Nさんの例会・集会リポート   2005.08.05-07 第54回全国集会
 
  
 喜劇精神とあそびの精神――ケストナーと太宰治におけるリメイク・再話をめぐって


 文教研のNです。カット:ホオズキ

 本当にご無沙汰してしまいました。
 まったく「家庭の事情」でメールが滞り申し訳ありませんでした。あらためて、よろしくお願いいたします。

  今次集会(第54回文教研全国集会)は、文教研・夏の集会としては小さな転機だったかもしれません。今までに比べれば小規模でしたが、文字通り全員参加型の集会でした。(新参加の方も2名いらっしゃいました。)ある方の分析に他の方もうなずいていましたよ。
 「何人集まったかという人数も大切かもしれないが、むしろこうして一人ひとりが主体的にかかわれることこそが、研究集会のあり方としてむしろ望ましい。文教研はそういう方向へ新しく脱皮してきているのではないか。」

 こうした今年の集会の方向性を、理論的に象徴していたのはS講演の中で話された「喜劇精神の中核にはあそびの精神がある」ということだったのではないでしょうか。Sさんは細川亮一氏の文章(「受験勉強とジグソーパズル」 2005.4『世界思想』)をひきながら、「通る」と「遊ぶ」という氏の考え方を紹介されました。
 大雑把に言うと次のようなことでした。

 受験勉強は「通る」の典型だ。そこでは目的は未来にある。それはむしろ消去したい性格のもので、「通る」過程の中に本当の「生活」はない。しかし、「遊ぶ」はそれ自体の中に目的を含んでいる。遊びの中で発揮される力は自分にとって楽しみである。「遊ぶ」ことはそれイコール「生活する」ではないにしても、そこに生活へのヒントがある。

 Sさんの講演レジュメに「あそびの精神→喜劇精神→武器としての笑い」というのがあります。太平洋戦争下における太宰の文学姿勢を話される中で解明されていったことです。ここであえて一点だけ繰り返せば、喜劇精神というのは目的をその外側においてはいない、その中核にはあそびの精神がある。……

 さて、今年のキイワードはリメイク・再話です。最初に再話とは今日的課題に答えることであることが概念的に整理されました。ケストナーの「長靴をはいた猫」が、ペローの時点においても17世紀終わりの現代的課題に答える形で再話がなされていることが紹介され、このゼミはさらに奥行きの深いものになりました。
 そして、1950年におけるケストナーによる伝統の受け継ぎ。なにより「猫」の造形が違っていました。猫はハンスの理解者であり協力者であり、どんなときにも人間をよく観察し、自分の頭で考えて行動する。そして、ハンスの協力者というだけではない、悪辣な魔術師をやっつけた民衆の解放者でした。しかし、やっぱり猫は猫、決して「英雄」ゼンとしているのではなく、実に魅力的な仲間としてそこに描き出されています。古い仕来たりにしばられた粉屋の生活と別れを告げ、新しい生活に足を踏み出すハンスを支える猫。そこには1950年代のドイツを生きる若者たちへ、何が本当の知恵であり何が今問題なのか、親しみをこめてともに考えあうケストナーの姿が感じられます。

 ケストナーのゼミで明らかになってきた私たちの課題意識は、太宰治「お伽草紙」のゼミでも引き継がれました。「前書き」にあるように、この作品は太平洋戦争末期、明日の命も知れない防空壕の中で書かれています。
 この語り手は「物語を創作するという奇異なる術」を持った人物です。彼は自分の五歳になる女の子のためにこのお話を語ってやります。そして、その女の子のための語りの調子を含め、その胸中には、語り手が読者とともに考え合っていこうとする、別の言い方をすれば、語り手自身が楽しみながら語っていく物語が生み出されていくわけです。

 ゼミでは「瘤取り」と「舌切雀」を扱いました。それぞれについて機関誌でその内容はまとめられるでしょう。ここではゼミのあり方として、今回、今までにない形をとったことをご報告しておきます。
 「舌切雀」では、「お爺さん」の人間像について、結論めいたものは出ませんでした。提案サークルとしてのわれわれ自体、集会までに結論的なものが出せなかったからです。そのことについて、こういう形で全国集会に臨むことにさまざまな不安の声もありました。しかし、読みの方向性において、一定のものが出せる自負。そして、今まで作り上げてきた文教研・私の大学の伝統と仲間たちをもってすれば、有益な会が持てるはず、という「あそびの精神」ともいえる実験精神。そうしたものを支えとして、ともかくやってみたわけです。そして、「やってみて面白かった」というのが、多忙な日常の中で搾り出すようにして集会準備をしてきた話題提供者の声、そして、日程を工面して参加した参加者の声でした。

 喜劇精神というのは目的をその外側においてはいない。私たちの今次集会も、そういうものであったと思います。  

 〈文教研メール〉2005.8.24 より
 

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