全国集会プログラム〔前文〕(1)

第23回全国集会(1974.8) 教師自身のための文学研究の集い
【統一テーマ】
文学史を教師の手に 芥川龍之介から太宰治へ

大学に行けなかったゴーリキイにとって、それは“ヴォルガの川岸”や“小舟の上”で“道ゆく人々”から学ぶことであった。自分の言葉で考え、自分の頭で学びとっていく私の大学、それが今こそ、私たちに必要なのではないだろうか。教師として子どもの未来に責任を持つために。


第25回全国集会(1976.8) 教師自身のための文学研究の集い
【統一テーマ】
井伏文体の成立――『幽閉』から『さざなみ軍記』へ

“私の大学”――大学に行けなかったゴーリキイにとって、それは「ヴォルガの川岸」や「小舟の上」で「道ゆく人々」から学ぶことであった。いま、私たちの日常にも、自分の言葉で考え、自分の頭で学びとっていく「私の大学」を回復することが、必要ではなかろうか。教師として子どもたちの未来に責任を持つためにも。


第27回全国集会(1978.8) 教師自身のための文学研究の集い
【統一テーマ】
文学史の中の井伏鱒二と太宰治――長篇小説をどう読むか

 
小説ジャンルにおける長篇と短編――そのいずれも、文学教育の教材化の対象として欠かせない。ところが、教科書は長篇の一部を短編化して扱っているのである。それでいいのか? 私たちは提唱したい――長編を長編としてまるごと生徒たちに!、と。この課題に応えるためにも、私たち自身、〈長篇小説をどう読むか〉を明らかにしよう。井伏・太宰のすぐれた長編との取り組みにおいて。


第31回全国集会(1982.8)   
【統一テーマ】
文学教師の条件――異端の文学系譜を探る中で

“文学教師”――それは、自身に文学を必要とし、また、文学の人間回復の機能に賭けて、若い世代の“魂の技師”たろうとする人々のことである。そういう人々の中には、当然、学校教師もいるだろう。当然また、人の子の親や、兄や姉もいるだろう。限界状況の一歩手前まで追い込まれた、日本の社会と教育の現状は、今、まさにそうした人々の文学教育への積極的な参加を求めている。


今次集会の課題と構成

1) 文教研・全国集会の日程は、例年、ヒロシマの被爆の日を中心に、8月5日〜8日に組まれている。そのことの意味を、最初に、まず、確認し合いたい。今回もまた、集会を、核の完全廃絶をめざす反戦・平和の国民運動へ向けて、文学教育運動本来の視点的立場からの共闘・参加の場にしなければならない。

2) とりわけ、今年の集会は、《平和教育としての文学教育》の担い手である文学教師の実践主体としての資質と条件――条件づくりについて考え合う場にしたい。教師の資質(プシコ・イデオロギー、文学的イデオロギー)を幅のあるものにするための条件づくりである。教育荒廃の今日的状況を、しゃにむにそこにつくり出している、反動政治権力の凶暴さを身にひしひしと感じるがゆえの、そうした疎外・抑圧から教育を守り抜くために必要とされる教師の資質と条件を、今は文学教育の場に即して考えてみようというのである。

3) 集会の第一部では、参加者各人の〈文学とは何か〉を突き合わせるかたちで、各人相互の、文学教育の〈何〉と〈いかに〉を問い直す作業に取り組みたい。各自の、きびしい自己の実感監視の姿勢を前提としてである。
 そうした前提に立つことで、第一部を含めて第二部では、

@ 虚構・典型の論理をふみはずした、観念先行の素材主義的な文学史に対しては徹底的な書き換えを要求すると同時に、

A 現代史としての文学史(文学系譜論)の視点から、作品評価・教材選択の基準、さらには、学習者へ向けての作品媒介の論理(文学の授業の方法原理)などについて、そこに、提案サークルの側から、具体的な問題提起がおこなわれることになるだろう。全体討論の叩き台としてである。

4) 私たちの全国集会では10年来、《異端の文学系譜》を跡づける作業に取り組んで来ている。ひたすらに精神の自由を守り抜き、通俗への反逆に生きた、この系譜・系列の作家、その作品を文学史の中に正当に位置づけ直し、その中から、後続の世代に贈る精神の糧(かて)を掘り起こしたい、と考えてである。今次集会の関連課題である。


