研究集会テキスト関連記事   2016年第65回全国集会テキスト:吉野源三郎 『君たちはどう生きるか』 …  
   
 ■ 高村英夫  山本有三/吉野源三郎 著 君たちはどう生きるか  (唯物論研究会 『唯物論研究』64 1938.2)
  ※掲載誌の発行元である唯物論研究会は1938年2月を以って解散。『唯物論研究』誌は65号(1938.3)で終刊となった。 
 
 本書は、帝大新聞、読書新聞、それからコンテムポラリー ジャパーンなどにも既に新刊紹介されてをり、近頃の評判の書の一つで、過ぐる歳末には築地小劇場で芝居にもなつたものである。
 執筆者は、山本有三、吉野源三郎の両氏とあるが、序文によると、山本氏は病気のために殆んど吉野氏によつて出来たものだと言はれてゐる。吉野氏は、聞くところによると、哲学専攻の学者であると言ふ。さう言ふ一哲学者によつてこの児童の物語が書かれたと言ふところが本書の特異な点を形造つてゐる。
 これまでの児童読物はいつも定つた一つのイデオロギー的前提のもとに書かれてゐた。そのイデオロギーなるものも一応童心尊重を主張するものではある。けれどもそれ等は児童がその既成イデオロギーと全く別に自分自身の経験を獲得しても、その経験の糸をほぐし、それを解明し、育てるやうな児童の「真実の経験」尊重を意味するものではない。旧来のイデオロギーを前提とした童心尊重は児童が未発達であることに興味をつなぐが、それの成長に興味をつなぐものではない。
 本書は何よりもまづ児童の「真実の経験」を既成のイデオロギーから解放する。本書の物語の主人公はまだ白紙に近い中学二年生であつて、彼は彼として少年なりに社会を観察し、自然を観察して、古きイデオロギーに教はらない素直な自分の経験を獲得してゆく。さうしてこの本のなかには「叔父さんのノート」と言ふものが出て来て、これが著者の立場を示し、少年が獲得したまだカオス状態の然し少年としては真実な経験、それを親切に迎へて、分化させ、発展させ、無イデオロギーの原始から救ふ。そして正しい世界観へ誘導する。そのことが同時に若き読者に対して正しい方向の説明となつてゐるのである。
 或る日、不図ビルデイングの屋上から都会を眺めて、その少年は、自分をも含めて凡て人間と言ふものは等しく(、、、)社会形成の一分子である、と言ふ重大なる発想を獲得する、「叔父さんのノート」はその発想に解明を与へて、自分も一分子であると言ふことから自己中心的見方の誤りを説明して、知性的な、客観的な、ものゝ見方と言ふことを話して聞かせる。物語はそう言ふところから始つて、社会の正義が尊重され、それの実行力が賛美され、また自然についても社会についても科学的思考の尊重さるべきであること、そのほか消費と生産、富と貧困、或は英雄についての反省、実践のチヤンスについて、文化の世界性、等々、物語のなかの事件の起伏と織り交ぜられて一々重要な思想が暗示されてゐる。
 「どう生きるか」と言ふことは児童特有の問題ではなく成人にとつても切々たる問題であつて、本書は、いまのやうな時代、成人にとつても亦興味ある書物である。
 何よりも本書は著者自らが謂ふ文化進歩の線を行くと言ふその一つだけで他のあらゆる雑多な子供の読物と比較すべくもない。そして真実の広い教養と言ふ点でも秀越する。
 著者の説述の立脚地は人道のそれであると言へる。私はいまの社会でそれは正義であると思ふ。「結論」がそのまま理解できない場合そこへ誘導される諸前提を本書によつて与へられる子供等はせめても幸福である。
 ただ一二の疑問を言ふと、本書中には再三人類の進歩と言ふことが説かれてゐるが一般に又「いま現に」何が進歩的であるかと言ふ事の暗示がこれで足りてゐるのか、と言ふこと。実行の契機をつかむべきことを知り乍ら何がそれであるかを将来帰趣すべき諸条件の提示が乏しくはないかと言ふこと。それから童心が切望する話の本当の面白さ、笑ひ、従来の児童文学がその方面で相当に開拓した部分が本書では、欠けてゐないか。
 それから豊かな説得力を感じながらも何かしら著者の作物を感ずる部分も可成りにあつた。
 このやうなアルバイトの持つ意味は大きい。著者の将来への継続と発展を期待したい。

 ■ 川本隆史  現代を生きる倫理・序説 (跡見学園女子大学文化学会『フォーラム』11 1993.3) 
 
