文子(同上)
児童文学もまた“文学”である――『不思議なかみそり』と『空気がなくなる日』の検討………佐伯昭定(「文学と教育」第122号 1982.11)
《文学史の中の児童文学》『かさじぞう』………福田隆義(「文学と教育」第123号 1983.2)
《文学史の中の児童文学》『空気がなくなる日』………夏目武子(同上)
《資料》岩倉政治『空気がなくなる日』を語る………(同上)
《国語教育講座・第一回》母国語教師の条件………夏目武子(「文学と教育」第124号 1983.5)
《私の教室》『太陽は四角!』の教材化………川浦節子(同上)
《文学史の中の児童文学――芥川の場合》『杜子春』………芦部寿江(同上)
《文学史の中の児童文学――芥川の場合》『蜘蛛の糸』………佐伯昭定(同上)
《文学史の中の児童文学――芥川の場合》『トロッコ』………村上美津子(同上)
《文学史の中の児童文学》『藤村の童話』………宮沢薫(「文学と教育」第125号 1983.8)
《文学史の中の児童文学》私と児童文学………山上英男(同上)
『最後の授業』奪還――井筒論文を読んで………香川智之(「文学と教育」第126号 1983.11)
芥川と児童文学――『蜘蛛の糸』から『杜子春』へ………山下明(「文学と教育」第127号 1984.2)
《国語教育講座・第三回》自主編成の立場に立って――『十五少年漂流記』『走れメロス』を中心に………夏目武子(同上)
民話『かさじぞう』の文学史的考察………駒井美恵子(「文学と教育」第128号 1984.5)
井伏文学と児童文学――『ドリトル先生アフリカゆき』を中心に………福田隆義(「文学と教育」第131号 1985.2)
《私の教室》小学校低学年の文学教育――『かさじぞう』を中心に………川浦節子(同上)
《春夏秋冬》『空気がなくなる日』の映画化………(同上)
《私の教室》『十五少年漂流記』を教材化して………児玉晴子(「文学と教育」第133号 1985.8) 
《私の教室》対話の条件………荒川有史(同上)
《私の教室》『おおきなかぶ』――小学一年………中野斉子(「文学と教育」第134号 1985.11)
絵本を媒介とした障害児とのかかわり(一)――子どもたちとの出会い………荒川由美子(「文学と教育」第135号1986.2)
テキストを選んで読む権利――『山椒魚』と『おおきなかぶ』………佐藤嗣男(同上)
絵本を媒介とした障害児とのかかわり(二)――教材化のむずかしさと楽しさ………荒川由美子(「文学と教育」第136号1986.5)
《続国語教育講座 第二回》ことば体験の端緒的成立を確かなものに――『おおきなかぶ』を中心に………福田隆義(「文学と教育」第137号 1986.8)
絵本を媒介とした障害児とのかかわり(三)――絵本『おおきなかぶ』を読む………荒川由美子(同上)
絵本を媒介とした障害児とのかかわり(四)――なぜ、「障害児に文学を」なのか………荒川由美子(「文学と教育」第138号1986.11)
《続国語教育講座 第四回》長編の教材化――井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカゆき』を事例に………福田隆義(「文学と教育」第139号 1987.2)
《続国語教育講座 第六回》素材主義の克服を――教材選択『あんじゅとずし王』をめぐって………福田隆義(「文学と教育」第141号 1987.7)
《続国語教育講座 第七回》『ヴィーチャと学校友だち』――長編の特質を生かして………福田隆義(「文学と教育」第142号 1987.11)
《私の教室》一人対四十三人――『飛ぶ教室』にふれて………荒川由美子(「文学と教育」第143号 1988.2)
《続国語教育講座 最終回》民話の教材化――絵本としての『かさじぞう』………福田隆義(「文学と教育」第145号 1988.7)
《私の教室》教科書を読んで、悩み、考えたこと………夏目武子(同上)
子どもに精神の自由を………荒川由美子(「文学と教育」第146号 1988.11)
子どもに精神の自由を――「モモからのメッセージ」………荒川由美子(「文学と教育」第147号 1989.3)