第32回全国集会(1983.8)   
【統一テーマ】
写生文と近代小説の文章表現
――文学教師の条件(第二回)
(第31回と同文)

〈教育の荒廃〉への視点

1) 教育荒廃の今日的状況を、戦後史――とりわけ、民主教育抑圧のこの四半世紀の戦後教育史の中に位置づけて考えることをしないような、教育論のいっさいを、私たちは信用しない。それが教科教育論であれ、また学校・学級経営論であれ何であれ、そのようないっさいの教育論に対しては不信の意を表明せざるを得ない。そうのような、歴史に背を向けた教育観・教育論に立っては、真に民主的な、民族の後続の世代をはぐくむことは不可能だからである。

   教育の荒廃とは、もともと、民主教育(=平和教育を前提とした人間教育)の疎外・喪失・不在の教育状況そのもののことであろう。ところが、こうした自明のことの認知が、そこには欠けている。それを欠いた結果は、荒廃の問題が、核状況下の民主教育の危機の問題としては捉えられずに、たとえば、ただの非行対策の問題にテーマがすり替えられてしまっている。(今日の異常な非行現象の発生自体が、実は日本の現在の右傾化現象と見合う現象なのだが、その辺の問題はそこでは不問に付されている。)

 このようにして、切り捨て御免のかたちの非行(非行者)対策も、現にそこ、ここで行われている。その一方、受験戦争の戦士であるエリート少年の、排他的で利己的な、その心の貧しさについて思いやるようなことはしない。落ちこぼれや非行少年に対するのと同様の冷たさである。そして、いまや、校内暴力対策を格好の口実として、教育管理体制の強化が始まっている。それとオーヴァーラップするようなかたちで、また、没個性的な、教育のいっそうの画一化が推し進められている。これが、今日この只今の日本の教育の現実である。

2) 文学の教師が真に文学教師であるためには、常時、こうした悪現実と闘わなければならない。平和教育=人間教育そのものである文学教育の、最も実践的な担い手である文学教師としての闘いである。
 そうした闘いを闘うためにこそ、また教師は、常時、自身に、文学教師としての資質と条件をととのえる作業に取り組まねばならないだろう。

3) そのような課題を、今年の集会では、文章表現の面から、日本近代小説成立史を問い直す作業に求めることにした。〈文学史を教師の手に〉という視点的立場に立って、である。


第33回全国集会(1984.8) 文学史を教師の手に
【統一テーマ】
日本近代文学における異端の系譜――井伏文学を中心に
(第31回とほぼ同文)

第34回全国集会(1985.8) 文学史を教師の手に
【統一テーマ】
戦争の現実と太宰 治――日本近代文学における異端の系譜(第三回)
(第33回と同文)

《現代史としての文学史》の視点

1) 文学史一般というようなものはあり得ない。そのことは、自身に文学を必要とし、またそれゆえに文学史を必要としているような人にとっては自明のことだろう。その人の文学意識と文学史意識とは相関的であり相即的である。〈文学史を教師の手に〉と私たちがいう場合の文学史も、実はやはり《現代史としての文学史》とでも呼ぶほかはないような、一般の通念からはかなりはみ出た思考形式の文学史以外のものではない。
 現代史としての文学史――それは、既往現在の文学との対話・対決の中に、形象的思索において現代史の課題を探り求めようとする営為である。さらにいえば、現代史の課題をそこに探り求めつつ、何よりも自己の分担課題を見極めようとする、主体的・実践的な営為にほかならない。

2) この場合、実践的とは臨床的ということでもあるだろう。(思えば、臨床的でない実践というようなものは、どこにもない。)ところで、文学に関して臨床的とはどういうことをさすのか。芥川龍之介のひそみに倣っていえば、文学の鑑賞や研究に関して臨床的とはまた、「人生の脈搏に触れる」ことである。臨床的であることで実践的であろうとする《現代史としての文学史》は、まず何よりも、虚構において移調され典型化された現実――文学的現実の展開の中に脈打つ、人間精神の自由の鼓動に耳を傾けようとする。そのことで、現代の実人生の脈搏に触れようとするのである。

3) 《戦争の現実と太宰治》という今回の集会テーマは、井伏文学に対象を見つけた昨年度の場合同様、上記のような文学史意識とその課題意識において導かれた。したがって、ここで〈戦争の現実〉というのは、まず、@太宰世代にとっての〈文学的現実としての戦争の現実〉という意味であり、、むしろ、Aそこに見られるような、囚われない文学的イデオロギーのレンズを通して思索された場合、核状況下の今日の現実はどういうものとして映って来るか、というふうな意味である。


