N さんの例会・集会リポート   2010.5.22例会  
   
  芥川龍之介『羅生門」の検討

文教研のNです。
4月5月と家庭の事情でごたごたしているうちに、あっという間に時が過ぎてしまいました。
その間例会報告を滞らせてしまって申し訳ありませんでした。
熊谷論文井筒論文を取り上げた二回の例会については、これからの報告にうまく織り交ぜながら話題にできればと思っています。

今回の例会は夏の全国集会へ向け、芥川龍之介「羅生門」前半(冒頭〜「わら草履を履いた足を、そのはしごのいちばん下の段へ踏みかけた。」まで)を読み合いました。まだ前半ということもありますが、それぞれの印象について侃侃諤諤の議論が続きました。
大きくいって、そうした議論になった論点は以下の二つの点であったかと思います。
@「下人」のイメージはどういうものか。
A語り手の位置はどういうものなのか。


まず「下人」のイメージについてです。
文教研の先行論文で「下人」=「奴隷的存在」ということが、芥川の「羅生門」構想の思索過程、「下人」の大正期という時期も踏まえた歴史学的な位置づけ、などを踏まえて提起されてきていました。しかし、そこまでのイメージの限定をしなくてもいいのではないか、という問題提起がされたと思います。
主人に使われていたものが仕事・居場所をなくしたという押さえでいいのではないか、「奴隷的存在」という歴史学的・社会科学的な押さえがどうしても必要なものということではないのではないか。

結論が出たというわけではありませんが、話し合う中で共通のイメージになっていったのは、芥川の生きた大正期、そして、前回例会に参加していた主流の世代の方々にとっても、身分的には「奴隷」という存在はなくなっていても実際に主人に隷属し自由を奪われた「奴隷的な」小作人や使用人たちは現実の生活の中にあった、という点でした。だから、芥川が創作していった「下人」のイメージには、やはり「奴隷的存在」ということがあったし、当時の読者にもまたあった。とすると問題は、現在この作品を読んでいくに当たってそのことがどうしても必要なイメージなのかどうか、ということでしょう。

高度成長期に物心ついた私自身の「羅生門」体験を振り返ってみると、高校時代のイメージはただ“身分の低い使用人”でした。
その後、文教研の先行論文など読んで、そうなのかなと思いながらも、しっかりしたイメージにはなっていなかった。
そして、今は「奴隷的存在」という位置づけの意味が、非常に今日的であり重要なものだと思います。
それは湯浅誠氏の『反貧困』などを読む中で、今日的な貧困の問題が様々な可能性を断ち切られた中に人間を追い込んでいることを実感してきたからかもしれません。そして、逆に言えば今まであまりピンと来なかった「羅生門」が、やっと自分の文学になってきた気がする、というのが正直なところです。
また「奴隷的存在」について、今の高校生などがイメージするのは難しいことかもしれません。しかし、例えば白土三平の『カムイ伝』など読んでいけば、時代は江戸時代ですが「奴隷的存在」としての「下人」に出会っていくことになるでしょう。
手持ちの少ないイメージだけでなく、色々回り道をしながら歴史認識を深めていくのでなければ、せっかくの歴史小説がつまらないものになってしまう気がします。

もう一つの問題は語り手がどれだけ下人の思いをくぐっているのか、という点でした。
たとえば「今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。」といった言葉が、下人の思いをくぐったものなのかどうかという点が話題になりました。
「小さな余波」という認識は語り手のものであって、下人にしてみれば大変な出来事であるのだから、むしろ語り手の下人とは違う意識の面が出ている、という意見。いや、それは客観的事実としては下人の人生を左右することではあるが下人自身の意識としては京都の町の衰微と自分の出来事はこの程度のつながりで意識されていることだ、などなど、議論がかみ合わないままに進んでしまった感がありました。
語り手の言葉は「下人の内面をくぐった言葉」なのかどうか、というところが焦点だったわけですが、その「くぐる」という意味がまだ共通確認できていない状況です。先行論文では「語り手は下人によりそうようにして、下人を観察し、下人とともに下人の内面をくぐった言葉(――仲間の言葉)で思索する。」(佐藤嗣男「再び、『羅生門』について(下)」/1994夏「文学と教育」165)といった指摘がされています。
このことは、後半を読み進めていく中で、方向確認をしていく課題だと思います。

などなど、教材としても身近なものであるだけに、現場での経験も手伝って色々意見が交錯した面がありました。
私自身議論を誤解している面があるかとも思いますが、次回さらに深まっていけるよう自分なりの印象の追跡をして臨みたいと思います。

〈文教研メール〉2010.6.10 より


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