子どもに精神の自由を――「モモ」の再読………荒川由美子(「文学と教育」第148号 1989.7)
   
  1990年代
子どもに精神の自由を――死者との語らい……荒川由美子(「文学と教育」第151号 1990.3)
子どもに精神の自由を――『さっちゃんのまほうのて』………荒川由美子(「文学と教育」第152号 1990.6)
子どもに精神の自由を――人間ってやり直せるんだよね………荒川由美子(「文学と教育」第153号 1990.7)
《作品紹介》さわいみちこ『青マントのおしろ』………(同上)
《私の教室》『おじさんのかさ』の教材化――自主編成に向けて………宮沢薫(「文学と教育」第154号 1990.11)
『かさじぞう』――その源流と直接の母体を求めて………福田隆義(「文学と教育」第155号 1991.5)
子どもに精神の自由を――児童文学を読みませんか………荒川由美子(同上)
《読書コーナー》絵本『いやといったピエロ』………山口りか(同上)
子どもに精神の自由を――出会いの場をつくろう………荒川由美子(「文学と教育」第156号 1991.7)
子どもに精神の自由を――絵地図からのよびかけ………荒川由美子(「文学と教育」第159号 1992.7)
子どもに精神の自由を――絵地図への旅………荒川由美子(「文学と教育」第162号 1993.7)
《私の教室》この子たちにはかなわない――悪戦苦闘の二年間………中野斉子(同上)
《私の教室》『太陽は四角!』の授業――中3の教室からの報告………野沢俊子(同上)
塚原亮一先生を悼む………福田隆義(同上)
《ゼミナール》『杜子春』の印象の追跡………佐伯昭定、他(「文学と教育」第163号 1993.11)
『一〇〇万回生きたねこ』の問いかけるもの――荒川有史「はじめに」を聴いて………川浦節子(「文学と教育」第164号 1994.3)
『おじさんのかさ』をめぐって………福田隆義(「文学と教育」第165号 1994.6)
小学校低学年・読む楽しさを保障する国語教育としての文学教育――絵本『かさじぞう』を中心に………西平薫(「文学と教育」第166号 1994.8)
《ゼミナール》『ドリトル先生アフリカゆき』の印象の追跡………佐伯昭定(「文学と教育」第167号 1944.11) 
『おじさんのかさ』補説――成人読者の視点から………福田隆義(「文学と教育」第168号 1995.3)
佐野洋子作・絵『だってだってのおばあさん』を読む………福田隆義(「文学と教育」第169号 1995.6)
《サークル紹介》佐野洋子の作品を読む会………鈴木益弘(「文学と教育」第170号 1995.8)
戦後児童文学の原点――岩倉政治『空気がなくなる日』、壺井栄『あたたかい右の手』………夏目武子(「文学と教育」第172号 1996.3)
佐野絵本の原点――『すーちゃんとねこ』を中心に………福田隆義(同上)
佐野洋子の作品(作・絵)リスト………(「文学と教育」第173号 1996.6)
『一〇〇万回生きたねこ』前後――初期(一九七〇年代)の絵本………福田隆義(同上)
『おぼえていろよおおきな木』――印象の追跡………宮沢薫(同上)
『空とぶライオン』――印象の追跡………鈴木益弘(同上)
《作品紹介》『わたしのぼうし』………雨宮偉子(同上)
《作品紹介》『おれはねこだぜ』………子安紀子(同上)
《作品紹介》『ふつうのくま』………櫻井清子(同上)
《作品紹介》『わたしクリスマスツリー』………新澤初江(同上)
“児童観”の今日的課題………夏目武子(「文学と教育」第174号 1996.8)
児童文学と成人文学と――ケストナー・ドストエフスキー・トルストイたちの〈よびかけ〉を聞く………荒川有史(同上)
文教研運動の原点をさぐる――「児童文学と成人文学と」の課題を射程に………荒川有史(「文学と教育」第175号 1996.8)
《ゼミナール》『皇帝の新しい着物』の印象の追跡(上)………井筒満(同上)
《変形シンポジウム・佐野洋子の世界》一九七七年ぜんごをめぐって………井筒満(「文学と教育」第176号 1997.3)