第36回全国集会(1987.8) 文学史を教師の手に
【統一テーマ】
言文一致再説――現代日本語の創造を導いた人々
(第33回と同文)

母国語意識の確立へ向けて 言文一致再説を

1) 半世紀前、ドイツに、日本に、ファッショの嵐が吹き荒れていた時分のことだ。以前にドイツに留学していたことのある、著名な日本の法律学者に宛てて、同学のドイツ人研究者から、一通の書簡が寄せられた。
 「今の私たちの間からは、母国語が失われようとしている。以前に、あなたと共にその言葉で学び、その言葉で真実を追究したころのドイツ語が今、失われようとしている。あえていえば、〈ゲーテのドイツ語〉が姿を消し去ろうとしているのだ」云々。
 書簡は次のような章句で結ばれていた。「私たちは、しかし、いつの日か必ず母国語を自分たちの手に取り戻すことだろう。敬愛する友よ、あまたも、あなたご自身の母国語を守り抜く勇気を持ち続けていただきたい。」

2) この書簡の言葉を耳にしたほどの人は、きっと実感するだろう。そこに語られているのは、一つには、現在を支配し制約しているヒトラーの言葉、ナチスの言葉は、断じてドイツ人の母国語ではない、ということを。そして何よりも、母国語とは何か、ということを。今年の全国集会では、そこに示されているような文脈において、母国語としての現代日本語について思索を深めたい。

3) とりわけ、〈ゲーテのドイツ語〉という母国語観とその思考の発想に学びたい。私たちに欠けているのは、この発想なのである。

 もっとも、〈ゲーテ〉云々という限定は一つのシンボルにすぎない。しかも、それは、すぐれたシンボルである。日常の話し言葉の中に〈言文一致〉のナチュラルな実現を、というわたちの求めているものの一つの範型をそこに見つけるのである。この点については、なお多くのコメントを必要とする。当日の集会で。



第39回全国集会(1990.8) 文学史を教師の手に
【統一テーマ】
政治と文学・文学教育
――虚構精神確立のために
(第31回と同文)

思想の混迷と疎外

 今日は思想の混迷の時代である。各人の行動選択の規準となるプシコ・イデオロギーの動揺という意味での、思想の混迷の時代である。ところで、そうした混迷が、歴史的かつ国際的な規模における最近の政治情勢の急激な変動を直截的に反映したものであることはいうまでもない。今日のこの政治の動向に対する人びとの関心は極めて大きい。

 もっとも、その関心のありようは各人各様、人さまざまというほかはない。しかし、それが一様に自己の存在証明(自分が人間であることのあかし)に直接かかわる問題として事象がつかまれて来ている点は注目に値いする。こうした政治への反応は、これまでには見られないものだった。自己の外側にではなくて、自己の日常性の中に政治への通路が用意されたのである。政治は、その限り、もはや決して、ただの当落・当確のゲーム遊びではなくなった。

 とりわけ、明日への何らか確かな展望を用意することなしには、自己本来の分担課題に従事することが不可能に近い、多くの知識人大衆にとって、こうしたかたちでの〈政治の発見〉の示す意味は限りなく大きい。そのことは、たとえば知識人大衆の一翼である学校教師の場合を思ってみても明らかだろう。自分がその一人である教師自身に関して、また目の前の学生、生徒、児童に関して、また教育のしくみや制度のありように関して、おしなべてそれらのことの相関関係における〈教育の明日〉〈明日の教育〉への予測と展望を欠いては、教師という知識人大衆の作業は一歩も先へ進められない。

 国際的・国内的な政治情況が――というより、実は、そうした情況の特定の分析の仕方と、量に物を言わせた情報、報道のありようが、先ごろ来、知識人大衆の多くの思考・思索の足場に揺さぶりをかけている。ジャーナリズムに指定席を持つ、一連の体制内知識人がまた、そのお先棒をかついでいる。彼らはいう、「歴史の発展法則は、今は、大きく変わった。階級的価値を問題にすることは、今日もはや、すでに無意味である。社会主義に明日はなく、民主主義と共に資本主義は永遠である」云々。少し論理がなさすぎる。

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