文教研[私の大学]宣言
  
              委員長 福田隆義
1969年6月発行『文学と教育』第58号掲載

 文教研は、文学教育“研究者”の集団である。われわれの会は、自ら“研究者”を任じるものの集まりである。したがって、その基本姿勢は、ひとりひとりが“研究者”に徹することである。ひとりひとりが“研究者”に徹することで、文教研の水準もたかまる。それだけに、論理に厳しく原理を尊重する。したがって、文教研は常に変革の途上にあり、同一水準に止まることがない。それが、文教研創立の精神であり、文教研の学風であり、文教研の伝統である。
 そして、それらを保障してきたのが、文教研の「私の大学」である。

 「私の大学」……大学に行けなかったゴーリキイにとって、それは“ヴォルガの川岸”や“小舟の上”で“道ゆく人々”から学ぶことであった。
(第十八回研究集会案内より引用)
 われわれも、自分自身にとっての大学を、文教研に創設した。というより、研究者の集団である文教研そのものが、めいめいの自己変革の場であり「私の大学」といってよい。そして、すでに十年の歴史をもっている。

 文教研の「私の大学」では、かつて西鶴文学を学んだ。芥川や太宰文学と取り組んだ。あるいはまた、戸坂潤に学び、第二信号系理論をくみこむことで、生哲学や実存哲学を批判した。
 これらは、常識的には国語教育・文学教育とは直接関係がなさそうにみえる。がしかし、教育そのものの根底にあって、それを規制するのが、右のような「思想の科学としての哲学」である。そして、それに支えられた言語観・文学観が国語教育・文学教育を規制することは論をまたない。

 われわれは、文教研「私の大学」で“私の論理”や“私の文学”そして、“私の国語教育・文学教育”の歪みや誤謬を正し、より確かなものにしてきた。が、今なお、その途上にあり、いうまでもなく今後も継続しなければならない。
 他方、巧妙な体制側のしめつけで危機に直面している教育情勢がある。われわれは、今、この時点で「私の大学」の学風を再確認する必要を痛感する。それは、とりもなおさず、文学教育“研究者”集団の基本姿勢の再確認でもある。


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