《変形シンポジウム・佐野洋子の世界》『一〇〇万回生きたねこ』の魅力………芥川敏子(同上)
《変形シンポジウム・佐野洋子の世界》『一〇〇万回生きたねこ』との出会い………福田隆義(同上)
《変形シンポジウム・佐野洋子の世界》ことばと絵のダイナミズム………鈴木益弘(同上)
児童文学と成人文学と――文教研の初心にふれながら〔付・訂正と反省〕………荒川有史(同上)
『皇帝の新しい着物』の印象の追跡(下)………井筒満(同上)
『空気がなくなる日』――文学教育からの“いじめ”問題へのアプローチ………岩崎晴彦(「文学と教育」第178号 1997.8)
《例会レポート》御伽草子『文正さうし』の印象の追跡――『一寸法師』の印象の追跡のための基礎作業………芝崎文仁(同上)
《ゼミナール》御伽草子『一寸法師』の印象の追跡………金井公江(「文学と教育」第179号 1997.11)
分科会ア・ラ・カルト(付・一寸法師絵本比較表)………(同上)
《ゼミナール》絵本『マーシャとくま』の印象の追跡………西平薫(「文学と教育」第180号 1998.3)
ミハイル・ブラートフ(再話者)とエフゲーニ・ラチョフ(画家)………福田隆義(同上)
ロシア児童文学研究者・翻訳家 松谷さやか氏訪問記………朱通節子(同上)
『文学の教授過程』の再検討――『マーシャとくま』の検討を通して………夏目武子(同上)
《私の教室》内部を耕す――『太陽は四角!』の授業………村上愛(「文学と教育」第181号 1998.6)
南吉童話の成立(上)――〈文学史一九二九〉の位相の下に………佐藤嗣男(「文学と教育」第182号 1998.8)
ケストナーの世界………井筒満(「文学と教育」第184号 1999.3)
《ゼミナール》『飛ぶ教室』を読む………村上愛(同上)
ケストナー作品の邦訳(初期)………夏目武子(同上)
南吉童話の成立(中)………佐藤嗣男(同上)
ケストナー語録と若干のコメント………井筒満(「文学と教育」第185-186号 1999.8)
《作品紹介》『エーミールと探偵たち』………成川日女美、村上愛(同上)
《作品紹介》『点子ちゃんとアントン』………夏目武子(同上)
《作品紹介》五月三十日』………佐伯昭定(同上)
《作品紹介》『飛ぶ教室』………金井公江、橋本伸弥(同上)
《作品紹介》『エーミールと三人のふたご』………岩崎晴彦(同上)
《作品紹介》『動物会議』………森田高志(同上)
《作品紹介》『ふたりのロッテ』………朱通節子、西平薫(同上)
《作品紹介》『わたしが子どもだったころ』………樋口正規(同上)
《作品紹介》『サーカスの小びと』………荒川由美子、中野斉子(同上)
エーリヒ・ケストナー略年譜………(同上)
ケストナー作品別邦訳図書リスト(戦後)………福田隆義(同上)
初期の翻訳状況………夏目武子(同上)
一九三〇〜四〇年代の文学――ケストナー文学を中心に………井筒満(「文学と教育」第187後う 1999.11)
『飛ぶ教室』の印象の追跡………荒川由美子(同上)
    
   2000年代
今、なぜ、ケストナーか(付・翻訳状況年表)………夏目武子(「文学と教育」第188-189号 2000.8)
『点子ちゃんとアントン』………井筒満(同上)
岩倉政治氏、逝く――二〇〇〇年五月六日………夏目武子(同上)
ケストナー文学の視点的立場………井筒満(「文学と教育」第190号 2000.11)
『エーミールと探偵たち』………井筒満(同上)
人間回復を目指す「授業」の工夫――佐野洋子『一〇〇万回生きたねこ』との対話を通して………西平薫(「文学と教育」第192号 2001.8)
『一〇〇万回生きたねこ』を読みあって――教育相談室から………伊藤洋子(同上)
迷走する自主編成………中野斉子(「文学と教育」第194号 2002.4)
記憶をたどる――「読み聞かせの時間」と民話………福田隆義(「文学と教育」第199号 2004.5)  
《復刻》『かさじぞう』――その源流と直接の母体を求めて………福田隆義(「文学と教育」第209号 2008.11)  
  
  

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