N さんの例会・集会リポート 2004.08.05-07 第53回全国集会 |
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「笑い」の論理的構造への関心
文教研のNです。
記録的な猛暑の今夏。『ケストナー手帖(仮称)』の準備とも重なり、みんなフル回転だった今次全国集会も無事終了しました。 今年の特色は文教研でずっと語られてきた<喜劇精神>という重要な概念が、実際、どういう論理で「笑い」と結びついているのか、ということが一歩踏み込んで解明されたことだと思います。それを可能にしたのは、ここまでI さんを中心としてケストナー文学と取り組んできた成果、そして、今回、「文学と教育」200号に掲載された佐藤論文「1930年代の笑い・喜劇・及びユーモア」の牽引力であったことは、間違いありません。 ただ正直言って私のようなものには佐藤論文を読んだだけでは、到底「なるほどそうか」とすぐに理解できるものではありません。(無論、自分の不勉強のせいです。失礼な発言スミマセン!)集会の中でも「笑いの中間的不決定性」など、何度も皆さんの口に上りながら、いくらか胸に落ちてきたのかな、というところです。さて、こういう難しいことは少しづつ取り組むとして、いつものように印象に残った何点かをご紹介しようと思います。 太宰の『禁酒の心』と『黄村先生言行録』のゼミでは、毎年のことながら広島のKさんの発言が印象深いものでした。Kさんは昭和18年という作品場面を同時代人として生きて来られたわけです。それぞれのゼミで一つづつ、Kさんの発言をご紹介しましょう。 一つは『禁酒の心』の冒頭の一文について。 「私らはこの一文を読んだだけで大笑いしてしまいます」。冒頭はこうです。「私は禁酒をしようと思っている。」…… もう一つ『黄村先生言行録』の山椒魚について。 「あの方とダブってしょうがない。太古のままの姿で、そばによると突如としてぱくりとやられる……」。 皆さんはK発言をどうお感じになりますか。私にとっては非常に鮮烈でした。昭和18年、米の配給すらままならない状況です。同時に配給制度を批判するような表現はおよそできない。知識として歴史的条件を押さえているつもりではありましたが、それが冒頭からの「大笑い」として繋がっていくことに、強い衝撃を受けました。また、黄村先生にとっての山椒魚の存在が「万世一系の天皇」のイメージと繋がっていくことは、例会を重ねていく中でやっと私にも分かってきていました。しかし、それもまた、姿は見えねど黒い水がだぶりと動く、それがストレートに「あの方」と結びつく感覚に、正直、空恐ろしいものを感じたのは事実です。 このことについては、これから集会を振り返りながら考え続けていきたいと思います。ただ、今の時点で感じることは、やはりこのKさんの感覚は誰でもが持っていたわけではない、ということです。あの時代への強い怒り、その時代を生きた自分自身への強い問いかけがあって始めて、Kさんのような「笑い」がおきる。それは、たぶん「喜劇=ユーモア=アイロニー=パラドクス=評論、そして弁証法。」(佐藤論文に位置付けられた戸坂潤の言葉)という「公式」が現実の場面で働いた現象なのでしょう。 そうした「笑い」の論理的構造への関心は、ケストナー『オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』のゼミでも深まっていったように感じました。 そのことを私が鮮明に感じたのは、第7話ティルが土地を買った話の位置付けの論議でした。ティルは人をからかい悪さをするしょうもない奴です。しかし、彼は悪玉として描かれているわけでもないのです。議論の中で、I チューターはこの植木鉢の植物のようになって「この土地はおいらのもの」というティルに、自らをドイツに生えた木として亡命しなかったケストナーの姿と重ねて語りました。 しかし、だからといってティルはここで善玉として描かれているわけではない、あくまで目の前の相手を馬鹿にするいたずら者なのです。ティルが悪玉か善玉かだったら、この物語全体はちっとも笑えないでしょう。こうした「笑い」の構造は先の「笑いの中間的不決定性」という問題とも関わってくるようです。 基調報告の中でI チューターが紹介したケストナーの言葉をもう一度噛みしめて、この集会を新たな出発点にしたいと思います。 「一生の間、額に諸問題のまぬけなしわをよせて走り回り、変わりばえのしない絶望を毎度新しい紙に書きつけるかわりに、自分自身を教育して心の晴れやかさに到達する方が、どんなにか骨の折れることでしょう。人生を重く受け取るのは簡単なことです。しかし軽く受けとめるのは難しい。それは今日では昔以上にすべての人々に言えることです。」(「片目の文学」1946/47歳) 【〈文教研メール〉より】 |
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