 (…)子どもが自分中心の見方から抜け出していくこと、そして自分 が社会の中で生きていることを発見する筋道を、分かりやすく描 いた作品として、皆さんにお勧めしたいのは、吉野源三郎さんの名著『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)という本です。中学 の国語の教科書などに、その一部が使われたりしているそうですから、すでにお読みの方もいらっしゃるかも知れません。この本は、中学一年生の主人公が、銀座のデパートの屋上から町並みを 眺めていたときに起こった「変な経験」から始まっています。人間一人ひとりは、社会を構成する分子なのだ、と気づく主人公の心の動き、ものの見方の変化は、まさしくカントの「コペルニクス的転回」を具体的に描き出したものだといえます。それで主人公のアダ名が、「コペル君」というのです。図書館や本屋さんで見つけて、ぜひ読んでみて下さい。(…)
 
 ■ 川本隆史  連続講座 花崎皋平≠回顧する――「三人称のわたし」はひらかれたか
 (成蹊大学アジア太平洋研究センター『アジア太平洋研究 = Review of Asian and Pacific studies』40  2015
 
 (…)第3回のハイライトは『生きる場の哲学』――たぶん最初に通読した花崎の単著だったろうし、 刊行前年の1980年4月から大学の教壇に立つようになった私にとって、忘れられない一冊となっ ている。初体験となる一般教育科目「倫理学」の教材に、私は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(1937年初版)を採用した。鶴見俊輔がこの児童書を絶賛していたのを思い出したからである。講義の枠組みも、鶴見のデビュー作『哲学の反省』(1946年/『鶴見俊輔集』第三巻、 筑摩書房、一九九二年所収)が打ち出した新機軸――「哲学は次の三条の道に従って把握される場合、現代の社会においても生きた意味をもつことが出来る。第一に思索の方法の綜合的批判として把握される場合、第二に個人生活及び社会生活の指導原理探求として把握される場合、 第三に人々の世界への同情として把握される場合、即ちこれである」――に沿って、「批判」、「原理」、「共感」(「同情」の言い換え)の三本柱でもって編成しようとした。(…) 

 ■ 川本隆史  記憶のケア・脱中心化・脱集計化 : ある倫理学研究者のスローな足どり
 (東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室『研究室紀要』42 2016.7) 
 
 (…)「脱中心化」から始めましょう。正義(・ ・)ケア(・ ・)の編み直し=\―『脱=社会科学』(原著1991年、邦訳:藤原書店、1,993年)においてイマニュエル・ウォーラーステインが全面展開している《unthinking》に、鶴見俊輔さんが当てた達意平明な訳語がこの「編み直し」です――という私の年来の主題のうち、とりわけ正義(・ ・)のほうに関連するのが、「脱中心化」という方法的態度にほかなりません。言うまでもなく、decentrationとはピアジェの発達心理学の中心概念であり、「自己中心性」(自分中心のものの見方)を脱け出して、ものの見方・観点が複数あることを自覚していく認知発達のプロセスを指しています。ここではピアジェの原典や研究文献ではなく、吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』(初版は1937年)の一節を引いて「脱中心化」の要点を押さえておきましょう(ただしここで吉野さんが意識されていたのはカントにおける「コペルニクス的転回」であって、ピアジェではありません)。
 「子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子どもの知識を観察して見たまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。電車通りは、うちの門から左の方へいったところ、ポストは右の方へ行ったところにあって、八百屋さんは、その角を曲がったところにある。[……]それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。」(岩波文庫、25〜26ページ) (…)
 
 ■ 「君たちはどう生きるか」 80年経て大ヒット
 (朝日新聞・東京版 ニュースQ3 2017.12.6) 
 
