文教研[私の大学]第27回全国集会 総括     『教育科学・国語教育』1975.11掲載記事から) 
   
   文学教育研究者集団 第27回全国集会
 文学教育研究者集団(以下、文教研と略称)第27回全国集会は、例年通り8月5日~8日の四日間、都下八王子の大学セミナー・ハウスにおいて開かれた。テーマは、文学史のなかの井伏鱒二と太宰治――長編小説をどう読むか。定員80名であるが、締切間際の同時申込が多く93名にしぼる。
 第一日、8月5日。文学史を教師の手に、という福田隆義委員長のあいさつから。文教研20年の歩みでは、読書サークル・広場や全国青年教師連絡協議会文学部会が文教研に結集し、母国語文化創造の基盤づくりとして文学教育を構想し実践してきたこと、数次にわたる指導要領改悪への道筋の中で母国語教育としての文学教育を問いつづけてきたこと、等々の証言があった。

 今次集会の課題と構成を夏目武子さん。学校文学教育における教材体系の矛盾を告発し、短編同様長編小説をまるごと与える中でのみ文学教育の機能が十二分に発揮されること、そうした課題意識において今次集会が構成されていること等々を強調。
 長編小説へのアプローチ(Ⅰ)、特別報告・太宰治『津軽』を山下明、佐藤嗣男両氏。(1)風土記的課題を受けとめながら、太平洋戦下において、反国粋主義的でかつ普遍的な人間の生きざまを造型していること、(2)天皇制ファシズムの荒れ狂うこの時期において、『津軽』は希望を持とうとする人の造型した文学であり、『十二月八日』『右大臣実朝』『惜別』の系譜につながる傑作であること、(3)最終章における乳母たけとの再会にこの作品の最高潮をみる見解は私小説的発想による理解であり、高校教科書の教材化に問題があること等々を解明。
 第二日、8月6日。長編小説へのアプローチ(Ⅱ)、ゼミナール・井伏鱒二『かるさん屋敷』『安土セミナリオ』。1 『かるさん屋敷』序説を荒川有史が担当。熊谷孝(国立音大名誉教授)著『井伏鱒二/講演と対談』(鳩の森書房新刊/集会テキスト)に依拠しつつ、(1)短編から長編へのコースの積み重ねの上に、井伏文学の最高傑作ともいうべき『かるさん屋敷』が創造されたこと、(2)この作品は一九五三年毎日新聞に連載されたが、高度経済成長端緒の時期に、人間として面白味のある人間の生きざまを一貫して追求し、戦後文学の活気を示してもいること等々を検討。
 2 総合読み、「サンタ・マリア」の章。チューター、荒川有史、黒川実の両氏。報告、夏目武子氏。(1)長編の冒頭が短編の密度をもって始まっていること、織田信長とその馬廻り役菅屋治郎作が主人公と狂言回しを交互に演じながら、この作品の主題的発想をになって生きていくことを、序章は既に物語っていること、(2)治郎作の綽名は逸物(いちもつ)であるが、これは敗戦のとき殿軍にありながら真先に逃げ帰った韋駄天ぶりに着目して信長みずから笑いの中に名づけたのもであること、(3)それから十七年、治郎作はその後の戦にも格別の手柄を立てなかったが、長篠の戦のとき、治郎作ならではの使いを仰せつかったこと、帰路軍規違反を問われている十字架じるしの一隊を救うものの、彼自身逐電せざるを得ぬ羽目に陥ったこと等々を解明。
 3 特別報告「遠乗」以前を黒川さん。(1)長篠の戦から六年、和泉の某寺で納所坊主になっていた治郎作が発見され、火あぶりの刑になるのではないか、と人々は噂すること、(2)当時危機を救われた白井一族は助命のため信長のところにおもむくが、養女の斡旋まで依頼され、成功をおさめること、(3)治郎作は安土セミナリオの番頭頭に任命されるが、小役人野田照丸のような人間まで庇うため、番所の全員が華やかなカルサンをはこうと提案したりすること、(4)「人間五十年」(幸若舞曲)に徹して生きる信長をたえず敬愛しつつ生きる治郎作でもあること等々を解明。
 4 総合読み、「遠乗」の章。チューター、 鈴木益弘、尾上文子の両氏。報告、村上美津子、内貴和子の両氏。(1)遠乗の場面で信長は、小役人照丸が賄賂ほしさに百姓衆をいためつけ橋の修理に意を用いなかったことを発見、激怒するが、同時に百姓衆の義民ぶりを知っていたく感動、治郎作に命じて無罪放免にすること、(2)そうした信長の行為は、彼の歴史的個性の軌跡の線上に描かれていること等々を語り口豊かに解明。
 第三日、8月7日。5 パネルディスカッション、『安土セミナリオ』以前。パネルマンは熊谷孝、井筒満、高田正夫の三氏。(1)『かるさん屋敷』の新聞連載が長編として未完成であることの根拠を問うことから始まり、(2)瞬時の平和を支えて生きている信長のありように触れながら、(3)ヨーロッパ行きが中止となって嘆く学生への信長の無類のやさしさが意味するものに言及、同時に読者の視座においては信長と治郎作の若かりし日のきびしい生きざまがダブルイメージとして展開してくること等々解明。
 6 総合読み、『安土セミナリオ』。チューター、佐藤嗣男、佐伯昭定の両氏。報告樋口正規、高沢健三の両氏。(1)アンチ鎖国の方向で生きぬいた信長、その信長を殺した光秀、(2)変節の白井一族、(3)利益第一の死の商人、(4)暴徒化する庶民等々の多様な人間模様を解明。
 第四日、8月8日。講演、井伏文学の成立と展開を熊谷さん。(1)芥川や太宰とは違い、また鷗外とも違って、いわば最初から破滅に陥ることを極力回避しつつ、しかも終始異端の文学的イデオロギーをつらぬき通したところに井伏文学の真骨頂があること(前掲『井伏鱒二』参照)、(2)文学的イデオロギーとは、言語(形象)において自覚され、深められたプシコ(心理)・イデオロギーであること、(3)戦後井伏は『山峡風物誌』などの三部作を通して戦争による人間疎外の極限状況を示すものとしての<性>を描いたが、戦後文学の新局面をひらいた創作活動であったこと、(4)小説をぐっと読むということは、短編でいうなら書かれていない<点>を<線>に翻訳して読みとることであり、長編でいうなら<線>の世界の核心をおさえつつ、予測される全体像の一側面として部分をとらえ、印象の再追跡の中でも長編の魅力をダイナミックにつかみとっていく作業であること等々を新たに解明。集会全体の総括ともなった。
 なお、詳細については、機関誌『文学と教育』№106(送料共400円、事務局/〒181三鷹市牟礼、明星学園内)参照。
<文責・荒川有史>

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