 日中戦争が始まった1937年に出版された本「君たちはどう生きるか」のマンガ版が大ヒットしている。刊行から3カ月あまりで100万部に迫る勢いだ。80年の時を超え、なぜ売れるのか。(…)
 マンガ版は8月にマガジンハウスから刊行され、95万部を突破。同時に出た原作の新装版も24万部となった。アニメ監督の宮崎駿さんが10月、同名のタイトルで次回作を手がけると明らかにしたことも影響したとみられる。(…)
 その古典をなぜいま、改めて世に出したのか。マガジンハウスの担当編集者、鉄尾周一さん(58)は原作を愛読していたが、「若い人には説教くさいだろう」と思っていた。だが、20、30代の同僚たちに話を向けると、彼らはすでに読んでいて「すごくいい作品ですよね」と返してきた。鉄尾さんは「もっと読んでもらえる作品なのかもしれない」と考え始めた。
 難しさを和らげるためj、マンガ化を選択。担当した漫画家の羽賀翔一さん(31)は、古い街並みを参考にしようと東京・湯島に引越し、2年かけて完成させた。「コペル君」の成長物語という原作の骨格は維持しつつ、対話を通じて「叔父さん」も変っていくようにしたのが、マンガ版の特徴だ。子どもだけでなく、大人にも自分を投影してほしいと考えたという。マガジンハウスは、ヒットの理由を「題名に代表されるシンプルで普遍的なメッセージが幅広く受け入れられた」とみる。
 80年前の作品が輝きを放つ理由について、吉野をテーマにした研究論文がある佐藤卓己・京都大教授(メディア史)は、この本の吉野の主張を「主体として能動的に生きていくことの重要さだ」と説明。「『ポスト真実』という言葉が流行したように、情勢判断の難しさに不安を感じている人は多い。一人ひとりが高所から全体状況を見極める能力を求められており、その視点の重要さを説くメッセージが共感を得ているのだろう」と話す。(高久潤、田玉恵美)
 
 ■ 池上彰  特別授業『君たちはどう生きるか』 
 (別冊NHK100分de名著 読書の学校  NHK出版 2017.12.30発行)
     ※2017年7月7日に東京・武蔵高等学校中学校で行われた「池上彰 特別授業」をもとに、加筆を施したうえ構成したもの。(同書の注記より)
 
  はじめに――いま、君たちに一番に読んでほしい本

 よい本との出合いは、人生の宝物です。(…)
 書店や図書館には、一生かかっても読みきれないほどの本が並んでいます。いま、あなたに読んでほしい本を、そのなかから一冊だけ挙げるとしたら――。そう考えて選んだのが、『君たちはどう生きるか』です。
 この作品が刊行されたのは、一九三七年(昭和十二年)。第二次世界大戦がはじまる二年前、いまからちょうど八十年前のことです。作者の名は吉野源三郎(一八九九〜一九八一)。東京帝国大学(現・東京大学)で哲学を修め、戦前・戦後を通じて編集者として活躍した人物です。
 『君たちはどう生きるか』は、もともと「日本少国民文庫」全十六巻シリーズの一冊として書かれたもので、作者はこのシリーズの編集主任も務めていました。その後、岩波書店に入社して、岩波新書を創刊。戦後は雑誌『世界』j初代編集長を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。『世界』に寄稿していた学者・知識人と共に市民団体「平和問題懇談会」を結成し、反戦運動にも取り組んでいます。
 『君たちはどう生きるか』は、こうした活動の、いわば原点とも言える作品です。日本少国民文庫シリーズの配本が始まったのは、一九三五年。その四年前、日本は満州事変をきっかけとして、アジア大陸に侵攻をはじめます。日本国内には、戦争へと突き進む重苦しい空気が広がっていました。軍国主義に異を唱える人はもちろん、リベラルな考え方の人も弾圧され、作者自身も治安維持法違反で逮捕されるという経験をしています。
 そして一九三七年、『君たちはどう生きるか』の刊行とほぼ時を同じくして、中国大陸で盧溝橋事件が起き、日本は以後八年にわたる日中戦争の泥沼へと入っていきます。ヨーロッパではドイツにヒトラーが、イタリアにムッソリーニが登場し、人々の暮らしに影を落としていました。
 そんな時代だからこそ、次代を担う子どもたちには、ヒューマニズムの精神にもとづいて自分の頭で考えることの大切さを伝えたい。すでに言論の自由も、出版の自由もいちじるしく制限されていましたが、偏狭な国粋主義から子どもたちを守らなければという強い思いから、この本は生まれたのでした。
 戦前に書かれたにもかかわらず、この作品は戦後も売れ続けます。むしろ戦後のほうがよく売れたのではないでしょうか。戦前を知らない多くの子どもたちが、この本を手にとり、引き込まれていきました。かくいう私も、その一人です。
 私がこの本と出合ったのは、小学生のとき。珍しく父が私に買ってきた本でした。当初は「親に読めと言われた本なんて」と反発していましたが、読んでみると面白く、気がつくと夢中になっていました。
 ひと言で言うなら、これは子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書。人とて本当に大切なことは何か、自分はどう生きればいいのか。楽しく読み進めながら自然と自分で考えられるよう、いくつもの仕掛けが秀逸にちりばめられています。(…)

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